私立第三新東京中学校

第二百五十五話・種


「つまらなそうだね、二人とも。」

そろそろスーパーに到着しようと言う頃、賑やかな僕達とは対照的に、ずっと
口を閉ざしてきた渚さんと山岸さんに僕は声をかけた。
すると、突然僕に声をかけられた山岸さんは驚いて慌てて否定する。

「そ、そんなことないです。私、お買い物、楽しみにしていますから・・・・」

だが、そんな山岸さんの言葉とは裏腹に、その表情はあまり期待に満ち溢れて
いると言うものではなかった。

「・・・ところで、山岸さんはどっちが好き?作るのと食べるのと、それから
買い物と・・・?」
「わたし?」
「そう、山岸さん。」
「私は・・・・やっぱり作るのかしら?次にお買い物で・・・食べるのにはそ
んなに執着してないみたい。」

他愛ない僕の話題提供に、次第に山岸さんの表情も緩んでくる。
僕はそのことに気付きながらも、知らん顔をしてそのまま話し続けた。
別におしゃべりがあまり好きでない人を無理に会話に引き込む必要はないと思
われるかもしれないが、やっぱり輪の中に上手く入り込めない人に手を差し伸
べてあげるのは、今回の話の発端がアスカである以上、僕の役目だと思ってい
た。ずっとひとりぼっちだった綾波に話し掛けてみんなの輪の中に入れるよう
にしたのも僕だったし、それに僕も昔はひとりぼっちだった。独りでいいなん
て開き直って自分の中に閉じこもっていたけれど、やっぱり人が恋しかったん
だと思う。でも、そんな自分に素直になれなくて、人に話しかける勇気がなく
て・・・
僕みたいな人も、世の中には案外多いことだろう。
別に山岸さんや渚さんが僕みたいな奴と同じだとは言わないが、誰もが声をか
けられてうれしくないはずはないと思う。だから僕はくだらないことだと思わ
れるかもしれないが、折角みんなで揃って宴会を楽しむのだから、孤立した人
を出さないよう、気を配ることにしたのだ。

「そうなんだ・・・・僕は作るのも買い物も、食べるのもみんな好きだけど・・・」
「私も別に嫌いだって言ってる訳じゃなくて・・・・」
「わかってるよ。食べるのが嫌いだったら、作るのが好きになれるはずもない
もんね。」
「それもそうね。」

僕の言葉に、山岸さんは笑みを漏らす。
生真面目な彼女がそういう風に自然に見せてくれた笑みは、何だか特別綺麗に
見えた。僕の周りはどちらかと言うと微笑みに包まれている。もちろん泣き顔
も怒り顔も存在するが、最終的にはすべて微笑みに戻る。そんなみんなの笑顔
を見ていると幸せを感じられて、僕の荒んだ心も少しずつ癒されていくような、
そんな気さえしていた。
だが、山岸さんはまだそんな僕達に馴染んでいないのか、あまり表情を崩すこ
ともなく、そういう時には困ったような顔をしていることもあった。それはい
つも無意味な微笑みを浮かべている渚さんとは対照的だったが、ひょっとした
ら、中身は案外似ているのかもしれない・・・・

「ところで渚さんは・・・・」

山岸さんが少し和んだところで、僕は山岸さんの隣の渚さんにも話を振ろうと
する。しかし、声をかけようとして、僕は困ってしまった。山岸さんは料理好
きで、料理の話をすればいいと言うことは僕にもわかっていたのだが、渚さん
は料理をしない人だった。それに、改めて考えてみると、渚さんの趣味とか、
そういう個人的なことを何も知らない自分に気付いた。
渚さんと比較すれば、山岸さんの方が付き合いの期間は圧倒的に短い。
であるのに僕は渚さんよりも山岸さんのことの方がずっと色々知っているよう
に思える。渚さんは僕のことを好きだと言っているものの、知っているのはそ
のことと・・・あとは力を使えると言うことくらいであった。

しかし、そう思い言葉を詰まらせた僕に対して、渚さんは僕に声をかけられた
ことがうれしいのか、微笑みの形を変えて僕に応える。

「何だいシンジ君?」
「いや・・・渚さん、楽しい?」

自分でも滑稽に思えてしまうような問い。
しかし、今の僕にはそんなことくらいしか聞けなかった。
そして渚さんはそんな僕の内心を知ってか知らずか、うれしそうに微笑んだま
ま答える。

「楽しいよ、もちろん。」
「じゃあ・・・・どうして黙ってるの?」

これは僕の心からの問い。
僕にしてみれば、どう見たって渚さんは楽しいようには見えなかった。
あまり聞いてみて楽しいこととも思えなかったが、思わず僕の口をついて出て
しまったのだ。

「・・・・そうしていた方が、いいと思わないかい?」
「渚さん・・・・」

僕は渚さんの答えに、イエスともノーとも答えられなかった。
はっきり言ってしまえば、渚さんは山岸さん以上に僕達の中では浮いている存
在だからだ。いや、浮いているだけならまだしも、綾波とアスカには嫌われて
さえいる。それは渚さんの不透明さと力を持つがゆえの警戒感からなのだが、
生理的に合わないと言うのもあるに違いない。
だが、そんな諸々のこと全てを鑑みても、渚さんの悲しみを知る僕は、渚さん
を放っては置けなかった。

「僕が口を閉ざしていれば、シンジ君にも平穏が約束されるだろう?」
「・・・そんな・・・・」
「よく考えると、僕は君に嫌われても仕方ないようなことばかりしてきたから
ね。だから・・・・これは僕の、罪滅ぼしのようなものさ。」

渚さんは、そう言って笑って応える。
だが、僕はそう思う渚さんの微笑みが、胸に突き刺さってくるような感じがし
た。別に渚さんが言うのは嘘偽りでもなく、真実僕を思っていてくれるに違い
ない。しかし、その真実が真に迫り過ぎているため、辛い現実が僕の心に圧し
掛かってくるのだ。

「・・・・」
「宴会、楽しみにしてるんだろう?」
「・・・・うん。」
「なら、僕はいない方がいい。いや、いたとしても・・・黙っていた方がいい
だろう。」
「渚さん・・・・」
「まあ、ネルフの諸氏には僕も顔を合わせておきたい。だから参加するのだけ
は、大目に見てもらえないかい?」
「そ、それは・・・・」

渚さんの言葉で、僕は渚さんの存在について思い出された。
渚さんが、僕達の敵かもしれないと言うことに・・・・

敵にしては敵らしくもない敵。
敵を好きになってしまった、悲しみの敵。
でも、好きだからと言う感情の他に、渚さんには何かがあるような気がした。
何か理由と言うか目的があって・・・・
もしかしたら、狙いは僕ではなく、僕の周りの人物・・・例えば父さんなどな
のかもしれない。だから僕に近付いて・・・・

いや、そうであるにはあまりに手が込んでいる。
そういう予想は立てられても、よく考えてみると不自然なことも多い。
だから・・・・

「駄目なのかい?」

僕は渚さんの言葉に我に返る。
そして慌てて返事をした。

「そ、そんなことないよ!!大歓迎だからさ!!」
「・・・よかった。シンジ君がそう言ってくれて・・・・」
「い、いや、そんなことないよ。僕も・・・渚さんが来てくれてうれしいよ。」
「本当かい?」
「本当だよ。」
「・・・・」
「と、ところで渚さん?」
「何だい?」
「料理・・・やっぱりしないの?」
「ああ。」
「ど、どうして?いつも、なに食べてるの?」

僕は少し話題を変えたいと思ってそう訊ねる。
しかし、次の渚さんの言葉を聞いて、僕は後悔してしまった・・・

「どうしても・・・答えなければいけないかい?」

渚さんはわずかに表情を曇らせて、僕の瞳を見つめながらそう言う。
僕はそんな渚さんに気圧されたかのようにどもりながら答える。

「い、いや・・・・そ、そんなことないよ。」
「・・・・ごめん、シンジ君。」
「い、いいんだよ。渚さんにだって、人には言いたくないことの一つや二つ、
あって当然なんだし・・・・」
「でも・・・・人を愛するなら、その人にはすべてを見せても当然だろう?」
「それが・・・渚さんの、愛の形なの?」
「わからない。でも、シンジ君だってわかっているはずだ。僕には秘密が多す
ぎるって言うことを。」
「・・・・」
「何かを隠しながら、純粋にその人を愛せると思うかい?」
「・・・・思わない。」
「だろう?だから僕は歪んでいるんだ。僕の存在理由、それが歪んでいるのと
同じように・・・・」

歪んだ存在理由。
それが何なのか、僕にはわからない。
そもそも作られたヒトだと言うことが、歪んでいるものだと言えよう。
よく考えてみると、綾波の存在理由もよくわからない。
エヴァに乗せるため?
それとも失った母さんを求めた父さんの強い想いから来るもの?
それとも・・・・

だが、綾波は自分の生きる目的を見つけた。
人として生き、人として死ぬと言う・・・・・
僕がそれを綾波に示唆してしまったのかもしれないが、綾波もそれをわかって
くれた。僕は少なくともそう思っている。
だから綾波の生まれた理由がどんなに歪んだものだとしても、人としての道を
選んだ綾波を、僕は拒むつもりなんてない。

しかし、そんな綾波とは対照的に、渚さんはさ迷い続けている。
自分の歪んだ存在理由から脱却できずにそれを引きずっている。
渚さんの場合、綾波とは違って強い目的があって、それで作られたんだろう。
だから命令には絶対であり、その狭間で葛藤しているのだ。
その目的がなんであるのか・・・それを渚さんから聞き出すことは、この僕に
は出来ない。
それはもう、後戻りできない状態まで来てしまうからだ。

僕も渚さんも、そうしてしまうにはあまりに弱すぎる存在であったのだ。

そして沈黙。
折角僕が渚さんも会話の中に入れようと思ってしたことも、空回りする結果と
なった。だが、そんな少し落ち込む僕に、渚さんは微笑みながらこう言ってく
れた。

「でも・・・・僕はシンジ君の卵焼きが好きだな。」
「えっ?」
「自分ではろくなものを口にはしていないけど、シンジ君の作った弁当、中で
も卵焼きはおいしかったよ。綾波さんや惣流さんの目が光っていたけど、でも、
本当においしかった・・・」
「渚さん・・・・」
「料理、する必要があるかな?」
「あ、あるよ。した方がいいって。」
「・・・そうかな?」
「そうだよ!!絶対に!!」
「なら・・・・僕も惣流さんに倣って、独学で学ぶとしよう。シンジ君のその
手を煩わせる訳には行かないからね。」

難しい問題に発展しそうになったけれど、それでも結局は微笑みで終わった。
それが渚さんの僕への心遣いからなのか、それともこの問題から逃げたかった
だけなのか・・・僕にはわからなかったが、それでもいいと思った。
ただ、微笑みさえあれば・・・・



「いいの?」
「・・・・」
「シンジ、あいつと話してるわよ。」
「・・・・いいの。別に。」
「どうしてよ?」
「碇君のやさしさ、私は大切にしたいから・・・・」
「・・・危険でも?」
「碇君は私と共にあるわ。だから平気。」
「・・・・よくわかんないわね。」
「心も身体も、すべてがつながってる、そんな気がするの。だから大丈夫。何
も問題は起こらないわ。」
「・・・・」
「信じるとかそう言う問題じゃないの。何だか私、碇君の全てがわかるの。碇
君が何を思い、何を感じているのかが・・・・」
「・・・それが・・・・アンタの力なの?」
「ううん。これは力とは違う。そんな忌まわしいものなんかじゃないの。」
「アンタのいつもの思い込みじゃないの?」
「以前の私はそうだったかもしれない。でも、今の私は違う。魂と魂が引き付
け合って・・・お互いの欠けた部分を取り戻そうとしている。」
「・・・・・」
「変わった私。そして碇君も変わった。特にこの数日で・・・・」
「そうかもしれないわね。でも、それが何だって言うの?」
「・・・・目覚めるかもしれない。」
「は?何がよ?」
「私達の、因子とも言うべき埋め込まれた種が・・・・・」


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