私立第三新東京中学校

第二百五十三話・重荷


「・・・・ヒカリの奴め・・・」

アスカは不機嫌そうにぼそっとこぼす。
すると、それに同調するかのように、隣にいた綾波がアスカに言った。

「私も同感。洞木さん、案外ひどい人ね。」
「アンタもそう思う?確かにみんなの調和を考えれば、そういう風になるかも
しれないけど、ちょっと自分勝手すぎるわよ。どうせヒカリはちゃーんと鈴原
と一緒なんだろうし・・・」
「そうね。でも、それはいいとしても、碇君と山岸さんが一緒って言うのが気
に入らないわ。」

いつのまにか愚痴りあいで盛り上がるアスカと綾波。
僕はそんな光景を横目で見ながら、少し可笑しそうに笑みを浮かべていた。
基本的にこの二人の関係はこういうのが理想だと思っていたので、アスカや綾
波が思うのとは裏腹に、僕は洞木さんの選んだ組み合わせが最上のものだと思
った。いがみ合うよりも、連帯関係を・・・少し問題はあるものの、取り敢え
ず今のアスカと綾波はしっくり来ていたのだ。

「確かにね。わざわざあの山岸って女とシンジを一緒にしなくってもいいと思
わない?あいつがシンジに惚れかけてるってのは見え見えなんだから、余計な
揉め事を起こさないためにも、あの二人をくっつけるべきではないのに・・・」
「そう、私とアスカとのことを考えれば、洞木さんは自分が碇君と一緒になれ
ばよかったのよ。」
「アンタの言う通りね。でも、ヒカリは鈴原と一緒がいい。結局ヒカリは自分
を優先してしまった。アタシ達のことを客観的に見たくせに・・・」
「・・・・これは、罰が必要ね。」

綾波はそう言うと、綾波にしては珍しい、まるでにやりと音が聞こえてきそう
な笑みをアスカに向けた。アスカはそんな綾波の笑みに応えて、同じようにに
やりとして言葉を返す。

「そうね。アンタもなかなかわかってきたじゃない。」
「アスカの教育の賜物よ。私、こんなに悪どくなかったのに・・・・」
「ふふっ、悪の道ははまると癖になるわよ。アンタも気をつけなさいよ、レイ。」
「・・・・私も、碇君いじめ、してみようかな・・・・」
「あっ!!それは駄目!!アタシだけの特権なんだから!!」

アスカはぼそっとこぼした綾波の言葉を慌てて否定する。
すると綾波はあっさりと諦めてアスカに言う。

「じゃあ、やめる。その代わり、アスカのいじめから碇君を守って・・・」
「それも駄目!!」
「どうして?」
「シンジが面白くないじゃない。あいつ、結構いじめられるの、楽しんでいる
んだから・・・」
「・・・そうなの?」
「そうに決ってるでしょ。でなければあんなにしょっちゅういじめられたまん
まなわけないじゃない。だからシンジも、いじめられるのが癖になってるのよ。」

僕はアスカと綾波の悪だくみ的な会話を黙って聞き流していたが、僕もこの辺
は聞き捨てならないと思って口を挟んだ。

「た、楽しい訳ないだろ!!いい加減変なこと言うのは止めろよ!!」
「あらシンジ、聞いてたの?」
「聞いてたに決ってるだろ!!」

僕が少し声を荒げてそう言うと、アスカは全くそれに動じた様子も見せずに、
ひとこと僕に言う。

「じゃあ、わかってるわよね、シンジ?」
「わかってるって・・・何がだよ?」
「あの山岸って女に気をつけること。ううん、気をつけるだけじゃ駄目。ちょ
っと素っ気無くなさい。」
「ど、どうしてさ?」

僕が訳も分からずにアスカに聞き返すと、アスカは大きな声で僕をたしなめた。

「アンタ、まだ苦労を背負い込もうってつもり!?アタシとレイだけでもどろ
んどろんになってる癖して、更にあの女がアンタに惚れでもしたらどうすんの
よ?」
「そ、そんな・・・・そんな調子のいいことばっかり起こる訳ないじゃないか。
ほら、アスカと綾波とは、僕も色々あったからわかるけど、そんなことでもな
ければ、僕みたいないつも悩んでる男なんて、そうそう女の子に好かれる訳な
いよ。」

僕はアスカの心配を吹き飛ばすかのように、そう言い放った。
するとアスカは呆れたように僕に向かって嘆く。

「アンタって・・・・とことん馬鹿ね。」
「ど、どういうことさ?失敬な。」
「馬鹿だから馬鹿って言ってんのよ。アンタ、自分が周りの女連中にどう思わ
れてるか、知ってる訳?」
「どう思われてるかって・・・・いつもアスカ達とべたべたしてる男で、それ
でいてうだうだ悩んでる、傍目から見てもうざったい男・・・・」
「確かにそうだけど、でも、それでもアンタ、かなり人気あんのよ。」
「う、嘘・・・?」
「ほんとよ。アタシやレイのいるせいで露骨に迫るような愚か者はまだいない
けど、さりげなくシンジのこと、熱っぽい目で見てる奴、いなくもないんだか
ら・・・」
「・・・・し、知らなかったよ。初耳だ。」
「アタシ、前も言わなかったっけ?アンタ、どうせ聞き流してたんでしょ・・・?」
「ご、ごめん・・・そうかもしれない。それか、聞いたけど忘れちゃったとか・・・」
「そう言うのを聞き流してたって言うのよ、バカ。」
「ご、ごめん。やっぱりアスカの言う通り、僕は馬鹿だね。」
「ほんと、筋金入りの馬鹿よ。まあ、馬鹿だから、かわいいんだけどね・・・」

アスカはそう言うと、表情を崩して僕に微笑みかけてくれた。
僕はそんなアスカの笑顔を見て、少しほっとしてアスカに笑みを返した。

何だか少しだけ、いい雰囲気。
しかし、突然のそんな成り行きを黙ってみていられない人間が、ここにはいた。

「・・・かわいいからいじめるなんて、私には納得行かないわ。私はかわいい
と思うから、だからこうするの・・・・」

綾波はそう言うと、いきなり僕の腕を取って自分の腕と絡める。
アスカはそんな綾波に慌てて対抗する。

「ア、アタシだって!!」

そして僕は二人に両腕を取られる形となった。
はっきり言えば困った状況だが、客観的に見れば微笑ましい。
だから僕も苦笑いを浮かべながらも、そんなに嫌にも思わなかった。

「アスカ、いじめはやめて。ほら、碇君も困った顔してる・・・・」
「シンジを困らせてるのはアンタよ!!ほら、腕を離しなさいってば!!」
「アスカが離したら、私も離すわ。」
「嘘。信じられないわね。」
「私は嘘なんてつかないわ。ほら、私の目を見て。」

綾波はそう言ってアスカを見つめる。
しかしアスカはあっさりと言い捨てた。

「ますます信じられないわね。アンタの目、嘘つきの目よ。ほら、シンジの目
を見なさいよ。こういうのを嘘をつかない瞳って言うんだから。」

アスカはそう言うと、僕の目を見つめた。
綾波もアスカに言われて、僕の目を見つめる。

「本当・・・碇君の目、綺麗。」
「でしょ。アタシ達の瞳、カラフルだけど、こんなに澄んでないわよね。」
「うん・・・私達、嘘つきだから・・・・」
「アンタ、認めたのね?自分が嘘つきだって・・・・」
「私、嘘つきだから。碇君の目を見たら、自分が嘘つきじゃないなんて、更に
嘘を重ねるられるはずない・・・」

綾波は僕の瞳に見入りながら、そっとアスカの言葉に応える。
僕は二人に深く見つめられて、ちょっと恥かしくなって懇願した。

「・・・二人とも、もうやめてよ。そんな見つめられたら、僕だって恥かしい
よ・・・」

僕がそう言うと、アスカは僕の瞳を覗き込んだまま、僕に言った。

「アンタが恥かしいのは、後ろめたい気持ちがあるからよ。」
「う、後ろめたい?」
「ほら、アタシ達に言うこと、あるでしょ?」
「言うこと?ないと思うけど・・・・」
「ほら、嘘つくんじゃない。折角のアンタの綺麗な瞳が濁るじゃない。」
「そ、そんな・・・・」
「宣言しなさいよ。浮気はしないって・・・・」
「う、浮気って・・・・」
「山岸って女にキスなんかしたら、アタシは絶対に許さないからね。」
「す、する訳ないじゃないか。」
「されても駄目だからね。だから気をつけなさい。いいわね?」
「わ、わかってるって。気をつけるよ。」
「よし。それでいいのよ。ほら、レイ・・・シンジの瞳、もっと澄んで来たと
思わない?」

アスカはまだ僕の瞳を見つめたまま、綾波に呼びかけた。
すると綾波もアスカと同じく僕の目を見たままその言葉に答える。

「・・・そうかもしれない。でも、まだ完全じゃない・・・」
「どういうことよ?」
「碇君にはまだ宣言すること、あるはず。そうでしょ、碇君?」
「まだ?そんな・・・・」
「言って。アスカの唇にも気をつけるって。」
「あ、綾波・・・・」
「私だけじゃ、碇君を守り切れない。碇君も気をつけてくれないと、やっぱり・・・」

綾波の言葉を聞いて、アスカは呑気に僕の目を見つめている余裕もなくなった
と見て、綾波の方に向かって大きな声で言った。

「アンタ、シンジの自由意志を妨げるつもり!?」
「・・・・あなたの負けね、アスカ。碇君から目を逸らして・・・」
「勝ち負けなんてあるわけないでしょ!!」
「ううん、私の勝ち。だから勝者にはご褒美が・・・・」

綾波はそう言うと、まだ僕を見つめたままそっとその顔を近づけてきた。
だが、アスカも慣れたもので、すぐさま綾波の意図するところを悟ると、素早
く手を出して綾波の唇が僕の唇に触れるのを遮った。

「何するのよ、アスカ?その手をどけて。」
「アンタバカ!?どけろと言われて大人しくどけるアタシだと思う!?」
「・・・・思わないわね。」
「でしょう!?だから諦めなさい。アンタがアタシの唇を阻止しようと思って
るのと同じで、アタシもアンタの唇を阻止しようと思ってるんだから!!」
「・・・・アスカの意地悪。」
「意地悪で結構!!この世は意地悪なくらいじゃなくっちゃ、上手に渡ってい
けないのよ。」

アスカが自慢することでもないのにやたらと誇らしく胸を張って綾波に言う。
すると綾波はそんなアスカを否定するかのように、いや、利用するかのように
僕の腕をぎゅっと抱き締めてこう言った。

「なら、不器用な私は碇君と一緒に二人三脚で行くわ。アスカは世渡り上手だ
から、ひとりでも大丈夫でしょ?」
「レ、レイ、アンタ・・・・」
「一緒に行こ、碇君。洞木さんはあんなこと言ってたけど、キッチンはひとつ
なんだし、一緒に料理が出来るわ。私と碇君の愛の結晶、みんなに見せ付けて
あげなくっちゃ。」
「は、ははは・・・・」

僕は綾波の言葉に何と答えてよいかわからずに、ただ苦笑いを浮かべるだけで
あった。するとそんな僕を見たアスカは、意地悪そうに綾波に言う。

「ほら、レイ!!シンジも返答に困ってるわよ!!」

しかし綾波もアスカの言葉には臆せずにさらっと言い返す。

「碇君はやさしいから・・・だからきっとアスカの目の前では答えられないの
よ。アスカを傷つけたくないと思って・・・・」
「なっ・・・・」
「だから私は答えなんて要らない。碇君の行動が、きっと私に答えを見せてく
れるだろうから・・・」

言葉を詰まらせたアスカは、綾波の言い様を聞いて大きな声で僕に言いつけた。

「シンジ!!絶対にレイと一緒に料理するんじゃないわよ!!したら殺すから
ね!!覚悟なさい!!」
「ほら、またアスカが碇君を脅してる。愛って、こう言うかたちじゃないと、
私は思うな・・・・」
「うるさい!!アンタにはわからないほど、アタシとシンジの愛は奥深いのよ!!」
「人にわからない愛なんて、所詮ひとりよがりに過ぎないわ。だから、アスカ
の一方的な考えで・・・」
「じゃあ、アンタは何よ!?アンタのは傍から見ても、一人よがりにしか見え
ないわ。またレイが独りで踊ってるって・・・・」
「アスカがそう見るのならば、私はそれでもいいわ。碇君だけが私の想い、わ
かってくれればそれで・・・」

綾波はそう言うと、僕の肩に頬を寄せて幸せそうな微笑みを浮かべた。
するとアスカも負けじと僕にぴったりとくっつく。

「アタシだって・・・・」

僕はそんな二人を見て、やさしくこう呼びかけた。

「・・・じゃあ、三人で作ろうよ。洞木さんには悪いけどね・・・・」
「賛成。」
「ヒカリの奴なんて、気にすることないわよ。あいつはどうせ鈴原と楽しくや
れればそれでいいんだろうし・・・」
「でも、山岸さんには、ちょっと可哀想かな・・・」
「じゃあ、ちょっとだけ、一品だけお義理で一緒に作ったら?そうすれば、ア
ンタもあの娘も満足するだろうし・・・」

僕のそんな言葉に、アスカは穏やかに提案してくれた。そして綾波もまた、ア
スカに賛同して言う。

「そうね、碇君はやさしいから、義務だけでも果たさせてあげた方が・・・所
詮これは義務なんだし・・・・」
「そうそう、シンジは宿題は早めに片付けないと、落ち着けないタイプだから・・・」
「アスカとは違って、ね?」
「う、うるさいわね!!アタシは無意味な作業はしないだけよ。その代わり、
宿題を写させてくれたシンジには、アタシの愛をあげてるんだから・・・」
「私の愛は無償よ。ね、碇君?」
「えっ?」

僕は綾波の呼びかけに、何と答えてよいのかわからずに素っ頓狂な声を上げる。
するとアスカはちょっとふざけた様子をなくして静かに綾波に言う。
まるで諭すかのように・・・・

「馬鹿ね、レイ。ただより高いものはないって言うじゃない。シンジ、重荷に
思うかもよ・・・」
「重荷に思って、私にもちゃんと愛を返してくれれば・・・・ううん、違う。
私の愛は無償だけど、見返りなんて求めてない・・・」
「だから、それが重荷なのよ。わかる?」
「・・・・・」
「こんなこと言うのは嫌だけど、アンタも見返りを求めた方が、シンジにとっ
てはいいかもね?アタシも実際、そう思い始めてるし・・・・」
「・・・・」
「所詮、世の中はギブアンドテイクなのかなぁ・・・・?寂しいことだけどね・・・」

アスカはちょっと悲しげにそう呟く。
僕はそんなアスカを見て、まるで自分に言い聞かせるように言った。

「僕は・・・僕はそんな風には思いたくないな。やっぱり無償の愛ってものを
信じていたいよ。それは理想かもしれないけど、僕は常に理想を追い続けてい
たいから・・・」

するとアスカはそんな僕の言葉を聞いて、呆れるように言った。

「・・・・やっぱりシンジには敵わないなぁ・・・アタシ、そんなこと言えな
いもんね・・・」
「碇君がこうだから、私は碇君が好き。諦めることなく前を見つめてる碇君の
強さが・・・」
「そうね・・・・アンタのその考え、正しいと思うわ。こういうところが、男
と女の違いだと思うけど・・・」
「うん・・・・だから女は男に魅かれるのね。私が碇君を好きになったように・・・」
「シンジはそんなに自分のこと、認められないかもしれないけどね・・・・」

何だかいつのまにか、しんみりした空気に包まれた。
僕も二人の言葉を思い、アスカと綾波、二人に視線を走らせる。
今の僕達三人は、こんなに楽しく振る舞っている。
それが楽しくって、僕はずっと幸せな気分に浸っていたけど、それは所詮作り
出した調和にしか過ぎない。
僕が頼んだから、アスカも綾波も協力してくれたのだ。
二人とも、それはそれで十分に楽しんでくれているけど、それでもやっぱり・・・
アスカの言葉通り、僕にとっては重荷なのかもしれない・・・・


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