私立第三新東京中学校

第二百五十一話・笑って過ごしたい


「もう・・・もういいだろ?」

僕は堪えかねたように、そう訴えかけた。

「碇君・・・・」
「シンジ・・・・」

涙なんて出ない。
泣けたらどんなに楽なことか・・・
しかし、今の僕には涙を流すことさえ出来なかった。

「・・・みんなでお互いを傷つけあって、一体何になるのさ?そんなに嫌いあ
っている訳じゃないだろう?一緒に住んで、そして分かり合えたはずなのに、
どうして仲良く出来ないんだよ?僕はみんなで楽しく暮らしたいだけなのに・・・」
「・・・・」
「この数ヶ月、何事もなく楽しくやってきたじゃないか。なのにどうして急に・・・」

僕の言葉は、最早泣き言にしか過ぎなくなっていた。
自分で口に出しながらも、こんな言葉が誰にも感銘など与えないことは嫌にな
るほどわかっていた。しかし、今の僕はそんなことを考慮している余裕さえな
かったのだ。
泣き言を言い、助けを求めて・・・・
いや、助けなどなくてもよかったのかもしれない。
涙を流す代わりに、そう言うことによって自分の気持ちを発散させたと言うこ
とも考えられる。今までみんなの気持ちを考えて、自分を押し殺して来たけど、
もうそれも限界なのかもしれなかった・・・・

「もう・・・もう、僕を一人にしておいてよ。僕の為にみんながいがみ合い、
微笑みを忘れるのなら、僕は寂しくても独りでいい。僕がいなければ、僕がい
なければ・・・・」
「そんなこと言わないで、碇君!!」
「そうよ!!アンタがいなくなったら・・・・アタシ達は、アタシは、どうす
ればいいのよ?レイとのケンカだって、アンタがいなければ出来ないのよ!!
アンタがいるから、楽しくケンカも出来るんだから!!」

アスカも綾波も、僕の言葉を大きな声で否定する。
だが、アスカが言うように、今のが楽しいケンカだと言えるのだろうか?
確かに楽しいケンカもあった。
アスカも、そして綾波までが、楽しんでお互いをからかいあって・・・僕もそ
んな光景を見ながら、微笑ましく思ったことさえある。しかし、しかし、僕は
もう、綾波に力のことを口にさせたくはなかった。綾波は平気な顔を装ってい
るけど、自分の胸をナイフで切り開くほど、綾波にとっては辛いことに違いな
い。僕がいなければ綾波は力を使う必要もないし、その事を考えることもなく
生活を送ることが出来るだろう。

「僕がいなくても、きっとケンカは出来るよ。変なしがらみなしに、もっとず
っと楽しく、ね・・・・」

僕は二人から軽く視線を逸らしてそう言う。
するとアスカは急に怒ったように厳しく言った。

「・・・・どういうことよ、変なしがらみって・・・・?」
「・・・言葉のままだよ。」
「アンタ、アタシやレイの気持ち、嫉妬してる気持ちを馬鹿にするつもり?」
「馬鹿にしてるつもりはないよ。ただ、不毛なだけだと・・・・」

僕は少しうんざりしたかのように小さく言った。
アスカはそんな僕の言葉を聞くと、大声で叫んだ。

「思い上がるんじゃないわよ、この馬鹿!!」
「・・・」
「アンタ、自分が理解できないからって、言うに事欠いて不毛ですって!?ア
タシやレイがどういう気持ちでいるかも知らないくせに!!」
「・・・・」
「何とか言いなさいよ!!アンタはアタシが大声で叫ぶの、嫌いなはずでしょ!!」
「・・・何を言えばいいのさ、この僕が・・・・」
「とにかく、黙るなんて卑怯なのよ!!反論するなり改心して謝るなり、どっ
ちかにしたらどう!?」
「・・・・・・ごめん。何もわからないんだよ、何も・・・・もう、考えるの
も疲れたんだ。毎日毎日、みんながどうしたら楽しく暮らせるのか、嫌な思い
をせずに過ごせるのか、そんな事ばかり考えて・・・・でも、今こうして考え
てみると、そんな僕の配慮なんて意味があったのか・・・・?」
「シンジ・・・・」
「心を閉ざしている方が楽なんだよ。昔の僕でいた方が、ずっと呑気にいられ
た。僕は自分を変えたくって、アスカの助けも借りたりして、色々考えたりし
てきた。でも、でも・・・・・」

アスカが僕を責めても、僕はそれに反論するつもりもなく、自分を嘆き続けた。
だが、そんな僕に綾波がひとこと告げる。

「・・・・碇君のしてきたこと、私は無意味だなんて思わない。だって、そん
な碇君がいたから、今の私があるんだもの・・・・」
「綾波・・・・」
「そ、そうよ!!レイの言う通り!!シンジが頑張ってきたからこそ、今のア
タシ達三人があるんじゃない!!まだまだ問題だらけだけど、どんどんいい方
向に向かってるって言う実感、アタシは感じてる!!」
「アスカ・・・・」
「私もアスカも、ただ碇君に甘えてただけなの。ケンカしても寂しくても、心
が傷付いても、私達には碇君がいる、そういう気持ちがあったから、私達は思
うようにやってきたの。でも、でも、それが碇君を苦しめていたなんて・・・・」

綾波の言葉に続いて、アスカも僕に向かって言う。

「・・・・ごめん、シンジ。アタシ、シンジが苦しんでるなんて気付かないで
自分勝手にわがままばっかり言って・・・・自分のことばっかりで、求めてば
っかりで、シンジの気持ちなんて考えてなかった。前に言われて反省したはず
なのに、アタシのわがままを何でも受け入れてくれるシンジに甘えて・・・・
ううん、甘えなんてもんじゃない。つけ込んでたのよね、アタシ・・・・」
「私も、いつのまにか傷ついてるのは自分だけなんだって思ってた。碇君は無
理して私をかばって、その傷を大きくしない様にって気遣ってくれたのに、私
はそんな碇君のやさしさに気付かないで・・・・碇君を守るなんてひとりでい
きがってた。碇君を癒すのも、私の使命だと言うのに・・・・」

二人とも、僕の瞳を求めている。
僕の瞳を覗き込んで、僕のことを想ってくれる。
僕もそんな二人の視線からもう顔を逸らすことなく、自然と受け止めていた。
もう、二人の想いから逃げることなんて出来やしなかった。
やっぱり僕も、二人の想いを求めていたのだから・・・・
確かに独りでいれば、傷つかずには済むかもしれない。
でも、独りは寂しい。
寂しさを知らなかった昔なら、それでもよかったのかもしれない。
でも、僕はみんなと一緒にいる喜びを知っている。
楽しく笑うことも覚えた。
心から笑えるようになったことが、今の僕と昔の僕の違いだろう。
そして僕は笑いたい。
お腹が痛くなるほど笑って、この暗く沈み込んだ気分を吹き飛ばしたい。
嫌なことから逃避するのではなく、嫌なことを駆逐するのだ。
それに数倍する力を持った、幸せのパワーで・・・・

「シンジ・・・アタシはいっつもアンタに求め続けてきた。でも、もしかした
ら一度も聞いたことがなかったかもしれないわね。アンタはアタシ達に、何を
求めているのかって・・・」
「私もアスカと同じ。昔そのことでアスカを責めたこともあったけど、碇君が
何を求めるのかは聞いたことがなかった。だから碇君・・・・私達に言って。
碇君は一体何を、私達に求めているのかを・・・・」

僕は二人の訴えを聞いた。
アスカや綾波みたいに、僕は二人に何をして欲しいとか、そんなことはない。
でも・・・・でも、ちょっとした希望を、二人に示してみることにした。
今の僕の、心からの欲求を・・・・

「笑おうよ、二人とも。」

僕はそう言って、微笑みを見せる。

「シンジ?」
「笑おうよ、アスカも綾波も。眉間に皺を寄せたりしないで、かわいい唇を尖
らせたりしないで、幸せいっぱい感じてさ・・・・」
「・・・うん。私、笑う。碇君の微笑む顔を見ていれば、私も笑っていられる
から・・・」
「アタシも・・・・その位出来るわよ。簡単なことじゃない。」

アスカが少し気乗りしない感じでそう言うと、綾波がアスカに注意を促す。

「作り笑いじゃ意味がないのよ、アスカ。作り笑いなんて、人目見れば私も碇
君も見破れるんだから。」
「わ、わかってるわよ!!誰が作り笑いをするって言ったのよ?そんな馬鹿み
たいなこと、このアタシがする訳ないでしょ!!」
「・・・・なら、いいんだけど。」
「もう・・・」

アスカは綾波にそんなことを言われて少しむっとしていたものの、少しも怒っ
た様子は見せずに苦笑いを浮かべていた。僕はそんなアスカを見て、笑いなが
ら言う。

「アスカは苦笑いの方が自然かもね。ほら、今のアスカ、とっても自然だよ。」
「ほんと、碇君の言う通りね。」

綾波は楽しそうににこにこ笑いながら、僕の意見に賛同する。
そして自分がからかわれていることを知ったアスカは、真っ赤な顔をして叫ん
だ。

「ア、アンタ達ねぇ・・・・いい加減にしなさいよ!!」

だが、僕も綾波もアスカを恐れることなく、けらけら笑いながら言う。

「何にもなしでは、やっぱり笑えないからね。アスカと楽しい掛け合いをして・・・
そうすればもっと楽しくなるよ。」
「うん。私も、アスカとケンカするの、好きよ。アスカって面白いもの・・・」
「アタシは面白くないっ!!」
「なら、アスカも僕達をからかってよ。いつもみたいに反撃してさ・・・・」
「アスカの碇君いじめは、堂に入ってるから・・・だから私が援護してあげる。」

いつの間にやら連帯関係になる僕と綾波。
アスカはそれを知ると一層真っ赤な顔をして怒鳴った。

「ア、アンタ達、徒党を組むなんて卑怯よ!!一対一で来なさいよ!!」

すると、そんなアスカには慣れっこの綾波は、あっさりと反撃をする。

「だめ。アスカはからかいのプロだもの。碇君と私がセットになって、丁度い
い相手になるくらいなんじゃない?」
「ど、どこがよ!!アンタの方こそ、悪魔的な言い回しでアタシに張り合って
るくせに!!」
「でも、アスカには敵わないわ。だから・・・碇君と共同戦線を張るの。ね、
碇君?」

綾波はしれっとそう言うと、そっと僕の方に熱い視線を送った。
アスカはそんな綾波に完全に頭に血を上らせて、僕に人差し指を突きつけると
大声でこう言った。

「シンジ、騙されちゃ駄目よ!!そいつはしれっとかわいく振る舞っているけ
ど、中身はものすごーく極悪非道なんだから!!」
「ぷっ、極悪非道・・・・」

僕はアスカの表現した綾波に思わず笑ってしまう。
すると、綾波はとたんに悲しげな顔をして僕に訴えた。

「碇君、アスカの口車になんか乗らないで。アスカのビンタの痛み、まだ覚え
てるでしょ?アスカは中身だけでなく、外身も極悪非道なんだから・・・」

アスカは綾波の言葉を聞くと、チャンスとばかりににやりと笑って言った。

「・・・すると、アンタは自分が極悪非道だってこと、否定はしない訳ね。」

しかし、綾波もさるもの。
アスカのそんな攻撃に対してもいとも簡単に受け流してしまう。

「言葉でわざわざ言うことじゃないもの。碇君は私がそんな悪人でないことく
らい、十分わかっているはずよ。」
「甘いわね、シンジは鈍感だから、そんなに気が回らないのよ。だからアタシ
は教えてあげるの。レイ、アンタが極悪だってことを・・・・」

すると、アスカの言葉を聞いた綾波は、アスカに向かって反撃するかと思いき
や、いきなりその意見に賛同して僕にこう言ってきた。

「そうね。碇君は鈍感だから・・・・私達の気持ちも気付かないのよ・・・」
「そうそう、一番極悪なのは、シンジの方なのかもね?」
「あ、綾波・・・・」
「でも、極悪でも鈍感でも、私は大好き。だって・・・・」

綾波はそう言うと、途中で顔を赤くしてくちごもる。
そんな綾波を見たアスカは、にんまりと笑みをこぼしながら綾波に訊ねる。

「だって、なんなのよ?」
「だって・・・・私にやさしく微笑んでくれるから。やさしくぎゅっと抱き締
めてくれるから・・・だから好き。」
「なーんだ、アンタも単純ねぇ・・・アタシはもう、そんなんじゃ満足しない。
こう・・・もっと奥底から好きなのよねぇ・・・まるで噛めば噛むほど味わい
の増す、するめのような・・・・」

僕はそんなアスカの顔を見ると、にやにや笑ってこう言う。

「アスカ、どこでそんなするめの味なんかを覚えたの?ミサトさんに鍛えられ
たのかな?」

僕はアスカをからかうつもりで言ったのだが、アスカは全く堪えた様子もなく、
僕以上のにやにや笑いで応えた。

「ふふふっ、そんなに気になるのなら、教えてあげてもいいわよ。よし、今日
は酒宴ね!!ミサトも呼んで、ぱーっとやるわよ!!いいわね!!」
「え、えっ!?」
「もう、決定したの!!うだうだ言っても、決っちゃったものは変えられない
わよ!!」

アスカは大きな声でそう宣言する。
だが、そんなアスカを綾波はじっと見つめる。
アスカは綾波の視線を受けると、にやっと笑ってこう言った。

「安心なさい。アンタには、ちゃーんとおいしい日本酒を用意しといたげるか
ら・・・」
「・・・・ならいいわ。碇君にお酌してもらって、私も碇君に・・・・」
「よしよし、アンタもしっかり酔うのよ。全員潰れるまで、今日は絶対にお開
きにはしないんだから!!」
「ア、アスカ・・・・」

僕はとんでもないことになったと思ってアスカの名前をつぶやく。
だが、アスカはそんなのはお構いなしに、結構先行してしまっていたトウジ達
に大きな声で呼びかける。

「アンタ達、今日はアタシ達のうちで宴会をするわよ!!みんな大歓迎だから、
暇な奴もそうでない奴も来なさい!!いいわね!!」

アスカのよく通る声は、どうやらみんなにも届いたようだ。
結構びっくりしている様子だったが、僕達の様子を心配していたせいか、アス
カの口からいかにも楽しそうな声が聞こえて、安心しているようにも見えた。
アスカはここにいるみんなに伝えると、鞄から携帯電話を取り出して、心当た
りのある人に片っ端から電話をかけ始めた。
僕はそんな光景を見てにこにこしていたが、綾波がそっと僕に向かって言う。

「よかったわね、碇君・・・」
「えっ?」
「今の碇君、いい顔してる。そしてアスカの顔も・・・・」
「・・・・そう?」
「うん。そして・・・・」
「なに?」
「私の顔・・・碇君にはどう見える?」

綾波は少しだけはにかみながら僕に訊ねる。
そして僕は、そんな綾波に向かって答えた。

「もちろん、いい顔してるよ、綾波。いつもよりも、とびっきりかわいいと、
僕は思うな。」
「うれしい・・・・碇君が求めていたのは、こんな私やアスカだったのね?」
「うん。僕は難しいと思ってたけど・・・・結構簡単なんだね。」
「そうね、碇君が私達に言ってくれたから・・・・」
「何だか久しぶりに、心から笑った気がするよ。とってもすっきりした・・・」
「私も・・・・笑うって、気持ちのいいことなのね・・・・」
「うん。こうして、みんなでいつまでも笑って過ごせたらいいね。幸せいっぱ
い、感じてさ・・・・」

僕はそう言って、綾波に満面の笑みを投げ掛ける。
そして綾波は、何も言わずに、ただ笑ってくれた。
本当に心から、幸せを感じていると言わんばかりに・・・・


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