私立第三新東京中学校
第二百四十七話・人として、女として、男として
帰り道。
僕は綾波に腕を取られたままみんなと並んで帰る。
いや、厳密にはみんなではない。
そこにはアスカと、そしてケンスケの姿が無かった・・・
「なあ、惣流・・・」
「何よ!?」
恐る恐る声をかけたケンスケに向かって、アスカは棘のある声と視線で応える。
ケンスケはこのままアスカを刺激すること無く黙っていたかったのだが、この
まま黙っているつもりならばわざわざはじめからアスカに声をかけるようなこ
とはしない。だから言葉を選びつつ慎重に語りかけた。
「いや・・・どうして俺達だけ後ろに下がってるんだ?みんなの側に行けばい
いのに・・・」
するとアスカは全てケンスケが悪いとでも言いたいかのように怒鳴りつけた。
「うるさいわね!!アタシだってわざわざアンタなんかとこんなところにいた
くなんか無いわよ!!アタシにはアタシの考えってもんがあるんだから、アン
タはアタシの邪魔をしなければそれでいいの!!」
「・・・考え?」
「そうよ!!このアタシが何の考えも無くこんなところにいる女だと思う!?」
「い、いや・・・思わないけど。」
「でしょう!?アタシはちゃーんと考えてるのよ。あの色惚け女とは違うんだ
から・・・」
「色惚け女?」
「レイのことよ!!あの馬鹿、ちょっと大目に見てやったらつけあがって・・・」
「・・・・」
アスカは話題が綾波のことになると怒りを満面に表して、ケンスケに愚痴をこ
ぼした。だが狂暴なアスカよりも大人しく静かに自分の想いを表す綾波の方に
より好意を抱いていたケンスケにとっては、そんなアスカの憤懣も届かず、た
だ黙っているだけであった。
アスカも鈍い方ではなく、反対にそういう方面には誰よりも敏感であることを
自負しているので、すぐさまケンスケの気持ちに気付いて意地悪く言った。
「やっぱり気に食わない訳?自分の好きな女を悪く言われるのが・・・?」
「な、何を急に!?」
「アタシが気付かないとでも思ってるの?アンタの想いに・・・」
「い、いや・・・・」
「自分から気付かないのはシンジとレイくらいなもんよ。まったくどいつもこ
いつも鈍感揃いなんだから・・・・」
ケンスケはさも当然のように言うアスカの様子に、完全に驚き入ってしまって
いた。アスカはそんなケンスケに構うこと無くぶつぶつとこぼしていたものの、
やはり自分ひとりで愚痴っているのにも限界があるのか、またケンスケにちょ
っかいをかけた。
「つらいんでしょ、アンタ?」
「えっ?」
「レイはアンタの気持ちに気付かずシンジだけを見て・・・・」
「・・・・」
「まあ、気付いた方が却ってアンタにはつらいかもしれないけどね。」
「・・・・ああ、俺も惣流の言う通りだと思う。」
「自分でも認めたのね、レイのことが好きだって・・・・」
「自分の気持ちをごまかさない、綾波はいつもそう言ってたもんな。」
「そうね・・・・まあ、全部シンジの受け売りだけど。」
「今の綾波は、言わばシンジが作ったようなもんだからな。」
綾波に恋焦がれてケンスケが冷静さを欠いているのではないかと思っていたア
スカは、意外と客観的に物事を見つめているケンスケを見て驚いて言った。
「アンタ・・・結構言うわね。」
「まあな。言ってる俺もつらいのは事実だけど・・・」
「でも、口に出して言えるなんて凄いわよ。アタシだったら言えない、きっと・・・・」
「これが俺なんだよ、惣流。俺はこうしてずっと自分を部外者として扱ってき
た。シンジ達がどたばたやってる時も、トウジと委員長がいい感じになってた
時も、俺には関係ないと思っていたから概ね落ち着いていられたんだと思う。」
「そう・・・・でも、今は・・・」
「そうなんだよ。今の俺は部外者じゃない。言わば俺は俺の撮影するドラマで
初めて主役になったんだ。だから少し、戸惑いを隠せないのかもしれない。」
ケンスケはそう言うと、不安そうにコンクリートの地面を見下ろした。そんな
ケンスケを見たアスカは、少しだけケンスケのことを見直して、やさしく声を
かけた。
「それが恋なのよ、相田・・・・」
「惣流・・・・」
ケンスケはアスカが自分には向けたことも無い穏やかなやさしさを感じて驚い
て顔を上げた。するとアスカはそのままケンスケに語り続ける。
「アタシが知ったのもつい最近のこと。だからアンタの戸惑い、アタシにはよ
くわかるわ。」
「・・・・」
「別にアタシはシンジからレイを引き剥がして自分だけのものにしようとかそ
う言うのは関係なく、アタシはアンタを応援するわ。アタシはいつでも、恋す
る者の味方なんだからね・・・」
「・・・・」
「もう!!アタシの協力なんて、そう安々とは受けられないんだからね!!も
うちょっと嬉しそうな顔しなさいよ!!」
アスカはちょっぴりシリアスからいつもの元気でわがままなアスカに戻ってケ
ンスケに言った。するとアスカの元気につられてケンスケもぎこちない笑みを
浮かべてアスカに応えた。
「すまん、惣流・・・有り難く思うよ、俺も・・・・」
「わかればいいのよ、わかれば。でも、アタシが恋するみんなの味方だって言
うのはほんとよ。あのレイにだって、ライバルだとわかってても色々教えてあ
げてたんだから・・・」
「惣流が?」
「まあね。ま、あいつはアタシの忠告を受けるって言うより、シンジの好きな
女の子はどういうもんかってのを私から盗み取ろうとしてたみたいだけど・・・」
「・・・・」
「だから、レイはアタシになりたかったんだけど、でも奥底ではシンジになり
たかったんだと思う。」
アスカの思いもよらない台詞に、ケンスケは驚きを隠しきれずにやや大き目の
声で聞き返してしまう。
「え、どういうこと?」
「シンジ、強いじゃない。そして誰よりもやさしくて・・・・アタシもレイも、
シンジのそう言うところに憧れて、そして好きになったのよ。だから当然レイ
だけでなく、アタシもシンジみたいになりたいって思ってる。」
「なるほど・・・・」
「人として好きになることが女として好きになることとイコールなのかアタシ
にはわからない。でも、通じるものは必ずあると、アタシは思ってるの・・・・」
「・・・・」
「自分以外の人の恋の形なんて、アタシは全然知らない。ただアタシは自分の
想いを感じてるだけ。でも、アタシの頭の中では、アタシ達は女と男である前
に、人間なんだって言うのがある。だからアタシは人としてシンジを愛してる
んだと思う。」
「・・・・」
「そこから女として愛するのは難しいことじゃないと思うけど・・・ほら、ね。」
ケンスケはアスカの言葉を妙に真剣に聞き入っていた。アスカはアスカでケン
スケに聞かせると言うよりも、自分に向かって説明しているような感じであっ
た。だが、そんな少し離れたケンスケとアスカであったが、ケンスケはアスカ
が何を示唆しようとしているのかわからずに、そっと聞き返す。
「何?俺にはよくわからないけど・・・」
「つまり、シンジは人間にはなれても男にはなれないって事よ。アタシは今す
ぐにでも女になりたいと思ってるのに・・・・」
「そ、それって・・・・」
「そうよ。シンジに抱かれたいって事。変?」
「い、いや・・・」
「でしょう?愛し合う二人なら、男と女になってもおかしくはないと思う。少
なくとも、もう準備は整っているんだから・・・・」
「・・・・」
「多分、ヒカリには先を越されちゃうだろうな。もう、越されちゃってるかも
しれないけど・・・」
「ト、トウジと委員長が!?」
ケンスケはアスカの爆弾発言に今までで一番の驚きを感じて飛び上がるような
大声を上げた。するとアスカは至って冷静にケンスケをたしなめる。
「馬鹿、そんな大きな声出して、聞こえちゃたらどうすんのよ?」
「す、すまん、惣流。でも、それって本当のことか?あのトウジと委員長が・・・」
「あの二人の関係ならいつそうなったっておかしくないし、既にそうなってて
もおかしくはないでしょ?」
「ま、まあ、そうかもしれないけど・・・・」
「少なくとも鈴原の奴はシンジよりも遥かに男らしいし、ヒカリを想う気持ち
も強いからね。だからヒカリを傷つけたくない、汚したくはないって思って自
分からは絶対に手を出さないかもしれないけど、それでもヒカリが求めるのな
らば、その望みを叶えてやろうって思うとアタシは思う。でも・・・・」
「でも?」
「シンジはアタシを拒んだわ。」
「えっ!?」
「アタシのやり方がまずかったのかもしれない。でも、男ならこのアタシに襲
われてそれを拒絶するなんてことは・・・・」
「・・・・」
ケンスケは初めて知らされた真実に言葉を失っていた。
確かに僕とアスカの間では目に見える範囲ですら色んな事が繰り返されてきた
が、それでもそう言う事実があったなど、ケンスケには知る由も無かった。そ
してアスカも人には聞かせるべき事ではないのに、その事にも気付かずに独り
言を言うかのようにケンスケに語り続けた。
「きっとシンジは男になりたくないのかもしれない。汚れを知らない、男でも
女でもない、子供のままで・・・・」
「・・・・」
「でも、アタシにはわからない。どうしてシンジがそんな風に思うのかが。」
「・・・・」
「・・・あれから結構経った。シンジもアタシも、そしてレイも大分変わった。
そしてシンジはアタシのことが好きって言ってくれたし・・・・」
「・・・・」
「アタシが抱いてって言ったら、シンジの奴、今度はアタシのこと、抱いてく
れるかな・・・?」
「・・・・」
「わからないよ、アタシ・・・アンタが何を考えてるのかが・・・・」
「・・・・」
「シンジ・・・・アタシはこんなに、アンタのことを愛してるのに・・・・」
アスカは身を切るようにそう言うと、うつむいてその長い栗色の髪で顔を隠し
た。そしてケンスケは今のアスカの言葉を聞かなかった方がいいと思いながら、
黙ってそんなアスカを見守っていた。
いつのまにか、ケンスケとアスカがつないでいた手と手は離れていた。
だが、二人ともそんなことには気付かなかった。
気付いたとしても、それをとがめだてする者はどこにもいなかったのであるが。
「シンジ・・・・どうして・・・・・」
すすり泣くような声と共に、アスカの呟く声が聞こえる。
ケンスケは耳を塞ぐことも出来ずに、眉をひそめながらその言葉に耐えていた。
ケンスケにとって、こんなアスカを見るのははじめてだった。
僕を取り巻く関係がどろどろしたものになっていたのは知っていたけれど、そ
れでも最近では表面上はお互いを思いやるようないい関係になっていたのだ。
ケンスケもその観察の眼で全てを見ながら、少し安心し始めていたのだろう。
しかし、ケンスケは改めて真実を悟った。
それがお互いの関係を維持する為の欺瞞にしか過ぎないことに。
そしてアスカを見ながら思う。
間違いなく綾波も独りすすり泣く夜があるであろうと言うことを。
ケンスケは綾波が自分のことなど全く見てはおらずに、僕だけを見つめている
と言うことを知っている。
しかし、それを知りつつも思った。
自分なら綾波を悲しませるようなことはしない。
そして自分のこの手で、綾波を微笑みだけで満たしたいと・・・・
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