私立第三新東京中学校
第二百四十六話・演じる少女
「ごめんごめん、お待たせ、みんな!!」
その時、遅れていた洞木さん達がようやく僕達のもとにやってきた。
「あ、洞木さん・・・遅かったんだね。」
「ごめんね。ちょっとクラス委員の仕事があって・・・・」
特に謝るべきことでもないのに、洞木さんは済まなそうに僕達に謝った。する
と、さりげなく常に洞木さんの横に付き従っているトウジが、そんな洞木さん
をフォローするかのように言う。
「わいはよう知らんかったけど、委員長の仕事も結構忙しいんやな。とてもわ
いには務まらんわ。」
「そんな事ないわよ。鈴原ったら大袈裟なんだから・・・」
洞木さんはトウジの言葉を笑って否定したものの、その自分を思いやるが故の
台詞を聞いてうれしくないはずもなく、赤らめた頬はその心境を白日のものに
していた。
「まあ、ともかくいいんちょーを責めないでくれや。遅れたのも、悪気があっ
た訳やないんやから・・・・」
「そんな、元々洞木さんを責めるつもりなんて毛頭ないよ。だから安心して、
二人とも。」
「済まんな、シンジ。まあ、待たせてもうたがこれで終いや。さっさと帰ろう
や、なぁ。」
「そうだね。アスカ・・・」
僕はトウジの言葉に、隣にいたアスカを呼ぶ。するとアスカは何故かむっとし
た顔をして少し乱暴に応えた。
「わかってるわよっ!!ほら、レイも相田もそんなとこでいつまでもいちゃつ
いてないで、さっさと帰るわよ!!」
ケンスケはアスカに呼びかけられて、ようやく意識を現実に戻した。
僕とアスカ、そして渚さんの三人による会話も、ケンスケの耳には届いていな
かったようだ。それほど長い時間ではなかったが、その間、ケンスケはずっと
綾波のことを見つめ続けていたのだ。
しかし、そんなケンスケとは裏腹に、綾波はすぐにケンスケに対する興味を失
っていたようで、ずっと僕達三人の様子をうかがっていたらしい。そのせいも
あって、ケンスケの眼差しに受け答えせずにいたのであるが、ケンスケはケン
スケであまり気にしていなかったらしい。ケンスケは無論綾波に見つめられて
微笑みかけられればうれしいのは事実であるのだが、それ以前に不思議な綾波
を見つめているのが好きなようだ。だからそんな僕達を見つめる綾波の横顔を
飽きもせずに黙って眺めていたと言う訳だ。
ケンスケはアスカの言葉の意味を理解すると、珍しく顔を赤くして綾波の方に
再度視線を送ったが、綾波はケンスケの視線など感じなかったかのように、ア
スカに冷たい視線を送った。
綾波はそんなつもりはなくとも、他の人にしてみればそういう意図を持った綾
波の視線と言うのは鋭い。そう感じるのはアスカも例外ではなく、少したじろ
いで綾波に訊ねた。
「な、何なのよ、その目は・・・?」
すると綾波はそのままアスカに問い掛ける。
「・・・・どうしてそんなこと言うの?」
「ど、どうしてって・・・・」
「私が碇君だけを愛してること、知ってるくせに・・・・」
「し、知ってるわよ。ちょっとからかっただけじゃないのよ。ったく、そんな
に目くじら立てちゃってさぁ・・・・アンタもも少し冗談ってものを理解しな
さいよ。こっちが疲れちゃうじゃない・・・・」
「・・・・」
「ほら、もういいから行きましょ。レイも拗ねてないでさ・・・・」
「拗ねてなんかいないわ。」
「もういいでしょ!!もう、アタシが悪かったわよ。謝るからさぁ・・・・」
アスカはそう言ってぞんざいに頭を下げる。自分のちょっとした発言で綾波に
絡まれるのが嫌だと言うのが大きい原因だったが、アスカも心の中で罪悪感を
感じていたのだ。そしてそんな自分を裁くような綾波の視線がつらくて、早く
それから逃れたかったのだろう。
しかし、アスカもそうだが綾波はこういう場合は容赦しない。うやむやにする
ことなくアスカに食らいついた。
「あなたは私の気持ちを考えたことがあるの?」
「あ、あるわよ。アタシはシンジを除いた誰よりもアンタのことを理解してる
つもりよ。」
「ならどうしてそういうことが言えるの?」
「・・・・だから、悪いって言ってんでしょ?もう勘弁してくれたっていいじ
ゃない。」
「・・・私にも、許せることと許せないことがあるわ。そして今のあなたの言
葉は、私にとって許せないこと。」
「・・・・じゃあ、アタシはどうすればいいって言う訳?」
アスカは綾波の追求にうんざりして、投げ捨てるようにそう言った。すると綾
波は少し考えるような顔をして、そして何かを思い付いたのか静かにアスカに
言った。
「・・・私の気持ちを理解させるために、今日、家に着くまで相田君と手をつ
ないで帰って。」
「なっ・・・・」
「そうすれば、私の気持ちがわかるはずよ。」
「そ、そんなこと、出来る訳ないじゃない!!」
アスカは思いもよらぬ綾波の提案に息を呑み、そしてすぐさまそれを否定した。
だが、そんなアスカのことなど気にもせず綾波は言った。
「どうして?相田君はアスカにとっても友達でしょう?」
「男と女は、友達関係くらいじゃ手なんかつながないのよ!!」
「でも、いちゃいちゃはする訳?」
綾波の言葉は冷たく鋭かった。しかし、それは冷酷なものと言うよりも、どこ
か憤慨しているような、そんな雰囲気すら僕には感じられた。
「ど、どういうことよ?」
「私と相田君は友達よ。そしてアスカと相田君も友達。アスカがさっきの私を
いちゃいちゃしてたと言うなら、アスカも相田君と手くらいつないでもいいん
じゃない?」
「な、なに訳のわかんない理屈こねてんのよ?アタシは納得しないわよ、そん
なの。」
絶対に譲らないというような頑固な姿勢をアスカが見せると、綾波は急に視線
をいつものものに戻して、遠回りせず率直にアスカに訴えた。
「たまには碇君を貸して。」
「えっ?」
「いつもアスカばっかり碇君を独占してる。だから家に着くまでの間は・・・」
「レイ・・・・」
「だめ?」
「・・・・」
「お願い、アスカ・・・・少なくとも、アスカの監視下にはあるんだから・・・・」
綾波はまるで媚びを売るようにアスカにねだった。綾波がこんな態度を採るな
んて、僕にとっては驚きだったが、日々変わり続ける綾波の今の現状にしてみ
れば、特におかしなことでもなかった。
しかし、そう理解している僕でさえ唖然とせずにはいられないのだから、洞木
さん達にしてみれば信じ難い光景であろう。もう、みんな何も言えなくなって
しまっていた。
そして当のお相手のアスカはと言うと、驚き入りながらも、綾波の言葉につい
て考えていた。
「わ・・わかったわよ。少しだけ、ほんの少しだけだからね・・・・」
アスカは綾波の熱意に屈して、その申し出をしぶしぶと受け入れた。
「ありがとう、アスカ。やっぱりアスカっていい人ね。」
「ったく、調子がいいんだから・・・・」
ころっと表情を変えてにこにこと微笑みながらアスカにお礼を言う綾波を見て、
アスカは呆れた顔をして綾波に言った。が、そんな綾波を見つめるアスカの表
情は不思議と穏やかだった。
しかし・・・・
「まあ、そういうことにしといてあげるけど、でも、アタシの方は別にいいで
しょ?」
「え?何のこと?」
「ア、アンタ自分の言ったことも忘れたの!?」
「ごめんなさい。今の私にはどうでもいいことだから・・・・」
「ったく、アンタの頭ん中はシンジ一色ね。色惚けもいい加減にしなさいよ。」
「アスカ、あなたも同じでしょ?碇君のこととなると、すぐ我を忘れて怒鳴る
くせに・・・・」
「アタシは怒鳴っても、ぼけっと物事を忘れたりはしないわよっ!!」
「そう?」
「そうなのよ!!」
「まあ、どっちでもいいわ。それよりなんだったの?私がアスカに言ったこと
って・・・?」
綾波は心ここにあらずと言う感じをしていたが、アスカの言うようにぼけぼけ
しているようにも僕には見えなかった。綾波の瞳には知性の煌きが窺えたし、
もしかして綾波はアスカのことをからかっているのかもしれない、そんな風に
思えてならなかった。
が、興奮しているアスカにはそんな細かい綾波の様子など気付くはずもなく、
ぷりぷりしながら綾波に答えた。
「相田のことよ!!アタシが手をつなぐ必要もないでしょ!?」
「あ、そのこと・・・・」
「そう、そのことよ!!」
「・・・・だめ。」
「だ、駄目!?」
「そう、だめ。アスカには悪いけど、これは罰だもの。」
「罰ぅ!?」
「そう。アスカはどうして自分が罰せられなければいけないか、その理由がわ
からない?」
「・・・・アタシがアンタの気持ちも考えずに、いちゃいちゃなんて言ったか
ら?」
「そうよ。」
「そ、そんなことくらいでこのアタシが罰せられなくっちゃいけない訳!?」
アスカは綾波の言葉に納得の行かない様子で訊ねた。すると綾波は急に真剣な
眼差しをアスカに向けて、静かにこう告げた。
「私は聞いたの。アスカ、あなたの言葉を・・・・」
「アタシの・・・言葉?」
「そう、それはアスカがアスカであることを、私に証明してくれたわ。そして
私はアスカがそんなアスカであることをうれしく思った。いつも意地悪するけ
ど、ちゃんと考えてるやさしい人なんだって・・・・」
「・・・・」
「でも、アスカの言葉が真実なら、あんなことは私に言えないはず。違う?」
「そ、それは・・・・」
「アスカは私を陥れて、それで碇君を手に入れてもうれしくないと言った。そ
れはずるいことだとも言った。でも・・・・」
「レイ・・・・」
「だからあなたは罰せられる必要があるの。わかるでしょ?あなたになら・・・」
「・・・・わかったわよ・・・アタシはアンタの罰を、甘んじて受けるわ。」
アスカは綾波の言いたいことを完全に理解し、そして自分が罰を受けるべきで
あることを痛感したかのように、小さく喉から絞り出すように綾波に応えた。
すると綾波はそんなアスカを見て、そっと慰めるように言う。
「ごめんなさい、アスカ。でも・・・・こうすべきだと思ったの・・・・」
アスカもそんな綾波の様子を見て、もう完全に観念してぶっきらぼうにケンス
ケに向かって片手を差し出して言った。
「ほら!!」
「え・・・お、俺が?」
「そうよっ!!アンタ、今までの話を聞いてなかったって言うの!?」
「い、いや、聞いてたけど・・・」
「ならさっさとアタシの手を取りなさい!!でも、くれぐれも握るんじゃない
わよ!!触れるだけなんだから!!」
「わ、わかったよ・・・・」
ケンスケは苛立つアスカを刺激しない様にするのが先決と見て、大人しくアス
カに言われた通りにそっとその差し出された手に触れた。そしてその状態を確
認すると、アスカが大きな声で綾波に了解を求めた。
「ほら、これでいいでしょ?」
「いいわ。上出来よ、アスカ。」
「ったく、何が上出来なんだか・・・・?」
アスカはまるで他人事のように呑気な綾波の様子にぶつくさとこぼす。そして
完全なる被害者のケンスケはと言うと、物騒なアスカについて愚痴をこぼした。
「もう・・・俺の意志なんてどうでもいいのかよ・・・」
「何か言った!?」
「い、いや・・・なんでもない。」
「黙ってないと張り倒すわよ!!アタシは今、猛烈に機嫌が悪いんだから・・・」
「わ、わかってるよ。そのことは十分・・・・」
ケンスケはまるで猛獣の檻にでも鎖でつながれたかのように、完全に脅えきっ
ていた。しかし、そんなアスカとケンスケをよそに、綾波が明るく呼びかけた。
「帰ろ、碇君!!」
そしていきなり僕の腕を取り、自分の腕に絡めた。
「レ、レイ!!アンタ!!」
「家に着くまでは碇君は私のものよ。だからアスカは黙って相田君とひとつに
なってて。私は碇君とひとつになってるから。」
「こ、この小娘・・・・」
綾波は腕を組むと言うよりも、僕に擦り寄ってきている。アスカはそんな綾波
の態度を見ると、まるで本当に湯気が出るかのように顔を真っ赤にして怒りを
表した。だが、アスカにとっても約束とは神聖なものであるのか、綾波には言
わずに僕に向かって命じた。
「シンジっ!!離れなさい!!アタシの気持ちを考えたら、そんなこと認めら
れないはずよ!!」
しかし、困ったような顔をする僕をよそ目に、綾波はアスカにしれっと言った。
「これは罰なのよ。アスカの今の現状がどれだけ羨ましいものなのかを知るに
は、またとないいい機会なんじゃない?ねえ、碇君もそう思うでしょ?」
そして綾波は唐突に困惑する僕に向かって振った。僕は何と答えてよいものか
わからずに曖昧な返事を綾波に返す。
「あ、ああ・・・・」
「ほら、碇君も言ってる・・・」
「シンジっ!!この人でなしっ!!後で覚えてらっしゃい!!アタシのこの怒
りと屈辱を10万倍にして返してやるんだからっ!!」
綾波は僕の言葉を勝手に自分の都合のいい様に解釈し、アスカに向かって示し
た。するとアスカは悪いのは100%僕だと言わんばかりに僕に向かって怒鳴
った。
「心配しないで、碇君。碇君は私が守ってあげるから。だから行きましょ。」
綾波は脅える僕に向かってそう言うと、もうアスカを気にせずに僕の腕を引っ
張って教室から出る。しかし、アスカとの視線が途切れた綾波の様子は、何故
か少しだけ辛そうだった。僕はそんな綾波に心配そうな視線を向ける。だが、
綾波はただひたすら僕を引っ張り続けるだけだった。まるでアスカ以外の何か
から逃げ去ろうとでもするかのように・・・・
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