私立第三新東京中学校

第二百四十五話・汚れた心


「ねぇ、シンジ・・・」

綾波とケンスケの話が一段落しようとしていた時、アスカがそっと僕の耳元に
ささやきかけた。

「ん?なに、アスカ?」
「あの二人・・・いいと思わない?」
「いいって、何が?」
「ばか・・・お似合いってことよ。どうやら、相田の馬鹿もレイに懸想してる
みたいだし・・・・」
「け、懸想って・・・そんな馬鹿な?」

僕はアスカの意見が理解出来ずに疑問の声を上げた。するとアスカはそんな僕
のことを馬鹿にしたような口調で言う。

「アンタバカぁ?ったく、つくづく鈍感なんだから・・・」
「って、ケンスケが綾波に?そんなのいきなり言われても信じられないよ。」
「ほ、ほんとにアンタ、気付いてなかったって言う訳!?」
「う、うん・・・アスカは前からそう思ってたの?」
「当たり前でしょ。相田がレイを見る目は、前からちょっと熱っぽかったわよ。
まあ、レイはかわいいんだし、相田の奴がちょっといいなって思うのも無理は
ないって思うけど・・・・」
「けど、なんなの?」

僕はアスカの口から知らされた真実に驚きつつも、ちょっと言葉を濁らせるア
スカに続きを求めずにはいられなかった。

「まさかここまで露骨に自分の想いを示すとは思わなかったわ。」
「ろ、露骨って・・・今のが?」
「あ、当たり前でしょ!!あれが告白以外の何だって言うのよ!?」
「ア、アスカ、声が大きいよ。そんなに耳元で大きな声出さなくっても・・・」
「うるさいわね。アンタが鈍感バカだからアタシもついつい興奮しちゃうのよ。
ったく、どうしてこうも鈍い訳ぇ?まず相田の想いに気付いてないのは、アン
タとレイくらいなもんよ。」
「綾波も?」
「まあ、あの娘はそういうの、経験ないから・・・・」

アスカは僕の問いに答えるに際し、綾波の過去に触れそうになって少々辛そう
な表情をした。僕もそのことには気付いたが、あまり意識する方が却ってよく
ないと思って、ちょっと気分を変えるためにこう言った。

「アスカはあるの?そういう経験?」
「あるわよ。アンタも知ってると思うけど、アタシは前からモテモテだったん
だから。」
「そ、そう言えばそうだね。思いっきりラブレターを踏んづけてたこともあっ
たっけ。」
「そうね。まあ、最近はそんなのも来なくなったけど・・・・」
「あ、そうなの?下駄箱離れてるからわかんなかったよ。」
「以前のアタシは一応フリーだったからね。でも今は・・・・」
「今は?」
「その・・・シンジの彼女だから。」

アスカはかなり恥ずかしそうに、顔を赤らめてそう言った。きっと自分でもそ
ういう風にはっきりと認められると言うことが、アスカにとってかなりうれし
いらしい。そんなアスカの気持ちが、恥かしがる中にもよく表れていてちょっ
ぴりかわいく見えた。

「・・・・」
「と、とにかく世間にはそう思われてんのよ。結構人前でキスとかもしてるじ
ゃない。だから・・・」
「そ、そうだね。そう思われても無理ないかも知れないね。」
「うん・・・・」

僕もアスカと一緒に顔を赤くする。
なんだか二人で恥かしがって、傍から見たら結構変に見えるかもしれない。が、
そんな僕とアスカの二人の空間を壊すかのように、突然渚さんが声をかけてき
た。

「僕もあの二人はお似合いだと思うよ、惣流さん。」

アスカは外野のことに意識が行かなくなっていただけに、いきなり自分に言葉
を投げ掛けられて驚いた。そして邪魔者の登場に憤慨する・・・

「ア、アンタ、いきなり何だって言うのよ!?」
「だから、君の意見に賛成ってことさ。」
「意見って、アタシはアンタには何も言ってないわよ!!シンジにだけそっと
言ったんだから!!」
「でも、僕には聞こえたよ。僕は耳も良いし、君の声は大きいからね。」

渚さんはそう言って軽く苦笑する。アスカは綾波に馬鹿にされるような時には
いつも声が大きいことを言われるので、渚さんの言葉にかちんと来て怒鳴る。

「うるさいわね!!アンタに聞こえたって関係ないじゃないの!!アンタが盗
み聞いたって言うだけで、アタシはシンジにだけ言ったのよ!!」
「そう・・・それは済まなかったね。謝るよ。」

渚さんは興奮するアスカに対して、しれっとお辞儀をする。そんな渚さんを見
たアスカは、更に自分が馬鹿にされていると思ってヒートアップした。

「ア、アンタ、このアタシを馬鹿にする気!?」
「そんなつもりは毛頭ないよ。僕は君に協力しようと思っているんだから・・・」
「協力?また何か企んでる訳?」

アスカは渚さんの申し出に胡散臭げな目をむける。まあ、今の渚さんは相当に
胡散臭いところがあるし、先程の会話もあって、アスカがそう安々と心を許さ
ないのも無理はないだろう。だが、そんなアスカに対して渚さんは少しも気に
したような様子は見せずに、反対に鋭くアスカに指摘した。

「企むのは僕じゃない。君だろう・・・?」
「ア、アンタ、何が言いたいのよ?」
「つまり、君は今回のことを機会に、綾波さんを相田君に押し付けてしまおう
と思っている。違うかい?」
「・・・ち、違うに決まってるでしょ。」
「どうしてそこでどもるんだい?図星なんだろう?」
「違うって言ってるでしょ!!アンタにアタシの何がわかるって言うのよ!!」

アスカはいかにも訳知り顔で語る渚さんに対し、更に怒りを露にする。だが、
それは渚さんの言うように図星を指されてうろたえているのだと言うことが、
この僕にも読み取れた。だが、アスカがたとえ心の中でそう思っていたとして
も、僕には咎めることが出来なかった。

「そう怒鳴らないで欲しいな。みんながこっちを気にする・・・・」
「・・・・うるさいわね。」
「もっと静かに話そう。今の僕達には、静かに話す時間が必要だ。そう思わな
いかい?」
「仲間面しないでよ。アタシはアンタなんかとは手を組まないわよ。」
「どうして?二人でやった方が効率的なのに・・・・」
「確かにアンタの言うように、レイを相田に押し付けちゃえば楽よ。でも、そ
れって最低じゃない?」
「・・・・」
「まあ、以前のアタシなら、まず間違いなくアンタと同じようなことを考えて
ただろうから、アンタを責める資格なんてこのアタシにはないだろうけどね・・・・」
「・・・・」
「誰かのハートを手に入れるのに、自分を高めるのでなく相手を蹴落とす・・・
そんなの悲しいわよ。」
「・・・・」
「だからアタシはレイの存在は気にしない。アタシが誰よりも強くシンジを想
って、そしてシンジにもアタシを思わせるようにすれば・・・・誰がシンジの
ことを愛そうと関係ないわ。アタシとシンジの間の問題であって、他の誰とも
関係ないの。」

アスカは自分の穏やかな心の内を語るかのように、渚さんを諭した。そんなア
スカの姿を見て、僕は更にアスカに好意を覚えた。以前のアスカならばいつも
ぎりぎりの危うい感じを秘めていたのだが、今のアスカには全くそんなものは
感じられずに、安定した精神状態を僕に示していた。
しかし、そんなアスカに対して突き刺すように渚さんが言う。

「それは君が欲しいものを手に入れているからだ。何もない僕には、そんな余
裕はないんだよ。」
「な・・・・」
「今のシンジ君を得ているのは君だ。いくら君が否定しようとも、その事実は
覆らない。つまり、君は勝利者なんだよ。たとえその座が安泰とは言えなくと
も、頂点にいることに変わりはない。その意味が君にはわかるかい?」
「・・・・」

アスカは渚さんの問いには答えられなかった。しかし、アスカもわからないの
ではない。わかり過ぎているからこそ、その渚さんの問いが辛くて、言葉を出
せなかったのだ。そしてそんなアスカの様子を確認した渚さんは、アスカの答
えを待たずに更に続けて言う。

「君がそういう甘いことを言えるのは、君自身もよくわかっているはずだ。今
の君があるのは、今の君でいられるのは、自分の立場を知っているからではな
いのかい?」
「・・・・」
「だから君にも僕の気持ちがわかるはずだ。君自身、僕と同じような思いを抱
いたことがあるはずなんだから・・・」
「・・・・」
「君が誰よりも繊細な心を持っているのは僕も知っているよ。君には綾波さん
のような強さはない。君たちの立場が入れ替わったとして、果たして君が綾波
さんのように振る舞えるだろうか・・・・?」
「・・・・」
「彼女は特別だ。所詮僕達とは違う。でも、僕と君とは同じだ。違うかい、惣
流さん?」
「・・・・」
「だから君には僕を説教することなんて出来ないはずだ。むしろ僕と自分を重
ねて、共に手を携えて・・・・」
「やめて!!」

とうとうと語る渚さんを、アスカはとうとうその叫びで止めた。

「もういい!!聞きたくない!!」
「惣流さん・・・・」
「アンタとアタシは違う!!アンタと一緒にしないで!!アタシはそんな嫌な
女じゃない!!アタシは変わったのよ!!シンジの為に、シンジに好かれる女
の子になるために!!」
「シンジ君を自分のものにしたから・・・じゃないのかい?君が変われたのは・・・?」
「違う違う違う!!アタシが変わったから、シンジもアタシを好きになってく
れたのよ!!」
「どうして自分を認めようとしないんだ?今の自分を愛するがゆえに、昔の自
分の存在を否定しようと言うのかい?」
「そうよ!!悪い!?アタシは昔のアタシが嫌い!!もう思い出したくもない
わよ!!」
「・・・だから君は僕を嫌うのかい?」
「そうよ!!アタシはアンタが嫌い!!顔も見たくないし声も聞きたくないわ
よ!!」
「でも、昔の自分の存在を消すことなんて出来ない。それはいつまでも君の記
憶の中に残り続けて、君を苛み続けているんだね。」
「訳知り顔で言うんじゃない!!この・・・・馬鹿!!」

アスカはあまりに興奮し過ぎていたために、渚さんに対する気の利いた暴言す
ら口から出すことが出来なかった。本当の自分、昔の自分を渚さんに暴かれて
いくアスカの姿は、もう僕にも辛くて辛くて見ていられなかった。だから僕は、
とうとう二人の間に割って入ることにした。

「・・・もういいだろ、渚さん・・・・」
「シンジ・・・・」
「昔の自分を否定するのって、そんなに恥ずべきことかな?」
「・・・・・」
「今の自分のことを成長したと思えるのなら、昔の未熟な自分を恥かしく思っ
ても、おかしなことじゃないと思うけど・・・・」
「・・・・」
「もう、アスカを責めないでよ。アスカだってわかってるんだ。だから今更、
それをほじくり返す必要もないと、僕は思うんだけど・・・・」
「・・・・」

アスカと渚さんの間に入って、僕は渚さんに訴えかけ続ける。そしてアスカは
そんな自分をかばってくれる僕を見て、そっと僕の背中に身体を寄せた。
渚さんは僕とアスカ、二人の様子を見て、悲しそうにそっと呟く。

「・・・・やっぱり・・・彼女をかばうんだね。」
「・・・・」
「現在を認められる人間は、過去を否定することも出来るさ。でも、過去も現
在も未来も、全てを認められない人間はどうしたらいいんだい?」
「・・・・」
「足掻く人間は、やっぱり愚かで滑稽に見えることだろうね・・・・」
「渚さん・・・・」
「でも、僕はもうどうしようもないんだよ。自分でもおかしいことくらいわか
ってる。わかっていても、どうすることも出来ないんだ。」
「・・・・」
「どうして君はそんなに綺麗なんだ?僕はこんなに汚れて醜いのに・・・・」
「・・・・」
「所詮、選ばれしチルドレンと作られしチルドレンでは違うと言うことなのか・・・」
「・・・・」
「僕は呪うよ、僕の存在自体を・・・・・」

渚さんの呟きは、ほとんど渚さんの口の中で消えていった。
しかし、渚さんの辛さは僕にも十分感じ取れた。
そして自分を認められない悲しみも・・・・
僕は心に纏った衣を剥ぎ取られていくアスカを見て、辛そうに感じたけれど、
それは今の渚さんの比ではなかった。駄目だと知りつつも足掻かずにはいられ
ない渚さんは、まさに僕自身の姿であったからだ。
だから僕はそっと呟く。
全てを否定するかのように・・・・・

「僕だって・・・・醜いさ。汚いさ。でも・・・・それでも僕は僕なんだ。い
くら呪っても、僕は僕なんだよ。だから僕は僕を否定しない。全てを受け入れ
て・・・そして自分の選んだ道を行く。たとえそれがどんなものであろうとも・・・・」

それは誰にも聞こえないはずだった。
しかし、人間を超えた力を持つ二人の耳にだけは届いていた。
そしてそのうちの一人は言葉には出さずに心の中だけで呟く。

「今だから・・・・今の君だから言えるんだよ、シンジ君・・・・・今の君は、
何も知らない無垢な魂だから・・・・」


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