私立第三新東京中学校

第二百四十四話・美を愛でる者


「シ〜ンジっ、おまたせっ!!」

今日はちょっと珍しくアスカが遅れて僕のもとにやって来た。いつもだったら
解放されるなり急いで荷物を取りまとめ、誰よりも先に僕のところに駆け寄っ
てくるのに。

「あ・・アスカ・・・」
「ちょっと探し物してて・・・・でも、一番最後じゃないわよね?」
「あ、うん。だと思うけど・・・・」

アスカは自分の遅くなった理由を説明しようと、あまりそれ以外のことに気を
配っていなかった。だから、すぐに気付くべき僕の変化も、遅れて知ることと
なった。

「・・・どうしたのよ、シンジ?」

アスカは表情を急に引き締めると、僕に訊ねる。

「うん・・・ちょっと・・・・」
「ちょっとじゃわかんないわよ。また何かあったの?」

アスカははっきりと答えない僕を追求する。こういう時のアスカは妥協と言う
ものを知らないので、僕も答えようかどうしようか迷った。が、僕が結論を出
す前に、当事者のケンスケがアスカに言った。

「すまん、惣流。俺のせいなんだよ・・・」

アスカは本当に済まなそうな顔をして謝るケンスケの言葉を聞くと、じろりと
にらみつけた。アスカは元々僕のこととなると容赦がなくなるのだが、それだ
けでなくケンスケのことを軽んじていた。以前はトウジに対しても同じだった
のだが、洞木さんとトウジのああいう関係が成立した今、トウジへの見方は洞
木さんを通したものとなり、かなり変わっていたのであった。
僕としてはケンスケに対してもみんなと同じ目で見て欲しいと言うのがあった
のだが、まあ、個人個人に思い入れの違いがあるのは当然であり、ケンスケに
もっと好意を持てと言うのは僕の押し付けでしかなかった。

「アンタ、シンジに何をしたのよ?」

アスカの口から出た言葉は冷たい。しかし、ケンスケは自分がそういう対応を
されても当然だと思っていたので、意外に思う様子も無かった。
そもそもあの写真を学校に持って来て僕に見せる必要はなかったのだ。だが、
友達の秘密を勝手に写真に収め、その事について黙っていると言うことは、ケ
ンスケの中でも相当の良心の呵責があったのだろう。ケンスケが今さっき僕の
目の前にカメラを出したのは偶然だろうが、僕が写真を見せろと言った時、ケ
ンスケは決意したに違いない。これを機に、僕達に謝ろうと・・・・

「写真を・・・・撮ったんだ。勝手に。」
「写真!?どうしてそれでシンジがショックを受けるのよ!?」

アスカがケンスケの言葉を聞いてそう訊ねたが、ケンスケからの答えが返って
くる前に、僕の手元に置いてあったブルーのファイルを目に留めると、素早く
それをさらった。

「これね?どれ・・・」

アスカは僕達の反応を確かめることもなく、おもむろにファイルを開く。
当然一枚目の写真はアスカなので、アスカは自分のよく撮れた写真を見てわず
かに顔をほころばせて、写真から目を離さずにそのまま口を開いた。

「へぇ・・・なかなかいいじゃない。どうしてこれで・・・・」

そして次のページへ。
渚さんの辛そうな表情。アスカはそれを見て思うところがあったらしく、自分
の心の動きを表情に見せてしまったが、これくらいでは大した事ないと思い、
そのまま黙ってページをめくる。そして・・・アスカも僕と同じく、硬直した。

「これ・・・・」

しかし、アスカは僕と違って逃げなかった。
僕はすぐにファイルを閉じてその現実を見なかったことにしようとしてしまっ
たのだが、アスカは食い入るようにそれを見つめた。そしてアスカは少しして
顔を上げると、僕ではなく綾波の方を見る。

「レイ、アンタ・・・・」
「見たわ。碇君がすぐ閉じてしまったから、ほんの一瞬だけだけど・・・・」

アスカの喉から絞り出すような声に、綾波は何事も無かったかのように穏やか
に応える。そしてアスカはそんな綾波を見て、驚いてこう言う。

「そんな・・・平気なの?」
「平気よ。私は私だもの。」
「で、でも・・・・アンタ、強がってない?」

アスカはあまりに冷静過ぎる綾波の様子に、受けた衝撃をごまかしているので
はないかと思って訊ねた。すると綾波は落ち着いたまま自分の心の状態をアス
カに答えた。

「・・・・・そうかもしれない。」
「そ、そうかもしれないって・・・・」
「私にもよくわからない。辛いのに、辛いはずなのに、何故か辛くないの。そ
れよりも私は碇君のことが・・・・」

綾波はそう言って僕の方に視線を向ける。それでアスカは僕のことを思い出し
て同じく僕の方を見る。僕は突然二人に同時に視線を向けられてちょっとびっ
くりしたものの、既に衝撃のピークはとうの昔に過ぎていたので、綾波と同じ
ように落ち着いて応えられた。

「僕は大丈夫だよ。ただ、綾波のことを心配しただけだから・・・・」

それは事実だった。僕のことなど何でもない。問題は、こうしてはっきりと写
真の中に綾波の作り出した真っ赤なATフィールドが写し出されていることで
あったのだ。
そしてアスカもその事をすぐに理解してくれてこう言った。

「まあそうね。アンタ自身には何でもないことだし・・・・」
「そう、綾波が・・・・」

そしてまたアスカは綾波の方に視線を戻す。僕も一緒に綾波を見つめた。する
と僕達を安心させようと綾波が重ねて告げる。

「私は平気。だから二人とも、そんな顔しないで・・・」
「平気な訳ないじゃない!!アンタはあんなに苦しんで、うとんでいたっての
に!!」
「そ、そうだよ。アスカの言う通りだよ、綾波・・・・」

しかし、動揺と言う状態を通り越してやや興奮気味の僕達二人に向かって、冷
たくさえ感じるような声で言った。

「でも、どうすることも出来ないわ。苦しんでも、忌避しても・・・・」
「そ、それは・・・・」
「私は私。綾波レイなの。昨日は私、そんな自分を受け入れられずにあんなこ
とをしてしまったけど・・・・」

綾波はそう言うと、そっと幸せそうな笑みを浮かべて僕達二人に続けて言った。

「碇君もアスカも、私を受け入れてくれた。色々あるかもしれないけど、この
私、綾波レイは受け入れてくれたじゃない。そして他のみんなも・・・・」

確かに綾波の言う通りだった。
僕はともかく、アスカはまだ綾波の持つ力を受け入れることが出来ずにいるは
ずだ。しかしそれでも綾波が綾波だから、こうして普通に接してくれるのだ。
そしてケンスケだけでなく、洞木さんやトウジまでもが、ATフィールドを張
り、空を飛んで去っていく綾波の姿をその目に焼き付けていると言うにもかか
わらず、その事についてひとことも触れることなく、何事もなかったかのよう
に振る舞ってくれていた。
そう、それは綾波が他ならぬ綾波であったからだ。力を持つ持たないはともか
く、みんな綾波がどういう人間なのかをよく知っていたから、綾波を信じてく
れたのだ。ケンスケ達にとっては、綾波と言う存在は決して人外の力を秘めた
危険な存在ではなく、自分達の仲間としての存在であったのだ。
僕はこうして綾波に言われるまでは、アスカのことは意識していたものの、そ
れ以外のケンスケ達については考えていなかった。しかし、よく考えてみると
アスカのこと以上に心配に思ってしかるべきであった。アスカは僕と同じく綾
波と一緒に暮らしているのだし、同じチルドレンとしてつながりも深い。その
アスカですらああいう状態だったと言うのに、一緒に学校に通っているクラス
メイトで、いろんな事について行動を共にしている親友と言うだけで、ここま
で人を信じることが出来るのだろうか?
僕は少し友情と言うものを軽んじていたのかもしれない。そう思うと僕はみん
なに対して本当に済まなく思った。

そして綾波の言葉を聞き、考えに浸る僕とアスカのことを綾波は黙ってじっと
見つめていたが、ふと何かを思い付いたのかアスカの置いたファイルを手に取
る。僕は綾波の動きに我に返ったが、綾波はそのままケンスケに対して言った。

「あなたが言いたかったこと、知りたかったこと、私にはわかる・・・・」
「綾波・・・・」

ケンスケは綾波本人を目の前にして言葉を詰まらせる。
そう、本来ならこの写真は僕ではなく綾波にこそ見せるべきであったのだ。し
かし、流石にケンスケもそこまでする勇気はなかった。綾波が傷つきやすい女
の子だと言うことはケンスケもよく知っているし、あの場面の綾波が苦悩と悲
しみに満ちていたこともわかっていたはずである。だからきっとケンスケも綾
波が恐かったのかもしれない。綾波の力についてではなく、一体どんな反応を
綾波が見せるのかが・・・・
そのため、ケンスケは間接的に僕に写真を見せると言う形で綾波にこの写真の
存在を示したのだ。ケンスケにとっては僕は綾波より遥かにわかりやすい存在
であるし、親友と言うことである程度の無理も聞いてくれると思ったのだろう。
それはケンスケの逃げであったのだが、僕はそんなケンスケを責めるつもりは
全くない。それよりも告白しようとしたケンスケの勇気を褒めたいと思った。

「でも、あなたは自分を責める必要なんてないわ。あなたは別に何も悪いこと
をしてはいないもの。」
「・・・ど、どうして・・・・俺は・・・・」
「あなたの見たのは真実。変えようのない真実なの。だからそれを記録に残し
たとしても、私にそれを責める権利はないわ。」

綾波は少しケンスケを思いやる様子でそう言うと、ケンスケは自嘲的につぶや
いた。

「でも、俺には俺を責める理由がある・・・・・」
「何?」
「友達の・・・・親友の隠しておきたいことを写真に残すなんて、最低な奴の
することだ。だから俺は、俺自身を許せない。たとえ綾波が俺を責めないとし
ても・・・・」
「・・・・」
「俺がこれを自分の中でしまって一人だけのものにしておけばよかったのかも
しれない。でも・・・・」
「どうしたの?」

顔を伏せて苦悩に満ちた顔を隠していたケンスケが、綾波の声に応じて顔を上
げて答えた。

「もったいなかったんだよ、俺だけのものにしておくには・・・・」
「相田君・・・・」
「綺麗だと思わなかったか?たとえ綾波が隠したいと思っても、俺にはこれが
美しいものに見えたんだ。だから俺は、このカメラで残しておきたかったんだ。」
「・・・・」
「俺にとって、このカメラはそういうカメラなんだ。本当に俺が心から美しい
と思ったものしか撮らないんだ。」
「・・・・」
「あの時の綾波・・・・そしてシンジは美しかったよ。」

もう、ケンスケに戸惑いはなかった。自分の思う丈をすべて綾波に打ち明けて
いた。綾波もまた、そんな心からのケンスケの言葉に動かされていた。まさか
力を振るう忌まわしい自分を、美しいと思ってくれる人がいるなんて思いも寄
らなかったのだ。しかし、綾波がそう思うのも当然だろう。普通の人ならば、
そんな綾波を恐れてしかるべきである。しかし・・・ケンスケの場合、そう思
うにはあまりに芸術家肌であったのだ。
そして綾波はケンスケの言葉に導かれて、自らの手で、自らの意志で手に持っ
た青いファイルを開く。そして黙ってじっと一瞬だけしか覗き見ることの出来
なかったその写真を見つめた。

「・・・・・」

ケンスケは息を呑む。いくら自分がそう言ったとしても、やはりまだ不安は残
っていた。綾波が一体どういう反応を示すのか、全く定かではなかったのだか
ら。しかし、そんなケンスケの想いとは裏腹に、綾波は静かに顔を上げると、
微笑みを見せてそっとケンスケに告げた。

「・・・本当。綺麗・・・・」
「よかったよ、綾波がそう言ってくれて・・・・」
「碇君、心から私だけを想ってくれてる。私を想ってるから、こうしてくれて
るんだ・・・・」

ケンスケにひとことだけそう言った綾波は、またすぐに写真に視線を戻すと、
嬉しそうにそれを見つめながら言った。しかし、ケンスケはそんな綾波をわず
かに否定するかのように言葉を投げ掛けた。

「・・・・でも、俺が撮りたかったのは綾波なんだ。」
「・・・どうして?」

ケンスケの言葉を聞いた綾波は、いかにも不思議そうに顔を上げて訊ねる。す
ると綾波と目が合ったケンスケは今更のようにうろたえながら答えた。

「そ、それは、その・・・・綾波が綺麗だったからだよ。」
「私が?」
「あ、ああ。」

綾波はケンスケの気持ちがわかっているのかいないのか、落ち着きを無くして
いるケンスケに向かって微笑みながらひとこと言った。

「これが・・・本当の、真実の私だから・・・・・だからなのね?」
「・・・・少なくとも、俺はそう感じたんだ。」
「ありがとう、相田君。あなたがそう言ってくれたこと、うれしく思う・・・・」

そして綾波は静かにファイルを閉じると、ケンスケの手に返した。

「・・・少しだけだけど、また自分が好きになれた気がする。本当の私が・・・」
「うん・・・・俺も・・・本当の綾波が、綾波レイが好きだよ。」
「ありがとう、相田君・・・・またよかったら、私を撮ってくれる・・・?」
「もちろん。俺は綾波の専属カメラマンになるよ・・・・・」

ケンスケのそんな言葉に、綾波はただ黙って微笑みを返すだけであった。そし
て自分にだけ向けられている綾波の微笑みを見て、ケンスケは真っ赤な顔をし
ながらも強く拳を握り締めるのであった・・・・・


続きを読む

戻る