私立第三新東京中学校

第二百三十九話・殺意


「・・・はい。はい・・・・わかってます。では、切ります・・・・」

ピッ。

携帯電話のスイッチを切り、畳んでポケットの中に仕舞うと、渚さんは再び教
室へ戻っていった。深いため息と共に・・・・

「やあ、ごめんごめん。電話が鳴ってしまってね。」

渚さんはあまりらしくもない感じで笑って手を振りながら僕達にそう言った。
しかし、そんな渚さんのちょっとした変化に気付いたのは僕だけのようで、他
のみんなはそれほど渚さんには注意を払わなかった。そして僕も気付きはした
ものの取りたてて口に出しはしなかった。細かいことなら誰にでもあるだろう
し、詰問、と言う訳ではないがいちいち根掘り葉掘り訊ねられては却って疲れ
るだけだ。だから僕も渚さんの様子が急を要するとかそういう類のものではな
いようだったので、深く考えるのは止め、黙って静観していることにした。

「全く、学校にいるときくらい携帯の電源切っときなさいよ。緊急だったら学
校の方に連絡が行くんだしさぁ。」

そう渚さんに言ったのはアスカだ。アスカは案外細かいところがあって、人か
ら見ればどっちでもいいようなことに拘泥することがよくあった。しかし、ア
スカがどういう方面に対してこだわりを持っているのかが、かなりバラバラで
判別しにくく、したがってアスカの発言は唐突なものに思えることもしばしば
なのだ。
そしてアスカにそう忠告された渚さんは、穏やかにアスカに応える。

「そうだね。以後注意することにするよ。」

だが、渚さんの微笑みに不信感を抱いているアスカは、眉をひそめながらこう
言う。

「本当?アタシにはアンタが聞き流しているようにしか思えないわねぇ。大体
アタシの周りにいる奴は頑固な奴が多すぎんのよ。アンタだけじゃなく、シン
ジ然り、レイ然り・・・・」

アスカの頑固論は何度も聞かされ続けてきたことだ。だが、僕は頑固と言われ
るのは嫌ではなかった。むしろうれしいことだと思う。アスカはいい意味では
言っていないのだが、僕は「頑固」と言う言葉を自分の中にこだわりを持って
いると捉え、自分なりの価値観を備えているいいことだと思っていた。まあ、
それを口に出して言うとアスカに呆れられるだろうし、どうせすでに僕がそう
思っていることくらいアスカのことだからわかっていると思うが・・・・

「そうそう、それに鈴原も頑固だもんね。男一徹、って感じで。」

真剣に訴えていたアスカに、珍しくも洞木さんが口を挟む。だがそれはアスカ
の意図しようとしている「頑固否定論」ではなく、反対にそれを肯定し更には
推進しようと言うような感じであった。アスカもすぐにその事は察したが、ア
スカにとっても洞木さんは特別な人間であって、僕達のように無遠慮にずけず
け言うことも出来ずに、わずかに躊躇してしまった。無論黙っているアスカで
はなかったものの、間髪入れず取って返すと言う訳には行かなかったのだ。
そしてそんなアスカの間隙を衝いて、トウジが洞木さんに向かって言った。

「男は頑固なもんなんや。この辺は女にはわからんやろなぁ。」

トウジの発言は自信たっぷりだ。よく考えてみると男尊女卑的な時代遅れの考
え方だったが、それは古風で家庭的な洞木さんにとってはプラスイメージでし
かなく、何だか嬉しそうにしながらトウジに応えた。

「うん、あたしにはよくわかんないけど、でも、頑固なことっていいとおもう
な。一本筋が通ってるって言うか・・・・」
「せやろ?わいはいい加減な奴とはちゃうんや。それに・・・・」

トウジは洞木さんに自分の男っぷりを認められて嬉しそうに言葉を返していた
が、唐突に言葉を詰まらせた。

「・・・・なに、鈴原?」
「その・・・・いいんちょーも頑固やと思うで。わいと同じく・・・・」
「鈴原・・・・」
「い、いやその、悪い意味とちゃうで!!ほら、その、わ、わいにふさわしい
っちゅう訳や!!」

トウジはそう言ってから、自分らしくない発言に顔を真っ赤にしていた。だが、
滅多にそんな風にストレートにトウジに言われたことのなかった洞木さんにと
って、それは感激以外の何物でもなかった。だから洞木さんもトウジと同じく
らい顔を真っ赤に染めながらじっとトウジの顔を見つめていた。トウジはかな
り恥ずかしいのか、そんな洞木さんの視線に耐え切れずにすっと視線を逸らし
た。だが、洞木さんはそんなトウジを十二分に理解しているので、そうした事
を咎める訳でもなく、そっとひとことこう告げた。

「ありがと、鈴原。」

そんな洞木さんに対して、トウジは何も応えてやらなかった。ただ、恥ずかし
さと、それから誰にも知られたくない嬉しさに顔を染めていただけだった。

こんな二人の心温まるやり取りは、いつのまにかアスカの頑固論を忘れさせて
いた。アスカは忘れてなどいないだろうが、今それを蒸し返すほど野暮ではな
かった。アスカが聞いたら激怒するかもしれないが、アスカのそれはいちゃも
んの範疇を越えている訳ではなく、いわば絶対に今言う必要のある事ではなか
ったのだ。

この二人の様子を見て、みんなは複雑な気持ちにとらわれていた。僕もアスカ
も綾波も、それからケンスケも、トウジと洞木さんがお互いの気持ちを認め合
う過程を見てきたのだ。当人達に言ったらまた恥ずかしがることだろうが、か
つての傍から見るとじれったいくらいのやり取りは、僕達をやきもきさせるに
十分だったのだ。
しかし、そんな感慨を分かち合えない人がいた。それは山岸さんだった。山岸
さんはトウジのことについて洞木さん本人の口から色々聞いていたにもかかわ
らず、こうして恋する女の子らしい洞木さんをこの目で見るのははじめてだっ
た。僕については既に先入観があったかもしれないが、洞木さんについては実
際何度も言葉を交わしていたし、話を聞いてもあまりピンと来ていなかったの
かもしれない。だから僕達とは違う意味で、じっと二人のことを見つめていた
のだ。その心の内でどういう事を考えているかはわからない。だが、その目は
山岸さんらしく、やはり真摯なものであった・・・・・

僕は観察するつもりはなかったものの、他の人よりは色々見ていると思う。だ
が、僕の意識していなかったところから意識を向けさせられて、僕はびっくり
した。

「綾波・・・・」

僕は綾波に軽くシャツを引っ張られて、綾波の方に視線を向けた。だが、それ
は僕が思っていたような綾波ではなく、深刻な表情をたたえた綾波であった。
僕はそんな綾波の表情に気付いてすぐに気を引き締める。それを見た綾波は少
し済まなく思ったのか僕にだけ聞こえるようにそっとささやいた。

「ごめんなさい、碇君。でも、必要なことだったの。」
「いや、構わないよ。それに綾波がそういう顔をして言うことなら、重大なこ
となんだろう?」

僕がそう聞くと、綾波はこくりとうなずいて、それからひとこと僕に向かって
訊ねた。

「・・・気付いた、碇君?」
「えっ?何に?」
「あれの変化に・・・・」
「・・・綾波も気付いてたんだ・・・・」
「やっぱり碇君も?碇君なら絶対に気付いてると思ってた・・・・」
「・・・どうして?」
「・・・・」

僕がそう訊ねると、綾波は少し寂しそうな顔をして黙り込んでしまった。僕は
どうして綾波がそうするのかわからなかったが、何か子細ある事だと思い、敢
えて言葉を求めようとはしなかった。ただ、じっと綾波を見つめたまま言葉を
待っていた。すると綾波はそんな僕の視線に導かれるように重い口を開いた。

「・・・・・あれのことを気にする人なんて、碇君くらいだから・・・・」
「綾波・・・・」
「私はずっとあれを危険視し続けてきたし、今でも碇君の近くに置いておきた
くない。でも、私は碇君のやさしさも否定できない。碇君がやさしさを持って
いなければ今の私もなかった。だから私は我慢してるの。危険だとわかってい
ても、あれの存在を黙認してるの・・・・・」
「・・・・」
「でも、気をつけて、碇君。あれは電話だって言ってたけど、明らかにただの
電話ではないわ。」
「ど、どういうこと?確かにちょっと衝撃を受けたなとは感じたけど・・・・」

僕が綾波の言葉に驚いて聞き返すと、綾波はきっぱりとこう言った。

「ちょっとどころの騒ぎじゃないわ。脳波は乱れまくっているし、かすかな震
えもある。あれは自分を隠す術に長けているけど、私の目だけはごまかせない。
たとえ他のみんなに悟られなくとも、私だけは見逃さない。そう、碇君を守る
ためだから・・・・」
「・・・で、でも、かなりの衝撃を受けたって言っても、それが直接に僕の身
の危険につながる訳じゃないだろ?」
「確かに碇君の言う通りよ。でも・・・・」

綾波はそこで言葉を止め、渚さんの方に視線を向けた。渚さんの意識は完全に
トウジと洞木さんに向けられているように見えたが、僕はそう思っても綾波は
そう思ってはいない様で、僕に向かってそっとつぶやいた。

「ここでは危険。あれが聞いているわ。」
「で、でも・・・・」
「とにかく私と一緒に来て。今すぐ碇君と話をしなければならないの。」

綾波はそう言うと、余りに慌てていたのか返事も待たずに僕の手をつかむと教
室の外へ連れていった。僕はそれでみんなの注視を引いてしまうと思ったが、
ほとんど音を立てなかったため、賑やかなクラスのざわめきに紛れて僕と綾波
は廊下へと抜け出した。

「ごめんなさい、碇君。無理矢理連れてきちゃって・・・・」
「・・・・」

綾波は廊下に出ると僕にそう謝った。だが、教室の外に出るだけではおさまら
ないらしく、いまだに僕の手を引っ張ったまま早歩きで進んでいった。綾波が
そのことに気付いているのかどうかわからないが、取りたてて問題がある訳で
もないし、当の綾波が真剣そのものだったので、ちょっとしたことで壊したく
もなかった。
そして綾波はと言うと、そんな僕の考えていることに気付いているのかいない
のか、歩きながら言葉を続けた。

「碇君はわからないかもしれないけど、みんなが碇君のことを見てるのよ。」
「どういうこと?」
「あれだけじゃない。洞木さんのことを見てたアスカだって、私と碇君の今の
やり取り、全て耳に入れてたわ。」
「ほ、ほんとに?」
「もちろんよ。アスカはいつも碇君に意識を向けてるもの。そう、どんな時で
も誰よりも・・・・・」
「そう・・・なんだ・・・・」
「でも、それは私も同じ。いつだって碇君のことを見てる。碇君のことを気に
してる。」
「・・・・」
「アスカのことはわかるの。アスカが碇君を見てるのは当然だもの。でも、で
もあれの場合は・・・・色んな目で碇君を見てるわ。」
「・・・・」
「それも日によって時間によってころころ変わるの。時には無関心な目、そし
てある時は私やアスカが向けるような恋人の目、そして・・・・」
「そして?」
「そして、観察者の目、それから殺意を抱いた目・・・・・」
「さ、殺意だって!?」

僕は綾波の言葉に驚愕して思わず大きな声を上げてしまった。だが、綾波は冷
静さを保ったまま淡々と語り続けた。

「そう。碇君は気付かなかったかもしれないけど、あれはそう言う目をしてい
たときがあったわ。だから私は再三碇君に危険だと言い続けていたの。碇君は
それを受け入れてはくれなかったけど・・・・」
「ど、どうしてもっと早くそれを言ってくれなかったのさ!?それがわかって
れば僕だって考えを変えただろうに!!」

僕は「殺意」というキーワードに導かれるように、興奮して綾波に問う。綾波
はそんな僕の言葉の中に自分を非難する色を感じて慌てて答えた。

「ただの殺意じゃないの。私も純粋に碇君を殺そうと言うことならはっきりと
碇君に警告するし、どんなことをしてでもあれを排除する。でも・・・・」
「でも?」
「何て言ったらいいの?そう、無理心中とか、そう言う感じの殺意なの・・・・」
「無理心中だって!?」
「そう、碇君が自分のものにならないのなら、いっそのこと殺してしまおうっ
て・・・・」
「・・・・・」
「でも・・・・私もそう言う気持ち、わからなくはないの。だって、私もそう
言う目で碇君を見たことがあったから・・・・・」
「あ、綾波が!?」
「そうよ。もちろん実行しようとなんて少しも思わなかった。でも、碇君がそ
の・・・アスカと・・・・・」
「綾波・・・・」
「嫉妬深いの。自分でも駄目だってわかってるんだけど・・・・」
「・・・・」
「でも聞いて、碇君。あれの殺意の目も私が抱いていたものとはわずかに違う
わ。私のは嫉妬からだったけど・・・・」
「どうなの?」
「私にはわからない。何て言ったらいいのか・・・言葉ではうまく説明できな
い・・・・」
「・・・・」
「とにかくあれは危険なのよ。特に今さっきの電話であれは変わったわ。今朝
までのあれと同じに考えては駄目。油断するといつ何が起こるかわからないわ。」
「・・・わかったよ、綾波。少し注意する。」

僕は綾波の意見に賛同すると言うよりも、あまりに深刻になる綾波を安心させ
るような意味でそう答えてみせた。だが、そんな僕の答えを聞いた綾波は大き
な声で僕をたしなめた。

「少しじゃ駄目!!碇君、私の話、真剣に聞いてない!!」
「ご、ごめん・・・・」
「人を信じるのは構わない。それが碇君らしさなんだから。でも、人を信じた
としても、一方で警戒することも忘れては駄目なの。それを忘れれば、単なる
自己満足的な甘えにしかならないわ。」
「・・・・わかったよ、綾波。人を疑うことと警戒することがイコールではな
いって言うんだね?」
「そう。碇君があれの言葉を聞き、やさしく接するのは構わない。でも、自分
の命を守ることだけはどんな時でもしておく必要があると思うの。だって碇君
はもう一人ぼっちじゃないんだから・・・・」

僕は綾波の言葉を聞きながら、心地よさを覚えていた。昔の綾波は僕にこんな
事は絶対に言わなかった。なのに今、綾波は僕を否定し、教えてくれようとし
ている。それは別に特別なことではないのだが、なんとなくアスカに似てきて
いるような気がした・・・・

「綾波・・・・」
「碇君のことは・・・・私が守る。」
「うん。」
「だから・・・・今日はこうしてずっと手をつないでいてもいい?」
「えっ?」
「別に変な意味じゃないの。ATフィールドで碇君を守るなら、私の身と一緒
に包み込んだほうが完全だから。」
「だから・・・手をつないでいるの?」
「そう。碇君とひとつになっていれば、ひとつに包まれるから・・・・」

綾波はそう言ったが、僕の不安は拭い去れなかった。誰よりも力を使いたくな
いのは当の綾波なのだから。僕はそう思うと、そっと綾波に訊ねた。

「・・・・いいの、使っても?」

すると綾波は悲しみの色をその真紅の瞳にたたえながらも、気丈に答えた。

「私だって使いたくなんかない。でも、碇君を守るためだったら・・・・」
「綾波・・・・」
「わかって、私の気持ち。お願い・・・・」

僕はそんな綾波の訴えに、ただうなずくことしか出来なかった。
そして綾波も僕の言葉を求めたりはしなかった。
ただ、その手をぎゅっと握って、二人のつながりを深めるだけであった。
もっともっと、心と心をひとつに結び付けようとするかのように・・・・


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