私立第三新東京中学校

第二百三十六話・鮮やかな現実


いつもより一人多い食事風景。
しかし、山岸さんが加わったことに関して、僕はあまり違和感を感じなかった。
それは渚さんのときも同じで、もしかしたら僕は誰が増えようが気にしていな
いのかもしれない。気になると言えばアスカが指摘したように狭くなると言う
問題であって、それはケンスケとトウジが揃って否定したと言うものの、この
件に関しては間違いなくアスカが正しいように思えた。
しかし、狭いとは言っても窮屈とかそこまでは行かずに、ただ広々とした空間
と言うものが望めないだけであった。だから、山岸さんが加わることに対して
半ば強引に僕に納得させられた形になったアスカも、僕の隣にいるため嬉々と
していた。アスカは露骨に喜びを表していたが、それに対して綾波は割と寡黙
だった。しかし綾波もわずかながらに顔を赤くしているところを見ると、満更
でもないらしい。最近の綾波ならば、アスカ以上に自分の感情を表に出しても
おかしくないと思うのだが、きっとアスカのように楽観的には考えられないの
だろう。今は大人しくしているとは言え、渚さんも何を考えているのだか全く
わからないし、それ以上に山岸さんという存在がある。アスカの場合「疑わし
きは隔離せよ」的なところがあったが、綾波の場合は「近付くものは排除せよ」
と言う感じなので、一体何をしでかすのかわからない。まあ、力を持つと判明
している渚さんとは自ずから対応も異なるであろうが、それでも綾波の持つ感
情自体は大して変わらない。それは時折綾波が山岸さんへ向ける瞳を見れば一
目瞭然だった。
そして問題の焦点とも言える山岸さんだったが、やはり居心地悪そうな表情を
していた。まあ、僕達のところに来たときは、こんな冷たい洗礼を浴びるとは
思っていなかったのだろうが、それにしても少し表情が硬すぎる。それをよく
認識している洞木さんは、山岸さんの隣に座ってさりげなくサポートしている
が、それでも自分がこれほどまでに拒絶されるとは思いもよらなかったので、
洞木さんの努力も虚しいものに終わった。
そして僕は・・・・隣のアスカに声をかける。

「アスカ?」
「なーに、シンジ?」
「ちょっと頼み事があるんだけど・・・・いいかな?」
「いいわよ、もちろん。まあ、内容次第だけどね。」
「ありがとう、アスカ。実は・・・・」
「なによ?さっさと言いなさいよ。」
「これ、アスカのと交換して欲しいんだ。」

僕はアスカにだけしか聞こえない声でそっとそう言うと、机の下を通して山岸
さんの弁当箱をアスカに差し出した。

「えっ・・・?」
「さすがにさっきアスカが言ったみたいに山岸さんに僕のを返せとは言えない
けど、アスカが僕がこれを食べるのを嫌がるのなら、僕は我慢するから・・・・」
「シンジ・・・・」
「まあ、食べないけど、おいしいかどうかは聞かせてよね。やっぱり気になる
ところだし・・・」

僕の言葉に唖然とするアスカ。そして僕はそんなアスカに平然とそう言って頼
んだ。が、僕のその依頼よりも、アスカにとっては僕が自発的にアスカのため
に山岸さんの弁当箱を差し出したことに対して驚き入っていたようだ。
しかし、アスカも飲み込みの悪い方ではない。むしろ頭の回転はここにいる誰
よりも早いだろう。だからすぐにいつもの落ち着きを取り戻して僕に応えた。

「い、いいわよ、もちろん。喜んで・・・・」
「よかった。じゃあ、アスカ、これ・・・・」

僕は改めて弁当箱をアスカに手渡す。アスカはそれを受け取って手元でしばし
じっと眺めていたが、いきなり机の中に仕舞い込んでしまった。僕はそれに気
付くと慌てて小声でアスカに言う。

「ア、アスカ、それ、どうしてしまっちゃうのさ?それはアスカのお昼になる
予定だったんだから・・・」

僕がそう言うと、アスカは何事もなかったかのように平然と僕に答える。

「アタシのお昼?アタシはシンジの作ったもの以外は食べないわよ。絶対の絶
対に!!」
「そ、そんなわがまま言わないでさぁ・・・食べるのはこれしかないんだから。
それとも僕がそっちを食べた方がいい?」
「いい訳ないでしょ。これは封印。味見はうちに帰ってからレイかおじさまに
させるわ。」
「じゃ、じゃあ、アスカのお昼は・・・・?」

僕は綾波や父さんに残飯整理させようと躊躇無く言うアスカに驚きもしていた
が、とにかく目先のことであるアスカのお昼ご飯について訊ねた。するとアス
カは小悪魔的なにんまりとした笑みをこぼすと、僕に向かってこう言った。

「これに決まってんじゃない。これに。」

アスカはそう言って自分の鞄から弁当箱を取り出す。それは僕が心を込めて作
った、アスカのための弁当だった。
ここでアスカのためと銘打つのは何も誇張ではない。アスカの弁当はどちらか
と言うと洋食っぽく作ってあるし、反対に綾波のものは肉っけのない和食中心
である。そして僕のはというと、二人の余ったおかずを適当に詰め込んである。
だから和洋折衷的なものになっているのだ。僕のものは余りものにすぎないが、
アスカと綾波に関してはそれぞれの嗜好に合わせた特製弁当だった。

「これ・・・・ってことは?」

僕はアスカが何を言おうとしているのか半ば悟りつつも、とにかく習慣で訊ね
てみる。すると案の定、アスカから返ってきた答えは僕の想像とは大差なかっ
た。

「二人ではんぶんこするのよ、二人でね。」

アスカはそう言うと僕に向かってかわいくウインクして見せる。しかし、アス
カは気付いていない様子だったが、他のみんなはアスカと僕の間に行われたや
り取りに気付いてしまっていた。まあ、こんな狭苦しいところで内密な話が出
来るというのも不可能に等しいのだが、それでもアスカの態度は露骨すぎた。

「ぼ、僕はいいけど・・・・」

僕はそう言って、アスカの注意を促すためにさりげなく周りに視線を走らせる。
アスカは僕の視線の動きからその事実に気付いたが、それを気にする僕とは対
照的にすぐに何でもないような顔をして言った。

「いいのね?じゃあ、早速食べましょ、シンジ。」
「で、でも・・・・」

僕が素直に納得しないのを見ると、アスカはすぐに気を悪くして、眉をひそめ
ながら言った。

「でもも減ったくれもないわよ。アタシ達の仲なんてもう今更って感じじゃな
い。違う?」
「い、いや、違わないと思うけど、アスカはそういうの、広めたくないんじゃ
ないの?」
「それはあの時の話よ。あの時は割と先入観もない状態だったけど、もうレイ
のことで取り返しつかなくなっちゃってるからね。だからアタシも吹っ切れて
今まで通りにすんのよ。わかる?」
「なるほど・・・・いや、アスカの言うこともわかるよ。」
「ならオッケーね!!」

アスカはそう言うと、正式に自分の弁当箱の入った赤い包みを取り出した。赤
い弁当箱は僕がアスカのためにと思って調達したものだったが、この弁当箱入
れはアスカが自分で買ったものであった。僕にしてみれば赤の中身に赤の包み
はどうかな、と思ったりもしたが、アスカは自分の色として赤を好んでいるの
で無理もない話でもあった。

「ま、まあ・・・・」

僕はアスカの勢いに押されるように、曖昧に了承する。アスカがそれに怒るか
とも思ったが、アスカももう僕のこれについては諦めているのかもしれない。
流されるように人の言いなりになってしまう僕の性格については・・・・

そしてアスカはそんな僕を手玉に取ったかのように、一人で弁当の包みを開き、
蓋を開けた。だが、僕はあることに気がついてアスカに声をかけた。

「あ・・・箸がないや。山岸さんの・・・・」

僕はそう言おうとして途中で言うのをやめようとした。なぜならそれはアスカ
の思うつぼだったからだ。そしてアスカも僕の思った通りににやりと笑うと、
速やかに僕の言葉を継いで言った。

「・・・箸はもう机の中よ。そして残った箸はこの一組・・・・」
「そ、そだね。」
「だから仕方ないわよね、二人で使っても?」
「あ・・・・」
「いいわよね、シンジ?今更恥ずかしがるような関係でもないんだから・・・・」

アスカは僕の気も知らずに臆面もなくそう言う。他のみんなはともかく、綾波
はやたらと険悪そうな表情を浮かべていた。まさに沈黙の怒りという奴で、何
か口にするよりもやたらと迫力があるように感じた。
アスカもそんな綾波には気付いていたものの、機先を制して言う。

「確かさっきアンタには貸しがあるわよね、レイ?」
「・・・・何のこと?」
「シンジをアンタに貸すようにはからってあげたことよ。」
「・・・・・」
「だから今度はアタシに貸しなさい。これでチャラにしてあげるから・・・」
「・・・・」

綾波はアスカの言葉に何も言えずにいた。ただじっとアスカの顔を半ば睨み付
けているかのように凝視しているだけで、反論しようという素振りは見せなか
った。それはきっと、理性でアスカの言葉を理解しているからであろう。だか
ら感情的には納得出来ないものの、アスカの行動を止めることも綾波はしなか
ったのだ。
そしてアスカを阻止しようとする可能性のあるもう一人の人物、渚さんはと言
えば、何故か平然とそれを眺めていた。まあ、渚さんはアプローチをかけはす
るけれども人の邪魔というものをあまりしないような気がする。きっと渚さん
はそれが虚しいものだとわかっているからなのだろう。実際僕も、僕を巡って
のいさかいなんて、無意味なものだと感じていたのだから・・・・

アスカは邪魔をするものが皆無だと悟ると、遠慮なく箸を手にとり、まずから
揚げを摘み上げて僕の方に差し出した。

「ほらシンジ、あーんして。」
「は、恥ずかしいよ、アスカ・・・」
「あっ、落っことしちゃう!!早く早く!!」
「ったく、白々しい・・・・」
「嘘なんかじゃないって!!アタシ、そんなに箸使いが上手い方じゃないんだ
から・・・」

まあ、アスカの言うのももっともだった。アスカはフォークやナイフに関して
は一流なのだろうが、こと箸に関しては三流だった。まあ、その点では綾波も
どっこいどっこいなのだが、滑りにくい割り箸ならともかく、塗り箸で長時間
物を掴んでいるのはアスカにとっても危険かもしれない。だから僕も仕方なく
顔を差し出す。そしてから揚げの入れるところを作るため、口を開けようとし
たその時・・・・

「嘘よ、ばーか!!」

アスカはいきなりそう言うと、無防備だった僕の唇にキスをした。それは突然
のことであったし、速やかに行なわれたので避けるとかそういうことも考える
いとますらなく、完全にアスカの唇を受け止めてしまった。
まあ、家でのものとは違ってすぐに解放してはくれたけど、まさにしてやった
りと言うアスカの顔が何だか僕に複雑な感情をもたらしていた。果して怒って
いいのかどうしたらいいのか・・・・
そして、更に危なっかしいはずのアスカの箸捌きであるのに、激しい動きを見
せてさえから揚げを落っことさなかったと言うことが、何だか情けなくて怒る
に怒れなかった。

一方、僕とアスカのやり取りを見て唖然としていた山岸さんは、放心状態のま
まそっと隣の洞木さんに向かってつぶやく。

「・・・ねえ、ヒカリ?」
「なに、マユミ?」
「もしかして、いっつもこんな調子なの・・・?」
「ま、まあ、そうかも知れないわね。でも、マユミもそのうち慣れるわよ。あ
たしもはじめはびっくりしてたけど、もう慣れちゃったし・・・・」
「・・・・私、ほんとに慣れること、出来るのかな・・・・?」

山岸さんは僕とアスカから目を逸らすことが出来ない様子で、洞木さんにそう
訊ねた。だが、それに対する洞木さんの答えは沈黙であった。洞木さんにとっ
てはトウジという存在があったればこそであって、自分と山岸さんが同じ立場
であるとはとても言えなかったのだ。
見慣れぬもの、噂の中だけのこと、それが現実に山岸さんの目に飛び込む。
モノクロームでない、鮮やかな現実として・・・・


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