私立第三新東京中学校
第二百三十五話・避けない拳
「ねぇ、シンジぃ・・・・」
お昼休み、進級してクラスが変わろうともいつものメンバーに変化のなかった
僕達は、今までと何も変わっていないかのように一緒に弁当を食べるべく、一
ヶ所に集まった。
洞木さんと渚さん、それからトウジはまだだが、取り敢えず真っ先にやってき
たアスカが僕に呼びかける。それは何だかいつものアスカのアプローチとは違
って見えたので、僕は不思議に思いつつアスカに応えた。
「何、アスカ?」
「・・・・それ、どうするつもり?」
アスカは僕の目の前にある弁当箱を指差して訊ねる。それは朝に山岸さんとい
う女の子と交換した弁当箱だった。
「どうするつもりって・・・・もちろん食べるよ。僕の分は山岸さんにあげち
ゃったんだし・・・・」
僕がそう答えると、アスカはわずかに眉をひそめた。だが、自分の気持ちを押
し隠すようにアスカは言ってきた。
「それ、アタシに貸しなさいよ。アンタのお弁当、取り返してきてあげるから・・・」
「えっ?どうして?」
「いいから!!貸しなさいってば!!」
「やだよ。山岸さんって料理上手そうだし、ちょっと食べてみたいんだよ。」
「料理ならアンタの方が上手いわよ!!それに、人のが食べたければヒカリに
もらえばいいじゃない!!」
「ど、どうしてそんなに怒るのさ?大した事ないじゃないか・・・・」
僕だってアスカが嫉妬していることくらいわかる。しかし、弁当を食べるくら
いでそこまで怒らなくってもいいのではないかと思う。それに山岸さんは僕に
興味があると言うよりも、僕の作る料理に興味を感じていた様子だった。だか
らアスカが邪推しているような風に思って欲しくなかった。山岸さんだけでな
く、僕も山岸さんの作る料理に興味があったのだから・・・・
しかし、僕がちょっと不機嫌そうにそう訊ねると、アスカはそっと小さな声で
つぶやいた。
「大した事あるわよ・・・・アンタ、料理のこととなると人が変わっちゃうく
せに・・・・」
「・・・・」
「そしてあの女もそのうち・・・・」
「・・・・」
「と、とにかく!!アンタはそれを食べちゃ駄目なの!!絶対に駄目!!」
もはやこうなっては、アスカも手の付けようがない。僕は山岸さんの作った弁
当を食べてみたかったが、仕方なく諦めようとした。しかし、その時遅れてい
た洞木さんがやってきた。
「ねえ、この娘も一緒にいい?」
そう言って洞木さんが連れてきたのは、件の山岸さんだった。アスカは山岸さ
んの顔を見て激怒しそうになったが、洞木さんの友達であり、洞木さんが連れ
てきた人間だと言うことに思い至って、毒のある言葉をなんとか押え込んだ。
「こんにちは、碇君、惣流さん。それから綾波さんに・・・・相田君?ええと・・・・」
山岸さんはみんなの名前を覚えようとしていたのか、それぞれの名前を呼んで
挨拶してきた。が、渚さんの名前だけ覚えられなかったらしく、少し困った顔
をした。渚さんはそんな山岸さんを見ると、ちょっと微笑みながら山岸さんに
言った。
「渚・・・渚カヲルだよ、山岸さん。」
「ああっ、ごめんなさい、渚さん。私、みなさんの名前を覚えようとしたんで
すけど、覚えきれなくって・・・・」
「気にすることはないさ。人は名前がすべてじゃない。そう、名前などかりそ
めのものにすぎないんだよ・・・・」
「えっ・・・?あ、ええ、とにかくごめんなさい。」
山岸さんは渚さんの不可解な言葉に戸惑いを見せたものの、取り敢えず礼儀だ
けはしっかりと守って、そう受け答えした。
しかし、山岸さんは渚さんのことなど全くと言っていいほど知らないので、戸
惑いを感じるのも当然だった。現にこの僕も、渚さんに近しい人間とは言え、
今の渚さんのセリフに何かいわくがあるのだろうと言うことしか読み取れない。
渚さんは女子の制服からいつもの男子の制服に着替えるために、遅刻して学校
に来た。そのことに関して、渚さんを咎めるものは誰もおらず、すんなりとこ
うしてお昼休みを迎えた。しかし、僕の心は複雑だった。渚さんと距離を置く
みんなと、そして渚さんが去る間際に漏らした言葉・・・自分は操り人形なの
だと言うことについて・・・・
渚さんはいつものように微笑んでいる。そう、以前の綾波が無表情だったよう
に。そして渚さんは微笑みを崩さない。ひたすらに自分を隠す仮面をかぶり続
けて・・・・
しかし、僕は渚さんのことに思いを馳せたものの、他のみんなの考えの中心は
やはり山岸さんだった。そして最初に難癖をつけたのは、やはりアスカだった。
「ヒカリには悪いけど、もうここは狭すぎるのよ。アンタの入る余地はないわ。」
「アスカ・・・・」
洞木さんはアスカの心無い言葉に悲しげな表情を見せる。アスカもそんな洞木
さんに気がついて、慌ててフォローした。
「ア、アタシは別にこの女が嫌いだとか、そういう訳じゃないのよ!!ただ、
純粋に狭いって思っただけで・・・・」
アスカがそう言うと、ケンスケがそれに対して発言した。
「少し詰めれば十分に座れるんじゃないか?俺は今までそんなに狭いなんて感
じたことはなかったし・・・・」
「せやな。ケンスケの言う通りや。おい、惣流。意地悪せんと仲間に入れたり
や。」
ケンスケの言葉にトウジも賛同してそう言う。アスカは余計なことを口走るこ
の二人への怒りにぷるぷる来ていたが、自分で山岸さんを受け入れない理由を
ここが狭いと言うことに限定してしまっただけに、それを否定されてしまうと
思い切った反論が出来ずにただ拳を固く握り締めていた。
そしてそんなアスカの姿を見た洞木さんは、自分がしたことへのアスカへの影
響を考えて謝った。
「ごめん、アスカ。アスカの気持ちもわかるけど・・・・マユミはそんなんじ
ゃないのよ。本当に料理が好きで・・・・ほんと、あたし以上に情熱を持って
るんじゃないかな?」
洞木さんはアスカを諭そうと必死だ。しかし、アスカはそんな洞木さんに叫ん
だ。
「それが問題なのよ、それが!!」
「アスカ・・・・?」
「シンジも料理が好きで好きでたまらないのよ!!でも、アタシはそんなに料
理に思い入れがある訳じゃない!!レイも同じよ!!純粋に料理が好きって言
うよりも、シンジと一緒に作りたいから、シンジに喜んでもらいたいから料理
をしてるに過ぎないの!!なのになのに・・・・」
「・・・・・」
「本当に料理が好きな奴がいたら、シンジはどうなると思う!?同好の士とで
も思うんじゃないの!?それは別にいいけど、そうして一緒に過ごす時間がど
んどん多くなって・・・・そのうち好きになっていくのよ!!アタシにはわか
る!!わかるんだから!!」
アスカは自分の思いの丈を全てぶちまけた。それはアスカの気持ちの全てであ
り、僕達の心に深く染みた。山岸さんはそんなアスカの言葉を聞いて辛くなっ
たのか、洞木さんにそっと言った。
「ヒカリ、私・・・・」
「マユミ・・・・」
「私、ここにいるべきじゃないと思う。私のせいで、惣流さんがこんなに・・・・」
「・・・・・」
「私、思うの。料理は人を悲しませるためのものじゃない。人を喜ばせるため
のものだって・・・・だから、私の料理のせいでこんなことになるのなら・・・・
私はいない方がいい。ごめんね、ヒカリ。折角のみんなの輪を崩させるような
真似しちゃって・・・・」
山岸さんは洞木さんにそう言うと、悲しそうな表情を最後に見せて立ち去ろう
と背中を見せた。僕はそんな山岸さんを見て、思わず叫んでしまった。
「待って、山岸さん!!」
「えっ!?碇・・・君?」
「山岸さんの料理は、人を悲しませたりなんてしないよ!!僕、山岸さんに卵
焼きを食べてもらえてうれしかった!!そして自分で言うのもなんだけど、山
岸さんにも喜んでもらえたと思う!!だから、だからそんな事言わないでよ!!
「・・・・」
「ここで一緒に食べようよ!!ね、山岸さん!!」
僕はアスカが山岸さんを拒んでいると知っているにも関わらず、山岸さんを呼
び止めた。しかし、そんな僕に対してトウジがそっと訊ねる。
「ええんか、シンジ?そないなこと言うて・・・・」
「いいんだよ、トウジ。ここで山岸さんを帰すべきじゃない。僕はそう思うん
だ。」
「まあ、お前がそう言うなら、わいはそれでもかまへんけどな・・・・惣流の
ことはええんか?」
「アスカだって自分が無理言ってるってことくらいわかるはずだよ。でも、山
岸さんの言うことにはちゃんとした理由がある。私情を挟んで人を傷付けるの
はいいことだと思うかい?」
「いや、お前の言うこともわかるで。まさにそのとおりや。せやけどお前にと
ってアスカは他の奴等と同じやないんやろ?」
「そうだね。だけど僕はアスカのわがままのせいで、人を傷付けたくはない。」
「・・・・さよか。まあ、それでもええやろ。後でどうなるか、わいは知らん
がな・・・・」
僕はトウジに自分の気持ちを言ったことで、ある程度自分の中を整理すること
が出来たような気がした。でも、トウジに向かってはそう強く言ったものの、
やはり内心アスカのことを心配せずにはいられなかった。
アスカは僕のために色々努力してきたと言うのに、その僕がアスカに報いてい
ないからだ。アスカのわがままを聞こうとはせずに、アスカを傷つけている。
僕はアスカに甘えているのだろうか?アスカならば・・・アスカならば僕の気
持ちをわかってくれるだろうと・・・・
でも、アスカにも限界がある。そしてその限界は、いつ訪れるのか僕にはわか
らない。そんなすれすれのことばかりやっていていいのだろうか?アスカをも
っと労ってやるべきではないだろうか?僕は時々そう思うことがある。しかし、
そう思いつつも結局はアスカの強さに甘えてしまう。アスカの限りある強さに・・・・
僕の言葉で、山岸さんは取り敢えずここに残った。しかし、いまだに居場所を
見つけられずに、洞木さんの隣に立っていた。
「アスカ・・・・」
僕はアスカが心配になって声をかける。しかし、アスカは僕に顔も見せようと
はしなかった。
「何よ、この馬鹿!!あっち行きなさいよ!!」
「ごめん、アスカ・・・・」
「白々しく謝ったりするんじゃないわよ!!謝るくらいなら、アタシの言うこ
とを聞いてくれればいいのにさ!!」
「ごめん・・・・」
「謝るなって言ってるでしょ、この馬鹿!!」
アスカは顔を伏せたまま僕に拳を振り上げた。
アスカには殴る目標などなく、ただ単に自分の鬱憤をぶつけようとしただけだ
ったが、僕はそれを避けようともせず、黙ってそれを肩口に受けた。
「え・・・?」
アスカは自分の拳に感じた鈍い感触に驚いて顔を上げる。当たるはずもないと
思って半ば思いっきり殴り付けたのだ。いつものおふざけのビンタとは違う、
手加減無しのものだ。だからアスカもそれが僕に当たってしまったと言うこと
を知って、頭が真っ白になってしまった。
「・・・・」
「どうして・・・避けなかったの?」
「これでアスカの気が治まってくれるのなら・・・・」
「馬鹿!!アタシは本気で殴り付けたのよ!!なのに・・・・」
「知ってるよ。だから避けなかったんだ。アスカが本気だってわかってたから・・・・」
「・・・・・」
「これで自分の発言をごまかそう何て言うつもりはない。でも、アスカには信
じて欲しかったんだ。僕のアスカに対する気持ちを・・・・」
「シンジ・・・・」
「アスカが心配することはないよ。アスカの気持ちもわかるけど、そんな都合
よく行く訳ないじゃないか。アスカや綾波と僕の間に大事なものがあったから
こそ、今の僕達があるんだ。それがなければこの僕なんて・・・・」
「・・・・」
「山岸さんを仲間に入れてあげようよ。そんな悪い女の子じゃないんだから・・・・」
「・・・・・・・わかったわよ、シンジ。アンタの言葉、信じてあげる・・・・」
「ありがとう、アスカ。わかってくれてうれしいよ・・・・」
僕はようやくアスカがわかってくれたので、喜びにほっと胸をなで下ろした。
が、そんな僕をよそにアスカは誰にも聞こえない声で独りそっとつぶやく。
「・・・アンタはわかってないのよ。どれだけ自分が人を魅き付けるかを・・・・」
そして様々な想いの中、昼食は始まった・・・・
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