私立第三新東京中学校

第二百三十二話・宣言

「くぉのバカシンジぃっ！！」

げしっ！！

アスカの姿が視界に入ったかと思うと、僕はいきなり殴られていた。

「いてっ！！な、何すんだよ、いきなり！？」

僕はアスカの理不尽な攻撃に対して少しむっとしながら訊ねる。するとアスカ
は僕を殴ったことで怒りを和らげることもなく、不機嫌さを隠すさずに露骨に
答えた。

「アンタが馬鹿だからよ！！わかってんの！？」
「わ、わかる訳ないだろ？いきなり来て殴られて・・・・アスカと一緒に話を
してた訳じゃないじゃないか。」
「一緒に話をしてれば、アタシが食い止めたわよ！！まったく、アタシがいな
いとすぐに暴走して節操なしのシンジになるんだから・・・・」
「な、何だよそれ・・・？」

僕が訳もわからずに訊ねると、アスカはじろっと僕をにらんでひとこと聞いた。

「・・・レイと抱き合ってたくせに・・・・」
「あ、そ、それは・・・・」

僕が弁解しようとすると、すぐ傍にいた綾波が僕をかばってアスカに告げる。

「・・・私が勝手にしたことなの。碇君は悪くないわ。」

だが、そんな綾波の言葉も、アスカにとっては無意味だった。むしろアスカは
綾波が口出ししてきたことに腹を立てたのか、更に不機嫌さを増して綾波に言
い放った。

「アンタが勝手にしようとしまいと同じことよ！！問題は結果なんだから！！」
「・・・嫉妬、してるの？」

綾波はアスカが激昂しているのは僕と綾波が抱き合っていたことを知ったが故
の嫉妬なのだと思ったのか、ひとことアスカに訊ねた。するとアスカはぴしゃ
りとそれを否定して言った。

「アタシを馬鹿にすんじゃないわよ！！アンタなんかにそこまで料簡の狭い女
だと思われたくないわね！！」
「じゃあ、どういうこと？」

アスカの怒りは嫉妬が原因ではないらしい。
僕もアスカが怒るとすればそういう事からだろうと思っていたので、まさに綾
波と同じ問いをアスカに抱いていた。

しかし、僕はアスカの嫉妬についてはあまり危険視しなくなっていた。アスカ
はもう、今の僕との関係にかなり安心しているところがあるし、恋愛感情とは
別の意味で僕が綾波に強い感情を持っていることも知っている。そして明らか
に自分と綾波との扱いの違いがわかっているので、綾波が何をしようと余裕を
保っていられたのだ。まあ、キスとなれば話は別であろうが、抱き締めること
くらいは今のアスカにとっては許容範囲であろう。
だから、今回のこれも、アスカがどうして怒るのか理解出来なかったのだ。

アスカは綾波に訊ねられると、自分の溜めていた言葉を一気に爆発させた。

「アタシは変な噂や冷やかしを受けるなんてごめんなのよ！！」
「あ・・・・」

僕はようやくアスカの言いたかったことに気がついた。が、もう時既に遅し、
であったのだ・・・・

「進級してクラスも変わったけど、色々あったせいでアタシ達は学校中に知れ
渡っちゃってるのよ！！」
「泥沼三角関係、とか、所構わずキスする破廉恥三人組、とか？」
「そうよ！！アンタ達、そんな風に言われて耐えられると思う！？」
「いや・・・・」
「アタシはとてもじゃないけど我慢ならないわ！！だから先入観だけしか持っ
てない連中にアタシは弁解しまくってたのに・・・・」
「・・・・」
「そうしてアタシがしたくもない仕事をしてた時に、一方でアンタ達はアタシ
の邪魔をしたのよ！！わかる！？このアタシの怒りが！？」

アスカが怒るのも当然だった。
僕はアスカが人気者で、学校の噂の対象だからみんなに囲まれているのだと、
それくらいにしか思っていなかったのだが、真実はアスカがそうやって噂の張
本人に直接話を聞こうとしてきた野次馬的連中に、本当はそんな噂に立ってい
るようなことはないと弁明していたのだ。
が、そんなアスカの気持ちも知らずに、僕と綾波はまたいつものごとく場所も
わきまえずにお互いを慰め合っていたのだ。まさにそうすることが、アスカの
言い訳じみた苦しい言葉を思いっきり覆すとも知らずに・・・・

「ご、ごめん、アスカ・・・・アスカがそんなこと考えてたなんて、全然知ら
なかったから・・・・」

僕はこの事に関しては１００％自分が悪いと確信していたので、形だけの謝罪
でなく、心からアスカに謝った。しかし、それはアスカの炎を一層掻き立てる
だけの結果となってしまった。

「知らないじゃ済まされないのよ！！ほら、見てみなさいよ。アンタ達は二人
の世界に入っちゃってて全然気付いてないかもしれないけど、クラスじゅうの
人間がアンタ達二人を凝視してたんだから。一体この次は何をするんだろうか
って邪推をしてね。」
「そ、そんな・・・・」
「だからアンタは馬鹿だって言うのよ！！レイはひとつのことしか見えないか
らしかたないにしても、レイの不備を補って、上手くフォローしてくれるのが
アンタの役目だと思ってたのに！！」
「・・・・」
「アンタ、レイを守るんじゃなかったの！？力だとかそういう事だけじゃなく、
下世話な噂からも、守ってあげなさいよ！！どうせアンタも暇なんだから！！」

暇、と言われたのにはちょっとピクっとしたものの、アスカの言葉は正しかっ
た。守ると言っても力に関してだけ、あとは知らないなんていうつもりは僕に
はなかった。が、実際に直線的な綾波を上手く導いていくのは僕の役目だとい
うのに、それが全く出来ていない。だから、アスカがそう言って僕に怒るのも
無理はなかった。

「ごめん・・・・」
「アタシにだけじゃなく、レイにも謝んなさいよ！！守るって誓いを立てとい
て、それを実現出来なかったんだからね！！」

自分に対して謝った僕に、アスカはそう言って更に非難した。
僕はそのアスカの言葉で気がついた。アスカの怒りから免れることだけを優先
して、綾波のことを考えていなかった自分に・・・・
僕はそれを恥じると、隣の綾波に向き直って大きく頭を下げた。

「ごめん、綾波。綾波を守れなくって・・・・」
「碇君・・・・」
「これからは気をつけるよ。ちゃんと色んな意味でも綾波を守るから。」

僕は真剣に謝っていたのだが、綾波はそれを大袈裟に思ったようで、困った様
子を露にしていた。そして謝る僕に向かって綾波はそっと言う。

「碇君、私は全然気にしてないから。傷ついたなんて、感じてもいないから・・・
だから碇君が謝る必要はないわ。」
「いや、綾波の口からそういう言葉が出て来ること自体、僕が綾波を守れてい
ない証拠だよ。本当にアスカが言った言葉が、今の僕を示していると思うね。」
「碇君・・・・私は碇君をこの胸に抱いて幸せを感じていたのに・・・・」

綾波が僕の謝罪を受け入れようとはしないのを見たアスカは、綾波に向かって
きっぱりと言う。

「アタシはシンジと抱き締めあうことを否定してる訳じゃないのよ。だからア
ンタも勘違いしないで。」
「・・・・・どういうこと？」
「つまり、時と場所をわきまえろってことよ。学校でべたべたするのはよくな
いわ。」
「でも・・・・」

アスカは綾波でも十分納得出来るように言ったつもりだったのに、綾波が反論
しようとしているのを見て、眉間に皺を寄せて聞いた。

「・・・何よ？言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ。」
「私がこうするのって、学校くらいでしか出来ないから・・・・」
「ど、どういう意味よ、それ？」
「アスカは家に帰ってからしろって言うんでしょ？」
「まあ、そう言うことね。家なら余計な傍観者はいないんだし・・・」
「でも、アスカがいるじゃない。アスカがいるから、碇君はアスカと・・・・」

綾波の言葉を聞いたアスカは、かなり恥ずかしいのか急に顔を真っ赤にしてそ
の言葉を否定した。

「バ、バカっ！！いくらアタシでも、家に帰ると年がら年中シンジにべったり
なんて訳ないでしょ！？アンタだってわかってるくせに！！」
「わかってるわ、私だって。でも、それ以外の時間は、夕食の支度をしたり、
みんなでお茶を飲んだり、そういう時間じゃない。少なくとも碇君と私だけの
時間じゃないわ。」
「あ、当たり前でしょ！！何言ってんのよ、アンタは！？」
「だから、家では私と碇君、二人だけの時間なんてほとんど取れないの。でも、
アスカは碇君と二人だけの時間、いっぱい取ってる・・・・」
「・・・・」
「家で私と碇君が二人っきりになれるところって言ったら、キッチンくらいじ
ゃない。だから自然と話すことは料理のこと。それ以外のことを話すことなん
て、そう滅多にあるものではないわ。それに、料理をしてる時に無駄口を言う
の、碇君は嫌いだろうし・・・・」
「・・・・」
「そんな私に比べてアスカは・・・・いつも二人になるのは、アスカか碇君、
どっちかの部屋でじゃない。」
「・・・・」
「誰にも見られない二人だけの世界で、アスカは何を碇君としているの・・・？」
「レ、レイ・・・・」
「言えないことなの、私には・・・・？」
「そ、そんな事ないわよ。変な勘繰りをしないでちょうだい。」
「じゃあ、何をしてるの？」
「た、楽しくお話してるだけよ。それに・・・・」

アスカがやけに迫力のある妥協を許さないかのような綾波の問い掛けに対して
細かく話そうとすると、それを遮って綾波が言った。

「それに、キスとか・・・・それともそれ以上？」
「そ、そんなことしてる訳ないじゃない！！してるわけ・・・・」

アスカは大きな声で綾波の言葉を否定しようとしたが、トーンダウンして行っ
てしまった。アスカも綾波に対して嘘をつくことは、心苦しいのかもしれない。
綾波もそんなアスカの気持ちを察したのか、アスカに対する追及の手を伸ばし
た。

「どうしてそこで声が小さくなるの、アスカ？」
「・・・何でもないわよ。」
「この私に後ろめたいことでもあるの？そうとしか考えられないわ。」
「・・・・ないわよ、何にも・・・・」
「嘘。アスカは私に隠し事、してるわ。」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・キスは・・・・してるわよ。」
「・・・そう・・・・」
「で、でも、それ以上は何にもしてないからね！！これはほんとだから！！」

本当のことを告白したアスカだが、更なる綾波の邪推は食い止めようと、大き
な声で綾波に言った。しかし、綾波はと言うとそんなアスカの訴えに素っ気無
い言葉で応じた。

「・・・そう、わかったわ。」
「・・・ごめん、レイ・・・・」
「いいのよ、別に。アスカが悪い訳じゃないんだから。」
「シンジも悪くないわよ！！」
「わかってるわ。碇君が悪いはず無いもの。そんなこと、言わなくてもわかっ
てるでしょ？」
「それはまあ・・・・」
「でも、アスカは家で碇君とキスしてるのに、家では出来ない私が学校でする
のを止めるというの？」
「・・・・・」
「それって卑怯よ。自分は家で出来るから、学校では禁止するなんて・・・・」
「で、でも、噂が・・・・」
「噂なんて関係無いわ！！それが真実だから！！」
「レ、レイ・・・・」
「噂を気にするならすればいいわ！！あなたが学校では碇君に近付かなければ
それでいいじゃない。そうすれば、噂は私と碇君の間だけで済むから・・・・」
「・・・・アンタはそれでいいかもしれないけど、シンジはどうするのよ？シ
ンジだってアタシ以上にそういうの、嫌いだったはずよ。」
「・・・・・」

アスカにそう言われた綾波は、黙って視線を僕の元へと持って来ると、じっと
僕の顔を見つめた。まるで僕の言葉を待つかのように・・・・
しかし、僕が黙っていると綾波は言葉で僕に求めてきた。

「・・・・碇君は嫌？私と碇君がそういう関係だって噂されること・・・？」
「い、いや、その・・・・」
「どっちなの、碇君？」
「・・・・嫌って訳じゃないけど、実際の関係以上に邪推する人が絶対いるだ
ろうから・・・・アスカもそのことを心配していた訳で・・・・」

僕がいい訳じみた答えを返すと、綾波は決意に満ちた口調で僕に宣言した。

「なら、一人一人に私が言うわ。いつかはそういう関係になるだろうけど、今
はまだこれだけです、って。」
「あ、綾波・・・・」

僕は綾波の言葉に何と言ってよいのかわからなくなってしまった。が、言い方
はどうあれ、綾波が自分でそうするというのならば、それを否定することは僕
には出来ないことであった。だから僕が半ば途方にくれていたのだが、そんな
僕に向かってアスカがそっとささやいた。

「仕方ないわよ、シンジ。レイが自分で決めたんだから・・・・」
「でも・・・・」
「レイが実行するかどうかわかんないけど、ほんとにそうするならレイがアタ
シ達以外の人間と触れ合うことになるでしょ？だから・・・・」
「それもそうだね、アスカ・・・・」

綾波は自分の中に入り込んでしまっていて、アスカと僕のちょっとしたやり取
りに気付く様子もない。僕とアスカはまるで我が子を見守るように、微笑まし
く綾波の姿を眺めていた。が、いきなり綾波はさっと移動して教壇の前に立ち、
大きな声で宣言した。

「私と碇君、まだ恋人同士じゃないんです！！恋人未満です！！でも、でも、
絶対に恋人同士になって見せます！！」

自分から目立とうとせず、寡黙な綾波が大きな声を出し、またその過激な内容
に、クラス中はどよめいた。無論僕とアスカも、まさか綾波がこんな暴挙に出
ようとは思いもよらなかったので、驚くと同時に呆れてしまっていた。

「あ、綾波・・・・」
「あの娘、完全に目的を履き違えちゃってるじゃないの。本来目立たなくする
ために、みんなに言うってはずだったのに・・・・」
「あれじゃあ宣言だよね・・・・」
「もう手後れね、全く・・・・」

僕とアスカは嘆いた。
が、そんな僕達の気持ちも知らずに、綾波が興奮に顔を赤らめて帰還してきた。

「これでいいんでしょ、碇君？」
「・・・・まあ、もういいよ・・・・」

僕は苦笑いを浮かべながら、綾波にそう答えた。綾波はそれを言葉通りに受け
止めて、うれしそうに僕に言った。

「これでもう、学校で碇君と好きにしてもいいのよね。私、認められてうれし
い・・・・」

喜びに満ち溢れている綾波。
しかし僕とアスカは顔を見合わせると、大きくため息をついた。
もう穏かな学校生活とは縁がなくなると、早くも確定したのであるから・・・・