私立第三新東京中学校

第二百三十話・愛と慰め


「しっかしなぁ・・・・」

学校へ向かって歩き始めた僕達だったが、しばらくしてトウジが何やらぶつぶ
つ言い始めた。

「なんか、こういうのって羨ましいなぁ・・・そう思わんか、ケンスケ?」

いつものようにトウジに振られたケンスケは、穏かに訊ねる。

「シンジ達の事かい?」
「せや。わいは破廉恥な事はよう好かんけど、ああいうのはええなぁ。」
「・・・まあ、確かにそうだね。」
「せやろ?わいだけやないやろ、そう思うんは・・・・」
「そうだろうね。でも・・・・」
「でも、なんや?」
「いや、トウジは羨ましがる環境にはないと思うけど・・・・」
「・・・・」

ケンスケの言葉でトウジは思い出した。
ケンスケに彼女がいないと言うことではなく、今や自分には洞木さんという彼
女がいると言うことを・・・・

「そうやったな。いや、すまんかった、ケンスケ・・・・」
「い、いや、トウジが気にする事はないよ。俺だってトウジと委員長の事は祝
福してるんだから・・・・」
「さよか。すまんな、ケンスケ。わいもケンスケに彼女を捜したるわ。」
「いいよ、別に・・・・どうせ俺みたいなマニアは女の子に好かれたりはしな
いんだよ。」

ケンスケが諦め口調でトウジにそう言うと、トウジは少し大きめに言った。

「アホぅ!!男は外見やない!!根性やで!!」
「・・・それはトウジの言い分だよ。なんだかんだ言っても、トウジもシンジ
も見栄えはいいじゃないか。それに比べて俺は・・・・」
「せやからお前はアホなんや。そういう外見で人を判断するような女はろくな
女やないで。そんな女に好かれなくったって、気にする事あらへん!!お前だ
っていいところ、仰山あるやないか。もっと自分に自信を持て!!」

トウジの言葉はさすがだった。
いつも揺れ動いている僕とは違って、ケンスケに対してもはっきりと言う事が
出来る。トウジは少々一直線で融通の利かないところがあったが、僕はそれを
トウジの魅力として受け止めていた。いわゆる世間一般で言う男らしいという
奴で、きっと洞木さんもトウジのこういうところに魅かれたのだろう。

「・・・・よくわからないよ。俺のどこにいいところがある?」
「お前、自分ではわからんのか?」
「ああ。あまり意識して振る舞う事もないから・・・・」
「それは当然や。意識して振る舞うっちゅうことは違う自分を演じてるって事
やろ?」
「まあ、そうとも言えるね。」
「せやから、お前が気付かんところでも、わいから見ればいいところはあるん
や。言ってったろか?」
「頼むよ。俺も少し自信が持てればいくらか楽になるだろうから・・・・」
「まず、一番はやはり細やかな気配りやろか?わいら鈍感二人組には真似の出
来ん細やかさや。のう、シンジ?」

僕は急にトウジに振られて少々びっくりしてしまったが、それでも僕はずっと
耳を立てて二人の会話を聞いていたので、会話にはすんなり入っていく事が出
来た。

「う、うん。僕にも真似の出来ない事だと思うよ。僕もケンスケの心遣いには
助けられるところが多いから・・・・」
「それは、俺が他人の目を気にしすぎるだけだよ。他人の目を気にする必要の
ない奴等は、そんな俺が特別に映るだけだと思うけど・・・・」
「いや、僕も人の目を気にしてるけど、それでもやっぱり鈍感なままだから、
ケンスケは特別なんだよ。」
「そうか?でも、俺にはあんまりいい特徴だとは思えないけど・・・・」
「・・・・」
「それに、みんながシンジのこと、鈍感鈍感っていうけど、俺にはそう思えな
いんだよな。大体鈍感な奴が、さっきみたいに惣流を抱き締めることが出来る
と思うか?」

ケンスケがそう言うと、トウジまでもがその意見に賛同して言った。

「そやな。確かにケンスケの言う事は正しいと思うで。せやからわいは、シン
ジと惣流のやり取りを羨ましく思ったりする訳なんや。」
「そういやトウジは、委員長とそういうことはないのか?」

ケンスケは無遠慮にトウジに訊ねた。僕はそれを聞いて深入りしすぎたケンス
ケにトウジの怒りが降り注ぐのではないかと懸念した。が、それは僕の杞憂に
終わる事となった。

「・・・・ああ、今んとこはな。」
「どうして?」
「する必要がないからや。わいもいいんちょーがさっきの惣流みたいにわいの
胸を借りる必要が出来たら、そらもう何もためらうことなくいいんちょーを抱
き締めてやるで。せやけど今のいいんちょーは幸せそのものやし、わいの慰め
を必要としたりはせえへん。せやからわいはそういうことをしないっちゅうん
や。」

トウジはよどみなくきっぱりとそう言った。きっと洞木さんの事について、も
う完全に自分の彼女なのであるという認識なのだろう。以前のトウジならば、
大きな声で顔を真っ赤にしたであろう事も、今ではそういうことを落ち着き払
って受け止めていた。そして僕はそういうトウジを羨ましく思った。

「そうか・・・やっぱり凄いな、トウジは・・・・」

ケンスケも僕と同じ思いなのか、賛嘆の混じった声でそう言った。するとそれ
を聞いたトウジは少しだけうれしそうにしてこう言った。

「わいももう決めたからな。せやからいい加減な事はしたくないんや。自分の
気持ちをごまかしていいんちょーを悲しませたり、そういうことは絶対にして
はならんと、わいは思っとる・・・」

今の言葉は何だか耳に痛かった。もしかしたらトウジは黙っているけれど、僕
のアスカや綾波への態度を見て、色々考えていたのかもしれない。つまり、僕
を反面教師にして、こういう考えを持つに至ったのであろう。無論、トウジ自
身の性向の問題が大きかったのだが、それでもやはり僕の存在というのはトウ
ジの女の子に対する考え方に少なからず影響を与えているのはまず間違いない
であろう。

するとそんな時、突然それまで大人しくしていたアスカが僕達の会話に首を突
っ込んできた。

「なに男同士で密談してるのよ?」
「な、何でもないよ、アスカ。」
「何でもないなら言えるでしょ?何話してたのよ?」
「いや、それはまあ、いろいろと・・・・」
「色々じゃわかんないわよ。全くアンタは、はっきり物事を言わないんだから・・・」
「ご、ごめん・・・・」

先程とは全く正反対に、僕はアスカにやり込められる。しかしそんな僕を見て、
トウジが救いの手を差し伸べてくれた。

「まあまあ、ええやないか、惣流。シンジは元からこういう奴やろ?お前かて
わかっとるやろうに・・・・」
「まあ、そうだけど。」
「とにかくシンジの代わりにわいから言ったるわ。わいらはさっきのシンジと
惣流のやり取りを見て、羨ましいのうと語りあっとったんや。」
「う、羨ましい?」

アスカは思いも寄らぬトウジの言葉に驚きの色を隠せなかった。そしてその頬
は微かに赤みを帯びて見えた。

「せや。わいらにはとても真似出来んちゅうてな。」
「うんうん。」

トウジの肯定の言葉に、ケンスケもうなずいて同意の意を示す。するとアスカ
はそれまで黙っていた洞木さんに向かって訊ねた。

「ヒカリ、もしかしてまだ鈴原とは何にもないの・・・?」
「や、やめてよ、アスカ・・・変な想像しないで。ある訳ないでしょ?あたし
たち、まだ中学生なんだから・・・・」

洞木さんの個人的な事にアスカは大胆にも入り込んできた。アスカと洞木さん
は大の親友で、それこそいろんなことを語り合ってきたはずだが、それでも口
にしないことはたくさんあった。それに、アスカには僕、そして洞木さんには
トウジという存在が出来たため、以前ほど親友同士のコミュニケーションがと
れていないというのも事実である。
そしてもちろん、洞木さんはアスカにトウジの事を色々話してはいるものの、
深く突っ込んだところに於いては恥ずかしさゆえか口を開こうとはしなかった。
果してアスカが僕との事をどれくらい洞木さんに語っているのか、僕にはその
程度が量りかねて心配であったが、とにかく洞木さんはそういうことについて
人にぺらぺらしゃべるような女性ではなく、かなり慎み深かったのである。

「確かにアタシ達は中学生だけど、でも今更不純異性交友も何もないんじゃな
い?ヒカリだってそこまで委員長としてこだわってる訳でもないでしょうに・・・・」
「それはアスカの言う通りよ。あたしだって委員長をやってるけど、時代遅れ
の校則に縛られるつもりはないわ。ただ、あたしの委員長としての責務はクラ
スの運営を円滑に進める事だけ。それ以外の個人的な事については、人の迷惑
にならない限り、あたしもとやかく言うつもりはないから。」
「でしょ?だったら別に鈴原と好きにやってもいいんじゃない?もう、相思相
愛の仲なんだし・・・・」

アスカは親友らしく馴れ馴れしい口を利いたが、その内容は少し洞木さんの気
に触ったようで、アスカに対しては珍しい事に、洞木さんは微かに眉をひそめ
てこう言った。

「何が言いたい訳、アスカは?あたしも鈴原も人目を気にしてる訳じゃないわ。
二人とも今の付き合いに十分満足してる訳。だからアスカもおかしなこと言わ
ないで。」
「そ、それはそうかも知れないけど・・・・」
「あたしも鈴原も、人前でキスしたり抱き締めあったりしたいなんて、一度も
思った事無いわ。だいたいそう言うこと、する必要がないもの。お弁当を作っ
て、それをおいしく食べてもらって、そして楽しい会話が出来ればそれで十分
だとあたしは思う。そりゃあ確かにあたしもアスカと碇君のやりとりは羨まし
いと思うし、あたしだって女の子なんだからああいう関係もいいなって思った
りもするわ。でも、それだけがすべてでもないと思うの。そういうのは一種の
刺激剤みたいなもので、いつもするもんじゃないわ。だからあたしは特別な時
にだけしようと思うの。もちろん、それも鈴原次第だけど・・・・」

洞木さんは長い話を終えると、最後にトウジの方に目をやった。それは洞木さ
んがトウジに訴えかけたものなのだが、トウジはそれを見て一瞬はっとしたも
のの、すぐに落ち着いて軽く洞木さんに向かってうなずいた。そしてそんなト
ウジの応えを受け止めた洞木さんは、うれしそうに軽く微笑んで見せた。
僕もトウジもそんな二人のやり取りを微笑ましく見ていたのだが、アスカは素
直にそれを喜べないようだった。

「いいわね、ヒカリは・・・・」
「・・・アスカ?」
「アタシだってそう思うわよ。そう言う楽しい付き合いが出来たらいいなって
思う。でもヒカリもわかってるでしょ?アタシ達が特別なんだって・・・・」
「・・・・」
「誰がどう見ても、ヒカリと鈴原のカップルの方が、アタシ達なんかよりずっ
とまともな二人組に見えるわよ。アタシ達は相当歪んでるんだからね・・・・」
「そんな・・・・」
「キスが気持ちいいって思えるほどアタシは大人じゃないわ。ただ、心が気持
ちよくなるからアタシはキスを求め、そしてする訳。まあ、一種の痛み止めみ
たいなもんよね。こういう気晴らしでもないと、そのうち頭がおかしくなっち
ゃうから。だから仕方ないのよ、アタシ達がこうしてキスばっかりしてんのは・・・・」
「・・・・ごめん、アスカ・・・・あたし、アスカの気持ちも考えないで・・・・」
「いや、いいんだってば、ヒカリ。アタシみたいな不幸に染まった人間の考え
る事は、そもそも常人には理解出来ないのよ。ヒカリは今幸せの絶頂にいるか
ら、アタシの事がわかんない方がずっとずっといいことなんだから。」

僕は今、アスカの言葉について考えていた。
アスカの言っている事は僕にもよくわかったし、十分正論だと受け止める事が
出来た。しかし、何だかその考え方は自分を不幸な方へ不幸な方へと進ませて
いるような気がしていた。そしてそういう考えを持つ事は危険な事であり、僕
はそれを心配していた。
僕もどちらかというと自分を貶めて不幸の色に酔う時がある。どうしてなのか
わからないが、時として不幸というものは無性に甘美なものとして捉えられる
事があるのだ。しかし、そういう思考を持つことは不健康なことであった。
そして僕は、そういう不健康さにアスカを慣れさせたくはなかった。なぜなら
それは、アスカの魅力を殺してしまう事にもなり兼ねなかったからだ・・・・

「アスカは今、幸せじゃないの?」

アスカにおかしな考えを止めさせるために、僕は唐突にアスカに訊ねた。

「えっ・・・?」
「アスカは幸せじゃないの?僕は幸せなんだけど・・・・」
「・・・・」
「不幸だからキスをするなんて考え方、僕は嫌だな。僕はてっきりアスカが僕
の事を好きだって、ただそれだけの理由でキスをしてたんだと思ってたよ。」
「も、もちろんシンジが好きだからキスしてるのよ。アタシが好きでもない奴
にキス出来ると思う?」
「いや、もちろん思わないけど・・・・でも、痛み止めなんだろ?」

僕はそう訊ねてちょっと悲しげな顔をする。実際僕もアスカの言いたい事はよ
くわかっていたが、それでもアスカの考えを変えさせるため、少し演じて見せ
た。

「・・・・ごめん・・・・」
「アスカの気持ちもわかるけど、アスカも言ってたじゃない。キスは愛がない
と駄目だって・・・・」
「うん・・・・」
「せっかくするなら曇りの無いキスをしようよ。本当にその相手の人への想い
だけを込めてさ・・・・」
「・・・・・」
「僕はアスカに言われてから、なるべくそうしてきたつもりだよ。キス毎に、
僕のアスカへの気持ちを込めていたんだから・・・・」
「・・・・」
「洞木さんがアスカに言いたかったのも、そこのところだと思うよ。洞木さん
は僕達を見ていてよく知ってたんだ。ごまかしのキスを何度も重ねる事よりも、
一度だけの本当のキスの方が、遥かに価値があるって言うことをね。」
「・・・・ごめん・・・ごめん、シンジ・・・・」

アスカは本当に済まなそうな顔をして、僕に謝っていた。確かにアスカ僕に愛
のあるキスを押し付けておきながら、自分では純粋な愛ゆえのキスを行なって
いなかった。しかし、僕はそう思ったものの、アスカの事を責める資格はなか
った。だから僕は、アスカの肩にそっと手を乗せて、慰めるように言った。

「アスカが謝る事なんてないよ。僕が不甲斐ないから、アスカだってそうせざ
るをえなかったんだから・・・・」
「シンジ・・・・」
「もう過ぎた事は忘れようよ、アスカ。それよりもこれからの事が大事なんだ
から・・・・」

僕がそう言うと、アスカはうつむいていた顔を上げて僕の瞳を見つめた。
何だか心なしか、アスカの唇がつややかに見える。まるで僕からのキスを求め
ているかのように・・・・
しかし、僕は人差し指を差し伸べてアスカのその唇にそっと当てるとこう言っ
た。

「キスはまた今度ね、アスカ。今のアスカに必要なのは、慰めのキスじゃなく
って、愛のあるキスだと思うから・・・・」

僕がそう言うと、アスカは僕の言う事がわかったのか軽く微笑んで応えた。

「わかったわ、シンジ。やっぱりシンジの言う通りだしね。だから今のところ
はこれで我慢するわ。」

アスカはそう言って、僕の指先に軽くキスをした。
そして更に茶目っけたっぷりにウインクして見せる。
果してこれでよかったのかどうか、僕にはわからなかったが、何だかアスカの
微笑みも輝いて見えたので、取り敢えずはこれでいいと思った。なぜなら今の
アスカは、本当に綺麗に見えたからであった・・・・


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