私立第三新東京中学校

第二百二十五話・強さの意味


父さんの発言で硬直していたアスカと綾波は、さりげなく細々とした作業の為
にテーブルから離れていった。綾波は洗い物をする為に、そしてアスカは歯を
磨く為に・・・・
確かにそれはしなければならないことだし、いつものことであったのだ。しか
し、こういう発言の後だと否応無しに逃げ出したという気分が付きまとう。だ
から僕も綾波のことを手伝いたかったのだが、そのままテーブルに残った。

「・・・・」

父さんは何事もなかったかのように新聞を読み進める。常に僕の耳に入って来
る音は綾波が食器を洗う音だったが、時折父さんが新聞をめくる音が大きく響
いた。僕はその度にビクっと体を震わせる。父さんを恐れている訳ではなかっ
たが、沈黙から突如訪れる発言というのには、やはり落ち着いてはいられない。
だから僕はまた父さんが何か言い出すのではないかと思って、心配であったの
だ。
しかし、そんな僕の不安をよそに、父さんは何も言いだそうとはしなかった。
父さんが新聞を数枚めくる数分の時間が、僕には長いものに思えた。そして僕
はそんな息苦しい空間に耐えられなくなって、父さんに声をかけてしまった。

「・・・父さん?」
「・・・・」

父さんはまるで僕の呼びかけが聞こえないかのように、黙ってそのまま新聞を
読んでいた。そして僕は何故かその時思わずカッとなって、父さんに叫んだ。

「父さん、僕の話を聞いてよ!!」
「・・・・何だ?」

父さんはようやく新聞を下に降ろして僕の顔を見る。が、それで僕は冷静さを
取り戻してしまい、父さんに言いたかったことも特にない自分に気がついた。

「そ、その・・・・」

僕がはっきりと発言しようとしない為、父さんは再び新聞に手を伸ばす。僕は
それを見てとっさに止めさせようと思い、触れずにいようと思っていたことを
訊ねた。

「さ、さっきのことはどういう事なの?MAGIがどうとか・・・・」
「・・・お前には関係のないことだ。」

父さんは素っ気無くそう言うと、再び新聞を取ろうとする。が、僕は父さんが
それを手にする前に、さっとそれを奪った。そして父さんに叫ぶ。

「関係ないことなんてないだろ!?それに、関係ないならどうして黙ってなか
ったんだよ!?黙ってれば、僕も聞かずに済んだのに!!」
「・・・・」

僕は自分で言いながら、この件に関しては自分が正しいと思った。だから父さ
んも分が悪く黙っているのだと考え、そのまま続けた。

「大体父さんは無神経すぎるよ!!綾波が自分の力のこと、気にしてるって言
うのに!!」
「・・・・気にしているから、黙っていると言うのか?私は必要のあることを
述べたまでだ。」
「時と場所を考えろってことだよ!!みんなが楽しい気分に浸ってるって時に、
わざわざそれを壊すようなことを!!」
「・・・・ごまかしだな。」
「どういうことだよ?」
「自分の居心地のいい世界に逃げて、聞きたくないことから耳を塞いで・・・」
「・・・・」
「所詮お前と私では、求めるものが違うということか・・・・」
「・・・・」
「お前には失望した。レイをお前に任せるのは早計だったかも知れん。」

父さんはそう言うと、さっと椅子から立ち上がってそのまま僕に背を向けた。

「・・・・」

僕はそんな父さんの背中に、何も言えなかった。
だって、それは僕も重々承知していたことなのだから・・・・

僕は父さんのように強い男ではない。
父さんは人から嫌われても、眉一つ動かさない。僕はそれをずっと父さんが冷
酷で人の心を持たない所以だと思っていた。しかし、数ヶ月間に渡る父さんと
の共同生活により、本当の父さんというものが解ってきたような気がした。僕
に対した時には変わりのない父さんも、ことアスカのこととなると自分の素が
出てしまうらしい。まあ、あのアスカに対して自分を隠し続けるということに
無理があるのだろうが、ともかく父さんはみんなが言うような鉄の男ではなか
った。むしろかつてリツコさんが言ったような、生きるのに不器用な男なのか
もしれない。そしてそれは、今さっきアスカに応えた時にも、十分に表れてい
た。そう思うと、リツコさんが一番父さんのことを良くわかっていたのではな
いだろうか?その理由は・・・やはりみんなが嫌い、避け続けていた父さんを
唯一愛した人だから・・・・そうに違いない。
しかし、なんとなく僕と父さんが似ているのは気のせいだろうか?親子なのだ
から、風貌が似ているのは当然だとしても、人への接し方が似ている。そうい
う振る舞いみたいなものは、ずっと一緒に暮らしてきてこそ似て来るもののは
ずなのに、アスカへの態度などを見ると、自分そっくりなのに驚かされる。そ
して僕は、そんな父さんを見て、改めて親子なのだということを実感すると同
時に、親子なのに強い父さんとは似ても似つかない弱い僕を情けなく思うので
あった。

「碇君・・・・」

突然僕の真後ろからかけられた声にびっくりして、僕は慌てて振り向く。

「あ、綾波・・・・」
「碇君・・・・」

僕は自分の想念にとらわれて気がつかなかった。綾波が僕と父さんの近くにい
たと言うことを・・・そしてそんな大事なことを忘れて迂闊なことを口走って
しまった自分を恥じた。

「そ、その・・・・ごめん。」
「碇君・・・・私を守って。」
「えっ?」
「私、もうあの人のところに戻りたくない。碇君とずっと一緒にいたいの。だ
から・・・」
「綾波・・・・」

綾波にとっては、力の問題よりも父さんの最後の発言が問題だったらしい。
僕に自分の力を受け入れられた綾波は、その唯一の拠り所たる僕を奪われてし
まうと言うことは、つらい以外のなにものでもないのだろう。

「あの人に悪気がいないってことくらいわかってる。そしてあの人が悪人でな
いことも・・・・」
「・・・・」
「でも、あの人では私に愛を与えることは出来ないの。そして私も、それがわ
かっているから、あの人を愛せない。あの人が恐い・・・・」
「・・・・」
「お願い、碇君。私を奪わせないで。あの人は自分の言ったことは必ず実行す
る人だから・・・・」
「・・・・」
「お願い、碇君・・・・」

綾波は懇願していた。そして僕にもそんな綾波の気持ちは痛いほど伝わった。
しかし、実際のところ僕は自分に自信が持てずにいた。父さんから綾波を守る
自信ではなく、綾波にふさわしいかという自信が・・・・

「ごめん・・・・」
「碇君!!」
「僕は・・・・その・・・・自分に自信が持てない。」
「どうして・・・?」
「父さんの言ったことは全て事実だ。僕は現実から目をそらし、いつまで経っ
ても強くなれずにいる。ほんと、アスカや綾波が僕を励ましてくれても、全く
成長してなくって・・・・」
「・・・・」
「だから・・・・」

そして僕はくちごもった。これ以上何も言えなかったからだ。
僕はうつむいて顔を隠した。綾波の視線が痛かったのだ。しかし、そんな僕に
向かって、綾波はひとこと言う。

「・・・・碇君は・・・碇君が言ったこと、あれは嘘だったの?」
「・・・・」

僕はその言葉に、黙って顔を上げた。すると綾波はそんな僕の瞳から視線を逸
らさずに言い続けた。

「昨日、湖のほとりで言ってくれたじゃない。私のことを絶対に守ってくれる
って・・・・」
「・・・・」
「私はそれを信じてた。だから・・・だから、ここに戻る気になったの。きっ
と今日学校に行けば、みんなの好奇の視線にさらされることになる。まるでお
かしなものを見るかのような・・・・」
「・・・・」
「でも、それはつらいけど、碇君が私を守ってくれる、どんなことがあっても
碇君がいてくれるって信じてきたから・・・・だから私は何も言わなかったの。」
「綾波・・・・」

確かにそうだった。父さんが力どうこうという前に、既に綾波は多くの人間に
自分の力を見せ付けてしまっていた。渚さんのATフィールドはちょっとした
目の錯覚としてごまかすことも出来ようが、綾波は既にその力で空を飛んでし
まっているのだ。果たしてそれをごまかすことが出来るだろうか?それともそ
れをそのまま受け入れ、なおかつ有無を言わせないくらいに強く綾波を守って
いこうか・・・・?

「碇君は・・・・私を守ってくれるでしょ?」
「・・・・」
「碇君なら、いや碇君だけが、私を守れる人だと思うの。」
「・・・・」

僕は自分に自信がないといいながら、いつのまにか綾波を守る方策までを考え
ていた。そしてそういう自分の思考に気がつくと、僕は不安そうな綾波に向か
って苦笑いを浮かべながらこう言った。

「はは・・・いつのまにか、どうやって綾波を守ろうか考えてたよ。」
「碇君、じゃあ・・・・」
「うん。僕は宣言したもんね、綾波を守るって・・・・」
「碇君・・・・」
「僕の言ったこと、あれは嘘じゃないよ。綾波を守り切ることは出来ないかも
しれない。僕の無力さ故に綾波を傷つけてしまうかもしれない。だけど、僕は
僕の出来る限りのことはするよ。それが僕に科せられた使命だからね・・・」
「・・・・」
「父さんはああ言ってたけど、きっと僕のこと、解ってくれると思う。父さん
はあんまりにも僕が不甲斐なかったから、僕を発憤させる意味で言ったんだよ。
ああでも言わないと、僕もいつまでも情けない僕のままでいただろうからね・・・・」
「・・・・」
「それに、父さんの言った言葉が真実だったとしても、僕は綾波を守るよ。絶
対に父さんの手になんか渡したりはしない。まあ、綾波も父さんの庇護下の方
が安心出来ると思うけど・・・・」

僕がそう言うと、綾波は大きな声で断言した。

「そんなことない!!私はあの人より碇君の方が強いと思う!!」
「どうして?それは綾波の贔屓目にしても言い過ぎだと思うけど・・・」
「じゃあ、あの人は何をしてくれた?私だけでなく、全ての綾波レイにも幸せ
を与えることは出来なかったわ。そして幸せだけでなくその身を守ることさえ
も・・・・」
「・・・・」
「確かに私達には代わりがいたわ。でも、自分の命に価値を見出していなかっ
たとは言え、死を望んでいたはずがない。私には他の綾波レイのことはよくわ
からないけど、死にたいなんて思わない。このままこうして生きていたい。」
「・・・・」
「そして碇君は私に幸せを与えてくれたわ。それだけでもあの人以上だと思う。
身を守ることについては・・・もうその危険はほとんどなくなったと思うけど、
その代わりに私の力の問題が出てきた・・・・」
「・・・・」
「本当のことを言えば、私は恐いの。あの人よりも何よりも、これから学校に
行ってみんなに顔を合わせるのが恐いの・・・・」

綾波は辛そうにそう言うと、身を小さくすくめた。僕はそれを見た瞬間、思わ
ず綾波を抱き締めていた。

「綾波・・・・」
「碇・・・君?」
「綾波は僕が守るよ。絶対に・・・・」
「碇君・・・・」
「綾波におかしなことを言う奴がいたら、僕がただじゃ置かない。だから・・・」
「ううん、碇君、暴力なんか振るわないで。」
「えっ・・・?」
「みんなが私を恐れて一人ぼっちになりそうな時でも、碇君が一緒にいてくれ
れば・・・」
「綾波・・・・」
「私は私のことを理解してくれない人を、無理矢理従わせようとは思わない。
ほら、アスカの時みたいに・・・・」
「ああ・・・・」
「私はアスカがわかってくれるまで待つつもりだった。アスカは普通に振る舞
ってるけど、やっぱりまだ、私の力が気になるみたい。」
「そうだね・・・・」
「でも、アスカはやさしいから、そんな自分の心を隠してる。だから私も、ア
スカがわかってくれるまで待とうと思うの。たとえいくら時をかけようとも・・・・」
「・・・・」
「そして他のみんなも一緒。私を受け入れてくれるまで、じっと待っているつ
もり。でも、それまで一人ぼっちじゃ寂しすぎるから・・・・」
「・・・・だから側にいるよ、僕が・・・・」
「うん・・・・」

そして僕は、綾波の身体をぎゅっと抱き締める。
綾波は小さくてか弱くて、まるで僕が力を加えると壊れそうだった。
でも、僕は綾波を抱き締める力を緩めなかった。
そして綾波も、こうして僕に抱き締められているのがうれしそうだった。

「碇君・・・・好き・・・・」

最後にひとこと、綾波は僕の胸の中でそうささやいた・・・・


続きを読む

戻る