私立第三新東京中学校

第二百二十一話・太陽と月の関係


「ごめん・・・・」

キスの後、僕はアスカに小さく謝った。

「・・・・シンジ・・・・」

アスカはそっと僕の名前をつぶやく。
アスカにもわかっていた。それが悲しいキスだと言うことを。

「・・・・」

しなければよかった。
こんなこと、言わなければよかった。
ついその場の雰囲気に流されてキスをしてしまったけれど、後に残るのは虚し
さだけだった。
アスカを好きだと言う気持ちは・・・・僕の中では変わらないと思う。
だから、僕もアスカの言葉にひかれてキスを受けたのだ。
しかし、今はそんな時ではなかった。
綾波について、僕について、そしてアスカについて考える時であるのに・・・

「つらいわね、なんだか・・・・」

アスカはその整った顔を少しだけ歪めて、自嘲的にそう言った。
自分がふざけて、冗談のつもりでキス云々といっただけなのに、それが現実の
ものとなるなんて・・・・
無論アスカはキスをし、されることを望んではいた。しかし、こんな気持ちの
ままでキスをして喜べるほど、アスカの心は鈍くなかった。

「ごめん・・・・アスカは冗談のつもりで言ったのに・・・・」
「いいのよ・・・・アタシだって、そのつもりがなかった訳じゃないんだから・・・」

アスカはそう言って僕を慰めようとするものの、表情がそれを裏切っていた。
それにアスカの顔など見なくとも、さっきのアスカに本気でキスをしようと言
う気がなかったことくらい、僕にだってわかる。だから、アスカの僕を慰めよ
うとする気持ちはうれしかったが、僕の自分を責める気持ちは変わらなかった。

「・・・・・」
「・・・・」
「・・・・・・・・駄目だね、僕って・・・・」
「・・・・どうして?」

アスカは否定しなかった。
ただ、その理由を聞いてきただけだった。
アスカも僕の言葉を否定したいと言う気持ちはあっただろう。しかし、無意味
に否定しても、逆効果だと言うことを今までの経験で理解しているのかもしれ
ない。

「・・・その・・・うまく言えないから・・・・」
「・・・・だから、シンジが駄目だって言うの?」
「うん・・・人の気持ち・・・・他人じゃなく、こんな近くにいるアスカや綾
波の気持ちすらわかってあげられないで、いっつも傷つけてばかりで・・・・」

アスカは僕の言葉を聞くと、少し表情を明るくして答えてくれた。

「まあ・・・そうかもね。アンタはとてもじゃないけど、アタシ達の気持ちを
理解しているとは言い難いから。」
「・・・・」

僕はどうしてアスカがそんな明るい顔をして言えるのか、少し気になって黙っ
てアスカを見つめた。すると、そんな僕に答えを与えてくれるかのように、ア
スカは続けて言った。

「でも・・・・それって別におかしいことじゃないわよ。みんな人の気持ちな
んて理解出来ないもの・・・・だから別にアンタが特別な訳じゃないわよ。」
「・・・・」
「アタシだってレイだって、アンタのこと、絶対に何度も傷つけてきたと思う。
アンタはアタシ達に何も言わないからわからないけど、そういうこと、いっぱ
いあったと思うし・・・・」
「アスカ・・・・」
「だから、そんなに気にしすぎることはないわよ。まあ、全く気にしないって
言うのも、ちょっと問題あり、だけどね・・・・」
「・・・・」
「でもね、シンジ・・・・」
「・・・何、アスカ?」
「一度目はいいわ。アンタだって誰だって、相手のことなんて完全にわかるわ
けないんだから・・・・」
「・・・・」
「でも、二度目に同じ過ちを犯した時、それは自分の愚かさを露呈することに
なるわ。一度目で懲りてるんだから、学習能力があれば、二度目に同じ過ちは
繰り返さないはずだもんね・・・・」
「・・・そう・・・だね。」

僕はアスカの言葉を聞きながら、少し心苦しく思えてしまった。
僕は何度も同じ過ちを繰り返し続けているような気がしたから・・・・
しかし、アスカもそのことはわかっているのかもしれない。そしてわかってい
て、そう言うことを僕に言っているのだろう。僕にわかって欲しいが故に・・・・

そしてアスカはそんな僕の気持ちがわかっているのか、僕に軽くウインクして
明るくこう言って締めた。

「だ・か・ら、今のことを忘れないこと!!いいわね、シンジ!?」
「う、うん・・・なるべくそうするつもりだけど・・・・」
「なるべくぅ!?どうして絶対にって言えないのよ!?」
「だ、だって、絶対に忘れないなんて、そんな事有り得ないだろうから・・・・」

僕がそう答えると、アスカは呆れた顔をして僕に言った。

「・・・・ったく、アンタってとことん融通が利かないのね・・・・」
「・・・ごめん。」
「もう、ごめんはいいってば。アンタのその真面目一辺倒で頑固なところ、ア
タシも嫌いな訳じゃないから・・・・」

アスカの最後の言葉は、ぐっと小さなものへと変わった。それがアスカの気持
ちを示していたのだが、僕はもう何も言わなかった。余計な言葉など必要とし
ないのだ。

そして沈黙。
僕はアスカのことをじっと見つめていたのだが、アスカはそのことに気がつく
と、急に気分を変えてこう言った。

「そう、レイのことだったわよね!!今肝心なのは、レイのことなんだから!!」
「ああ・・・そうだね、アスカ。」
「アタシ達がここで自分のことでうだうだしてる余裕はないのよ。一番の問題
はあの娘のことなんだから・・・・」
「うん・・・・で、アスカはどうしたらいいと思う?」
「って、アンタはいきなりアタシに頼る訳!?も少し自分でも考えなさいよ。
全くもう・・・・」

アスカは情けない僕の様子に、少し唇を尖らせてぷりぷりしている。まあ、ア
スカの言うことももっともだが、僕だって散々考えて答えが出て来なかったの
だ。だから一刻も早く、アスカのその明哲な頭で導き出された言葉が聞きたか
ったのだ。

「し、仕方ないだろ・・・これでも精いっぱい考えたんだから・・・・」
「そうねぇ・・・まあ、そうみたいだし、勘弁したげるわ。じゃあ、アタシの
考えを言うわよ。いい?」
「う、うん・・・・」

僕は期待に胸を膨らませる。アスカの言葉はいつも僕にとっては新鮮で、僕に
答えを与えてくれた。

「アタシが思うに、レイをどうこうしようというのは、もう無理だと思うのよ。
レイがアンタにどっぷりだって言うのはもう取り返しのつかないことなんだし、
人が人を好きになるのを否定することは出来ないからね・・・・」
「うん・・・・」
「それに、アタシがレイの目をシンジから別に向けさせるなんて言い出すと、
嫉妬のせいでそんな事を言ったなんて思われたりするかもしれないし・・・・」
「・・・・」
「と、とにかく、変わる必要があるのはアンタだと思うのよ。まあ、変える変
えるなんて言い出すとまたレイに、碇君は変わらなくていい、なんて言われち
ゃうかもしれないけど、レイが変われない以上、変わるのはアンタしかいない
もんね・・・・」
「うん・・・・」
「アタシは別に、レイに冷たくすることがレイをアンタだけの人形から普通の
人間にさせるって思ってる訳じゃないのよ。だから、アンタとレイの関係は、
今まで通りでいいと言う訳で・・・・」
「・・・・じゃあ、何が変わる訳?」

僕はだんだんアスカの言いたいことがわからなくなってきて、アスカに向かっ
て訊ねた。するとアスカは少しだけ自慢げにして言った。

「アンタのその態度よ。レイを人間にしたい人間にしたいって思ってる、その
態度を・・・・」
「・・・・どういうこと?」
「アンタ、わかってないの?レイに、綾波は人形なんかじゃないよ、とか、綾
波は人間だよ、って言ってることが、どれだけレイを傷つけてるかって言うこ
とに・・・・」
「えっ・・・?」
「レイのアンタを愛する形は、確かに少し歪んでるとは言わざるをえないわよ。
でもね、それって別に人形だからとか、そう言うことじゃないと思うの。ただ
単に愛情が強すぎるって言うだけで、それは人間にも当てはまること。それに
アタシだって、方法はどうあれ、レイと同じなんだし・・・・」
「アスカ・・・・」
「レイは完全な人間なのよ。力が使えるとか、そういうのは別にしてね・・・・
だから、アンタがそういう話題をレイにし続けることによって、レイにそう言
うことを意味なく考えさせる結果となるのよ。特にレイはああいう生まれ方を
してるから敏感になってるって言うのに、わざわざ刺激しまくってるんだから・・・・」
「・・・・・」
「つまり、レイに普通に接しなさい。アタシみたいに・・・・」
「・・・・」
「レイを変えようとか、レイを人間にしようとか、そういうのは抜きにしてね。
何も考えず、普段の生活を送ればいいのよ。アンタが黙っていれば、レイもい
つのまにか意識しなくなるわ。」
「なるほど・・・・いや、さすがアスカだね。納得したよ。」

僕はアスカの結論を聞いて、目から鱗が落ちるような気がした。
僕がそう言うことを意識しすぎていた為に、綾波におかしな考えを抱かせるに
至ってしまったとは・・・・全く僕には思いつかないことであった。

「だから・・・・普通にね、普通に・・・・」
「うん・・・じゃあ、今度からそうすることにするよ。もう人形とか人間とか、
そういうことは言わないことにする・・・・」
「それがいいと思うわ。あ、それに、たとえ言わなくても、考えるのも駄目よ。
そういうのは思うだけで表に出ちゃうだろうから・・・・」
「なるほど・・・・」
「レイは人間なのよ。それを忘れないで。レイにおかしなところなんて、何も
ないんだから。」
「うん・・・それもそうだね。一応僕もそう思っていたけど、それにしても意
識しすぎていたような気もするし・・・・以後気をつけます。」

僕がそう言うと、アスカは大きくうなずきながら応えてくれた。

「よしよし、それでいいのよ、シンジ。これでレイの問題は終わりね?」
「うん。ありがとう、アスカ。色々余計なことを考えさせちゃって・・・・」
「いいっていいって。アタシもレイの為になりたかったんだから・・・・それ
に、さっきみたいなシンジ、見たくなかったから・・・・」
「アスカ・・・・」
「アタシのエゴなのはわかってるんだけど、アタシの前ではいつもアタシの好
きなシンジでいて欲しいな。アタシがちょっと頼りたくなっちゃうような・・・・」
「・・・・」

アスカはその強い想いを表すかのように、切なくそう言った。そして、続いて
今度は明るく元気に言う。

「アタシの好きなシンジは、強くてかっこいいシンジなんだからねっ!!それ
を忘れんじゃないわよ!!」

アスカのその言葉を聞いた僕は、少し悲しげな顔をしてつぶやいた。

「・・・強い・・・か・・・・」
「最近のアンタ、少しどろどろしすぎてんのよ。一体どうしたって言うの?」
「いや・・・僕は元々こういう奴だから・・・・」
「・・・・」
「僕にはつらいこと、悲しいことがいっぱいあったから、人のそういう気持ち
もよくわかるような気がするんだ。そしてそれがどれだけ心を傷付けるかも・・・・
充分過ぎるほど知り尽くしてるから、同じ思いを人にはさせたくない。そう思
ってるから、そういう時にだけいつもの自分じゃなくなるんだよ。だからアス
カの言う僕の強さは、ほんとの僕じゃないかりそめのものにしかすぎないんだ・・・」
「シンジ・・・・」
「常ならぬものは、人を魅了する・・・・・そういうもんなんだよ、アスカ。」
「・・・・そう・・・・・」
「うん・・・・だから、情けない僕が本当の僕。まるで昼間に見る月の様なも
のさ。そして夜は太陽の光を反射して、不思議に輝くんだ。自分自身の光じゃ
ないって言うのに・・・・」

僕がそう言うと、アスカは言ってくれた。
滅多に見られないやさしい穏かな微笑みを浮かべて・・・・

「それでいいじゃない。それで・・・・」
「・・・どうして?」
「光を反射出来るだけマシよ。普通の奴は、そんなことすら出来ないんだから・・・・」
「・・・・」
「それに、太陽は二つもいらないわ。アタシが太陽、そして月がシンジで・・・・」
「・・・・」
「アタシが元気に輝いてる時は、シンジはそんなに輝いてなくってもいいわよ。
ただ、アタシの心が夜の暗闇に満ちた時は、シンジの光をちょうだい。そして
アタシに輝く元気を取り戻させて。」
「・・・・」
「アタシが輝いてる昼間は、精いっぱいシンジにアタシの元気をあげる。だか
らシンジも、アタシの輝きが失せた時には、その光で闇を照らして。新しい朝
を元気に迎えられるように・・・・」

そして僕は、アスカの言葉に応えた。

「わかったよ、アスカ・・・・僕に出来るかどうかわからないけど、僕はアス
カの月でいようと思う。アスカの光を精いっぱい受け止めて、アスカが輝けな
くなった時には、アスカにもらった光で闇を照らすよ。」
「ただの闇じゃなくって・・・・アタシの闇、でしょ?」
「あ、うん。まあ・・・・」
「アタシはシンジの為に輝いてるのよ。だからシンジも、アタシの為に輝くの。
何たって、アタシの光で輝いてるんだからね・・・・」
「そ、そんなぁ・・・・」
「ふふっ、まあ、ちょっとだけならレイや他の奴に分けてあげてもいいわよ。
でも、基本的には、アタシの為だけにね。」
「わ、わかったよ、アスカ・・・・全く、アスカにかかっちゃ形無しだよ・・・・」
「仕方ないでしょ、アタシとアンタはワンセットなんだから・・・・」
「まあ・・・・」

僕が納得したようなしないような曖昧な表情を浮かべると、アスカは軽く笑っ
てこう言った。

「しよっか?」
「へ?何を?」
「キス。さっきのを、帳消しにする為に・・・・」
「いいけど・・・・」
「今ならアタシ、キスしてもいいと思うの。シンジはどう?」
「うん・・・・そうかも知れない。」

僕がそう言うと、アスカは小さな声で訊ねてきた。

「アタシのこと・・・好き?」
「うん・・・・」
「愛してる?」
「うん・・・・」
「キス・・・したい?」
「・・・・うん、多分・・・・」
「じゃ、して・・・・」
「うん・・・・」

アスカはそっと瞳を閉じた。
そして僕は・・・・やさしくアスカの唇に自分の唇を合わせた。
今日二回目のキスは、まるでファーストキスのような初々しいものであった。
そう、二人の気持ちを確かめ合って・・・・


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