私立第三新東京中学校
第二百十五話・繰り返し
そして、誰からともなく食事が始まった。
僕はあいも変わらず沈黙を保っていたが、アスカと綾波は、何だか今のことで
かなり打ち解けたみたいだ。
「これ、おいしい・・・・」
「そう!?レイにそう言ってもらえると、何だかアタシもうれしいな。」
「後で作り方、教えてくれる?」
「うん。別に構わないけど・・・・でも、アタシが作るくらいだから、ほんと
にいい加減なもんよ。味付けとかも大雑把だし・・・・」
「そこのところは、私が自分で調整するから・・・・」
「そう・・・・でも、何だかちょっぴりためらっちゃうな。」
「・・・・どうして?」
「だって、アンタの方がアタシなんかよりずっと料理がうまいじゃない。だか
らさ、アタシが作ったのと比較されて、やっぱりレイの作った奴の方がずっと
おいしいなんて言われると、アタシとしてもちょっぴり気になる訳。レイの作
ったものの方がおいしいなんて、当然だってわかっててもね・・・・」
アスカがちょっと恥ずかしそうに綾波に言うと、綾波は真剣な眼差しでアスカ
に言った。
「そんなことない。絶対にない。私には、これ以上の味は出せないわ。」
「ど、どうしてよ?そんなにおいしくもないじゃない、これ。シンジが以前作
ったものよりも、味がいいとも思えないし・・・・」
「それはあなたにとって。私や碇君にとっては、これは何よりものごちそうよ。
ね、碇君?」
綾波は急に僕に話を振ってきた。僕は慌てて綾波に応える。
「う、うん。僕もそう思うよ、綾波。」
僕は何だかよくわかっていなかったものの、確かにアスカの作ったおでんはな
かなかおいしかったので、嘘をつく必要もなく肯定して見せた。すると僕の答
えを聞いた綾波は、続けてアスカに言った。
「ほら、碇君もこう言ってる。もっと自信を持つといいわ、アスカ。」
「じ、自信なんて持てないわよ。おだてるのはやめて。アタシだって自分の料
理の腕くらい、十分わきまえてるんだから。」
「おだてやごまかしなんかじゃないわ。全て本当のことよ。」
「じゃあ、アンタがそう言う根拠は?」
「心。」
「心?」
「そう、心。このおでんには、アスカの心がこもっているわ。そしてそれは、
私にも碇君にも通じてる。だから、私達はこれをおいしいと感じるの。無論、
心を抜きにしても、十分おいしいんだけど。」
「・・・・何だかあいまいね。」
「あいまいなんかじゃないわ。あなたは私達のことを想ってこれを作った。だ
から私達はこれを噛み締めるたびに、あなたがこれを作っているところ、あな
たがどういう想いで作ったのか、それが伝わるの。私も毎日心を込めて料理を
しているつもりだけど、あなたの想いには叶わない。だから私には、これ以上
のものは作れないの。」
アスカは綾波の言葉を聞くと、はっきりと納得は出来ないながらも、綾波にそ
う言われたことがうれしいらしく、少し表情をほころばせながら、大根にぶす
りと箸を突き刺してこう言った。
「そんなもんかしらねぇ?アタシにはわかんないけど・・・・」
「・・・・・」
「でも、ありがとね、レイ。何はなくとも、アタシはアンタにそう言われたこ
とが、一番うれしかった。そしてこれを作った甲斐があったと思う。」
「そう・・・・よかった、アスカがそう言ってくれて・・・・」
「そうだ!!今日は一緒にお風呂に入りましょ!!色々話したいこととかもあ
るし・・・・」
「うん。私はいいけど・・・・」
綾波はアスカの申し出にうなずいてみたものの、何やら引っかかるところがあ
るらしく、僕の方に視線を向けた。僕は急に綾波に見つめられて、びっくりし
てしまった。が、僕が何かを言い出す前に、アスカが綾波に言った。
「駄目駄目駄目!!シンジは駄目よ!!男なんだから!!」
「どうして?みんなで一緒に入れば、楽しいのに・・・・」
「そりゃあ楽しいわよ。アタシだって一緒に入りたいわよ。でもね、シンジは
そういうの嫌いだし、アタシも無節操なのは駄目だと思うの。シンジと二人っ
きりで、そういうつもりで入るなら話は別だけど、三人でなんてアタシは嫌。
絶対に嫌だからね!!」
「・・・・そういうつもりって?」
「あ・・・そ、それは・・・・と、とにかく後でゆっくり話してあげるわよ。
それでいいでしょ?それで!?」
「・・・・うん。わかった。でも・・・・」
綾波は何かを言いかけた。それを見たアスカは、少しうろたえるように綾波に
聞き返した。
「な、なんなのよ、一体?」
すると綾波はにこっと微笑んでアスカに言った。
「よかった、アスカがそう言ってくれて。私、二度とアスカが私と普通に話を
してくれないと思ってた。なのにアスカは・・・・」
綾波の言葉をアスカが遮る。言葉と身体で・・・・
「馬鹿・・・・アタシが・・・このアタシがそんなことするわけないでしょ?
なんたってアンタは、アタシ達の家族なんだから・・・・」
「家族・・・・」
「そうよ、家族・・・・アタシもアンタには色々と思うことが山ほどあるけど、
それは全部後。とにかく今はそれだけで十分じゃない。アンタに何があろうと、
それだけは絶対に変わらないんだし・・・・」
「アスカ・・・・」
涙はなかった。
しかし、二人とも、いつ涙を流してもおかしくないような、そんな顔をしてい
た。僕はそんな二人を見てうれしく思っていたが、なぜか心の中はすぐれなか
った。僕の心が冷たすぎるせいなのかもしれないが・・・・
そして、食事は終わった。
おでんはアスカの配分間違いで、大量に余ってしまった。が、それは明日も食
べられるんだし、何も問題はなかった。
食事の間、アスカと綾波はずっとしゃべり続けていた。もっぱらアスカが話し、
綾波が応える形ではあったが、綾波もいつも以上に自分から話をしていた。そ
して、僕は二人の会話をずっと黙って聞いていた。話を振られることもしばし
ばあったが、それは長く続くものではなかった。僕が自分から話し出そうとし
ないからかもしれないが、会話に参加する意思を示さない僕は、次第に取り残
されていった。
アスカと綾波の話は、料理のこと、学校のこと、本のこと、服のことなど、多
岐にわたっていたが、話の中心は常に僕のことにあった。当の本人がここにい
るというのに、まるでいないかのような会話が続いた。二人とも熱っぽく語り
合い、我を忘れて時を過ごしていった。
こういう会話を繰り返すことで、人は親密になれる。
会話のない関係というのも存在するが、それは会話を全てこなし、お互いが相
手の全てを理解するようになってはじめて成立するものであり、会話の後に来
るものだ。だから僕は、こういうことを繰り返して、アスカと綾波がよりわか
りあえることを期待していた。そしてそれは、今や現実のものとなり始めてい
た。アスカと綾波との間に共通するものがある限り、二人の関係は続くだろう。
家族という関係にとどまらず、親友として二人がお互いを見られたら・・・・
それ以上のことはないと思う。そして、アスカも綾波も僕に依存する必要がな
くなれば、それで僕は満足だ。僕は二人にふさわしくない、汚れた心を持って
いるのだから・・・・
「さてっと・・・・ご飯も済んだし、お風呂にしよっか?」
長い会話も一段落し、アスカは綾波に呼びかけた。
僕はアスカのその言葉を聞いて、慌ててアスカに言った。
「あ・・・お風呂の準備、して来ようか・・・?」
しかし、僕の心配は無意味だったようで、アスカは僕にこう答えた。
「ふっ、その心配はいらないわよ、シンジ。アタシは抜かりなく、既にお風呂
の準備をしておいたんだから・・・・」
「へぇ・・・凄いね、アスカ。いや、気が利いてるよ。」
僕が驚きながらアスカを誉めそやすと、アスカはちょっと大袈裟なその言い様
に恥ずかしさを覚えて、僕の言葉を否定した。
「いやね、別にそんなに気を回した訳じゃないのよ。ご飯よりも先におふろに
入りたいって言う状況だって有り得たんだし、どっちでもいいように予め準備
しておこうと思って。アタシもアンタ達を待ってる間、暇だったしね・・・・」
僕は謙遜するアスカの言葉を聞いて、何だかちょっとからかってみたくなった。
「ふふっ、何だかまるで、新妻みたいだね。帰ってくる夫を待ってさ・・・・」
僕は冗談のつもりで言ったのだが、アスカは更にその上を行っていた。
「あら、アタシはそのつもりよ。心は既にシンジの奥さんなんだから・・・・」
「ア、アスカぁ!!」
「ふっ、アタシをからかおうなんて、十年、いや百年早いのよ、シンジ。もう
少し修行して出直してきなさい。」
「くっ・・・・」
「ほら、アタシをからかおうとした罰!!アンタはアタシとレイがお風呂に入
ってる間、夕食の後片付けをすんのよ。いいわね!?」
「わ、わかったよ・・・・どうせ罰でもそうでなくても、僕にやらせるつもり
だったくせに・・・・」
「解ってるんだったら話は早い。じゃあ、そういうことでよろしくね、シンジ!!」
アスカはやっぱりいつもと変わらず、僕に仕事をさせることに全く抵抗を感じ
ていない。しかしもう一人は、それに抵抗を感じる人だった。
「アスカ・・・碇君、可哀想。私も手伝って・・・・いい?」
綾波はまるで懇願するように、アスカに訴えかけた。こういう時の綾波は大袈
裟すぎるかもしれないが、僕は悪い気はしなかった。無論、反対にアスカを悪
く思うなんて、そんな事も絶対なかったのだが・・・・
そして、綾波の訴えを聞いたアスカは、それを簡単に退けた。
「いいのよ、レイ。シンジは後片付け、好きなんだから。」
「そんな・・・そんなことない。私、碇君を手伝いたい・・・」
「アンタの気持ちも解るけど、アタシ達がお風呂に入っている間、シンジがす
ることなくなっちゃうでしょ?それは可哀想なことだから、アタシはわざわざ
シンジに仕事を与えてあげるの。シンジは何もしてないと、手持ち無沙汰で腐
っちゃうような、おかしな人間だから・・・・」
「そう・・・なの?」
「そうなのよ。アタシもほんとは、シンジを手伝ってやりたいんだけどね・・・・」
全くアスカは心にもないことをぬけぬけという。こんな調子では、純粋な綾波
はころっとアスカに騙されてしまうことだろう。まあ、確かに手伝ってもらい
たいという気持ちもあるのだが、アスカの言うように二人がお風呂に入ってい
る間することがなくなってしまうので、後片付けは僕がした方がいいと思って、
アスカの言葉をたしなめようとは思わなかった。
「じゃあ、そういうことだから、後片付け、よろしくねー!!」
そしてアスカと綾波は、僕に後片付けを任せてお風呂に入ることとなった。
「碇君・・・・手伝えなくてごめんなさい。」
綾波は一度はアスカの言葉に納得したものの、やはり完全には思い切れない様
子で生真面目に僕に大きく頭を下げた。
「そんな・・・・気にするようなことじゃないよ、綾波。ゆっくりとお風呂に
入って今日の疲れを癒すといいよ。」
「でも・・・・」
「アスカと話、しておいで。今の綾波には、それが一番大切なことだから。」
「・・・・うん・・・・」
僕は綾波の肩を軽く叩いて、綾波を送り出してやった。
そしてそれを見ていたアスカは、微妙な表情をしていたが、綾波を連れてお風
呂場へと向かって行った。
「ふぅ・・・・」
ようやく一人になって、僕は大きく息をついた。
別に疲れてる訳じゃない。でもなんとなく、一人になるとほっとする。アスカ
や綾波と話をすることは、僕にとっても楽しいことだ。なのに、なのに僕はい
つも一人になると心が休まる。ほっとする。
それはおかしなことなんだろうか?実際僕は、アスカと綾波の関係がより近い
ものとなり、僕の存在を必要としなくなることを望んでいた。それは自立とい
うことを示しているつもりだったのだが、もしかしたら・・・・もしかしたら
僕の方が、二人の呪縛から逃れ、一人になりたいと感じているのかもしれない。
僕はそういう考えに思い至ると、同じ事の繰り返しをしているような気がして、
何だか嫌になった。そしてそういう思考から脱却する為に、僕は自分に与えら
れた仕事、食事の後片付けを始めた。
何か仕事をしていると、本当に落ち着く。余計なこと、嫌なことを、考えなく
ても済むのだから・・・・
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