私立第三新東京中学校

第二百十三話・見たくなかったから


「で、アスカは何を作ったの?」

取り敢えず、僕と綾波はそれぞれの部屋で制服から適当な服に着替えた。その
間、アスカには夕食の準備をしてもらうことにしたのだ。アスカは見てみるま
でのお楽しみ、みたいなことを言って何を作ったのか明かそうとはしなかった
のだが、着替えを終えてキッチンの入り口に来て、僕達のやってくるのを待ち
構えていた、もしくは勝手に立ち入ってみられるのを食い止める為に立ってい
たアスカに、僕はそう言って訊ねた。
するとアスカはにやにや笑いながら、不思議そうな顔をする僕と綾波に向かっ
て言った。

「匂いでわからない、匂いで?」

確かになんとなくいい匂いがするものの、僕にはそれだけでは何とも言いかね
た。料理好きを自称しておきながら、匂いの一つや二つでそれが何なのか判別
できないというのも、我ながら情けない話である。
とにかく、僕も全く見当もつかないというのは沽券に関わるので、取り敢えず
予想の範囲でアスカに答えて見せた。

「うーん、わかんないなぁ・・・コンソメのような・・・・ロールキャベツと
かポトフとか、そういう類の奴かな?」
「惜しい!!でも、残念だけど外れよ。当たったらご褒美に何かあげようと思
ったんだけど・・・・」
「そ、そう・・・・ざ、残念だな。」

僕はアスカの答えに苦笑いを浮かべながら相づちを打つ。普通ならば心から残
念がるべきだが、アスカのご褒美となるとまともなものであったためしがない
ので、僕は頭の中では正解でなくてよかったと、全く以って不届きな考えを浮
かべていた。そして僕はそんな状態の自分に対して、一瞬アスカが眉をひそめ
たのに気付いた。僕はそれをごまかす為、慌てて綾波に話を振る。

「そ、そうだ!!綾波はどう思う!?アスカが何を作ったか、わかんないかな?」
「・・・・私にはわからないわ。」
「そ、そう・・・綾波は結構匂いとかに敏感だし、料理も僕並にこなすから、
わかるかな?って思ったんだけど・・・・」
「・・・・・・確かに私は嗅覚が優れているけど、私が作るのは和食ばかりだ
から・・・・洋食のことはよくわからないの。」

綾波の答えは、言葉が出てくるまでに何らかの葛藤があった。僕はそのわずか
な空白の時の中に、自らの失言を悟った。確かに綾波は僕から渚さんの匂いを
感じ取ったりと、嗅覚が発達していることを裏付けるようなことをしていたが、
五感のうちのひとつが人よりすぐれているなど、人間と同じであると思いたい
綾波にとっては辛い言葉であったろう。僕は知らず知らずのうちに綾波の心を
深く傷付けてしまった自分に対して恥ずかしく思った。こんな不用意な発言が、
どれほど人を傷付けるのかということくらい、十分知っているはずであったの
に・・・・
だが、僕は敢えてそのことについて謝罪するつもりはなかった。綾波がそこで
黙り込んでしまったのならともかく、きちんと自分の中で整理して、話を先に
進めてくれたのだ。それなのにこの僕がまた話を蒸し返すのは、更に綾波を傷
つけることになるであろう。一度の失敗ならともかく、二度目の失敗は失敗と
いう段階では済まされないのだ。綾波を傷つけるということだけにとどまらず、
自分の愚かさまで露呈することになるのだから・・・・
だから僕は何も気付かなかったふりをして、そのまま綾波に応えた。

「そ、それもそうだね。綾波は少しは大丈夫になったと言っても、やっぱり肉
は駄目だし、そうなると和食中心だもんね。」

僕がいかにもわかったような口を利くと、それを聞いていたアスカが口を尖ら
せて僕に言った。

「ぶっぶ〜!!アンタ達二人とも、大外れよ。アタシが作ったのは、こってこ
ての和食なんだから!!」
「えっ!?う、嘘ぉ!?」
「ほんとだって。こんなことで嘘言ってどうすんのよ?」
「た、確かにそうだけど・・・・」
「ねぇ、ほんとにわかんないの?アタシが作ったもの・・・・?」
「う、うん・・・失礼な話かもしれないけど、僕には全然わからないよ。てっ
きりアスカが作るんだから洋食だと思ってたし、匂いも和食というには洋風っ
ぽいし・・・・」
「ったく、アンタ達料理好きが二人も揃ってこのざま?情けないわねぇ・・・」
「ご、ごめん・・・」
「とにかくさぁ、中に入って。見てみればすぐわかると思うから・・・・」

アスカはそう言うと、身体をどけて入り口を空けてくれた。僕は洋風の匂いの
する和食にかなり好奇心を掻き立てられて、前傾姿勢になって中へと入った。
するとそこには・・・・ひとつの大きな鍋がテーブルの上にどかんと置いてあ
り、それ以外には山盛りに盛られた白いご飯と取り皿しかなかった。

「こ、これは・・・・?」

僕は目の前に広がった光景を前にしてかなり唖然としながらも、アスカに向か
って訊ねた。するとアスカは、鍋つかみを手にすると、大鍋の蓋を開けた。

「じゃじゃーん!!これがアタシの作った力作よ!!」

アスカが自慢げにそう言う。しかし、一度は完全に冷め切っていたと思われる
その鍋も、僕達が着替えている間にアスカの手によってガンガンに熱せられて
いたと見えて、アスカが勢いよく蓋を取り去った時には、湯気がもうもうと立
ち込めていて中身は全く見えなかった。

「す、凄い湯気だね・・・・」

僕は半ば呆れたように歓声を上げる。するとアスカがそんな僕の言葉に応えて
こう言った。

「暑いから熱いものは嫌だって思うかもしれないけど、こういう暑い時に汗を
かきながら熱いものを食べるって言うのもなかなかなのよ。」
「そ、そう・・・・」

僕はわかったようなわかっていないような、そんなあいまいな声を発する。そ
してそうこうしているうちにも、蓋で抑え付けられていた湯気があらかた流れ
去り、鍋の中身が僕達の目に露になった。

「これは・・・・おでん?」
「そう、おでん!!いいでしょ!!」
「なるほどねぇ・・・・」

実際見てみてアスカの口から答えを聞いてみると、少し洋風の匂いがするもの
の、確かにおでんの匂いに感じられる。だが、それ以前に僕にはどうしてここ
で今おでんなのか、その理由がわからずに、アスカに向かって訊ねた。

「で・・・・ど、どうしておでんなの?」

僕がそう聞くと、アスカはやや落ち着きを欠いている僕に対してなだめるよう
な口調で言った。

「まあまあ、とにかく座って座って。アタシ直々にアンタ達二人に取り分けて
あげるから・・・・」
「そ、そう・・・?わかったよ、アスカ。」

僕は訳がわからぬまま、アスカに促されるがままにテーブルに着いた。そして
綾波もそんな僕に続いてさりげなく僕の隣に腰掛けた。アスカはそんな綾波に
すぐに気がついたのか、一度だけ、わずかに眉をぴくりとさせたが、言葉には
何も出さなかった。

「二人とも席に着いたわね。じゃあ、早速アタシがよそってあげるから・・・・」

アスカはそう言うと、鍋のすぐ近く、僕の隣にやってくると、菜箸を手にとり
おでんの種をいろいろ取り皿に取ってくれた。そして最後にたっぷりとおたま
で汁をかけてから、僕の皿を僕の前に置いた。

「あ、ありがとう、アスカ・・・・」
「どういたしまして。でも、あんまりおいしそうだからって、まだ手をつけち
ゃ駄目よ。レイのをよそって、それからアタシの分を終えてから、みんなで一
斉に食べるんだから・・・・」
「わかってるって、アスカ。ちゃんとアスカのことを待ってるよ。」
「よしよし。じゃあ、次はレイの番ね・・・・」

アスカはそう言って、僕のと同じように綾波の皿にもおでんを盛ってくれた。
最後はアスカの番となったのだが、自分でよそおうとするアスカに対して、僕
はこう申し出た。

「あっ、アスカ。アスカの分は、僕が盛ってあげるよ。」
「そう?じゃあ、お願いね、シンジ。」
「うん・・・で、欲しいものは?」
「卵!!それから大根に・・・・あとはシンジに任せるわ。」
「了解。卵に大根、あとはお任せね・・・・」

僕は何だかおでんの屋台の親父のような気分になりながらアスカにおでんを取
り分けた。別に本物の屋台の親父を見たことがある訳ではなく、テレビなどで
知るだけだが、なんとなく雰囲気はこういうものだろうと感じ取っていた。

そして僕もアスカの分を取り終わり、食べはじめる準備は全て整った。
僕はいただきますの挨拶をしようとしたのだが、その前に、アスカが口を開い
て僕達に言った。

「で、ようやく食べはじめる訳なんだけど・・・・どうしておでんにしたのか、
それをまだ説明してなかったわね?」
「う、うん・・・」
「だから、今食べはじめる前に答えるけど・・・・二人とも、ちゃんと聞いて
おくのよ。いいわね?」
「わかってるって。さぁアスカ、続けて・・・・」

僕は実際、それほどアスカの言葉自体に興味は抱いていなかった。それよりも
このアスカ特性のおでんの味の方が気になって・・・・ともかく、さっさと演
説を終えて欲しいというのが実際のところだった。

「別におでんでも鍋でも、何でもよかったのよ、アタシは・・・・」
「うん、それで・・・?」
「つまり、アタシはみんなでこうしてひとつの鍋から食べる、そういうことが
したかった訳。」
「・・・・」
「レイは、それにシンジもそうだけど、二人の作る料理って、結構ちゃんとし
てるじゃない。アタシにはとても真似出来ない、まるで本当のレストランか何
かで作ったみたいな・・・・」
「・・・・」
「それはそれでいいの。おいしいんだしね。でも・・・・何だか少しだけ、寂
しいと思うの。一つ一つ、分けられて綺麗に盛られて・・・・それじゃあ一緒
に食べてるっていう実感、沸きにくいじゃない。」
「まあ・・・・そうかもしれないね。」
「同じ場所で、顔を合わせて食事をする・・・・普通はそれだけで充分。でも、
でも今のアタシ達には・・・・こうしてひとつの鍋から一緒に食べる、こうい
うのが必要だと、アタシは思ったって訳・・・・」
「・・・・」

僕はアスカの言葉を聞いて、アスカがよく考えた上でおでんを作ったのだとい
うことを知り、アスカを馬鹿にしたような考えを持ってしまっていた自分を恥
ずかしいと思った。何にも考えていないで、その場その場でしか行動の出来な
い自分に対して、アスカはなんと僕達の知らないところで物事を真摯に見つめ
ていることか・・・・そしてそういうところが、アスカの凄いところだった。

「・・・・すごいね、アスカって・・・・」

僕はあまりにも感心してしまって、思わず心の中で感じていたことを口に出し
てしまった。するとアスカは、少し顔を赤くして僕に言った。

「な、何いきなり変なこと言ってんのよ、アンタは・・・?」
「いや、変なことなんかじゃないよ・・・・アスカは凄い、今更ながら、僕は
そう思うよ。」
「シンジ・・・・」
「僕が綾波を捜してさ迷っていた時にも、アスカはちゃんと考えてたんだね。
僕は目の前のことしか見えなかったって言うのに・・・・」

僕がそう言うと、アスカは急に表情を曇らせて静かにこうつぶやいた。

「・・・・アタシは目の前のこと・・・見たくなかったから・・・・・」

僕はアスカのこの言葉を聞いて、また自分が嫌になった・・・・


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