私立第三新東京中学校

第二百九話・好きになる理由


夏の陽は長い。
僕はセカンドインパクト後の常夏の日本しか知らないが、僕より年上の大人達
は、季節のある、美しく変化に富んだ昔の日本を知っていた。
しかし、今の僕にとって重要なのは、美的感覚ではなく時間のみであった。

綾波を捜しはじめてからかなりの時間が経つ。
もう随分前に既に学校から帰る学生の姿も見掛けたし、陽も大分西に傾いてい
る。しばらくすれば、辺りは紅に染まるだろう。そして、そんな長い時間を使
って僕が得たものと言えば、徒労感と冷静さだけであった。

学校を飛び出してからしばらくは無我夢中で綾波を探し回っていた僕も、お昼
が近付き、疲労と空腹感が溜まってくると、だんだん現実が見え始めて来た。
今日は始業式なので授業も無く、お昼には帰ってくるつもりでいたので、弁当
は作ってこなかった。だから、二時近くなってからコンビニでおにぎりと飲み
物を買い、その駐車場でしばしの休憩を取った。コンクリートの車止めに腰を
下ろし、コンビニの袋からおにぎりを取り出すと、僕は改めて自分の身体に溜
まっていた空腹感に気付き、むさぼるように一気に食べ尽くした。そしてひと
心地つけながら、烏龍茶の缶に口をつけながら、改めて今の現状について考え
てみた。

綾波が行ってしまったという現実は、もはや変えようがない。
だから僕は綾波を探し出して連れ戻すだけなのだが、アスカと違って綾波の場
合、どこに行ったのかわからないところがある。つまり、行くあてと言うこと
なのだが、アスカの行きそうなところはなんとなく見当はつくけれど、綾波の
行きそうなところとなると、僕は全く思いつかなかった。
大体そうやってどこかに行くとしても、アスカの場合はかなり手ぬるいところ
がある。アスカは僕に見つけてもらいたいと言う前提で行ってしまうか、それ
ともそういうつもりはなくても、完全には全てを捨て切れぬという、徹底さに
欠けている面がある。まあ、そういうアスカの態度が悪いという訳ではなくて、
むしろそれが自然であり、人間的であると言えよう。
しかし、綾波の場合は、何をするにしても漏れることのない完全さがある。行
ってしまった綾波の心の中にも、葛藤が芽生えているのだろうが、それでもや
はり、そう見付かりやすい場所にいるとは思えない。それに、綾波が逃げたの
は、自分が人間ではないと思ったからだ。だから、綾波は絶対に人気のあると
ころにはいないだろう。そして、辛いことにこの第三新東京市は立派な街では
あるが、少し離れるとあとは山ばかりなのだ。そんな山の中で逃げようと思っ
ている人間を一人捜すのはどれだけ困難なことか・・・・休息を取り、心を落
ち着けて事態を把握して来た僕に、絶望感が芽生えはじめていた。

しかし、そんな事言っていても始まらない。とにかく捜して捜して捜しまくる
しか手はないのだ。だから僕は近場の人気のないところから、だんだんと山の
中へと捜索の手を広げはじめていった・・・・

第三新東京市は人気のない街だ。
道路の広さ、街の整いかたと比較してみると、過疎と言ってもおかしくないく
らい人口は少ない。ここ最近では疎開していた人たちも大分戻って来ていたし、
新しくこの街に引っ越してくる人も少なくはない。後一年もすれば、この僕達
の住む街も、かなり活気付いてくることだろう。そしてもう既に駅前などには、
その兆候が色濃く見られていた。
街中でさえ人通りが少ないというのに、山の中に入って人と遭遇するはずもな
く、僕は一人、山道をさ迷っていた。既に僕の心には、綾波が見つからない焦
りのようなものはなくなっていた。一日中捜しまわって見つからなかったので、
それが自然のこととなり、今綾波を見つけたなら、却って僕はびっくりするこ
とだろう。だから、僕の心は落ち着いたまま、頭の中ではいろいろ思索を巡ら
せていた。

そう言えば、綾波を捜している間、見知った人に一人も出会わなかった。
僕が行ってしまってから、僕と綾波の二人を心配して、誰かが捜しに来ると思
っていたが、僕の予想は大きく外れた。もしかすると、ミサトさんか誰かが、
綾波を捜すのを僕に一任するように言ったのかもしれない。ミサトさんは一応
教師だし、それに誰よりも僕達のことを知っている。だから、みんなで綾波を
捜すよりも、僕にだけさせていた方がいいとでも思ったのだろう。
しかし、そういう考えに思い当たっていても、一つだけ釈然としなかった。
それはアスカだ。
アスカなら誰になんと言われようと、自分の気持ちを押し切って僕と綾波を追
いかけて来ると思っていた。しかし、現実にはアスカの姿を見たことは一度た
りともなかった。もしかしてアスカも僕達を捜しに来ているのかもしれなかっ
たが、アスカなら綾波はともかく僕の行きそうなところくらい予想できると思
うので、それが一度も出会わないというのは、何だか少しおかしい気もした。

そして綾波・・・・だが、あれは僕にとっても悲しいことであった。
僕は一度、カヲル君が生身の身体で初号機が逸らしたプログナイフをATフィ
ールドで受け止めたのを見たことがある。それを見た時に、僕と同じチルドレ
ン、人間だと思っていたカヲル君が、はっきりと使徒であると思い知らされた
のであるが、綾波を見た時、同じ感覚が僕の全身を貫いた。
綾波がクローン人間であり、ATフィールドを操れる存在であるのは知ってい
た。しかし、エヴァに乗らなくなってからは、ほとんどそれをこの目で見たこ
とはなかった。だから僕は、半ばあれは目の錯覚であったと自分の中で思い込
み、現実から目を逸らして、真実の綾波の姿を見ようとはしていなかったのだ。
そして僕は綾波の「力が無くなるかも」と言う言葉に自分の安住の場所を見つ
け、そこに浸り込んでいたのだ。問題を解決しようともせずに・・・・

確かにそれに関して忘れてしまえば、僕達はうまくやって行けるであろう。
だが、それのない綾波は完全な綾波ではない。僕が綾波を綾波として受け入れ
る以上、それから逃げ続けては何の解決にもならないのだ。
だからもう一度綾波と会って話がしたい。
ただ、綾波が行ってしまうのが嫌だから帰って来て欲しくて会いたいのではな
く、綾波の問題を解決してあげたいから、だからもう一度、僕は綾波に逢いた
い・・・・

気がつくと、日が沈みかけていた。
木々の間から漏れてくるオレンジ色の光が、僕にそれを教えてくれる。
僕はこれで綾波の捜索を諦めるつもりはなかったが、夜の山道は危険すぎると
言うことくらい、僕にだってわかっていた。僕には時々危険を顧みずに突き進
むという時もあったが、危険うんぬんはともかく、明かりも無しでは夜の暗闇
の中で綾波を見つけるのは不可能に等しかった。だから僕は急いで山を下りる
ことにした。結局この山で捜したのは全くの徒労に終わったけれど、それでも
他にもたくさん山は残されている。僕はこれから捜さなければならない山の量
に愕然とし、深くため息をついた。一体綾波を見つけるまでに何日かかること
か・・・・それに、綾波が一定のところにいるとも限らないのだ。となると、
僕が綾波を見つけるというのは、ほとんど運によって為されるとしか、僕には
思えなかった。

取り敢えず、僕は何とか真っ暗になる前に、下山することが出来た。もしかし
たら道に迷ってしまったのではないかと思ったことも幾度かあったが、それは
暗くなるまでの時間が残り少ないと言う僕の焦りが、不安を掻き立てていただ
けのようだ。
ともかく僕は山での捜索はもう終わりにすることにしたが、街中は明るいので
しばらく再び人気の少なさそうなところを捜すことにした・・・・


「シ、シンジ!!」

僕が街をうろつきはじめてからしばらくして、後ろから大きな声で僕を呼ぶ声
が聞こえた。無論、振り向いて顔を見ずとも声ではっきりとわかる。それはア
スカだった。

「アスカ・・・・」

僕が振り向いてみると、アスカは慌てて僕のところに走り寄ろうとしていた。
僕はアスカがやってくるのをその場で待ち、アスカの言葉を待った。

「や、やっぱりシンジだ・・・・アタシには後ろ姿だけで、アンタがシンジだ
ってわかるもんね。」
「そ、そう・・・・で?」
「で?じゃないわよ!!で?じゃ!!」
「ご、ごめん・・・・」
「そ、それよりアンタ!!一体どこ捜してたのよ!?いっくらアタシが捜しま
わっても、レイはおろかアンタさえも見当たらないし!!」
「あ・・・僕は午後からずっと、山の中に入って綾波を捜してたんだよ。」

大きな声で僕に詰め寄るアスカに対して僕がそう言うと、アスカは驚いて応え
た。

「や、山ぁ!?ど、道理で見つかんないはずよ。でも、どうしてそんなところ
で捜してた訳?」
「うん、綾波は人のいそうなところにはいるはずないと思って・・・・」
「アンタねぇ・・・・」

僕の言葉に、アスカは呆れた様子を見せる。それを見た僕は、アスカに訊ねて
みた。

「な、何かおかしかったかな?」
「おかしいに決まってるでしょ!?レイだって、完全に諦め切れた訳じゃない
んだろうから!!」
「そ、そうかな・・・?綾波はそういうとこ、徹底してると思ってたけど・・・」
「・・・それは昔の話でしょ?言わば人形だった頃の・・・・」
「・・・・・」
「アンタがそんなんじゃあ、レイは悲しむわよ、きっと。」
「・・・・」
「レイはもう、心は人間なの。身体はともかくね・・・・」

そう言うアスカの表情は、綾波の力の存在を受け止め切れずにいるということ
をはっきりと示していた。

「だからレイだってまだ悩んでいるはずよ。本当にこれでいいのかってね・・・・」
「・・・・・」
「特にレイには諦めようと思っても諦め切れない存在があるじゃない。アンタ
って言う存在が・・・・」
「・・・・」
「確かにレイがアンタを好きになったきっかけは、ああいうレイをそれと知っ
てて受け止めてくれたのがアンタだったからって言うのはあるけど・・・アン
タはそれだけだと思う?レイがアンタを好きな理由が・・・・」
「・・・・いや・・・・うん・・・・どうなんだろう?僕にはわからない。」
「レイはアンタを好きになりはじめて、それからアンタのことを知った。アン
タのことを知らない間は、ほとんど自分勝手にアンタに付きまとっていただけ
だったけど、最近のレイは違ってたじゃない。」
「・・・・」
「それは、レイがアンタはどういう人間なのかを知って、それで改めてアンタ
に恋したのよ。アンタは以前、レイがアンタを好きなのは、すり込みみたいな
もんだなんて言ったことがあるみたいだけど・・・・」
「・・・・・」

トウジかケンスケから、アスカはその話を聞いたことがあるんだろうか?
それとも、僕は知らず知らずのうちにアスカに口にしていたことなんだろうか?
ともかくアスカは僕がそう言った事を知っていた。昔のことではあるが、僕は
そんな事を言った自分が恥ずかしかった。まるきり人の気持ちなど考えていな
いかのような、そんな言葉だったからだ。
僕は自己嫌悪に陥ってしまって、少しうなだれた。何だか直接アスカの顔を見
る気にはれなかったのだ。しかし、アスカはそんな僕に対して、少し屈みこん
で下から僕の顔を覗き込むようにすると、僕の目を見て静かに訊ねて来た。

「・・・・どうしてアタシがレイの気持ち、こんなにわかるのか・・・・わか
る?」
「・・・・いや・・・わからない。僕には何も・・・・」
「それはね・・・・アタシがレイとおんなじだから。アタシもアンタを好きに
なった形、レイとほとんど変わらないから。」
「・・・・・」
「アタシ、今までアンタのことなんか、鼻にもかけなかったでしょう?それは、
アタシがアンタのこと、知らなかったからだと思う。でも、シンジがアタシの
ところに何度もお見舞いに来てくれて、心を閉ざしたアタシに一生懸命話し掛
けてくれて・・・・それでアタシは、シンジを好きになったの。まだほとんど
シンジを知らないって言うのに・・・・」
「・・・・」
「まあ、それでもアタシはシンジの言葉に魅かれて好きになった訳だし、シン
ジと一緒にいる時間も誰よりも長かったからシンジの全てを知るのにそんなに
時間はかからなかったんだけど、それでもやっぱりはじめはレイとおんなじだ
と思う。シンジがアタシを見てくれるからって言うことで・・・・・」
「アスカ・・・・」
「でも、アタシがシンジを好きなのはそれだけじゃない。シンジの全てを知っ
た上で、アタシはシンジが好きなの。つまり、アタシはアタシを見てくれるシ
ンジが好きなんじゃなくって、シンジという人間そのものが好きなのよ。そし
てアタシははっきりとわかる。誰かが自分に何かしてくれるとかそういうのは
ほんとの愛なんかじゃない。そういうのは関係無しに、その一個人を好きにな
るのが、本当の愛なんだってね・・・・・」
「・・・・」
「・・・きっとレイもおんなじよ。シンジしかレイにはいないからじゃなくっ
て、シンジの全てが好きだから、レイは悩むの。身体中でシンジを欲している
にもかかわらず、シンジを捨てなければならないんだからね・・・・」
「・・・・」
「アタシにはシンジを捨てるなんてことは絶対出来ないけど、レイはまだ、そ
こまで割り切って考えられないみたい。でも、必ず悩んでいるはずよ、レイは。
だから、アンタが見つけられそうなところにレイはいるわ。絶対にね・・・・」

アスカの言葉は、全て理解出来た。
そして、僕がアスカほども綾波のことを理解していないと言うことに、少し情
けなく思った。でも、アスカと綾波は境遇が似ていたからアスカがこんなに綾
波の気持ちを理解出来るんだということを聞いて、僕は納得すると同時に、ア
スカの想いも感じ取ることが出来た。

「・・・・僕は・・・・僕は全然、アスカや綾波のこと、わかってなかったみ
たいだ・・・・」

それが、今の僕の全てであった・・・・


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