私立第三新東京中学校

第二百四話・力を持つ悲しみ


「・・・・」

僕は何も言えなかった。
そして、アスカも綾波も、何も言えなかった。
僕は以前から、綾波がATフィールドを操れる存在だということは知っていた。
しかし、まさかあの渚さんまでATフィールドを使うことが出来るなんて・・・・

綾波は自分の攻撃が簡単に阻止された事に呆然としていたが、それでもこうい
う急場の時には一番頼りになる存在であって、この衝撃から立ち直りはじめた
のも、綾波が一番早かった。綾波は地面に尻餅をつくような形で、渚さんに倒
されたのだが、何とか一人で立ち上がろうとする。そんな綾波に気付いた僕は、
ようやく我を取り戻して、綾波に手を貸してやった。

「・・・ありがとう、碇君・・・・」
「い、いや・・・それより綾波は大丈夫?」
「ええ、私は平気よ。それより碇君は?」
「僕はなんともないよ。でも・・・・」

僕は何と綾波に言ってよいものやらわからずに、くちごもってしまった。そし
て、綾波はそんな僕に、悲しそうな視線を向けた。
やはり綾波は、こんな力を使うところを僕に見られたくなかったのだろう。今
の綾波の望みは人間になることであり、それはかなり近付いていたと言える。
だから、綾波はぎりぎりまで力を使うべきでなかった。それは、今の冷静さを
取り戻した綾波になら、きっとわかるはずである。しかし、綾波はつい興奮し
て、渚さんに向かってATフィールドによる攻撃を仕掛けてしまった。しかも、
それは渚さんも力を持つものであるという事を明らかにしてしまったのである。
それがどういう事なのか、僕には何とも言えない。しかし、これでまた、綾波
が人から奇異の目で見られるようになってしまうのは明らかだった。そしてそ
れは、綾波にとって、多大な悲しみをもたらすものであった・・・・

「レイ、アンタ・・・・」

それまで黙っていたアスカも、ようやく正気を取り戻してきたのか、青ざめた
顔をしながらも綾波に声をかけた。が、僕はアスカの視線から綾波を隠すかの
ようにアスカと綾波の前に立ちはだかると、アスカに小さくこう言った。

「何も言わないで、アスカ・・・・」
「シンジ・・・・でも・・・・」
「・・・アスカは・・・アスカは知らなかったんだろ?」

僕が今更ながらの質問をアスカにすると、アスカは少し大きな声で僕に答えた。

「当たり前でしょ!!そんなの初耳よ!!」
「ごめん、隠してて・・・・」
「じゃあ・・・・じゃあ、アンタは・・・・シンジは知ってたって言うの?レ
イや・・・あの渚の事を・・・・?」
「いや、僕が知ってたのは綾波の事だけだよ。渚さんについては・・・・今見
てはじめて知った。」
「・・・・そう・・・・」
「うん・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「レイは・・・レイは何者なの?」
「アスカっ!!」

言ってはならぬ事だった。
少なくとも、僕はそう思っていた。が、いい意味では何事にも妥協を許さない、
悪い意味では容赦のないアスカは、心に芽生えた大きな疑問を、そのまま胸の
中に仕舞い込んでいる事は出来なかった。
そしてアスカは、厳しく自分を止める僕の言葉に、混乱による心の昂ぶりを隠
すことなく、僕にこう言った。

「だって、ATフィールドでしょ、今の!?アタシだってこんなこと言いたく
なんかないわよ!!アタシも一応喧嘩ばっかりしてても、レイの事は好きなの
よ!!でも、でも、おかしいじゃないの!!使徒かエヴァしか使うのこと出来
ないATフィールドを、小さいながらもレイが使うなんてさ!!」

アスカの追及は厳しいものだった。だが僕は、今ここでアスカに真実を告げる
ほど、勇気を持ちあわせていなかったし、これ以上綾波を傷つけたくもなかっ
た。だから、僕はまるで逃げるかのように、事態を先送りにしようとする発言
をアスカにした。

「・・・・それは、うちに帰ってからゆっくり説明するよ。でも今は・・・今
は綾波をそっとしておいてあげてよ、アスカ。僕からのお願いだからさ・・・・」
「・・・・残念だけど、駄目よ。アンタは知ってたのにアタシが知らなかった
って事は、アタシはのけ者にされてたって事でしょ?」
「ち、違うよ!!僕だってこんな事は知りたくなかったさ!!だけど、知って
しまったら、もう記憶から取り除く事は出来ないんだ!!だから、僕は知って
しまった者として、綾波の為に秘密を守り通さなければならなかったんだよ!!」

僕はアスカのちょっと自嘲気味の言葉に、大きな声で反論した。が、そんな僕
の興奮ぶりを見たアスカは、静かにそっとこう言った。

「・・・だからアンタは、必要以上にレイにやさしかった訳・・・・?」
「いや、確かにそういうのもあったけど、今はもう、全く違うと思う・・・・」
「いつ・・・・いつ知ったのよ、レイがATフィールドを使えるって・・・?」
「・・・・最後の使徒、渚カヲルを倒した時。」
「渚カヲル・・・・また問題はあいつに還るの?あいつもATフィールドを使
えるみたいだったけど・・・・」
「それは僕にもわからない。だからこれからは、それが問題になると思う。A
Tフィールドを使える存在として、果たして渚さんが使徒なのかどうかを・・・・」

僕はそう言い終えて、後ではっとした。
ATフィールドを使える者、イコール使徒だと言う事は、同じくATフィール
ドを使える存在である綾波をも、使徒だと認識しなければならないと言ってい
るのと同じであった。そして僕は、自分の失言に気付くと、後ろを振り向いて
綾波を見た。

「・・・・・」

その時、僕と綾波の目と目が合った。
悲しみに沈んでいたはずの綾波の瞳は、なぜか不思議と美しい紅に輝いている
ように見えた。僕はそんな綾波の瞳に吸い込まれたかのように、じっと綾波の
瞳、心の中を覗き込んでいた。
そして綾波はそんな僕に向かって、小さな声でこう言った。

「・・・・やっぱり私・・・人間じゃないのね・・・・・」
「ち、違うよ綾波!!綾波は立派な人間だよ!!」

僕は綾波の言葉に危機感を抱いて、大きな声でそれを否定した。しかし、綾波
は僕の言葉を受け入れることなく、同じ調子で僕に言った。

「碇君がそう言ってくれるのは、碇君がやさしいから・・・・・きっと普通の
人は、碇君みたいには言ってくれない。アスカの示した反応が普通だと思う・・・・」
「そ、そんなことないってば!!アスカだって、いきなりの事に驚いただけだ
よ!!それは知らなかった事だから無理もないこととして、ちゃんと話せばア
スカだってわかってくれるはずさ!!」
「・・・・ううん、やっぱりそう言ってくれるのは碇君だけ。碇君は最初の最
初からそれを知ってて、なおかつ初めから私に奇異の目を向ける事はなかった
わ。だから私にとって、碇君は特別の人なの。私の全てを知った上で私を受け
入れてくれるのは、後にも先にも碇君唯ひとりだろうから・・・・」
「そ、そんな・・・・ほら、綾波にはアスカもいるだろ?」

と言って、僕は振り返って何かを求めるかのようにアスカの方を見た。しかし、
僕の期待は無残にも打ち砕かれた。綾波を見るアスカの目は、明らかに何か怖
れや警戒心などを含んだ、よそよそしい、観察するような目であったのだ・・・・

「・・・・アスカ・・・・どうしてそんな目をするんだよ・・・・・綾波は綾
波だろ?ねえアスカ・・・・」

僕はアスカに言わずにはいられなかった。
しかし、アスカはいつものアスカには戻ってくれなかった。青ざめた顔をした
アスカは、懇願する僕に向かってか細い声で告げた。

「・・・・無理よ・・・・・」
「えっ?」
「アタシ、怖いのよ・・・・」
「な、何が?」

僕は、アスカの口から「綾波」と言う言葉が出てくる事を恐れていた。それが
出てしまっては、もうおしまいだったからだ。しかし、アスカの言葉は、さす
がにそこまでは行っていなかった。

「使徒が、エヴァが、そして、力あるものが・・・・・」
「アスカ・・・・」
「アタシはいつも、強がってばっかりいたわ。本当は大して強くもないくせに・・・・
だから、本当に力あるものに対面すると、アタシのメッキはもろくも剥がれち
ゃうのよ。アンタも知ってると思うけど・・・・」
「・・・・」
「・・・アタシは弱いわ。今や、シンジにすがらないと生きていけない存在な
の。だから、怖いのよ・・・・・」
「・・・・」
「そういう意味でシンジ、アンタは強いのよ。レイがどういう存在かを全て知
った上で尚、それを受け入れることが出来るんだから・・・・・」
「・・・・」
「でも、アタシは違うのよ。普通の人間なの。未知のものに触れれば、当然不
安と恐怖を感じるのよ。アタシが今、レイに感じているようにね・・・・」

アスカはそう言うと、身体を少しずらして綾波が視界に入るようにし、綾波に
向かって訊ねた。

「アンタ・・・どうしてアタシに、その力を使わなかったの?アタシはアンタ
に100回斬り刻まれても、当然の存在だっていうのに・・・・」
「・・・・私も・・・・アスカが好きだから。」
「・・・・」
「私はアスカが思っているほど、化け物でもなんでもないつもりよ。ただの人
間でいたいだけなの・・・・」
「シンジがアンタの事、人間じゃないと理解した上で、アンタを欲しいと思っ
たとしても、アンタは無力な人間でいたいの?」
「・・・・・私が人間がいい。碇君と同じ・・・・・」
「そう・・・・アンタに力は不要のものなのね?たとえシンジを守れるとして
も・・・・」
「・・・・・・・・」

アスカのその言葉に、綾波は言葉を返せなかった。それは綾波が今までずっと、
持ち続けていた難問だからであった。そして僕は知っていた。綾波が一人でそ
れを悩み続けていたという事を・・・・
しかし、そんな綾波にアスカは言葉を続けた。

「アタシにはアンタみたいな力がないからわかんないけど、もしそれでもシン
ジが受け入れてくれるのだとしたら、アタシは力を持ちたい。シンジにうるさ
く言うくらいしか能のないアタシに、何か出来る事を与えてくれるんだから・・・・」
「・・・・」
「・・・・ごめんね、レイ。やっぱりアタシはシンジみたいに強くなれない。
今すぐアンタの力を受け入れる事は出来ないの。別にアタシはアンタを、綾波
レイ個人を嫌いとかそういう訳じゃない。ただ・・・・ごめん、レイ・・・・」

アスカはそう言うと、そっと綾波から離れた。
僕はアスカにそうなって欲しくはなかったけど、それは強制出来る事ではなか
った。僕はそのことが十分わかっていたから、敢えてアスカに声をかけなかっ
た。アスカだってきっと、断腸の思いであろう。僕はアスカのやさしさを知っ
ているから、そのことがよくわかる。しかしまた、アスカがとても弱くて、恐
れを抱きやすい魂を持っているという事も、よく知っている。だからアスカも
あんな光景を見せられて、僕のように普通に綾波に接しろという事の方が、無
理のある事なのだろう。

「・・・・・」

だが、僕はこの時見てしまった。
誰にも滅多に見せない、綾波の涙を・・・・・

それは、さっきの渚さんの涙にも似ていた。

力を持つがゆえの悩み。
僕には実感がないけれど、それを思うことは出来る。
渚さんも綾波も、力を持っている為に偏見の眼差しを向けられ、普通の人間に
なりたいと思った事が、何度もあった事だろう。
しかし、それは虚しい希望でしかなかった。
絶対に手に入らないものだからこそ、人はそれを熱を持って求め続ける。
綾波は絶対に手に入らないものではなく、いつかそれが可能だと信じて今まで
普通にやってきた。
しかし、これで綾波はどうなるだろうか・・・・?
少なくとも綾波が信じた少ない人間の一人であるアスカが、綾波と一線を画す
事を決めてしまった。それが綾波にどういう影響をもたらすのか、アスカは考
えた事があるのであろうか?
多分、考えているしよくわかっていると思う。しかし、アスカはわかっていて
尚、綾波を受け入れることが出来ないのだ。だから僕はそう思うと、アスカを
責める気にはなれなかった。アスカはなにも、悪くはないのだ。
悪いのはそう、綾波の秘密を守り通してやる事の出来なかった、この僕なのか
もしれない・・・・


続きを読む

戻る