私立第三新東京中学校

第二百三話・心の壁


取り敢えず、僕達は久しぶりの学校に到着した。
もうミサトさんのマンションからでなく、父さんの家から通学することに慣れ
てはいたが、それでも春休みを挟んでいたので、少し新鮮な気持ちで校門をく
ぐることが出来た。

「もう、アタシ達も三年生なのね。」
「うん・・・そうだね。」

アスカの口から出た言葉は、何だか少し感慨深げだった。まあ、僕もアスカの
そういう気持ち、わかるような気がする。僕達は言わば死線をくぐり抜けてき
ただけに、こうして進級して、平凡な学校生活を過ごせるということは、他の
同級生達よりも喜びがいや増しになっているのかもしれない。
しかし、アスカは口ではしんみりやりつつも、僕の腕だけはしっかり抱え込ん
で放そうとしない。まあ、アスカに言わせれば、これはこれ、それはそれ、と
言うことなのだろう。全く調子がいいというかなんというか・・・だが、そう
いうところはアスカらしいところでもあったので、僕はわざわざそのことを口
にするつもりはなかった。
そして僕は何気に周りを見渡す。校門から校舎まで、ぱらぱらと生徒の姿が見
える。入学式はもう終わっているのだが、それでもやはり新入生というのはど
ことなく雰囲気でそれとわかるものだ。だが、僕が見た者みな、何がしかこっ
ちに視線を向けているような気がする。
・・・・やはりそれは、大胆にも衆目の中でアスカと腕を組んでいるのが原因
なのだろう。そっと手をつなぐだけならともかく、腕を抱きかかえられて身体
を密着させているのでは、弁解のしようもない。だから僕は、アスカがあまり
いい顔をしないとわかっていても、言わずにはいられなかった。

「アスカ、そろそろ腕を組むの、やめようよ・・・・」
「どうしてよ?」

やはり、アスカの表情は一気に険しいものへと変わる。僕はそれを見て、はじ
めから予想していながらも、少しビクっとしたが、何とか話を続けることが出
来た。

「ほら、もう学校に着いたんだし、みんなが見てるだろ・・・・」
「それが?」
「だ、だから、恥ずかしいじゃないか。」
「アタシは恥ずかしくないわよ。」
「で、でも、僕が恥ずかしいんだよ。」
「でも、アタシは恥ずかしくないの。わかる?」
「わ、わかってるよ。アスカは別にこのままでもいいって言うんだろ?」
「そうよ。」
「でも、僕はあんまり人にじろじろ見られるのが嫌なんだよ。わかるだろ、ア
スカだって?」
「まあ、わかんなくはないわね。」
「だ、だったら・・・・」
「そのうち慣れるわよ。」
「へ?」
「だから、今日は初日だからみんなも見慣れてないだけでしょ?毎日続けてれ
ば、それが自然になるわよ。それに、こうして見せ付けておけば、アタシにも
アンタにも、愚か者が寄り付いてこないだろうし・・・・」
「た、確かにそうかも知れないけど、その慣れるまでっていうのがつらいんだ
よ。人に好奇の視線で見られてさ・・・・恥ずかしいよ。」
「我慢よ、我慢。我慢の後には、しっかりとした見返りがあるんだから・・・」
「見返り?なにそれ?」
「つまり、アタシとアンタは学校公認の間柄になるってことよ。そうなれば、
どこで何をしようと勝手でしょ?」
「ど、どこで何をしようとって、今でも好き勝手やってるじゃないか。」
「まあ、そう言えばそうなんだけど・・・・」

僕がそう言うと、アスカは急に態度を一変させてしおらしくすると、僕の顔を
覗き込むようにして言った。

「・・・・アタシと腕組むの、嫌・・・・?」
「い、嫌だっていう訳じゃないんだけどね・・・・」
「・・・なら、いいでしょ、このままで・・・・」
「う、うん・・・・」
「・・・ありがと、シンジ。」

アスカはひとことそう言って、僕の肩にそっと顔を寄せた。僕は、アスカがこ
うすれば僕も承知するとわかっていてやったのだということくらいわかってい
た。でも、実際僕は綾波でもそうだがしおらしくされると弱いところがある。
だから、それがアスカの作戦だと理解しつつもそれに乗せられてしまうのは、
やはり男の性なのであろうか?
ともかく僕は、アスカにぴったりすり寄られたまま、先へと進んでいった。少
し前を行く洞木さんは、アスカを応援してか、僕達に近寄らないようにしてい
るかのようだ。そして綾波は・・・・と思って僕は後ろを振り返ったその時、
いきなり真後ろに綾波の姿があった。

「碇君・・・・」
「わわっ!!あ、綾波!!」
「碇君・・・・ずるい。」

綾波はまるで、もの欲しそうな子供のような顔をして、僕を見つめた。が、そ
んな綾波に気付いたアスカが、綾波に向かって意地悪く言った。

「あら、レイ、あの女の事はもういいの?」
「・・・・それ以上に重要な問題が出来たの。」
「へぇ、何なの、それは?」
「・・・碇君から、離れてくれない、アスカ。」
「い・や・よ!!」
「・・・・私が頼んでも?」
「当たり前でしょ!!どうしてアタシがアンタのわがまま聞いてやんなきゃな
んないのよ!!」
「・・・・私が碇君に注意を割けないとわかってて、そうしてるんでしょ?そ
れはずるい事だと思わない?」
「思わないわねぇ・・・・」

アスカは完全に綾波に取り合おうとしない。綾波の今のアスカの様子でアスカ
に当たっても無駄だと判断したのか、矛先を変えて僕にこう言ってきた。

「碇君、私は碇君のために、あれを監視していたわ。」
「・・・・」
「だから、私にもご褒美があってもい・・・・」

すると、そう言う綾波の言葉を最後まで聞く事なく、アスカが冷たく言い放っ
た。

「・・・自分からご褒美を求めるなんて、最低なんじゃない?」

アスカの言葉を耳にした綾波は、キッとアスカを睨み付ける。が、アスカはは
っきり言って、綾波に睨まれても恐くもなんともないようで、平然と綾波に言
った。

「あの女からシンジを守るのは、レイ、アンタの役目でしょうが。別にアタシ
がやってもいいんだけど、アンタが言うにはアンタしか出来ない事だって言う
し・・・・・アタシもシンジを守るなんて言う、崇高な任務を任されてみたい
もんよ。でも、アタシにはその資格がないみたいだし・・・・だから、残念だ
けど諦めて、シンジと腕を組む事で我慢してんのよ。」

アスカの言葉は、いやみたっぷりだった。アスカはわかっているんだろうか?
僕がいくらアスカの元気な姿が好きだと言っても、そういうのには嫌悪感を覚
えるという事を。
しかし、とにかく綾波に力がある以上、アスカの言う通り綾波にしか出来ない
事であって、アスカに代わる事は不可能であった。アスカの言葉はそれを重々
承知しての発言だったし、綾波もアスカの言う通りだとわかっていた。だから、
強く反論する事も出来ずに、綾波はストレスが溜まって身体を震わせていた。

「ほらレイ、さっさとアンタの任務に戻りなさいよ。シンジがいつ、あいつに
襲われるかわかんないでしょ?」

アスカは綾波に追い撃ちをかけるかのように、素っ気無く綾波に言った。

「・・・・・」
「黙ってないで、返事をなさいよ、レイ。」

綾波はうつむいて黙り込んでしまっている。そしてアスカは、容赦なく綾波に
返事を求める。僕はあまりにも綾波が可哀想になって、アスカの行き過ぎをた
しなめようと声をかけた。

「アスカ・・・・」
「シンジは黙ってて!!」
「・・・・」

アスカはぴしゃりと僕を黙らせる。それで僕もアスカに何らかの思惑でもある
のかと考えてみたが、僕の頭には何もそれらしきものは思い浮かばなかった。
しかし、一瞬僕とアスカの意識が綾波から逸れたその時、綾波はアスカに向か
って言った。

「・・・碇君を守る方法は、あれを監視するだけではないわ。」
「・・・・どういうことよ、それ?」

綾波の言葉に、アスカは怪訝そうな眼差しを向ける。すると綾波はアスカに応
えて言った。

「あれの目的は、私でもアスカでもなく、碇君よ。」
「そ、それがどうしたのよ?」
「だから、目的は一つなのだから、その目的の側にいて、攻撃されないように
したら、それでいいんじゃないの?」
「・・・・」
「・・・私が碇君の側にいれば・・・・私が碇君と一緒に暮らすようになった
動機も、碇君から一時も離れず、碇君の身を守る事だもの。だから、私は碇君
から離れない。絶対に・・・・」

綾波はそう言うと、すっとアスカの反対側に行って、余っていた僕の片腕を取
ると、アスカと同じように僕の腕をしっかと抱きかかえた。

「あ、綾波・・・・」
「碇君・・・・」

綾波は満足げな顔をして、僕の腕に頬をすり寄せている。そしてそれを見たア
スカは、案の定綾波に食って掛かった。

「こら、レイ!!シンジが迷惑してるじゃないの!!」
「・・・・アスカの怒鳴り声の方が迷惑よ。」
「う、うるさいわね!!シンジを守るのはどうしたのよ!?そんな調子じゃシ
ンジを守る事なんて出来ないんじゃないの!?」
「・・・・大丈夫。今はあれは攻撃してこないわ・・・・」
「ど、どういう根拠があって、アンタはそう言えるって言うのよ!?」
「勘。」
「勘!?アンタ、冗談も程々になさいよね!!勘で全てがわかったら、世の中
問題無いじゃない!!」
「そうね。」
「そうねって、アンタ、アタシを馬鹿にしてる訳!?」
「そうね。」
「ア、アンタ、自分が何を言ってるか、わかってんの!?」
「そうね。」

綾波はもう、そうね、としか言わなかった。なぜなら、綾波の意識は、アスカ
との会話にはなく、僕にしかなかったのだから。そんな綾波は、そっと目を伏
せ、僕の腕の感触に浸っているかのようにも見える。しかしとにかく、アスカ
の言う通り、綾波がもう僕を守るなんて言う全く実入りのない任務を放棄して
しまったように見えるというのは、僕の目にも明らかだった。まあ、渚さんが
僕の事を攻撃してくるとかいう事も、まず有り得ない事だし、したがって綾波
がそういう気持ちになるのも、無理もないことであったと言えよう。
しかし、アスカは僕のように安穏としてはいられない。自分の言うことを聞か
ない綾波に対して、強硬手段にでも出ようと思ったのか、僕の腕は放さないも
のの、身体を起こして余ったもう片方の腕を振り上げた。が、その時、僕の背
中に不思議な感触が広がり、そしてそれと同時に聞き覚えのある事が聞こえた。

「・・・・何だ、もう背中しか残っていないのか・・・・でも、僕は背中でも
シンジ君を感じられるよ。ほら、こうして・・・・」

・・・渚さんだ。
綾波の監視がとけたので、自由の身になったから、こうしたのだろう。が、僕
にとっては大した問題ではないにしても、綾波にとっては大失態であった。自
分が油断したために、綾波の言う「あれ」を野放しにしてしまったのだから。
だから、綾波はアスカと違って、即座に僕の腕を放棄すると、片手を上げて有
無を言わせず力ずくで渚さんを僕から引き剥がそうとした。

しかし、綾波のそれは叶わなかった。渚さんはしっかと綾波の腕を受け止める
と、手首を掴んだ。そして、掴んだ綾波の手首を放さずに、持ち上げるように
して綾波に言った。

「今度はそううまくは行かないよ。さっきは君に平手打ちをお見舞いされたけ
れどね。」

渚さんの表情は、いつもと同じく穏やかなものだったが、心の中では怒りに満
ちていたのかもしれない。なぜなら、綾波の手首はまるで絞り上げられるよう
にされていたからだ。

「くっ・・・・」

それはかなり強い力なのか、綾波は顔を歪ませ苦悶の声を上げる。が、綾波も
そのまま大人しく引き下がるほど、弱い人間ではない。綾波は余った右腕を、
手刀のようにして渚さん目掛けて振り下ろそうとした。僕はその綾波の右手が
渚さんに直接打撃を与えるには手を伸ばしていなさ過ぎると感じて、戦慄を覚
えた。そして、我を忘れて綾波に叫ぶ。

「やめるんだ、綾波!!」

直接打撃ではない。即ち、それはATフィールドによる攻撃を意味している。
手によるアクションがなくとも、簡単にコップを斬り裂けるほどの破壊力だ。
怒りに我を忘れた綾波がまともにATフィールドをぶつけるならば、とんでも
ないことになるだろう。
しかし、綾波は僕の制止を聞かなかった。そのまま渚さんの目前で、手刀を振
り下ろす。その光景は、かなりのスピードにもかかわらず、僕の目にはスロー
モーションのように見えた。

紅く光る一筋の線。
それはまさしく、綾波が放ったATフィールドであった。が、渚さんの正面に
小さく八角形が展開され、渚さんが綾波に斬り刻まれることはなかった。

「ATフィールド!?」

それをしっかりと網膜に焼き付けた僕は、思わず大きな声で叫ぶ。
しかし、そんな愕然とする僕に対して、渚さんは悲しそうな目を向けて言った。

「・・・・どうして僕を嫌うんだ?どうして僕じゃ駄目なんだ?僕のどこが、
この二人と違うんだ?」

そして、渚さんは投げ捨てるように綾波の手首を放す。
綾波はもんどりうって地面に倒れ込んだ。
が、僕が綾波を助け起こそうとする暇もなく、渚さんは走り去ってしまった。
一筋の涙を残して・・・・・


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