私立第三新東京中学校

第二百二話・自分らしく


「アスカ、渚さんって・・・・」

僕は隣にアスカを置きながら、さっきの渚さんの発言が気になって、話し掛け
ようとした。しかし、アスカはそんな僕の言葉を最後まで聞こうとはせず、ア
スカらしくもない口調でそれを遮った。

「その話は止めて。」
「・・・・うん、アスカがそう言うのなら・・・・」

僕はいつもの怒っているのとは違ったアスカの真剣そうな言葉に、アスカの言
う通りにしようと思った。するとアスカはその調子を保ったまま、僕にこう言
う。

「・・・・レイはあの女のこと、ちゃんと見ててくれてるみたいね・・・・」
「うん・・・・」

僕はアスカに言われて、ちらりと後ろを振り向いた。すると、やはりアスカの
言ったとおり、見張るかのように渚さんの横にぴったりと張り付いた綾波が、
恐い顔をして隣の渚さんを睨み付けていた。

「レイはアンタのこと、あいつから守るってことを使命にしてるみたいだし、
アタシ達はその好意に甘えて、おとなしくしてましょ・・・・?」
「うん・・・・」
「・・・・シンジ・・・・?」
「何、アスカ?」
「その・・・・」

アスカは何だかくちごもる。まあ、こういう雰囲気のアスカはいつもとは違う
と僕もわかっていたので、さほど不思議には思わなかった。そして僕も、そん
なアスカに対しては、アスカの口の進むがままに任せておこうという立場を貫
いていた。

「・・・・あいつのこと、どう思うの・・・・?」
「あいつって?」
「渚よ、渚カヲル・・・・?」
「ああ、渚さんね・・・・」

さっきは自分から僕にその話をさせなかったにもかかわらず、アスカは僕に渚
さんについて訊ねた。

「・・・・好き・・・なの?」
「いや・・・・そういう訳じゃないよ、アスカ。」
「そう・・・・でも、アンタ、さっきの言葉で、かなり揺れたんじゃない?」
「え・・・?」
「アタシにはわかるわよ、アンタがどういうのが好きかってことくらい。アタ
シは一応、アンタと過ごした時間は長いんだからね・・・・」

アスカには読まれていた。僕がさっきアスカに言おうと思ったことは、それに
近いことだったのだ。まあ、いきなり渚さんが好きだとか、そういう事を言い
出すつもりもなかったが、鉄の仮面を被っていた渚さんが、実は綾波に似て、
僕に依存するしかない存在であると気付かされてしまっては、とても僕は放っ
て置くことなど出来なかったのだ。大体僕が綾波と今のような関係になったの
も、綾波には僕しかいなかったということから来ているのであって、環境があ
のころの綾波に似ている渚さんに、僕が興味を覚えないはずはなかった。
アスカが果たしてそこまで考えて言っているのかどうかわからないが、アスカ
が誰よりも僕の気持ちを知っているということに関しては疑いようもなかった。
だからきっと、僕の気持ちを受け入れられないとは言え、アスカは今僕が渚さ
んにどういう気持ちを抱いてしまったのかくらいは、薄々感じていることだろ
う。

「アスカ・・・・」
「ストップ!!アンタの言いたいことも、アタシには大体の見当はつくわ。」
「なら・・・・」
「でも、あの女は駄目よ。レイとは違うわ。」
「え・・・どういうこと?」
「確かにあの女は、レイと似てるところがある。つまり、二人とも、アンタし
かいないってところね・・・・」
「うん・・・・」
「でも、レイはあんな笑みは漏らさないわよ・・・・」

アスカの言葉に、僕は大体の見当をつけながらも、明確な答えを求めてアスカ
に尋ねた。

「・・・何が言いたいの、アスカ・・・・?」
「昔のレイと渚、二人とも、心を閉ざしていることに変わりはないわ。レイは
人とのコミュニケーションを完全に断ち切ることによって、そしてあの女は笑
いの仮面を被ることによって・・・・」
「・・・・」
「でも、そうするには何か原因があるはず。アタシはレイがどうしてああなっ
たのか大体のことは知ってるけど・・・・あいつのことは知らないわ。」
「・・・・」
「それはいずれ明らかになることかもしれないけど、レイにはアンタに依存す
る明確な理由があった。けどあの女には・・・・」
「渚さんには、僕に依存する理由がない・・・・って、言いたいんだね?」
「そう言うこと。別にシンジでなくってもいいってことは、あいつにはシンジ
を選んだ何かがあるはずよ。アタシ達にはわからない、何かがね・・・・」
「うん。確かに一目ぼれなんてするには、僕はぱっとしてないもんね・・・・」

僕が納得したかのようにそう言うと、アスカはかなり小さな声で言った。

「・・・・そんなこと・・・ないと思うけどね・・・・」
「え、何か言った、アスカ?」
「な、何でもないわよ、シンジ!!」
「そ、そう・・・・ならいいけど。」
「・・・話を元に戻すけど・・・・あいつがシンジに依存してるなら、アタシ
達と同じようには微笑みを浮かべないんじゃない?ほら、鉄の仮面を脱いでさ・・・・」
「・・・・」
「あのレイがいい例よ。最近ではそれほどでもないけど、レイはアンタにしか、
笑ってくれなかったじゃない。」
「うん・・・・」
「それは、レイがアンタにだけ、心の壁を取り払って本当の自分を見せてくれ
たってことよ。でも、あの女はどう?いつまで経っても、アンタには他の奴等
と同じ微笑みを見せ続けるじゃないのよ・・・・」
「言われてみれば、そうだね。」

僕はだんだんアスカが話をどういう方向に持っていきたいのかをようやく把握
しはじめてきて、アスカに相づちを打った。すると、アスカはだんだん話に乗
ってきたのか、少し力強い口調で僕に言った。

「でしょ?だから、レイとは同じ様に考えちゃ駄目なの。あいつはまだ、ああ
言ってても本当の自分を誰にも見せてはいないわ。」
「・・・・でも、これから見せてくれるんじゃないかな・・・・?」

アスカも綾波と同じで、どうあっても渚さんを拒絶し、僕にもそうさせたいら
しい。僕はアスカの言いたいことは理解出来ても、そこまで渚さんを悪く見る
ことは出来なかったので、ちょっと遠慮がちにアスカに反論して見せた。する
と、アスカはきっぱりとそれを否定して言う。

「駄目よ、それは。」
「ど、どうして?」
「あいつはアンタしかいないっていう態度を採りながら、その実、当のアンタ
にまで本当の自分を見せてはいない。それがどういう事かわかる?」
「・・・いや・・・わからない。」
「つまり、自分を見せないままに、アンタの全てを見ようって言う意図があっ
たってことなのよ。」
「そ、そこまで深い問題なのかな・・・・?」

アスカの深刻そうな言葉に、僕はアスカの考えすぎだと感じ、少しアスカの思
考の暴走を食い止めようと思ってひとこと訊ねた。すると、アスカは一気に感
情をほとばしらせて、大きな声で僕に叫んだ。

「当たり前でしょ!!アンタ、人に依存する依存されるって言うことが、レイ
やアタシでどれだけのものなのかってことくらい、十分承知してるはずなのに!!」
「・・・・ごめん。」

アスカにそう言われて、僕はアスカの気持ちを忘れていた自分に気付かされた。
アスカの言葉は、論理の応酬などではなく、僕を心から心配してのものだった
のだ。なのに僕はそんなアスカの気持ちを打ち砕くかのように、アスカの考え
を否定しようとばかりしてしまって・・・・僕はそんなつもりがないにしても、
アスカは考えてしまうかもしれない。僕が渚さんをかばっているんじゃないか
と・・・・・

「・・・・とにかく、あの女だけは駄目。」
「アスカ・・・・」
「・・・レイなら・・・・レイならわかるわ。アンタが好きになったとしても。
でも、アンタがもし、あの女を好きになったとしたら・・・・」
「なったとしたら・・・・?」
「アンタは騙されているのよ。きっとアンタにとっては、よくないことになる
わ・・・・」
「・・・・」
「・・・・・・」

アスカの言いたいことはわかった。僕も十分理解出来た。
しかし、僕は別に渚さんが好きだとかそうなるとか、そういうことはないにし
ても、はっきりとアスカにわかったよとは言えなかった。無論、かといってア
スカに反論することも出来ずに、僕はただ、沈黙を以って応えることしか出来
なかった。
そしてアスカも、僕のそういう気持ちを察してか、少し悲しそうな顔をしなが
らも、黙ってじっと僕のことを見つめていた。

「・・・・」
「・・・・」

沈黙が流れる。
きっと僕の後方では、渚さんのことを綾波が牽制し続けているのだろう。そし
て前方には、既に僕達のごたごたに慣れているトウジ達が、余計な揉め事の種
を増やさないようにと三人で静かにしている。トウジとケンスケの小さな話し
声が時々耳に入るものの、それは僕とアスカの沈黙を妨げるほどのものではな
かった。

「・・・シンジ・・・・?」

しばらくして、ようやくアスカが話をする気になってくれた。僕は自分から切
り出せない情けなさを感じつつも、アスカが話し掛けてくれたことがうれしか
った。

「何、アスカ・・・?」
「言ってくれたよね、シンジは・・・・」
「・・・何を?」
「・・・・・アタシのこと、好きだって・・・・・」
「うん・・・・」
「今でも・・・・今でもその気持ち、変わらない?」
「うん・・・変わらないよ、アスカ・・・・・」
「ほんとに?」
「ほんとに。」
「・・・・アタシ、ずっと信じてたんだ。シンジのあの夜のひとことを・・・・」
「アスカ・・・・」
「だから・・・アタシにはあれがあったから、今までずっと、シンジにキスさ
れなくっても、やってこれたんだと思う。」
「・・・・」
「・・・でも、もうそろそろ駄目みたい。」
「・・・・」
「だって、シンジはああ言ってくれたけど、そういう素振り、見せてくれなか
ったじゃない・・・」
「ごめん・・・・」
「やっぱり・・・シンジは、まだ誰も愛せないシンジのままなの?」
「・・・・多分・・・・・」
「そう・・・・アタシ、そうなんじゃないかなって、ずっと思ってたんだ。ま
あ、シンジの方も丁寧に、レイよりも、っていう但し書きをつけてアタシを好
きだって言ってくれたんだもんね。」
「・・・・・」
「また前みたいに、無理矢理キスとかしていい?」
「えっ!?」
「だって、無理矢理だと嫌がられるし、愛のないキスだと虚しいでしょ?でも、
レイじゃないけどやっぱりキスして欲しいし・・・・」
「アスカ・・・・」
「シンジが嫌なら・・・・って、何だかアタシらしくないわね。」

アスカはそう言うと、今までの自分を振り払うかのように、頭を振ってその長
い髪を揺らしてから、顔を上げてこう宣言した。

「よし、決めた!!アタシはやっぱり以前のアタシに戻るわ!!なんかこう、
ストレスがたまんのよね、人を気遣ってばっかりだと・・・・」
「・・・・」
「アタシはアタシなんだし、アタシは自分の好きなようにやるわ!!それがア
タシらしさなんだし、それが嫌ならどうしようもないもんね!!違う、シンジ!?」
「いや・・・・アスカの言う通りだと思うよ。うん。」
「でしょ!?今までのアタシはやっぱりいつのまにか自分を押し殺してたのよ!!
だから、ちょっと元気がなかったし、最近ではアタシよりレイの方がいい感じ
だったもんね!!こんなアタシじゃあ、いつかアンタをレイやあの馬鹿女に取
られちゃうかもしれないわ!!」
「・・・・・」

僕はアスカの突然の変わりように驚きつつも、その格別アスカっぽい発言に、
喜びを感じてもいた。すると、そんな僕に対して、アスカは大きな声で言った。

「と言う訳で、これからもよろしくね、シンジ!!アタシはアタシらしく、し
たいようにするから。まあ、シンジの気に触ることもあるかもしれないけど、
それがアタシなんだってことで、大目に見てよね。以前もやってたことなんだ
し・・・・」
「あ、ああ、うん。いいよ、アスカ。」
「じゃあ、早速・・・・」

アスカはそう言うと、片腕を僕の方に突き出した。

「アスカ・・・・なに?」

しかし、僕は訳がわからず、素っ頓狂な声を上げる。するとアスカは、いつも
より元気な声で僕をたしなめた。

「アンタバカ!?レディーが腕を差し出したら、黙って組むのが常識でしょう
が!!」
「あ、そういうことか・・・・」
「そういうことか、じゃないわよ!!ちょっと前のシンジなら、これくらい気
がつくはずなのに、やっぱり甘やかして放任していたのがまずかったのかしら
ね!?」
「ははは・・・・」
「とにかく、腕を組むの、組まないの!?はっきりなさいよ!!ずっとこうし
てるのも疲れるんだから!!」
「あ、組みます組みます・・・・」

僕は急かしてくるアスカに、慌てて差し出された腕を取ると、自分の腕を軽く
絡めた。するとアスカは僕の腕をぎゅっと抱え込んで感想めいた発言をした。

「あー、やっぱり久しぶりにシンジと腕を組むのはいいわね。」
「そう?」
「そうよ!!アンタにはわかんないかもしれないけどね!!」
「う、うん・・・・」
「何だかこの喜びを一気に味わっちゃうのはもったいないから、キスは明日辺
りに取っておこうかしら?」
「そ、そう・・・・」

僕は少し呆れながらも、ここでいきなりキスされることがないとわかって、な
んとなくほっとしていた。が、そう思ったのもつかの間、アスカは僕をからか
うかのようにいきなりこう言った。

「って、アタシがそんな甘いこと言うと思う!?キスは今日もするし、明日も、
それからあさっても、毎日するのよ!!毎日したって、うれしいのには変わり
ないんだから!!」

そしてアスカはそう言うと、僕に飛びついてキスしてきた。
もちろん、僕の唇に・・・・

「ふぅ。」

ちょっとして、アスカはキスをやめると、軽く息をついてその余韻に浸った。
が、やはりあまりキスが好きでない僕は、そんなアスカにぶつぶつ愚痴めいた
言葉をかける。

「ふぅ、じゃないよ。全くもう・・・・」
「いいでしょ、別に!?したいんだから。」
「ま、まあ、そうかも知れないけど・・・・」
「アタシは愛のないキスじゃなきゃ駄目だって言ってたけど、やっぱりそうじ
ゃないのかもしれないわね。」
「・・・・どういうこと?」
「つまり、愛があってそれからキスをするって言う段階よりも、キスをしてそ
こから愛が生まれてくるって言う方が、普通なんじゃないかってね・・・・」
「なるほど・・・・でも、何だか嫌ないい方だね・・・・」
「それは、アンタが愛と恋を混同してるからよ!!恋があれば、キスは出来る
の。アタシはシンジに恋してるし、だからキスすれば、そのうち両方に愛が生
まれるって寸法よ!!わかる!?」
「ま、まあ・・・・わからないこともないかな?」
「つまり、わかるってことよね!?」
「う、うん。そういうことになるね・・・・」
「じゃあ、これからはお互いの承認の元に、そういうキスを続けて行くわよ!!」
「・・・って、えっ!?」

アスカの言葉が、なぜか急に発展したことに気付いて、僕はよくわからぬまま
驚きの声を発した。が、アスカは僕に説明を求めるいとまを与えず、ぴしゃり
とこう言い切った。

「問答無用!!反論却下!!いいわね!?」
「・・・・・」
「いいわね!?はい!?それともいいえ!?」
「は、はい・・・・」
「よろしい。じゃあ、そういう事で。」

アスカはそう言うと、何だか今までの鬱憤を全て晴らしたかのように満足げな
表情をして、歩みを進めた。無論、僕に身体をぴったりとくっつけて、離れな
いように腕を抱きかかえて放さない。僕は最近の大人しかったアスカに慣れは
じめていただけに、強引にすべてを進めて行くアスカのやり方に、また戸惑い
を繰り返していた。しかし、そうではあっても、今のアスカの顔は輝いており、
生気に満ち溢れていた。それはまた、久しぶりに見るようなアスカのいい顔だ
ったので、僕は思わず見とれてしまった。

やっぱりアスカはこうじゃなくっちゃ・・・・

これが、今の僕のアスカに対する感想であった。
アスカはアスカらしく、僕は僕らしく、そして綾波は綾波らしく。
やはり、自分を偽って心に負担をかけるのはあまりよくないことだと思う。
アスカは自分の心を隠すのが上手いだけに、僕は今までそれほど感じてはいな
かったけど、やはりアスカもつらかったのだろう。それもかなり・・・・
だから僕も、基本的には僕らしくありたいと思う。
今のアスカを見習って・・・・

きっとそうすれば、僕も輝くことが出来るんだろう。
僕はあんまりぱっとしない方だけど、それでもいくらかよくは見えると思う。
別に人にどう見られてるか、そんなに気にするつもりもないけど、人にいつも
よりも光って見られる時は、自分自身でも、いい気持ちになれるのではないだ
ろうか?僕はいつもいつも、つらそうにしてると思われるけど、実際その通り
で、気苦労も絶えなければ、くだらないことばかり考え込んでいる。そうする
のが悪いとか、そういう事はないけど、やっぱり僕も、つらいよりも楽しい方
がいいに決まってる。だから僕は、アスカを見てはうらやましがってたんだと
思う。それがアスカが好きかどうかにつながるのかどうか、そこのところは実
際よくわからない。でも僕は、自分らしく生きることが僕を幸せにしてくれる
のなら、出来るかどうかわからないけど、そうしてみたいと思う。僕はもう、
喜びの何たるかを知りはじめているのだから・・・・


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