私立第三新東京中学校
第二百話・魂の刻印
「よう、遅かったやないかシンジ。」
息を切らせながら走ってたどり着いた先には、既にいつもの面々が集まってい
た。
「ご、ごめん、トウジ。ちょっと朝から立て込んじゃってて。」
僕は別に責めるでもないトウジの言葉に、済まなそうに謝った。すると、トウ
ジの隣にいたケンスケが、少しからかうような口調で僕にこう言った。
「まあ、シンジの周りではいつも立て込んでるってくらい、俺達にはよーくわ
かってるさ。な、トウジ。」
「ま、まあな・・・・」
ケンスケの言葉に、今日のトウジはあまり乗ってこない。ただ、苦々しい表情
を浮かべてなんとなく相づちを打つ程度であった。
多分、これは今のトウジの環境にあるのだろう。トウジも洞木さんとはいい関
係が今でも続いているとはいうものの、洞木さんはアスカの友達ということも
あって、なかなかに気が強く、自分の考えを押し通すようなところがある。だ
から、トウジも洞木さんと一緒にいることによって、なんとなく僕の苦労も分
かりつつあるのだろう。まあ、洞木さんはアスカと違って家庭的で料理もうま
いから、同じ気が強いにもどことなく雰囲気が違うところがあって、そこがた
だでさえ目立つアスカと一緒にいても、決して自分の存在を消されてしまわな
い原因となっていた。
しかし、ケンスケもそんなトウジの事情もよく知っているはずなのに、自分だ
け一人ぼっちでひねくれはじめてでもいるのか、僕に向かって突っかかるよう
な口調でこう言った。
「きっと引っ越し先が楽しくて楽しくて、俺達の事なんか忘れちゃってたんだ
ろうよ。ほとんどハーレム状態だからな、シンジは・・・・」
「な、何言ってんだよ、ケンスケ!!ケンスケ達のこと、僕が忘れる訳ないだ
ろ!!」
僕はケンスケが僕のことを本気でそんな風に思っているなんて絶対にないと思
っていた。しかし、それでもやっぱりすぐ興奮するたちの僕は、少し大きめの
声で反応してしまった。
が、そんな険悪な空気を吹き飛ばすかのように、綾波がひとこと疑問の言葉を
発した。
「・・・・ハーレムって・・・・なに?」
「あ、綾波ぃ!?」
「ア、アンタバカ!?ハーレムも知らない訳!?」
僕は綾波の言葉に魂も消し飛んしまったが、やはりアスカはこういう衝撃には
強いのか、僕よりはかなりまともな対応を見せた。そして、そんなアスカの問
い掛けに答えるように、綾波は小さな声でこう応えた。
「・・・・知らない。」
「アンタ、本とかいっぱい読んでるじゃないの!!だったら少しくらいは知っ
ててもおかしくないんじゃないの!?」
「名前だけなら・・・・聞いたことがあるわ。」
「でも、内容は知らないって訳ね?」
「うん。」
「そう・・・ハーレムってのはねぇ・・・・」
アスカはちょっとだけ興味を引かれた様子を見せる綾波に向かって、もったい
ぶりながらこう教えてあげた。
「・・・・地名よ、地名!!」
「・・・地名?」
「そうよ。アメリカにある地名なのよ。」
「・・・・嘘。」
「う、嘘なんかじゃないわよ!!本当にそういうところ、あるんだから!!」
「・・・でも、相田君の言っている意味とは違うわ。そして、私が少しだけ知
ってるハーレムの意味も、そういうのじゃない・・・・」
「・・・じゃあ、何だって言うのよ?」
アスカは綾波の言葉に、少しむすっとした顔をして、ぶっきらぼうに訊ねた。
すると綾波は、少しくちごもりながらも、アスカの問い掛けに応える。
「・・・・女の人に囲まれるっていう・・・・・」
「何だ、やっぱり知ってんじゃないのよ。何にも知らないみたいなこと言って
おいて、とんでもないわね。」
「・・・でも・・・・」
「とにかく、アンタももう純情ぶるのはやめなさい!!確かにシンジはそうい
うのがお好みなんだろうけど、自分を偽る女に興味を示すほど、シンジの目は
節穴じゃないわよ!!」
「・・・・偽ってなんか・・・・ない。」
「どこがよ!?思いっきり偽ってるじゃないの!!」
「・・・・・」
綾波はアスカの言葉に、かなり萎縮してしまっている。アスカと綾波が口論す
る場合、まず間違いなくアスカが綾波に言い負かされるのが常なのだが、なぜ
か今回は綾波の負けに終わりそうだった。まあ、これには理由があって、綾波
が完全には知っていなくとも、おおよそのことはわかっていたというのに、全
く何も知らないという風に取られる発言をしたからだ。これは綾波にしてみれ
ば、ちょっとうっかりした発言だっただろう。
しかし、アスカはそんなことお構い無しだ。特にアスカはいつも綾波に勝てな
いだけに、勝てそうになると思わず言葉を発するのにも自然と熱が入る。僕も
アスカのそんな気持ちがわからないでもなかったが、ここは綾波の肩を持って
あげることにした。
「アスカ、もうその辺でやめなよ。綾波もちゃんと知ってる訳じゃなかったん
だし、それに、今時ハーレムなんて言葉を知ったからって、純情も何もないと
思うんだけど・・・・」
「ア、アンタはこのアタシより、レイの味方をする訳!?」
「そ、そういう訳じゃないんだけど・・・・」
「じゃあどういう訳よ!?現実問題として、レイをかばってることに変わりは
ないんじゃない!?」
もう、アスカの矛先は、綾波ではなく完全に僕に変わった。まあ、僕が綾波の
味方をしようと考えた時点で、そうなることくらいはとっくに予想がついてい
たから何も問題はないのだが、それでもアスカとこういう形で口論するのはあ
まりいい気持ちとはいえなかった。
「た、確かにそうだけど、とにかく綾波が可哀想だったから・・・・」
「この馬鹿!!アタシがレイと喧嘩して言い負かされても、アタシが可哀想だ
からアタシの味方になってくれるなんて、絶対に無いくせに!!」
「ご、ごめん、でも・・・・」
「うるさい!!アンタの言い訳は耳障りよ!!」
アスカは必死に弁解しようとする僕に背を向けると、そのまま洞木さんに向か
って呼びかけた。
「行きましょ、ヒカリ。あんな奴なんか放っておいて・・・・」
「アスカ・・・・いいの?」
「いいのよ!!たまには頭を冷やした方がいいのよ、バカシンジは・・・・」
「そう・・・・わかったわ、アスカ。」
「・・・・済まないわね、ヒカリ。何だか迷惑かけちゃって・・・・」
「いいのよ、アスカ。あたしたち、親友でしょ?それに、あたしもアスカの気
持ち、わからないでもないから・・・・」
僕はアスカと洞木さんの会話を全て聞く事が出来た。アスカも洞木さんも、別
に僕達に聞かせようと言う意図があってしゃべっている訳ではなかったが、そ
れでも二人だけの内密の話ということも無く、割と普通の会話として成立して
いたのだ。
そして僕は、アスカの言葉の内容を吟味して、無理に今はアスカに謝るべきで
はないと思うと、諦めてアスカの後をついて行った。すると少し気落ちした様
子を見せる僕に対して綾波が声をかけてきた。
「・・・碇君・・・・」
「あ、綾波か・・・・何?」
「・・・ごめんなさい、私のせいで・・・・」
「いや、いいんだよ。僕も悪かったんだし、綾波だけの責任じゃないよ。」
「でも・・・・」
「僕が綾波の側に立つと決断した時点で、こういうことになるくらいは、予想
してたんだ。だからほんと、今のは僕が悪いんであって、綾波が気にすること
じゃないよ。」
気にしすぎる綾波に対して、僕は少し自嘲気味になりながらも、やさしく綾波
を安心させようと努力した。ひょっとしたら、他の人が見れば、やさしいなん
てとても言えないような顔をしているかもしれないが、とにかく気持ちでは、
微塵も綾波に怒ってなどいなかった。
そしてそんな時、うつむき加減にしていた綾波が、僕に向かってひとこと訊ね
る。
「・・・・どうして碇君は、アスカをかばおうとせずに、この私をかばったの?
碇君は私より、アスカのことを想っているはずなのに・・・・」
「それは・・・・まあ、アスカは強いけど、綾波は弱々しいところがあるから
ね。」
「・・・・」
「つまり、アスカは攻撃を受けても、十分反撃出来るけど、綾波の場合、一度
崩れるととり返しがつかなくなるような気がするから・・・・」
「・・・・」
「僕もアスカに甘えてるところがあるんだよ。アスカだったら大丈夫っていう
のがさ。そんな僕の態度がアスカを苦しめてるんだろうけど、なかなか上手く
も行かなくて・・・・」
自分の言葉ではあるが、確かにその通りだ。
僕はアスカに甘えている。口ではアスカが好きだと公言していながら、最近ア
スカが無理矢理キスを求めてこないのをいいことに、アスカの想いに応えるよ
うなことや、自分の気持ちをアスカに伝えるようなことはめっきりしていない。
そしてアスカも、いつもと変わらぬ様子で振る舞いながらも、自分の不安定な
心を人に見せることはなかった。他の人はいざ知らず、僕はアスカの弱い一面
を知っている。だから、他の誰もアスカの側に立とうとしなくても、僕だけは
アスカの側に立って、アスカを守るのが当然だった。
しかし、現実問題として、僕は表面上だけは強いアスカを守らずに、か弱く見
える綾波をかばっている。まあ、綾波は基本的にアスカに口論で常に勝利を収
めるだけに、精神力に関してはかなり強いと思う。無論、アスカよりもである。
しかし、綾波は強い心を持っているけれど、それが壊れやすいというのはアス
カ以上であるかもしれない。許容範囲が狭いというのか何なのかよくわからな
いが、とにかく僕は壊れやすそうな綾波ばかりをかばうのだった。
だから、僕は自己嫌悪に陥りながら、言わなくてもいいことをわざわざ綾波に
言った。
「・・・・別に、アスカより綾波を想っている訳じゃないんだよ・・・・」
「・・・・・・」
「ご、ごめん・・・・・」
「・・・・もういい。わかってるから・・・・」
失言だった。
真実ではあったが、綾波も十分理解しているはずであろうことを、わざわざ僕
の口から説明してやることはなかった。だから、僕は言った後ですぐに謝った
のだが、それも無意味な行為であった。謝るくらいなら、言わなければよかっ
たのに・・・・
そして綾波は、少し居たたまれなくなったのか、僕から少し離れて先へと歩い
ていった。
「・・・・・」
僕はアスカと綾波の後ろ姿を見ながらも、何も言えずにいた。そして、そんな
僕に向かって、隣にいたトウジが僕の肩をぽんと叩いてこう言ってくれた。
「まあ、気にすんなって。お前らの喧嘩はよくあることやし、どうせそのうち
また元に戻るやろからな。」
「・・・・だといいんだけど・・・・」
「全くシンジは心配症やな。あんまり気にしすぎると、それこそ胃に穴が空く
んとちゃうか?」
「でも、僕がこういうのは元々の性格なんだし・・・・」
「まあ、それはわいもわかっとるけどな・・・・」
僕を慰めようとするトウジと、自ら落ち込み続ける僕。そしてその間に、一人
の人物が割り込んできた。
「・・・ちょっといいかい、シンジ君?」
僕はその声に顔を上げて、そしてその顔を確認した。
「あ・・・・渚さん・・・・久しぶり。」
「久しぶりだね、シンジ君。休みの間、ずっと君に逢いたかったよ。」
「そ、そう・・・なら、遊びに来てくれてもよかったのに・・・・」
「でも、シンジ君はともかく、僕はあの二人にはあまり好かれていないからね。」
「ま、まあ、そうかも知れないけど・・・・」
「だから、他の人間は抜きで、僕と二人で一緒の時間を過ごしてくれないかな?
ちょうど今、君は一人なんだし・・・・」
僕はこの渚さんの言葉に少し迷った。渚さんが今言ったように、アスカと綾波
は、渚さんに対してはかなり冷淡である。だから僕もそういう立場にいてもお
かしくないのであるが、あまり大した意味もなく、人を敬遠するなんて、僕に
はとても出来かねることであった。
まあ、渚さんがなんとなく問題の種になることは、僕もよく知っている。それ
に、あのカヲル君にそっくりということもあって、避けるべき存在であるのも
わかる。しかし、いまだに僕はカヲル君に呪縛されていた。いくらアスカや綾
波との時間を共有しようとも、カヲル君を忘れることは出来なかったのだ。
僕が心から信じた存在。
僕を裏切った存在。
僕がその命を終わらせた存在。
それだけでも、僕の魂に刻印するくらいの影響力を持つであろう。
しかし更に、カヲル君にはそれ以上に僕を縛り付ける何かが存在していた。
それが何なのか、僕にはわからない。
もう答えを求めようともカヲル君はいないのだ。
だから僕は渚さんにその答えを求めようとしているのかもしれない。
それが無意味なことであるということくらい、僕にだってわかる。
でも、僕は渚さんから遠ざかることは出来なかった。
考えてみれば、僕が渚さんを避ける理由くらい、いくらでも見つけることが出
来ると思う。特にカヲル君に関しては複雑な心境なだけに、渚さんの顔を見る
とつらくなることさえある。
だがしかし、僕は渚カヲルから離れられない。
とにかく離れられないのだ。
だから僕は、問題だと気付いていながらも、渚さんに向かってあっさり返事を
した。
「いいよ。学校に着くまで、少し話でもしようか。」
「ありがとう、シンジ君。きっとシンジ君なら、そう言ってくれると思ってた
よ。」
「いや・・・そんな大した事じゃないよ・・・・・」
僕が少し恥ずかしげにそう言うと、そんな僕を見た渚さんが、僕に顔を近づけ
てそっとひとこと言った。
「・・・・こういう時のシンジ君の顔、かわいいね。キスに値するよ・・・・」
そして、避ける間もなく、渚さんの唇が僕の唇に触れた。
アスカも綾波も、僕と渚さんのキスを見てはいなかった。ただ、トウジとケン
スケが驚いたような顔をしていた。僕は渚さんの唇の感触を感じつつ、何て言
い訳しようかと、頭の中で考えていたのだった・・・・・
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