私立第三新東京中学校

第百九十七話・眩しい朝の光


「・・・・」

いつのまに眠りに落ちていたのだろうか、気がつくともう朝の光が部屋の窓か
ら差し込んでいた。まあ、だと言っても、常夏となってしまった日本の日の出
は早い。だから、明るくなっていたとしても、別に寝坊したとかそういう事は
なく、時計を見ればいつも起きる時間よりも却って少し早い程度だった。

部屋のどこにも綾波の姿はなかった。
僕は昨夜、綾波に背中から抱き締められたまま、眠ってしまったのであろうが、
綾波がそれをいつやめたのか、僕にははっきりとしていなかった。だから、僕
はここに綾波がいないことを少し気にかけていたのだが、それでもいつものよ
うにベッドから出ると、さっさと制服に着替えた。そして手早く着替えを済ま
せると、そのまま台所へと向かう。僕は引っ越して場所が変わっても、やるこ
とは変えなかったのだ。
無論、僕はちゃんと手荷物の中に自分の愛用のエプロンを忍ばせて置くことを
忘れてはいない。僕はキッチンに向かいながら、慣れた手つきでエプロンを身
につけていった。そして、準備も万端、あとは朝食の支度と弁当作りをするだ
けとなって、僕はキッチンに入ろうとした。が・・・・・

「・・・・レイ。」

・・・・父さんだ。まさかこんな早起きだとは思いもしなかったが、この声は
まごう事無き父さんのものだった。そして、綾波も中にいるらしい。まあ、綾
波が僕の部屋以外にいるとすれば、ここにいる可能性が一番高いので、それに
関しては別に不思議はなかった。

「・・・・・私に何か用なの?」
「・・・・いや。特に用はない。」

父さんと綾波の会話が始まりそうだ。しかし、聞こえてくる綾波の声は、心な
しか綾波にとってどうでもいい人間に向けるもの以上に、そっけなく感じた。
そして父さんの声も、何だかいつもの父さんと違うような気がしていた。それ
は顔が見えないのでよくはわからないが、とにかくいつもの完全な冷静さが少
し崩れているような気がした。

「なら、ここから出ていって。私は朝食の支度をしなければならないの。」
「・・・・そうか・・・・お前が料理を・・・・」
「そうよ。碇君のために覚えたの。あなたのためにじゃないわ。」
「・・・・それはもう、私にもわかっている。」
「なら、出ていって。」

綾波は徹底的に冷たい。
僕は悪いことだと知りつつも、この二人の会話が気になって、ドアのところで
盗み聞きをしてしまっていた。

「・・・・・少しだけ、話をしてもいいか?」
「あなたと話すことなんて、何もないわ。それともあなたは、力ずくででも私
を従わせるつもり?」

綾波の言葉とともに、何かパキンという音が聞こえた。ガラスを割る時の音に
似ていたが、それにしては音が響かなかった。

「・・・・私を脅すつもりか?」
「あなたに教わったことよ。」
「・・・・・」
「あなたと一緒に過ごした時間は、私の記憶の中でも一番長いものだったけど、
私にとっては何もない時間だったわ。私が三人目として生まれ出でて、まだ三
ヶ月ほどしか経っていないから、あなたとの二ヶ月間は、私の人生の半分以上
を占めてる。でも、私は碇君と一緒に過ごした一ヶ月近くの日々の方が、ずっ
と輝いているものに感じているのよ。」
「・・・・・シンジのことが好きか・・・・・?」
「ええ。言葉で表すことの出来ないほどに。」
「・・・そうか・・・・・」
「碇君は、あなたがくれなかった本当の愛を、私にくれたわ。今はまだ、碇君
の想いは私にだけ向けられている訳じゃないけど、それでも碇君ははじめて私
を人間として愛してくれたわ。あなたみたいに、私を人形としてではなく・・・・」
「・・・・・」
「あなたと一緒にいた時は、私もまだ人形だったかもしれないわ。でも、今の
私はもう人間なの。だから、あの時と同じように、私に振る舞うのはもうやめ
て。私だって、碇君の大切な父親であるあなたを傷つけたくはないから。」
「・・・・ATフィールドを操るものが人間だというのか?」
「!!!」

綾波の人間として生きたいという気持ちの強さは、僕もよく聞かされていた。
だから、綾波の言葉は僕にもよくわかったし、その気持ちも十分に伝わってい
た。しかし、そんな綾波に向けられた父さんのひとことは、大きく綾波を傷つ
けた。言わば、綾波の人間としての存在を否定したのだったから。

「お前の持つ力は、人間の持つものではない。人にあらざるものの力だ。お前
はそのことをわかっているのか、レイ?」
「・・・・・」
「シンジもきっと、そのことに気付く日が来るだろう。今はまだ、甘すぎる同
情心からお前にやさしくしていても、いつかきっと、お前から離れて行くこと
だろう。」

その時、一瞬空気が変わったかと思った。
父さんの口から僕の名前が出た時、綾波の怒気がひらめいた。

「碇君とあなたを同じにしないで!!」
「・・・・私とシンジは親子だ。」
「たとえ血はつながっていても、心の形は全く違うわ!!」
「・・・・・」
「それに、私は絶対に、碇君の目の前では力は使わないわ!!私は常に人間と
して碇君に接することにする!!そして、私が力を見せるのは、唯一、あなた
のような敵に対してだけよ!!」
「・・・・敵、か・・・・・」
「そうよ!!あなたは私にとって、敵以外の何者でもない!!」

そして、また何かの割れる音がした。さっきと同じような音だったが、今度は
もう少し鋭い音だった。きっとそれは、綾波の感情の高ぶりに関係しているの
だと思う。

「・・・・コップを斬るな、レイ。」
「じゃあ、あなたを斬る!?」
「そうしたら、お前も終わりだぞ。」
「・・・・碇君にあなたは必要ないわ。碇君はただ、父親を欲しているだけで
あって、あなたという人を欲している訳じゃない。」
「・・・そうかもしれんな。」
「碇君には私もいれば、アスカもいる。あなたみたいな人間は、この世にいな
い方が幸せというものよ。」
「・・・・・お前の言う通りだ、レイ。私はもう、この世には必要でない人間
だ。」
「じゃあ、どうしてここにいるの?」
「私には、遣り残した仕事がある。」
「・・・・何?」
「人類補完計画だ。種としての人間を守り、そのままの形で存続させると言う・・・・」
「・・・・それは、あなたの考え?それともゼーレの意向?」
「・・・・私の考えだ。委員会とは対立する立場にある。」
「・・・・・私が邪魔?」
「・・・・・」
「私は人間としての種を汚すものよ。完全な人間ではない。」
「・・・・お前はどうして、自分に力が備わっているのか、知らないのか?」
「・・・知らないわ。」
「そうか・・・・ならいい。」
「・・・・・」

父さんは綾波にそう言った後、つぶやくように言った。

「・・・・・・・再生と覚醒、どちらが勝つのか私にもわからん。しかし、私
はお前を、お前達の力を信じている。私を勝利に導いてくれると、ありがたい
ものだな・・・・」
「・・・・・」
「・・・私は部屋に戻る。後はお前の好きにするがいい、レイ。」

僕は父さんの意味深な言葉を心の中で反芻していた。が、そうする間もなく、
父さんがここを出て行くと聞いて、慌ててここから立ち去ろうとした。しかし、
父さんの動きは速く、キッチンを出てすぐのところで見つかってしまった。

「・・・・・」
「・・・と、父さん・・・・」
「話を聞いていたのか?」
「・・・・ご、ごめんなさい・・・・・」
「いや、気にすることはない。ただ・・・・・」
「・・・・・」
「ただ、全てが終わった後、レイに謝っておいて欲しい。済まなかった、と。」
「父さん・・・・」
「私がお前達、特にレイにしてしまったことは、とり返しがつかないことだと
思っている。しかし、誰かをそうしなければならなかったのだ。だから、私は
お前を、レイを選んだ。自らを犠牲にすれば、罪が軽くなるとは思えない。し
かし、私は甘んじて罰を受けようと思う。お前達を巻き込むのは、済まないこ
とだと思う。だが、しばらくの間、私に付き合ってくれ・・・・」
「・・・・どうしてそう、綾波に言わなかったの?」
「私がレイを救うには、レイのことを知りすぎている。だから、私はレイに憎
まれることで、私から解き放とうと考えたのだ。」
「・・・・」
「とにかく私の手は、血に汚れている。その手でレイを抱き締められるほど、
私もひどい男ではない。」
「・・・・」
「・・・レイを頼む、シンジ・・・・・」

父さんはそう言うと、僕をその場に残して、立ち去っていった。
そして僕は、父さんの言葉に何も言えなかった。父さんが自分を責めているこ
とは理解出来たが、父さんが何をやろうとしているのか、その一番大事なとこ
ろがわからなかった。

人類補完計画、父さんはそう言った。
そして、再生と覚醒・・・・・
それは一体何を意味しているのか?
綾波の力の理由は?

全てが謎に包まれたまま、僕達を大きな流れの中に巻き込んでいた。
もう、とり返しがつかないのかもしれない。
楽しかった日々は終わりを迎え、また血に濡れた闘いの日々が始まるのだろう
か?
使われなくなったエヴァンゲリオン。
残されしチルドレン。
そして第三新東京市はいつものように朝を迎える。
この平和な日々はかりそめのものなのだろうか?
僕はそう思いたくはない。
しかし、すべての事象が波乱を予感させていた。
それは逃れることの出来ないものだ。
だから、僕はこの日々を大切に生きよう。
一日一日を、悔いの無いように・・・・

「おはよう、綾波。」

僕は何事も無かったかのように、キッチンに入ると綾波の朝のあいさつをする。

「い、碇君・・・・」

綾波は、僕の突然の登場に慌てた様子を見せた。さっき父さんとやりあったば
かりだし、綾波の手には、鋭利な刃物で真っ二つにされたかのようなコップが
あったからだ。
しかし、僕はそんな綾波の動揺に気付かないかのように、穏やかな微笑みを浮
かべながら綾波に言う。

「おはようって言ってくれないの、綾波は・・・・?」
「あ、お、おはよう、碇君。」
「今日もいい天気だね、綾波。」
「うん・・・・」
「手伝うよ、僕も・・・・」

僕はそう言うと、斬られたコップを綾波と一緒に片付けはじめた。

「・・・・・」

綾波は、何か探るような視線を僕に向けている。
しかし、僕はそんな視線に気付かぬふりをして、そのままコップを始末した。
そして、少し明るく綾波に訊ねる。

「さてっと、今朝は何にしようか?」
「えっ・・・?」
「朝食だよ。材料もいろいろあるみたいだし、何でも作れそうだからね。」
「・・・・碇君の好きなものでいい・・・・」
「じゃあ、卵焼きを作ろう。綾波の好きな、僕の卵焼きを。」
「うん!!」

綾波は元気を取り戻したのか、明るい声で僕に応えた。
そして僕は、そんな綾波に向かって微笑む。
すると、ちょうどそんな時、珍しくアスカが自分から起き出してきた。

「あ、アスカ、おはよう!!」
「おはよう、アスカ。」

アスカはまだ眠いのか、目をこすりながら半開きの目で僕達のあいさつに応え
る。

「・・・・おはよう、シンジ、レイ。」
「今日は早起きだね、アスカ。」
「何だかよく眠れなかったのよ。アンタ達のことが気になっちゃってね・・・・」
「ごめんなさい、アスカ・・・・」
「いや、いいのよ。変な音とかもしなかったみたいだし。」
「へ、変な音って・・・・」
「とにかく、せっかくアタシも起きてきたんだから、三人で作りましょ、食事
をね。」
「そ、そうだね、アスカ。」

まるで僕達三人が一緒に使えるように作られたかのような、大きな台所。
それは僕の考えすぎかもしれない。
でも、僕はこの眩しい朝の光に包まれながら、そう感じずにはいられなかった
のだった・・・・


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