私立第三新東京中学校

第百九十四話・頼って頼られて


「シンジ、お風呂空いたわよ!!」

僕がキッチンを見付けていろいろ物色していると、お風呂からあがったアスカ
と綾波が、僕を呼びに来てくれた。

「あ、うん。わかったよ、アスカ。」
「しっかし、結構広い台所よねー。アンタもかなりうれしいんじゃない?」

アスカは改めてキッチンを見渡すと、僕に向かってそう言った。

「うん。別に今までが狭いとかそういう事じゃなかったんだけど、やっぱり広
い方が使いやすいからね。それに、アスカや綾波に手伝ってもらっても、窮屈
に感じなくなるだろうし・・・・」

僕がアスカに向かってそう答えると、それを聞いた綾波がうれしそうに言った。

「碇君、これから毎日手伝ってもいい?」
「って、アンタはほとんど毎日手伝ってんじゃない!!」
「・・・ほとんどでしょ?碇君、一人でやりたいって言って私に手伝わせてく
れない時もあるから・・・・」
「・・・そういう時は、いくらここが広くても、結局手伝えないんじゃないの、
レイ?」

綾波の言葉に、アスカが少し意地悪そうに言う。しかし綾波は、そんなアスカ
に向かって気にもとめない様子で答えた。

「・・・そんなことない。碇君の邪魔をしないところで碇君のために何か出来
ると思うの。今までは私がいると碇君が自由に動けなかったけど、今度は碇君
の迷惑にならない範囲で、碇君のお手伝いが出来るから・・・・」
「そう・・・まあ、アンタにはそれが喜びなのかもしれないわね。アタシの場
合、狭い方がいいけど・・・・」
「どうして?」
「シンジとぶつかれるじゃない。確かにシンジの邪魔になるかも知んないけど、
どうせアタシはお荷物なんだし、それならとことん楽しんでやれってもんよ。」
「・・・・・」

アスカの言葉を聞いた綾波は、何だか考え込んでしまった。綾波にとって自分
の持っていた考えというのは優れたものであったのだろうが、今アスカに示さ
れた考えも、綾波の心を揺さ振るのに十分であったのだ。
しかし、何だかおかしな話になりそうに感じた僕は、早々にこの場を離れるこ
とにしてアスカと綾波に向かってこう言った。

「じゃ、じゃあ、僕はお風呂に入ってくるから。だから後は二人でここを調べ
るなり、自分の部屋に戻るなりしてて。」

すると、そんな僕の意図にいち早く気付いたアスカが、後ろめたい気持ちでい
っぱいの僕の顔をじろっと見てこう言った。

「・・・・逃げる気?」
「い、いや・・・ち、違うんだよ、アスカ。」
「嘘おっしゃい!!アンタがそういう態度を取れば、一発で何かあるってバレ
バレなんだから!!」
「う・・・・」
「逃げるのは嫌だとかなんだとか言って、結局アンタは逃げてんのよ!!」
「・・・い、いいじゃないか、逃げたって・・・・」
「アンタ、開き直る気!?情けないわね!!」

アスカがそう僕を糾弾しようとすると、綾波がいつものように僕をかばう発言
をする。

「・・・碇君を責めないで。私達がここに来た目的は、碇君にお風呂が空いた
ことを伝えることだから、碇君がそう言うのは何も悪くないわ。」
「アンタバカ!?だからアンタはいっつもシンジに対して甘すぎるって言われ
んのよ!!大体発言の内容はいいとしても、その動機が不純なのよ!!お風呂
に入るためにここを出て行くんじゃなく、余計な揉め事から回避しようって言
う意図で言ってるんだから!!」
「・・・・・・戦術的には、優れていると思うわ。」

綾波はアスカの言葉に納得出来るところを大いに感じた様子ではあるが、とに
かく僕をかばい続けようとした。そしてそんな綾波を見て、アスカは嘆息しな
がら僕に向かってこう言った。

「はぁ・・・アンタもよっぽど見込まれたもんね。ここまで人のことをかばっ
てくれる奴なんて、探しても滅多やたらには見つからないわよ。」
「・・・・うん、僕もそう思う。でも、綾波は前からそうだったから・・・・」

僕は、昔のことを思い出しながら、アスカに向かってそう応えた。
以前の綾波は、人の命令を聞くだけの存在であって、だからこそあの時僕を守
ると言ってくれたのだろう。しかし、そうではあっても、綾波は常に人を守る
存在だった。自分の命を、限りあるものとしてみていなかったから、ああいう
態度を採れたのかもしれないが、とにかく綾波は僕達を守り続けてくれた。そ
して、今でも綾波は僕を守る存在として自分を位置づけている。
しかし、それは綾波に特別な能力があったからであって、綾波以外の誰にも出
来ないことだからだ。もし、綾波に僕への個人的思い入れがなくとも、僕を守
る役目は、綾波に与えられたことだろう。綾波には、それだけの力があるのだ。
僕を使徒の攻撃から守ると言う、普通の人間には不可能な力が・・・・
だが、今の綾波は難しい位置に立たされている。綾波の求めるものは今のとこ
ろ二つあって、僕を守ることと、人間となることであるが、これらは相反する
ものなのだ。だから、僕はきっと綾波は苦しんでいるんだと思う。綾波は滅多
にそういうところ、自分が思い悩んでいるところを人には見せないけど、心の
中の葛藤は、それは計り知れないものがあることだろう。
でも、綾波はどうしてそれを見せないんだろう?僕も結構一人で思い悩むとこ
ろはあるけど、それでもアスカに頼り、綾波に頼りしている。僕はもう、人は
一人では生きられないことを十分認識しているし、アスカにも綾波にも、その
ことは伝えられたと思う。だからアスカはいつも強気な発言をしてはいるけど、
僕には本当の弱い自分を見せてくれる。僕はそれがうれしいし、だからこそ、
アスカには僕の心の奥底の悩み、僕がいつも一人で処理している問題も、打ち
明けているんだと思う。
しかし、綾波は違う。きっと僕に余計な負担をかけないようにと思っているの
だろうが、僕に悩みを打ち明けてくれたことはない。まだ綾波には悩むことが
出来ないと考えて、その原因とすることも出来るだろうけれど、今の綾波を見
れば、悩むことが出来ないなんてとても考えられない。
僕には綾波の問題を解決することなんて出来ないかもしれない。いや、絶対に
無理だろう。でも、僕は綾波に話して欲しいと思う。アスカじゃないけれど、
つらい時にはつらいと言って欲しい。困った時には助けを求めて欲しい。少な
くともそういう関係が対等な関係であり、自然なつながりと言えるだろう。
もしかすると、僕は自分と綾波の関係が対等なものでないから、だから綾波で
なくアスカの方により好感を持てたのかもしれない。確かに綾波はやさしいし、
いいところをたくさん持っている。普通だったら、気立てのよい綾波を選ぶの
が筋だろう。でも、僕がそうしないのは、綾波が自分を僕と同じ位置に置こう
とはせず、綾波の複雑な思考の中で微妙な位置に置いているからだろう。
果たして綾波はそのことがわかっているのだろうか?どうして僕が自分でなく
アスカを選んだということを・・・・・

「どういうことよ、それ?」

アスカが僕の言葉にいぶかしげな表情で訊ねた。僕の思考はほんの数瞬のもの
であったが、それはアスカによって打ち破られた。

「いや、綾波は今もそうだけど、昔から僕を守ってくれたから・・・・」
「・・・・アタシは?」
「えっ・・・?」
「アタシはどうなのよ?アタシはシンジを守っていたとは言えないの?」
「い、いや、その・・・・そういう訳でもないんだけど、綾波の場合、はっき
りと口に出して僕を守るって言ってくれたから・・・・」

アスカの発言の内容はいつもと変わらなかったが、感じは少し寂しそうだった。
僕はそんなアスカの微妙な変化をすぐに察知していたが、別に取りたててアス
カに守ってもらったっていう感じは持っていなかったため、嘘をつくことも出
来ずに本当のことを話した。
するとアスカは、隣にいた綾波に問いただす。

「アンタ、そんな事言った訳?アタシは全然そんなこと知らなかったけど・・・」
「・・・・・私は知らない。それは私ではあっても、私の言ったことじゃない
から・・・・」

アスカは気付かなかった。綾波が以前の綾波ではないということについて配慮
しなければならないということを。そしてアスカは綾波に寂しげにそう言われ
てはじめて、自分の失言の重大さに気付いた。

「レ、レイ・・・・・」
「・・・私が知っているのは、ネルフに残った映像資料と、いろんな人たちの
話だけ。だから、私が碇君と二人で話したこと、そういう記憶は残されていな
いの。」
「・・・・・」
「それに、後で話を聞いて失った記憶を補完したとしても、それは私が作った
記憶じゃない。私ではない第三者の手を通した、不完全なものでしかないの・・・・」

綾波の言葉はそれを引き出してしまったアスカにだけでなく、僕にとっても十
分重過ぎる言葉だった。僕もアスカも、そして当の綾波も、綾波は以前の綾波
と変わらぬ綾波であり、僕達と同じ普通の中学生であるということを信じたい
と思っている。
しかし、現実は違う。綾波の現実は、つらく悲しいものだった。僕は綾波とは
深いつながりを持っているから、その気持ちをいくらか分かち合うことが出来
る。だが、僕は綾波ではない。綾波の立場に立てないし、第三者にしかすぎな
いから、それが心にどういう痛みをもたらすのか、実際のところ全くわからな
いと言っても過言ではないだろう。
だから綾波には言葉で伝えて欲しい。自分の中に抱え込まないで僕やアスカに
すがり付いて欲しい。それは確かに僕達の負担を増加させることにつながるか
もしれない。しかし、綾波にはそんなことを気にしては欲しくない。
綾波は僕達に今自分が置かれている状況がどうなのか、教えてはくれる。しか
し、それが綾波に何をもたらすのか、それを僕達に教えて欲しい。僕達が綾波
の助けになれることなんて、そうはないだろう。実際今の綾波に昔の綾波の記
憶を与えることなんて出来ないし、今変化があるらしいけど綾波が持つ特別な
力に関して、どうこうすることも出来ない。ただ、話を聞き、それに対する僕
達の気持ちを述べるまでだ。それは生産的なことではないかもしれないけど、
僕はそれでもいいと思う。綾波の本当の気持ち、僕達には見せられなかった綾
波の心を見せてくれることにより、僕達はもっと近付くことが出来るだろう。
別にそういう関係を求めたくないという人も多いかもしれない。でも僕は、今
まで人とそういう間を置いた付き合いをしてきて、それで幸せであったことは
一度もなかった。そして今、ミサトさんを皮切りにアスカや他のみんなと心の
付き合いをしてきて、本当の人生というものを感じている。だから綾波も、僕
達と同じ幸せを感じて欲しい。押し付けがましいかも知れないけど、僕はそれ
が綾波のためになると思うから、綾波に言うことにした。

「・・・・・綾波。」
「何、碇君?」
「・・・つらいなら、僕に、アスカに言ってよ。」
「・・・・・碇君?」
「僕達には綾波の問題を解決することなんて無理だと思うよ。でも、悩みや苦
しみを分かち合うことくらいは出来ると思うんだ。」
「・・・・・」
「綾波の重荷を僕達にも分けてよ。僕も綾波やアスカに頼るからさ。僕達は他
人じゃないんだろう?だから、綾波も僕もアスカも、遠慮することなんて何に
もないんだよ。」
「・・・・・」
「別に綾波が嫌なら、僕は押し付けるつもりはないよ。でも、もし僕達のこと
を気遣ってくれてそうしているんだったとしたら、僕は気にしないで欲しいな。
むしろ僕は、綾波に頼って欲しいって思ってるんだから・・・・」
「・・・・・」
「・・・じゃあ、僕はお風呂に入ってくるから。それまでよく考えておいて。
綾波にも考える時間が必要だろうから・・・・・」

僕はそう言って緊張を解きほぐすかのように綾波に軽く微笑んで見せると、そ
のまま後ろを向けて立ち去っていった。そして残された二人の一人がもう一人
に向かってひとこと言う。

「・・・・アンタもわかったでしょ、シンジがどれだけ頼り甲斐のある奴かっ
てことを・・・・」

しかし、それに対する返事は、ひとこともなされなかった・・・・・


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