私立第三新東京中学校
第百九十三話・変わりゆく存在
「ったくわかりにくい家ねえ・・・・」
アスカはそうぶつぶつこぼしながら、黙って勝手にドアを開けては中を覗き込
んでいる。一応マンションなのでこのフロアだけなのだろうが、それでも僕達
が与えられたような部屋がいくつか並んでおり、部屋数も多く、特徴に欠ける
のでわかりにくかった。
しかし、そうは言っても限度と言うものがある。僕達はすぐに洗面所を発見し、
そこから続いたお風呂場も確認出来た。
「け、結構広いお風呂だね・・・・」
「・・・まあ、一応合格ね。」
僕が結構驚嘆して中を眺め回しながらつぶやくと、さもそれが当然のように言
った。僕はそんなアスカの発言を聞いて、大した事ではないものの訊ねてみる
ことにした。
「い、一応って・・・今まで使ってたマンションのお風呂よりもずっと広いじ
ゃない。」
「当たり前でしょ!?ミサトのボロアパートとこんなたくさん部屋のある高級
マンションとが一緒のお風呂なわけないじゃない!!だから、これくらいの広
さ、あって当然だって言ってんのよ!!」
「そ、それはそうかも知れないけど・・・・」
僕はアスカに向かっていつもの情けない口調でいったが、アスカはそんな僕の
つぶやきには耳も貸さずに傍らにいた綾波に向かってこう言った。
「レイ、今日は一緒にお風呂に入ろうか?」
「え・・・・」
「アンタ、ここは怖いんでしょ?」
「うん・・・・」
「だから、さすがにお風呂にまでシンジについていてもらう訳にも行かないし・・・・」
アスカはさすがにちょっと言いにくそうに綾波に言った。すると綾波は、アス
カの意図しようとしていることなど全く気がつかないかのように、そっとアス
カにこう言った。
「私は・・・・碇君が一緒でもいいけど・・・・」
アスカはそんな綾波の言葉を耳にするや否や、人をたしなめる時に使うお馴染
みの大きな声で綾波の考えを否定した。
「な、何馬鹿なこと言ってんのよ!!いいのは当たり前じゃない!!そ、その・・・・
アタシだって、そういうこと、したいと思ってるんだし・・・・で、でも駄目
なのよ!!シンジのお許しが出ないんだから!!」
「・・・・・碇君・・・・」
アスカの言葉に、綾波は上目遣いで僕を見つめる。僕は、と言うより誰でも綾
波にこんな目で見つめられて断るのは苦しいだろうのに・・・・
しかし、さすがに僕も、一人でいるのが怖いからといって、一緒にお風呂に入
るなんて言うことは出来なかった。何せここには僕以外にもう一人、アスカと
言う綾波とは同性の存在がいるのだから・・・・
「・・・駄目だよ、綾波。」
「どうして?」
「ほら、僕は男で、綾波は女なんだし・・・・アスカと一緒なら、大丈夫だろ
う?」
「・・・・男と女同士で一緒にお風呂に入ってはいけないの?」
「うん、もちろん。」
「・・・・二人の間に、愛があったとしても・・・・?」
「あ、愛?」
「そう、愛。」
「そ、そりゃあまあ、愛があればいいんだろうけど・・・・・」
僕は綾波にそう答えてから、後で自分の発言のうかつさを呪った。
「・・・・だったら、私と碇君、一緒にお風呂に入っても問題無い・・・・」
「・・・あ、綾波・・・・・・」
「私は碇君を愛してるし、碇君も私のこと、愛してくれてる。違う?」
「い、いや、違わないんだけどね・・・・」
「だったら私、アスカよりも碇君と一緒がいい。だって私、アスカへのものよ
りも碇君への愛の方が強いもの・・・・」
「・・・・・」
僕はもう、綾波をどうやって言い含めたらいいのか見当もつかなかった。する
と、いい加減僕のやり方に呆れてきたのか、アスカが大きな声でこう言った。
「ったく、アンタはレイみたいな女の子一人満足にあしらえない訳!?だから
アンタは情けないだのなんだの言われんのよ!!」
僕はアスカにそう言われると、半分開き直ったように憮然とアスカに言った。
「・・・わかってるよ。僕が情けない男だってことくらい・・・・」
「わかってるなら、何とか情けなくなくなるように努力なさいよ!!アンタ、
進歩とか成長とか、考えたことがない訳!?」
「そ、そんなはずある訳ないだろ?僕だって一応、これでも意識して強くあろ
うって努力してるんだよ・・・・」
「へぇ、それでしてるんだ。」
「そ、そうだよ。」
「で、結果のほどはどうなの?」
「・・・・・」
「全然駄目・・・・ってとこかしらね?」
「・・・・」
「黙るんじゃないわよ。何とか言いなさいよ。」
「・・・・・どうして僕が、綾波よりもアスカの方がいいって言ったのか、ア
スカにはわかる・・・・?」
アスカの容赦ない追求に対して、僕は小さな声でアスカに訊ねた。アスカもま
さか、今の僕の口からそんな言葉が出て来るとは思いもよらなかったようで、
驚いてしまっていたが、それでも何とか僕の問い掛けには答えた。
「・・・・わ、わかんないわよ・・・・・」
「そう・・・・・」
「ど、どうして急にそんな事言った訳よ?アンタがアタシの方を選んだからっ
て言って、まさか恩着せがましいこと言うつもりじゃないでしょうね?」
「・・・・・そんなこと、言う訳ないだろ。」
「じゃ、じゃあ、どうして・・・・?」
「僕は前まで、はっきり言ってアスカと綾波を同じ様にしか見ていなかった。
でも、僕はアスカを見るにつけ、自分を常に成長させようっていうアスカの姿
が、僕の目にまぶしく映っていたんだ。」
「・・・・・」
「僕はアスカのそういう前進志向を持っているっていうことに、興味をひかれ
たんだよ。僕のすることはみんなごまかしの逃げばっかりで・・・・逃げない
アスカがうらやましかったんだ。」
「・・・シンジ・・・・」
「だから、アスカの目には僕が情けなく見えるかもしれないけど、僕はアスカ
みたいになろうと思って努力しているんだ。アスカもそういうこと、わかって
欲しい・・・・」
「・・・・シンジ、アタシ・・・・・」
「綾波のいうことがどうしても受け入れられないってことくらい、僕にだって
わかるさ。アスカだったらきっとすげなく拒絶してそれで終わりだろうし、僕
もそうした方が、後々さっぱりすると思う。でも、やっぱり僕はそんな風には
出来ないんだ。細かいことにとらわれて、右往左往してるって訳だよ・・・・」
「・・・・・」
「・・・・自分でも、どうにかしたいって思ってるところなんだ・・・・・」
僕は最後に、かなり自嘲的にそう言った。
僕は女の子の外見なんてあまり気にならない方だし、気にしたとしても、アス
カも綾波も十分かわいいから、外見でどっちかを選べなんて僕には無理な話だ。
だから、僕にとって選択基準というのは外見ではなく中身で、と言うことにな
るのだが、それでもやはり難しい。僕はアスカも綾波もよく知っているから、
それぞれの良さと言うものは熟知していると思う。それなので、僕はその良さ
の方向性で、どっちがより好ましいのかを決定するのだ。
綾波は停滞と保守を求め、アスカは進歩と成長を求める。そう考えてみると、
今の僕の状態が綾波であり、僕の理想の成長した姿というのがアスカになる訳
である。心の弱い僕は、得てして綾波の方を好ましく思ってしまうこともある
のだが、それでもやはり、こんな僕であっても成長したいのだ。
そしてアスカは、そう言った僕に対して、何も言えずにいた。しかし、黙って
いたアスカの代わりに、綾波が僕に向かって言った。
「・・・私は・・・・そういう風に、私のことを想ってくれる、碇君が好き。
だから碇君、変わらないで。碇君の頭では変わりたいって思ってるかもしれな
いけど、碇君の心では、自分が変わることを認めていないんだと思う。」
「綾波・・・・・」
「私は碇君がはっきりしなくてもいい。碇君が情けなくてもいい。ただ、碇君
が今のやさしさを持ち続けてくれれば、私はそれで十分。私はそれよりも、碇
君が変にアスカに影響を受けてしまって、碇君が碇君らしさを失ってしまうこ
とを恐れる。碇君も私に言ってくれたじゃない。私らしい私が一番好きって・・・・」
「・・・・・」
「碇君の気持ち、私にもわからない訳じゃない。でもね、碇君。碇君は、アス
カにはなれないのよ。絶対に・・・・・」
綾波の言葉には、重みがあった。僕は綾波の言葉が真実であり、だからこそ僕
の心に強く訴えかけるのだと思っていた。しかし、それでも僕は、心のどこか
でこれはどこかが違うんだって思った。すると、そんな時、アスカが僕に答え
を出してくれた。
「・・・・アタシだって、シンジには今のシンジらしくいて欲しいわよ。アタ
シは今のシンジが好きになったんだし、そういうシンジらしさが、シンジを形
作っているんだから・・・・」
「ならどうしてアスカは、執拗に碇君を変えようとするの?」
「アタシは別に、シンジのいいところ、やさしいところや人を気遣うところを
変えたいとは思わないわよ。アタシが変えたいのは、シンジの悪いところ。」
アスカはそう綾波の質問に答えると、綾波は静かにそっと、つぶやくように言
った。
「・・・・人は完全にはなれないわ。私はそれを知ってる。」
「アタシだって知ってるわよ。でも、完全になれなくても、完全になろうと努
力することは出来るんじゃないの?そしてアタシはシンジだろうとなんだろう
と、努力をする気を持たない奴は許すことが出来ないわ。」
「・・・・・」
「アンタだって、普通の女の子らしくなりたい、とか、シンジみたいに料理が
うまくなりたい、とかって努力したでしょう。」
「うん・・・・・」
「シンジにだって、そういう気持ちがあるのよ。そしてアタシ達には、シンジ
がそう思って努力しようとすることを妨げることは出来ないの。」
「・・・・」
「人は変わりゆく存在なのよ、レイ。それはシンジだけじゃなく、アンタもア
タシも同じ事なの。だから、アンタの好きなシンジも変わって行くけど、アン
タはそれを止めることは出来ないのよ。たとえアンタが努力したとしても、シ
ンジの目から、耳から、さまざまな感覚が、常にシンジに影響を与え続ける。
そしてそれらが、少しずつシンジを変化させていくの。」
「・・・・」
「それでもし、アンタの好きだったシンジじゃなくなったとしても、アンタは
それをどうすることも出来ないわ。無論、それはアタシについても同じ。だか
らアタシは、シンジがアタシの好きなシンジじゃなくなったら、遠慮せずにシ
ンジから離れるつもりよ・・・・」
「・・・・・」
「・・・・まあ、アタシはシンジがシンジじゃなくなるなんて、そんなこと絶
対に有り得ないって思ってるけどね・・・・」
僕はアスカの言葉の一つ一つを黙って考えながら聞いていたけれど、最後のア
スカのそれに、ちょっと疑問を持って聞いてみた。
「・・・・どうしてアスカは、僕が僕じゃなくなることなんて有り得ないって
思うの?」
僕はそれを割と真剣に訊ねたのだが、アスカはそんな僕を一笑に付した。
「ばーか。アンタが考え込みすぎるからよ。全く、年がら年中訳がわかんない
こと考えてるんだから・・・・少しはアタシのことでも考えたらどうなの?」
「か、考え込みすぎるって、そうしたら普通は変わっていくもんなんじゃない
の?」
「それが変わらないのよね。アンタも自分のことなんだからわかるでしょ?う
だうだ考え込んでる人間は、自分の価値基準が確立されてるだけに、なかなか
今の自分を変えることが出来ないのよ。まあ、簡単な話が、頑固者っていうこ
とよね。」
「が、頑固者ねぇ・・・・そう言えなくもないね・・・」
「はっきり言って、アンタは重度の頑固者よ。もう元には戻れないかもね。」
「そ、そう・・・・」
さすがに僕も、そこまではっきりと言われてしまうと、何とも言えなくなって
しまう。確かに僕は人より頑固なところがあるかもしれないが、アスカが言う
ほどひどいものなのだろうか・・・?
僕がそう思っていると、アスカが最後に締めるように言った。
「つまり、頑固なシンジが言えないからアタシが言うけど、アンタとシンジは
一緒にお風呂に入るなんて論外なの。アタシが一緒に入ってあげるから、それ
で我慢なさい。わかったわね!?」
「・・・・うん。取り敢えず・・・・」
「と、取り敢えずって・・・・まあ、いいわ。とにかくアタシ達はもうお風呂
に入って寝るだけなんだし、さっさと入っちゃいましょ。」
「う、うん。」
「じゃ、部屋に戻ってお風呂の支度よ。アタシ達が先に入るから、シンジはそ
れまで好きにしてていいわ。どうせまだ、お父さんとも大して話してないんだ
し・・・・」
アスカはそう言って身を翻し、綾波をも連れて自分の部屋へ行ってしまった。
そして僕は一人お風呂場の入り口に取り残された。僕はアスカの言う通り、父
さんと話をすべきなんだろうけど、その決心がつけられずにいた。そして僕は、
取り敢えず明日の朝食に何が出せるのかと言うことを確認するために、キッチ
ンへと向かうことにしたのだった・・・・・
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