私立第三新東京中学校

第百九十一話・親子


「ここ・・・だね。」
「うん・・・・」
「・・・・」

僕とアスカと綾波の三人は、小奇麗なマンションの入り口の前に立ってそうつ
ぶやいた。

「・・・・」

ほんの数分前の出来事から、僕達の間は何だか気まずい。別にそれまでも会話
が弾んでいたという訳でもないのだが、やはりどこか意識してしまっている。
いつもの僕ならそこで普通の会話をしようと努めるけど、何だか今回はそんな
気にならなかった。それはきっと、今の状況を作った原因が、僕にあるからな
のかもしれない。
アスカは今でも僕のことが好きだと言ってくれた。でも、好きの形が何だか急
に変化したように感じる。どことなくアスカは僕を避けているような気がする
し・・・・
それは僕の気のせいかもしれない。今、僕が明るくアスカに話し掛けたら、ア
スカはいつものように元気に僕に応えてくれるかもしれない。でも、そう思っ
てみても、僕はそれを試す気にはなれなかった。いや、試す気にならなかった
んじゃない。僕は試してみて、最悪の結果が出るのが怖かったのだ。
だから、ここでアスカに話し掛けないのは逃げなのかもしれない。でも、僕は
わざわざ今話す必要はないと思った。後でゆっくり、試す時間は残されている
のだから・・・・

僕達はマンションの中に入り、父さんの部屋を探す。しかし、何だか随分セキ
ュリティーの甘いマンションだ。これくらいの立派なマンションなら、こうも
簡単に部外者を入れないものだが・・・・
僕がそう思うと、アスカも同じ事を感じたのか、独り言を言った。

「・・・何だかあっさりアタシ達を入れちゃうのねぇ。これじゃあミサトのマ
ンションと大差ないじゃない。」

すると、それを聞いた綾波がアスカに言う。

「・・・そうね。でも、機械なんて所詮あてにならないわ。あの人に危害を加
えようとするような人間に対しては、普通のセキュリティーシステムは全く用
をなさないの。」
「・・・なるほどね。アンタの言う通りかもしれないわね、レイ。じゃあ、ネ
ルフお得意の見張りがばっちしいるのかしら?」
「・・・・・今のところ、そういう気配は感じないわ。」
「そう・・・・ってアンタ、気配って、どうしてそんなものわかる訳?いっつ
も疑問に思ってたんだけど・・・・」

アスカの質問は、遠慮がちに行なわれた。それはきっとアスカが、いつか聞こ
う聞こうと思っていたことなのに違いない。まあ、アスカが綾波に関して疑問
を持つのは自然なことだ。アスカは綾波がクローンの技術で生み出されたもの
だということは既に知っているけれど、それが綾波の能力とは完全に結びつか
ないからだ。特にアスカは、綾波が使徒に対抗出来る力を持っている、と言う
話を耳にしている。だから、アスカにとって綾波は謎だらけなのだ。

綾波はアスカの質問に対して、やはりくちごもった。そして静かにアスカにこ
う言った。

「・・・・ただ、感じるの。それだけよ・・・・」
「・・・・・」
「・・・でも、最近少しおかしいの。以前ほど物が見えてこなくって・・・・
だから、私の感覚もあてにならないかもしれないわ。」
「・・・おかしいって・・・・アンタ、何かあったの?」
「別に何も無いわ。」
「でも・・・・」
「何も無くても、私には、何と無く原因がわかるような気がする。」
「・・・・どういうこと?」
「多分・・・・私が普通になったことが原因じゃないかと思うの。」
「ふ、普通って・・・・」
「私が人間に近付くにしたがって、私のそれ以外のものは消えて行ってしまう。
それがどういう根拠から来るものなのかわからない。でも、私に来なかった女
性としての証。それが今になって来たっていうことは・・・・私の心の変化に、
身体も付き従って来ているんだと思う。」
「・・・・・」
「・・・・でも、私は後悔はしないわ。私の力が完全になくなってしまったと
しても・・・・」

綾波の言葉に、アスカは何も言えなくなってしまっている。まあ、「力」だと
か「人間以外のもの」なんてことを言われれば、誰だって黙ってしまうかもし
れない。大雑把にわかっていた僕も、最近の綾波を見るにつけ、あの時のあれ
は何かの間違いなのではないかと思いたくなってしまう。だから、僕も改めて
こうして耳にすると、綾波が人の持たざる力を秘めていると言うことを思い出
させてしまうのだった。

「・・・・碇君?」
「あ、な、何、綾波?」
「・・・もしかしたら、今の私は碇君を守れないかもしれない。私は碇君を守
ることを、使命にしているのに・・・・・」
「綾波・・・・」
「だからごめんなさい、碇君。でも私、今の私が好きなの。たとえ碇君を守る
力がなくなったとしても、私は今の私でいたい。碇君の子供を作れる、今の人
間としての私が・・・・」
「・・・・・」

僕には綾波の意思を否定することなんて出来なかった。綾波が僕を守れないと
しても、僕も綾波には人間として幸せになってくれた方がうれしかった。そし
て僕は、綾波が自分からそう思ってくれたことに、喜びを感じていた。
アスカもそれは同じだったのかもしれない。アスカは綾波のことをあまり知ら
ないけれど、それでもアスカならきっと賛成してくれることだろう。その証拠
に、綾波が僕の子供うんぬんと言った時も、アスカは敢えて何も言わなかった。
いつもだったらアスカはいの一番にそういう発言をたしなめるだろうに・・・・
それは、別にアスカが綾波のそういう意思を認めるという事ではない。アスカ
は、綾波が母親となれる資格を持ったということを認めたのだ。

そして、話は沈黙のまま終焉を迎えた。
一度は歩みを止めて話をしていた僕達も、誰からともなく再び歩きはじめた。

「・・・碇・・・・ここね?」

ドアの前の表札を目にしたアスカが、僕に訊ねるかのように言う。そして僕は、
そんなアスカに小さな声で応えた。

「・・・そう・・・だね。」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・アンタがチャイムを鳴らすのよ、シンジ。」
「うん、わかってる・・・・・」
「アタシ達は所詮アンタのおまけでしかないの。だから、人に頼ることは出来
ないのよ。」
「わかってる・・・・」
「・・・・わかってるなら、それでいいわ。」
「・・・・・・」

僕はアスカに促されて、恐る恐るインターホンのボタンを押す。

ピンポーン!!

「・・・・いないのかな?」
「いるわよ。」

押してすぐ、僕は不安そうに疑問の言葉を口にすると、アスカがきっぱりと否
定の言葉をぶつけた。そして僕はそう断言するアスカに後押しされるように、
もう一度ボタンを押した。

ピンポーン!!

するとひとこと、インターホンから言葉が聞こえた。

「入れ。」

それは紛れも無く、父さんの声だった。そしてそれに続いて、カチっとドアの
ロックが外れる音がした。

「ドアを開けて・・・・いいのかな?」
「当たり前でしょ!?アンタ、自分の父親に開けさせようっていう訳!?」
「そ、それもそうだね・・・・」

僕はアスカの言葉に納得し、ドアにゆっくりと手をかけ、そして開いた。

「・・・・・」
「・・・・・」

何だか久しぶりの親子の対面のような気がした。
本当は昨日、顔を合わせたばっかりだというのに。しかし、学校の堅苦しい一
室で見た父さんと、今ここで見ている父さんは、何だか少し違って見えた。
しかし、父さんは僕を見ても、黙ったきりだ。別に僕は父さんからぺらぺらと
しゃべってくるとは思っていなかったが、それでも少しは話をしてくれると期
待していた。が、僕の考えは少々甘かったようだ。

「・・・つっ!!」

僕が黙って硬直していると、斜め後ろに控えていたアスカが、僕の背中を小突
いて来た。僕はアスカが僕に何を言いたいのかを諒解し、自分から父さんに話
し掛けることにした。

「・・・・来たよ、父さん・・・・・」

今の僕には、それ以外言いようが無かった。
そして父さんは、そんな僕の言葉に、ひとことだけ応えてくれた。

「・・・・そうか。」

それは冷たいと言えばあまりに冷たい言葉だった。
しかし、そんなものは僕ももう慣れっこだ。僕は話を切り出したことで、さっ
きより少し落ち着いて、父さんに話し掛けることが出来た。

「・・・これからお世話になるけど・・・・・」
「・・・ああ。」
「別に迷惑じゃないよね?僕やアスカや綾波が来ても・・・・・」
「・・・・私は別に構わん。」
「・・・よかった、父さんがそう言ってくれて・・・・」
「・・・・・」
「その・・・・あがっても、いいかな?」
「・・・・好きにしろ。お前達の部屋は、きちんと用意してある。」

父さんはそう言うと、いきなり僕に背中を向けて行ってしまおうとする。僕は
いきなりのことにびっくりして、身体を硬直させたが、そんな僕にアスカが耳
元でこう言った。

「ほら、さっさと靴を脱いでいくのよ。」
「えっ?」
「馬鹿ね、ついてこいって言ってるんじゃない。」
「そ、そうか・・・・」

僕はアスカに言われて慌てて靴を脱ぎ、父さんの後に続いた。そしてアスカと
綾波も、同じように靴を脱いで上に上がり、僕の後ろに従う。その間、父さん
は一度たりとも後ろを振り返ろうととなかった。僕が後ろについてくることを
疑いもしていないのか何なのかよくわからないが、とにかくゆっくりとして落
ち着いた足取りで、先へ進んだ。

「・・・・思ったより広いわねぇ、ここ。」

後ろからアスカがそうつぶやく声が聞こえる。
確かにアスカの言う通りで、入り口は貧相とまでは行かないものの、そんなに
立派でもないのに、中に入ってみると、装飾は普通だが、広さに関しては普通
の一戸建てよりもあるような気がした。
っと、僕がそんなことに思いを巡らせていると、父さんが何も言わずに立ち止
まって、そして僕の方を見て言った。

「・・・ここがお前の部屋だ。」

そして父さんは目の前の部屋のドアを開いた。
中は普通の六畳一間で、広さに関しては全く問題はなかった。それに、僕は引
っ越しの荷物が来るまで何にも無しかと思っていたが、ベッドやタンスなど、
ある程度の装飾品は既に用意されていた。しかし、それはまるでビジネスホテ
ルかなにかを感じさせる、至って無個性なものだった。きっとこれは、父さん
か誰かがそういう業者に用意させたのだろう。僕はそれを知ると、仕方ないこ
となのだとわかってはいても、ほんの少しだけ寂しくなった。

「・・・・そしてその隣が弐号機パイロット、続いてレイの部屋だ。」

父さんは感情を感じさせることのない声でそう言った。父さんは全ての感情を
隠しおおせていたが、綾波は父さんの口から「レイ」と言う言葉が出ると、身
体をぴくりと震わせた。
綾波と父さんの間に何があったのか、詳しいことを僕は知らない。ただ、綾波
が完全に父さんを捨てたということは確かなようだった。とにかく、僕は今、
父さんと綾波の問題か何かがここで再燃するのではないかと思った。しかし、
その時アスカが父さんに向かって言った。

「悪いんですが、その、弐号機パイロットって言うのはやめてもらえませんか?」
「・・・・・」
「私には惣流・アスカ・ラングレーって言う名前があるんです。それに、私達
はこれから一緒に暮らすんですよ。だから、そういう風には呼んで欲しくない
です。」
「・・・・それもそうだな。済まない。」
「いえ、わかって頂ければいいんです。だから今度から私のことは、アスカっ
て呼んでくださいね?」
「・・・・わかった。」
「じゃあ、私はあなたのことを・・・・どう呼んだらいいですか?」
「・・・・好きにしたらいい。」
「そうですか・・・・じゃあ、ゲンドウおじさまって呼びますね。」
「ああ、わかった。」
「私のこと、アスカって呼んでくださいね、おじさま。それと、立派なお部屋、
用意して頂いてありがとうございます。」
「・・・・・」
「じゃあ、早速私の部屋、見させて頂きますね。」
「ああ・・・・」

アスカはそう言って、自分に与えられた部屋の中に消えて行った。そしてそん
なアスカに続くかのように、綾波がそっと父さんに言った。

「・・・・私も、部屋に入らせてもらいます・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・」

綾波の言葉に、父さんからの返事はなかった。そして綾波も、黙って自分の部
屋に入って、扉をしっかりと閉めた。

「・・・・・」

父さんは、綾波の部屋のドアを、じっと見つめていた。
僕と父さんは二人きりになったというものの、父さんの意識は僕には向けられ
ていなかった。しかし、綾波の部屋を見ていたからと言って、綾波の事だけを
考えているようにも見えなかった。

「・・・・父さん・・・・?」

僕は父さんに背中から呼びかける。
すると父さんははじめて僕がいたことに気がついたかのように、こちらを向く
と返事をした。

「・・・・何だ、シンジ?」
「・・・いや・・・・何でもないんだけど。」
「そうか・・・・」

父さんはそう言ったけれど、再び僕から視線を外すようなことはなかった。

「・・・・父さんは、食事とか、どうしてるの?」
「・・・どうしてそんなことを聞く?」
「いや、なんとなく、なんだけど・・・・・」
「・・・・・私は食事はすべて外で済ませている。そもそもここにいる時間も、
ほとんどないからな。」
「・・・そうなんだ・・・・・でも、ちゃんとしたものを食べないと、身体に
悪いよ。」
「・・・・・」
「・・・だから・・・・その・・・・・明日から、僕が父さんの食事、作って
あげるよ。」
「・・・・そうか・・・・」
「いいかな、作っても?」
「・・・ああ。」
「ちゃ、ちゃんと栄養のこととかも考えて作るからね。だから、だから・・・・」
「・・・・・」
「・・・そ、その、材料とか道具とか、あるかな?」
「・・・・・ああ。取り敢えず、置いてある。」
「よ、よかった。じゃあ、明日を楽しみにしててね!!ぼ、僕はこれで。」

僕はそう言うと、父さんの返事も待たずに自分の部屋に飛び込んでしまった。
やはり父さんと話す時は普通に話せなくなる。しかし、今日のところはこれく
らいでいいと思った。綾波も父さんとは会話出来なかったし、アスカまでアス
カらしくもない堅苦しい敬語で話していたのだ。だから僕も、そのうち慣れて
くればそれでいいのだ。今はただ、会話をすることが出来れば・・・・

僕は自分の部屋に入った後も、入ってすぐのところにへたり込むように腰を下
ろしていた。すると、僕の耳に父さんの立ち去る足音が聞こえた。そして完全
に聞こえなくなると、僕は思わず笑みをこぼしてしまった。
僕が笑みをこぼした理由、それは、父さんが食事はすべて外でしていると言っ
たにもかかわらず、ちゃんと材料を準備しているということだった。つまり、
父さんは僕が料理をするということを知っていて、それでわざわざ準備してく
れたのだ。父さんはあんな僕のことを気にもとめないような顔をしていたが、
やっぱり少しは僕のことを考えていてくれてるんだ。
僕はそう思うと、またうれしさがこみ上げてきた。そして明日の朝食は、腕に
よりをかけてごちそうを作ろうと思ったのだった・・・・・


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