私立第三新東京中学校

第百八十六話・幸せの味


「シンジぃ!!ごはんまだぁ!?」

アスカは子供みたいに両手に箸を握ったまま、テーブルをどんどん叩いている。

「はいはい、すぐご飯にするから待っててね。」
「全く、アンタとレイ、二人もいてどうしてこんな時間かかるのよ!?」
「まあまあ、これでも急いでるんだから・・・・」
「ほんとに!?とにかく、早くしなさいよ!!アタシ、おなかぺこぺこなんだ
から!!」

アスカは、いつものようにエプロンを着けて台所に立つ僕を大きな声で急かし
た。しかしまあ、こういうアスカは嫌いじゃない。何と言ってもアスカらしい
し、しおらしくされているよりよっぽどましだ。だから、アスカの言葉はあま
り僕にとっては効果がなかったかもしれない。僕はアスカの様子に笑みをこぼ
しながら、傍らに立つ綾波に話し掛けた。

「・・・しかし、綾波には済まないことしたね。」
「どうして?」
「いや、綾波に食事の支度を任せるなんて言っちゃったけど、何も材料がなく
ってさ・・・・」
「別に碇君のせいじゃないわ。それに、碇君がそう言うなら、私にも買い物に
行こうとしなかった責任がある・・・・」
「何だか慌ててたからね。僕も買い物のこと、すっかり忘れてたよ。」
「うん・・・・」
「取り敢えずご飯と味噌汁とほうれん草のごまあえはあるけど・・・・」

僕がそう言うと、綾波がその言葉を継いだ。

「他には何もない・・・・わね。」
「うん。どうする、綾波?」
「・・・・ごめんなさい。私、碇君みたいにそういうの、慣れてないから・・・・」
「ま、まあ、それもそうだよね。それに、僕もここまで何にもないと、おかず
を作るにも作れないよ。」

それは難しい問題だった。
普通の人には大した問題じゃないかもしれなかったが、少なくとも僕と綾波に
とっては、大問題だった。僕も綾波も、料理を愛し、料理に誇りを持っている
のだから・・・・だから、いい加減なものを出したくはなかったのだ。

「もう、何二人でこそこそ話してんのよ!?まだ出来ないの!?」

僕が綾波と相談していると、アスカが痺れを切らし始めてこう叫んだ。僕はそ
んなアスカに振り向いて顔を見せると、いい訳がましく応えた。

「材料がないんだよ、アスカ。だから、綾波と悩んでたんだよ・・・・」
「もう、適当でいいわよ!!どうせないものはないんだから!!」
「・・・・わかったよ、アスカ・・・・」

僕はしぶしぶそう言うと、再びアスカに背を向けて綾波に話した。

「どうする、綾波?アスカはああ言ってるけど・・・・」
「・・・・碇君に任せる。碇君が決めて。」
「う、うん・・・・・」

綾波にそう言われて、僕は少し考え込んだ。
よく考えると綾波も気楽なものだ。困ったことは、僕に任せればいいのだから。
でも、僕は料理に関しては綾波を教える立場にあったので、綾波の採った態度
は別に問題などひとかけらもない。だから僕の考えは、僕の勝手なものにしか
過ぎないのだ。
しかし、アスカの意見も一理ある。材料がほとんどないのであれば、いくら頑
張ったとしても、やはり大した物は出来ないだろう。だから、そんな事に気合
いを入れるのは、労力の無駄遣いでしかない。アスカの意見はおおざっぱな感
じこそするが、中身は至って現実的なのだ。そしてそういうところが、アスカ
のアスカらしいところでもあって、なかなか僕も憧れるところがある。

「・・・・・・しょうがない、今日はふりかけにしよう。」

とにかく僕は決断して、綾波にこう言った。

「・・・・ふりかけ?」
「うん。手抜きの極致だけど、もうやむを得ないよ。アスカも適当でいいって
言ってることだし・・・・」
「・・・・碇君がそういうのなら・・・・」
「僕だってこんなこと言いたかないよ。まあ、綾波なら僕の気持ち、わかって
くれると思うけど・・・・」
「うん・・・・」
「じゃあ、綾波もテーブルに運ぶの手伝って。」
「うん、碇君・・・・」

こうして、僕と綾波は少ない量を二人して分けて運んだ。僕達が運び始めたの
を見たアスカは、ようやく完成したのだと思って少し瞳を輝かせながら言った。

「まったく、やっと出来たの?遅かったじゃないの・・・・・」
「ご、ごめん、アスカ・・・・」
「まあ、もういいわよ。とにかくさっさとはじめましょ。」

アスカはそう言ったが、まだ更に何かおかずがあることを疑ってはいない。だ
が、そんなもの何もない僕達は、アスカの期待を裏切るようにすっとそのまま
席に着いた。そしてアスカは、信じられないといった顔をして、僕に向かって
言った。

「・・・・シンジ?どうして座っちゃうのよ?まさか、これで全部なわけない
わよねぇ?」
「・・・・う、うん。まあ・・・・」
「だったら早く持ってきなさいよ。もう、じれったいわねぇ・・・・・」

・・・・アスカにそういう態度を採られると、僕もなかなか言い出しにくい。
しかし、今更ごまかす訳にも行かなかったので、席を立つ代わりに、すっと傍
に手を伸ばし、ふりかけの瓶を手に取った。そして、テーブルの真ん中、みん
なの注目の集まるところにドンと置いた。
僕はかなり真剣だったのだが、アスカは僕のつまらない冗談だとでも思ったら
しく、僕に向かってこう言った。

「もう、冗談はやめてよね、シンジ。そんなふりかけなんて・・・・・」
「・・・・・」

僕の答えは沈黙だった。そしてその顔は、これが冗談などではないことを、は
っきりと示していた。その僕の意思表示にアスカも気付いて、アスカの口調が
変わった。

「・・・・も、もしかして・・・・・」

そして僕は重々しくうなずく。


「ア、ア、アンタバカ!?ふりかけなんて、朝じゃあるまいし、やめてよね!!」

ようやくアスカは真実を悟り、僕を大きく非難した。僕はそんなアスカに対し
て、またもやいい訳がましくこう言った。

「・・・・仕方ないだろ?なんにもないんだから・・・・」
「な、何にもないって言ったって、物には限度ってものが・・・・」
「僕だってこんなことにはしたくなかったんだよ。それほどまでに、冷蔵庫は
空っぽなんだよ、アスカ・・・・」

そして、僕をフォローするかのように、綾波が僕の後に続いてアスカに言った。

「・・・・碇君のつらい気持ち、わかってあげて。あなた・・・アスカよりも
一番つらいのは、他ならぬ碇君なんだから・・・・」

綾波の目は、アスカに懇願していた。そしてアスカは、綾波にアスカと呼ばれ
ることによって、今まで以上に綾波に弱くなっていたのも事実だった。それに
プラスして、綾波のこの表情があれば、いくらアスカと言えどもその頼みを拒
絶することは出来ないだろう。

「・・・・わ、わかったわよ。だからアンタも、そんな顔しないでよ。まった
く、やりにくいったらありゃしない・・・・・」

アスカは口ではそう言いながらも、何だか照れくさそうな顔をして綾波に言っ
た。そしてそんなアスカを見た綾波は、すぐさまアスカに頭を下げてお礼を述
べる。

「・・・ありがとう、アスカ・・・・・」
「いや、いいのよ、別に。そ、それに、たまにはこういう質素なのもいいじゃ
ない。いっつもシンジの作るごちそうばっかり食べてると、よそに行った時、
あんまりまずくってご飯食べられなくなるしね。」
「・・・・」
「だ、だからもう、そんな事どうでもいいわよ。とにかくさっさと食べて、荷
造り手伝ってもらわなくっちゃね。」
「うん・・・・ちゃんとしたのを作れなかった分、私も頑張ってお手伝いする
から。ね、碇君?碇君も・・・・・」

綾波はそう言って、僕に振ってきた。無論、僕は綾波に合わせてアスカに言う。

「もちろんだよ。僕と綾波、二人で気合入れて、アスカを手伝うからね。」
「・・・・」

少し調子がよすぎたかもしれない。アスカは綾波には甘くなっていたとしても、
僕にはいつもと同じであった。だから今も、僕のことをジト目で見つめている。
僕はそんなアスカの視線に耐え切れずに、ごまかすように大きな声を出して言
った。

「じゃ、じゃあ、早速食べよう!!いっただっきまーす!!」

僕はそう言うと、ご飯にばさばさとふりかけをかけて、慌てるようにして食べ
始めた。そしてそれを見た綾波も、両手を合わせていただきますのあいさつを
した。

「・・・・いただきます・・・・」

僕はそんな綾波に、黙ってふりかけの瓶を差し出す。

「ありがとう、碇君・・・・」

綾波は丁寧にそう応えると、僕の手から瓶を受け取り、さらさらと上品にふり
かけをかけた。そして綾波も僕と同じようにアスカに向かって瓶を差し出して
言った。

「はい・・・・」
「あ、ああ、ありがと・・・・」

アスカは自分を置いて勝手に進んだ流れに呆気に取られながらも、綾波の手か
らふりかけの瓶を受け取り、あまり考えもせず綾波にお礼の言葉を口にした。
するとそんなアスカに対して、綾波はアスカににこっと微笑みかけるとあいさ
つを返した。

「どういたしまして・・・・」

アスカは、やけに丁寧な綾波の様子に、かなりの戸惑いを見せている。アスカ
にとっては、綾波は何と言ってもやはりそっけなくて無愛想なものだとという
印象しか持っていなかったのだろう。しかし、今はじめてアスカは綾波の好意
と信頼を受けて、綾波にそう言う目で見られるということがどういう事なのか
を、今はじめて悟ったように見えた。
まあ、僕から見ても今の綾波というのはいつも以上に丁寧なように感じたし、
微笑みもきれいだった。やはり綾波は、アスカにそう思われているのだという
ことが、とても表現しきれないくらいにうれしいことだったのかもしれない。
とにかく今の綾波は、幸せに包まれているように見えたのだった。
そしてアスカは、そんな綾波を直視することが出来なくて、さっとふりかけを
ご飯にかけると、お茶碗を手にして顔を隠した。まあ、アスカの今の気持ち、
僕にはわからないでもない。僕も今の綾波の微笑みを正面から受け止めること
は出来ないだろう。
なぜなら、綾波の僕達に向ける心があまりにもきれいすぎて、純粋すぎて、自
分の醜い心が見られてしまうのではないかと思うからだった。別に僕だって、
そんなに人目を気にするほど、悪いことをいつもいつも考えている訳ではない。
いや、むしろ世間一般で言えば、僕などは割と善良な部類に入るだろう。
しかし、綾波は世間一般とは違うのだ。綾波の周りには、今まで悪い人なんて
いなかったから、悪い心を知る機会がないのだ。だから、いまだに綾波も心は
きれいなままだ。たとえ綾波が常識的なことを身につけて行ったとしても、綾
波に人の汚い部分を見せる人間がいない限りは、綾波は汚れることがないかも
知れない。
果たしてそれが綾波にとってどうなのか、僕にはわからない。ただ、僕の勝手
な意見では、綾波には今のきれいなままでいて欲しいと思う。それが綾波と他
の人間との違いを生む原因となったにしても、それは綾波の綾波らしさという
範疇の中に納まるといってもよいのではないだろうか?

「・・・食事はわびしいけど、なんだかいいね、こういうのって。」

僕は茶碗を手にしたまま、唐突にそんな事を口にした。そしてそれを聞いたア
スカと綾波は、揃って僕の方に視線を向ける。

「・・・・・アンタの言うこと、わからないでもないわね、今のアタシには・・・・」

アスカは僕の言葉に対して、そう応えてくれた。そして綾波は、僕とアスカ、
二人の言葉を耳にして、首をひねりながら疑問の言葉を口にした。

「・・・・わからないわ、私には・・・・・」
「つまり、簡単に言えば、わびしい食事でも、家族がいればそれだけで楽しい
ってことよ。アタシ達はいろいろギクシャクしてたけど、やっと少し落ち着い
たんじゃないかなって思って・・・・」
「・・・・そう・・・・なるほど。」
「なるほど・・・って、アンタ、ちゃんとわかってるの!?」
「・・・・たぶん。私とあなたが名前で呼び合えるようになった、そういうこ
とでしょ?」
「まあ・・・・そういうことね。」
「私と碇君、あなたと碇君はそれぞれつながってた。だから、私とあなたの関
係は、碇君を通した間接的なものでしかなかった。でも、今は・・・・」
「シンジは関係ない、ってことよね。」
「うん・・・・」
「関係ないって言ったらおかしいかもしれないけど、少なくとも、アタシとア
ンタの関係が、もっと直接的になったのは事実ね。違う?」
「・・・違わない。」
「だからこそ、このふりかけごはんも、いつもよりずっとおいしく食べられる
のよ。」
「うん・・・・」

綾波がアスカの言葉にこくりとうなずくと、アスカは僕にも話し掛けてきた。

「アンタもおいしいわよね、これ?」
「う、うん・・・・僕も、アスカの言う通りだと思うよ。」

僕はそう言うと、まるで見せ付けるかのようにご飯を口に運んでもぐもぐとや
って見せる。すると、そんな僕に向かって呆れたようにアスカが言った。

「アンタ・・・その演技過剰なの、何とかならないの?わざとらしいったらあ
りゃしない。」
「ち、違うよ!!演技なんかじゃないってば!!」
「だから、わざわざそんな事をして見せるのが、わざとらしいって言うのよ。
アンタがあんまりあれだと、アンタなんか見捨てちゃうわよ。アタシには、ア
ンタだけじゃなく、レイもいるんだから・・・・・」

アスカが言ったのは無論冗談でのことなのだが、綾波はまだアスカのそういう
ところを完全には把握していない・・・・というよりも、知っててアスカに向
かってこう言った。

「・・・・アスカが見捨てるなら、私が碇君を拾ってあげる。アスカ、いらな
いんでしょ?」
「な、な、何いってんのよ!!軽い冗談に決まってるでしょ!?いらないわけ
ないじゃない!!」
「・・・・ざんねん。」
「もう・・・・アンタもひどいわね!!最近こういうの、多すぎるわよ!!」
「それは、アスカがそんな事言って、碇君を困らせてばっかりいる証拠じゃな
いの?」
「・・・・困らせてなんかいないわよ。シンジはアタシのこれがないと、寂し
くなっちゃうんだから・・・・」
「・・・・ほんとに?」
「本当よ。シンジはもう、アタシにどっぷりなんだから・・・・でしょ、シン
ジ!?」

アスカもとんでもない事を言う。もちろん僕はアスカの言葉に反論して見せた。

「ど、どっぷりなんて・・・・そんなわけないじゃないか。」
「ほんとに?」
「本当だよ。」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとに!!」
「ほんとのほんとのほんとに!?」
「ほんとのほんとのほんとに!!」

・・・・アスカがあんまりしつこいので、僕も大きい声を出してしまって少し
息を切らしてしまった。そして、アスカは僕ほど息を切らしてはおらずに、不
思議な笑みをこぼしながらこう言った。

「ふふふっ、こんなアタシにむきになって付き合ってるようじゃ、アタシには
まってるっていうのを否定は出来ないわよ。」
「・・・・ど、どういうことだよ、それ・・・・?」
「アンタみたいなおまぬけさんは、アタシくらいじゃなきゃ駄目ってことよ。
だからアンタもアタシにはまってるし、アタシも・・・・・」

アスカはそれ以上は言わなかった。が、僕も綾波も、その後に来る言葉がなん
なのか、はっきりとわかっていた。
そして僕はそんな恥ずかしそうにしているアスカを見、一方で今にもメモをと
り出しそうな顔をしている綾波を見て、何だか楽しくなってしまった。

別に大した事じゃない。
でも、何だか楽しくってしょうがない。
僕はその原因を知っていた。
それが、幸せというものであることを・・・・・


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