私立第三新東京中学校

第百八十話・心を偽る不完全な僕達


「はぁ・・・・荷造り、めんどくさいなぁ・・・・」

アスカが歩きながらそうつぶやく。
僕達は放課後、洞木さん達に先に帰ってもらって、冬月校長に父さんの家の住
所を聞いて来たのだ。そして今、僕はアスカと綾波と三人で、ミサトさんのマ
ンションに向かって帰るところだ。

「なんなら業者の人にやってもらっちゃえば?アスカは僕達なんかより、荷物
持ちだし・・・・・」

僕がそうアスカに言うと、アスカは大きな声でそれを否定して言った。

「馬鹿なこと言うんじゃないわよ!!アタシの持ち物を他人にほんのちょっと
でも荒らされるなんて、我慢できないわよ!!」
「そ、そう・・・?」
「そうなのよ!!だからアンタも、指一本アタシの荷物に触れるんじゃないわ
よ、いいわね!!」
「わ、わかってるって・・・・そんなことしやしないよ。でも、僕達が手伝わ
なくて、今日一日で全部荷造りし終えること出来るの?」

僕は少し心配に思っていた。
僕の荷物はそんなにないし、適当でも構わない。また、綾波に関しては、僕以
上に荷物が少ないし、引っ越してきたばかりだから、また引っ越して行くと言
うのにもさほど抵抗もないだろう。しかし、アスカの場合、洋服に関しては何
着持っているかわからないし、それ以外に女の子らしいちょっとした小物類も
たくさん置いてあるように感じる。アスカは掃除をまめにしているというよう
には見えないが、それでも収納に関してはしないととんでもないことになると
思うので、きっときちんと目に見えないところは整理されているのだろう。
だから、荷造りをするにも相当手間がかかるに違いない。僕はそう思うので、
僕と綾波が自分達の荷物を手早くまとめたら、アスカの荷造りを手伝おうと思
っていたのだ。アスカも僕に見られたくない荷物の一つや二つはあると思われ
るので、僕にそう言ったのだろうが、やはりそう言う細かいところ以外のとこ
ろに関しては、僕が手伝う必要性を感じていた。
しかし、僕がアスカにそう訊ねると、アスカはきっぱりと僕にこう言った。

「出来るわよ!!アンタに心配されなくても一人でやって見せるわ!!」
「そ、そう・・・・わかったよ、アスカ。じゃあ、ひとりで大変だと思うけど、
頑張ってね。荷造りを終えたら、その足で父さんのところに行くから・・・・」

僕はアスカの強い意志に負けて、手伝うのは断念した。そして、アスカに頑張
るよう励ましたのだが、アスカはその僕の言葉を聞いて、少し心配そうに訊ね
てきた。

「ア、アタシが遅いからって、先に行っちゃうなんてことはないわよね・・・?」
「もちろんだよ。でも、取り敢えず僕は今晩寝るのは既に父さんのところでに
しようって考えてたんだけど・・・・」
「えー・・・・じゃあ、アタシが早くしないとまずい訳?」
「まあ、そういうことになるね。」
「・・・・・」
「ちょっと無理?」
「そ、そんなことはないわよ!!ないと・・・・思うけど・・・・」
「な、何だか頼りないね。」
「う、うるさいわね。アタシはやるといったらやる女なのよ。」
「そ、そう・・・・じゃあ、こんなところでのんびりしてる訳にもいかないね。
走って帰ろうか?」
「・・・・・・ありがと、シンジ・・・・」

こうして、僕達はアスカの荷造りのために、走って帰ることにした。

「あ、綾波は別に走る必要はないんだよ。きつかったら歩いて帰っていいから。」

僕は自分の横を走る綾波に向かってそう言った。すると綾波は僕に向かって割
と平気そうな感じで言った。

「・・・・平気よ、碇君。碇君も走っているなら、私も走るわ。それに、碇君
こそわざわざ走る必要もないんじゃない?」

綾波のその言葉に、僕は一瞬言葉が見付からなかった。すると、綾波に続いて
アスカが僕に言った。

「レイの言う通りなんじゃない?わざわざアタシのためにアンタまで走ること
はないわよ。」

アスカは言葉ではそう言っていたが、顔では僕がそれを受け入れたとしたらと
んでもない結果が待っていそうな、そんな含みを持った表情をしていた。が、
しかし、アスカがそんな脅しを僕にかけなくとも、僕は元々アスカだけを一人
で先に行かせる気持ちなんて毛頭なかった。僕には走る必要がないとは言え、
とことこ呑気に歩くなんて、僕にはとんでもないひどいことのように感じられ
たからだ。
しかし、僕がアスカのその表情を見てしまった以上、ここですんなりアスカの
言葉を否定すると、僕がアスカを恐れてそういう態度を採ることにしたと思わ
れたくないので、僕はアスカに向かってこう言うことにした。

「・・・・そんな怖い顔しなくてもいいよ、アスカ。わかってるから。」
「・・・・・・」

僕がそう言うと、アスカはいっそう怖い顔をした。何か悪いことを言ってしま
ったんだろうか?全く、アスカが余計なことをしなければ、こんな事をわざわ
ざ言わずに済んだというのに・・・・

「・・・・アスカだって、僕がそんなつれないことが出来るなんて、思ってな
いだろ・・・・?」

僕は、アスカが僕のことをわかってくれていると思っていた。だから、アスカ
がそういう風にいつものように僕を脅すようなことをしたとしても、アスカが
心からその必要性を信じているとは全く考えていなかった。

「・・・・・」
「・・・私はわかっているつもりよ、碇君のこと・・・・」

アスカが黙っていると、綾波が僕に向かってこう言った。すると、それを聞い
たアスカが、ぴたりと足を止めた。僕と綾波も、慌てて走るのをやめて、アス
カの横についた。

「ど、どうしたの、アスカ?」
「・・・・」

アスカは僕の問い掛けにも返事をしようとはしなかった。そして、僕の方にも
顔を見せようとはせず、そっぽを向いていた。

「・・・・アスカ?」
「・・・・・・・・・・ごめん、シンジ・・・・」

アスカは長い沈黙の後、かすかな声で僕にそう言った。

「ア、アスカ・・・・別にアスカが謝ることじゃないよ。」

僕はアスカのつぶやくような謝罪の言葉に、慌ててそれを否定した。するとア
スカは、まだ小さな声で僕にこう言った。

「・・・・・ううん、アタシが悪いの・・・・・・シンジに走らせることにな
ったのは、アタシのわがままとシンジのやさしさのせいなのに、それなのにア
タシは、意地の悪いことしか言えないんだもんね・・・・・」
「・・・アスカ・・・・」
「・・・・素直じゃないアタシが悪いの。ヒカリともお昼休みに話をしたんだ
けど、アタシはいっつも素直に思ったことを口に出せずに、それで苦労ばっか
りしてるって・・・・」
「・・・・・」
「ほんとはシンジに、手伝ってもらいたかったんだよね。アタシ、別に今更シ
ンジに見られて困るものなんてないんだし・・・・・」
「・・・・・」
「でも、アタシは勝手にシンジに迷惑をかけたくないとか何とか、自分の中で
理由をつけて、シンジに手伝ってあげようかって言われた時、拒んじゃったの
よね・・・・ほんとは、そう言われて、すごくうれしかったのに・・・・・」
「・・・・・」
「だから・・・・・・手伝ってくれる?これが、アタシの本心だから・・・・」

アスカは、僕の顔を真正面から見ずにそう言った。やはりアスカには素直に自
分の気持ちを伝えるというのが難しいのかもしれない。時にはアスカも、僕に
対して素直な自分の想いをぶつけてくることがあるのだが、それでもやはり、
基本的にアスカの言葉はアスカのことをよくわかっていない人にとっては、素
直でないわがままで自分勝手な言葉にしか取れないようなものばかりであった。
でも、僕はそんな不完全なアスカに、自分とのおかしな類似性を見出し、そう
いうアスカの振る舞いを心地よくすら思うことも多かった。
そしてまた、そういう意地っ張りなアスカが、自分の本心を見せる時は、綾波
の滅多に人に見せない微笑みと同じで、美しく、価値のあるものだった。

「・・・・もちろん手伝うよ、アスカ・・・・・」

僕はそんなアスカを、染み入るようなやさしい微笑みで以って受け止めてあげ
た。するとアスカは、まだ僕の顔を見ることが出来ずに、自分の気持ちを表す
かのように顔を赤く染めると、小さく僕にこう言った。

「・・・・・ありがと、シンジ・・・・・」
「・・・じゃあ、もう走る必要もないね。僕が手伝うんだから・・・・」

そして僕はそう言うと、今度は反対側に立っていた綾波に頼んだ。

「・・・・悪いけど、よかったら綾波もアスカのこと、手伝ってくれる?」

綾波はその僕の言葉を聞くと、一瞬ビクっとして、それからこう応えた。

「・・・で、でも・・・・・」

綾波はそう言うと、アスカの方にちらりと視線を向ける。すると、アスカはそ
れに気付いて綾波に向かって顔を上げてからこう言った。

「・・・・別に構わないわよ、アタシは・・・・・」
「・・・・・」
「アタシはこういうのを利用してシンジと二人っきりになろうとかそんなけち
臭いことを考えてる訳じゃないし、アンタにも、見られて困るものなんてない
だろうからね・・・・」
「・・・・・」
「アンタがアタシのこと、どんなに嫌な奴って思ってるかは知らないけど、ア
タシはアンタのこと、シンジとはまた別な意味で特別に思ってるし、嫌っても
いないから・・・・」
「・・・・・」
「・・・だからアンタもアタシの荷造り、手伝ってくれる?アタシ達の好きな
シンジが、一刻も早くお父さんのところに行けるように・・・・」
「・・・・碇君の・・・ため・・・?」
「まあ、言ってみればそうよ。この引っ越しに一番期待してるのは、他ならぬ
シンジなんだし、アタシ達はシンジと一緒にいられれば、どこだろうと場所な
んか関係ないからね。」

アスカは綾波のことをよくわかっているらしい。アスカが綾波について言った
ことは心からのことだろうが、それ以上に確実に綾波を動かすためのものとし
て、僕を用いたのはさすがアスカと言ったところだった。

「・・・・あなたの言う通りね。わかったわ。私も、碇君と一緒にあなたを手
伝うことにするから・・・・」
「・・・・済まないわね。まあ、三人でやればすぐ終わるだろうし、そんなに
重いものはないと思うから。」
「・・・・そう・・・・・」

そして僕は、これで取り敢えず万事上手く行ったと思ったので、少し明るく二
人に向かって呼びかけた。

「じゃ、じゃあ、そういうことでもう行こうか!!三人でアスカを手伝うって
言っても、そんなに時間がある訳じゃないんだし!!」

僕がそう言うと、アスカはじろっと僕の顔を見てこう言った。

「・・・・アンタ、わかってるの?」
「な、何が?」
「・・・・アタシ達は別に引っ越しなんてする必要はないのよ。これもみんな、
アンタのわがままなんだからね。」
「そ、そうだね・・・・ごめん・・・・・」

僕はアスカの指摘することをもっともだと感じたので、素直に謝ったのだが、
アスカはそんな僕に向かってこう言った。

「アタシ達が求めてるのは、アンタの謝罪の言葉じゃないわ。」
「・・・・うん。」
「と言っても、キスを求めてる訳でもないの。アタシはもう、そういうキスは
卒業したから・・・・」
「じゃ、じゃあ、僕はどうすれば・・・・?」

僕は、アスカの求めるものが何なのかわからなかった。いつものアスカなら、
ここでキスを迫ってきたりすると思うのだが、それは自分から否定した。そう
なると、あと何が残されているのか、僕には皆目見当がつかなかった。
そして、僕がそうアスカに訊ねると、アスカは僕に向かってきっぱりと答えた。

「何もしなくていいわ。」
「え・・・・?」
「ただ、シンジが常にそのことを頭の片隅にでも置いておいてくれればいいだ
け。そうすれば、今みたいな呑気なことも言えないでしょ?」
「・・・・・」
「アタシは別に、アンタにそれを強制するつもりはないわ。別に恩着せがまし
いことを言おうと思った訳でもないから・・・・ただ、アタシの行動の原因が
シンジにあるっていうことを把握して、その言葉にも少しだけ配慮が欲しい訳。
わかる・・・?」
「・・・・わ、わかった。」
「ならいいわ。アンタの言う通り、時間もないんだし、さっさと帰りましょ。」

アスカはそう言うと、さっと僕の手をつかんで歩き始めた。そして、僕が驚き
の声を上げる前に、綾波もアスカに倣って僕の手を取ると歩き始めた。僕はそ
の二人に引っ張られて、後について行く。
こうして僕は、僕のことを顧みることもなく先へと進む二人の後ろ姿を見なが
ら、僕と、そしてアスカと綾波の二人を交えた、この三人の関係について、考
えを広げずにはいられなかったのであった・・・・・


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