私立第三新東京中学校

第百七十九話・受け継がれる時間


食後の穏やかなひととき。
大体の人間が食事を済ませた教室の中は、午後の授業が始まるまでのしばらく
の間、各々が好きなことをしていた。そして僕達も、割とゆっくりめの食事を
終え、辺りを片づけると、そのままいつものように会話を始めた。

「ところでアスカ?」

話の口火を切ったのは、洞木さんだった。

「なに、ヒカリ?」
「さっきの話からすると、アスカ達は今いる葛城先生のマンションから引っ越
しちゃうんでしょ?」
「そうよ。」
「じゃあ、あたし達は明日の朝からどうしたらいいかな?今は毎朝迎えに行っ
てるけど・・・・」
「あ・・・・そう言えばそうね・・・・」

アスカは洞木さんの言葉に、初めてそれに気付かされたような声を発した。そ
して洞木さんは、そんなアスカに向かって続けて言う。

「だから、その引っ越し先があたしの家と学校の間に位置してるなら、いつも
のように迎えに行くんだけど・・・・場所はどこなの?」
「それが・・・・わかんないのよ、まだ。」
「本当!?」
「う、うん。一応今日の放課後にでも、校長先生から聞こうと思ってるんだけ
どね。」
「・・・・校長先生?碇君のお父さんはここの理事長なんでしょ?なら、本人
に直接聞いてみればいいのに・・・・」

洞木さんが、アスカに向かって至極もっともな提案をすると、アスカは困った
ような顔をして、洞木さんに応えた。

「・・・・怖いのよ、碇理事長って・・・・」
「・・・・怖い?」
「そうなのよ。シンジは実の父親のくせにどっぷりコンプレックスを持ってる
し、そうでなくても何考えてるのかわかんない顔をしてるから、近寄りがたい
のよね・・・・」
「そう・・・・あたしはよくわかんないけど、まあ、校長先生が感じのいい人
だって言うのはわかるから、そうした方がいいかもね。」
「そうね。冬月校長は、ネルフの副司令だった時から穏やかな老人ってかんじ
で、アタシも結構好きな部類の人間だったから、わりかしそういう話をしやす
い人間だと思うわ。」
「ふーん・・・・アスカもそう思ってるんだ・・・・だったら本当のいい人か
もね?」
「・・・・どういうことよ、それ?」

アスカは洞木さんの言葉に、ジト目で返した。すると、洞木さんは少し慌てた
様子を見せて、アスカにフォローした。

「い、いや、アスカって、なかなか人を誉めるってことないじゃない。実際碇
君のことだって、あんまり口ではいいこと言わないし・・・・だから、そんな
アスカがそう言うなんて、ほんとにいい人なのかなって思って。」
「・・・・アタシには関係ない人間だからよ。だから、感情のこもらない、客
観的な立場で判断が下せるんだと思うわ。」

アスカは洞木さんの言葉に、静かにそう応えた。少し冷たい感じのするアスカ
のその言葉に、洞木さんは何か裏があるのかと思って、少し戸惑いを見せた。
すると、アスカはそんな洞木さんに向かって、説明するようにこう言った。

「・・・・アタシ、素直じゃないでしょ。心に思ったままのことを口には出せ
ずに、いっつも反対のこと、言っちゃったりして・・・・」
「アスカ・・・・わかるよ、アスカの言ってること。」
「・・・・そう・・・ヒカリも・・・・だもんね。」
「うん。でも、あたしはもう、そろそろそれからは卒業かな?アスカを置いて
行くようで悪い気もするけど・・・・」
「そんな悪くなんてないわよ。おめでとう、ヒカリ。」
「・・・ありがとう、アスカ。アスカも早く、素直になれるといいね。」
「・・・・だといいんだけどね・・・・・」

やけにしんみりした二人の会話に、誰も入ってくることは出来なかった。僕は
それでも何だか少し興味深い話だったので、傍らで聞き耳を立てていた。する
と、そんな僕の肩を叩いてトウジがこう言った。

「・・・やめようや、余計な詮索をすんのは・・・・・」
「あ、ご、ごめん。」
「いや、別に悪くはないんやけど、立ち聞きなんてあんまり感心でけへんしな
あ・・・・せやから、わいらはわいらで別の話でもしよかと思うてな。」
「そ、そうだね。じゃあ、僕達では別に何か話でもすることにしよう。」
「ほな、シンジは賛成やな。あとはケンスケと・・・・おい、綾波!!綾波も
たまには会話に加われや。」

トウジは綾波にそう呼びかけた。綾波はいつも僕達の話に関しては注意深く聞
いているようだったが、自分から話の輪に入ってくることはあまりなかった。
特に、僕とアスカ以外の人間には、向こうから話し掛けられない限りは滅多に
自分から話をすることはなかった。だから、綾波はいつも聞くだけの自分がい
きなり話の輪に入れと言われたので、珍しくびっくりして声を上げた。

「わ、私が?」
「せや。わいらが聞く綾波の話は、たいていシンジの話やからな。せやからた
まには他のことも話をせいや。そうすりゃあ、わいらも少しは綾波のことがわ
かるっちゅうもんやし・・・・」
「・・・でも・・・・・」

綾波は少し、不安げな様子だった。そして、それを見た僕は、綾波を励ますよ
うにこう言った。

「心配することはないよ、綾波。綾波には、僕がついててあげるから・・・・」
「・・・碇君・・・・」

僕がそう綾波に言ってあげると、綾波はひとこと僕の名前を呼んで、それから
こくんと小さくうなずいた。すると、それを見たトウジが、僕に冷やかすよう
に言った。

「さすがやなあ、シンジは。今では女の扱いには手慣れたもんやな。」
「な、何言ってんだよ、トウジ!?」
「ははは・・・冗談や、冗談。せやけどほんま、シンジはこっぱずかしいこと
をすらっと言えるようになったと思うで。な、ケンスケ?」

トウジは笑いながらそう言うと、ケンスケに振った。するとケンスケは、苦笑
いを浮かべながらも、トウジの言葉に応えて言った。

「・・・・ああ、そうだな。俺もシンジみたいな口が利けたら、女にもてるん
だろうけど・・・・」
「またそれかい、ケンスケ。ほんとにお前は懲りんやっちゃなぁ・・・・」
「・・・・仕方ないだろ。どうせトウジには、俺の気持ちなんてわからないだ
ろうさ・・・・」

ケンスケは再び、自分を哀れむような言葉を吐いた。それを聞いたトウジは、
ケンスケを慰めるようにこう言った。

「まあ、そうしょげるなや。わいから言うのも何やけど、お前はいい奴だと思
うで、ほんまに・・・・」
「よしてくれよ・・・・男にいくら誉められても、うれしくも何ともないよ。」

ケンスケはそう言うと、トウジから避けるように、顔を背けた。するとトウジ
は、ケンスケに向かって訊ねた。


「まあ、そうかも知れへんな。なら、わいらは駄目でも、綾波はどや?綾波は
れっきとした女で、その意見ならお前も納得するやろ。綾波、お前の目から見
て、ケンスケはどない思う?」
「・・・え・・・・・?」

綾波は、急にトウジにそんな事を聞かれて、思いっきり戸惑っているようだ。
トウジにも、綾波のそういう様子ははっきりとわかったようなので、トウジは
綾波に詳しく説明した。

「別にシンジと比較してくれとか、そういうことを言っとるわけやない。ただ、
客観的に女として、ケンスケのことをどう思うか聞きたいだけや。」
「・・・そんな事言われても・・・・・」

綾波は困ったようにそう言うと、助けを求めるかのように、僕の方に視線を向
けた。そして僕は、そんな綾波に応じて、こう言ってあげた。

「同じ人間として、ケンスケがいい人間なのか悪い人間なのか、評価を下して
あげればいいだけさ。それでも綾波がよくわからないなら、友達として、ケン
スケのことをどう思うか、言ってあげればいいと思う。」
「・・・・うん、わかった。碇君の言う通りにしてみる。」

綾波はそう僕に向かって言うと、ケンスケの方を向いてこう言った。

「・・・・私は・・・友達として、あなたのこと、いい人だと思う。あなたは
私に、友達として振る舞ってくれたもの・・・・・」
「綾波・・・・」

ケンスケは、真剣な眼差しでそう言う綾波の前に、言葉も出なかった。そして
そんなケンスケに向かって、トウジがこう言った。

「どや、この綾波にここまで言われれば、お前も納得やろ?綾波がそういう風
に言える相手は、ほんのわずかしかおらへんで・・・・・」
「・・・・でも・・・・・・それは、俺がシンジの側にいるからだろ?俺がシ
ンジの友達だから、綾波も俺を綾波にとって他のどうでもいい人間よりも、重
要に思ってくれるんだよ。」

ケンスケは、少し我に返ったのか、また自嘲気味にそうトウジに答えた。する
と、綾波が今度は自分から、ケンスケに向かって言った。

「・・・・それは違うわ。あなたは間違ってる。」
「あ、綾波・・・・・」
「確かにあなたと私のつながりは、碇君を通じてのものだわ。でも、碇君にと
って、友達だと認められているのは、ほんの数人だけ。だから私は、私の碇君
に認められているあなたのことを、本当に好意に値する人だと思っているわ。
私にはまだ、あまり価値基準が確立されてないから、碇君が信じたあなたのこ
とを、私も信じることにするの・・・・・」
「・・・・あの・・・・俺・・・・なんて言ったらいいのか・・・・」

ケンスケは、綾波のこの言葉に、完全に戸惑ってしまっているようだった。ま
あ、綾波が僕やアスカ以外の人間にここまで熱弁を振るうというのは、初めて
のことかもしれない。僕もそう思うと、驚きを隠し切れなかった。
そして綾波は、そんなケンスケに向かって、ひとことこう言った。

「・・・・・笑えばいいと思うわ・・・・・」

綾波はそう言うと、ケンスケに向かって穏やかに微笑んで見せた。綾波の微笑
みは、僕には慣れたものだったが、僕以外の人間に向けられたことは皆無だっ
たかもしれない。そしてそれ以上に今の綾波の言葉は・・・・・

「あ、ありがとう、綾波・・・・」

ケンスケは綾波の微笑みに魅せられた様子で、綾波にそう言うと、ぎこちなく
微笑みを浮かべて見せた。

「碇君は私に教えてくれたわ。笑うことで、自分の喜びを表すということを・・・・」

綾波はケンスケに向かって言うと、僕の方にちらっと視線を向けた。僕はそん
な綾波の視線を受けて、少しどきっとした。今の綾波は、あの時のことを、知
っているはずがないのだから・・・・
しかし、現実問題として、今の綾波の言葉は、僕が綾波にかけたものと同じ言
葉であった。もしかして、綾波にあの時の記憶が戻ったのであろうか・・・?
いや、そんな事はないはずだ。きっと僕は同じ様なことをしょっちゅう口走っ
ているし、これも偶然の一致にすぎないだろう。それに、エヴァでの戦闘のこ
とはすべて記録に残されているはずだから、この僕の言葉も、何がしかの形で
残っていて、それを今の綾波がリツコさんだか誰かに見せてもらったことがあ
るのかもしれない。
そして、僕はそう思うと、何だかうれしくなった。なぜなら、僕と綾波の時間
が、全く無意味なものでなく、こうして今に至るまで、綾波に受け継がれてい
るのだから・・・・


続きを読む

戻る