私立第三新東京中学校

第百七十八話・勉強の秘密


「はぁ・・・俺が来るまで待っててくれてもよかったのに・・・・」

パンを買って帰って来たケンスケは、既に弁当をむさぼり食らうトウジの姿を
見て、開口一番ため息混じりにそう言った。僕は、自分自身をとことん哀れに
思ってしまっているケンスケに向かって、慌ててフォローを入れた。

「ほ、ほらケンスケ!!先に食べちゃってるのはトウジだけで、僕達はちゃん
と待ってたんだよ!!トウジのことは・・・・ケンスケだってわかるだろ?ト
ウジが食い物を目の前にして待つことなんて出来ないことくらい・・・・」

僕がそう言っても、ケンスケは理解しつつも元気を取り戻すことは出来ずにこ
う言った。

「・・・まあ、俺だってトウジと付き合いが長いからわかるけどさぁ・・・・」
「そ、それにほら!!ケンスケには僕の作ったサンドイッチを分けてあげるよ!!
トウジなんて、自分はいいからケンスケに食わせてやってくれとまで言ったん
だよ。」
「トウジが・・・・?」
「うん。トウジもこれで、結構ケンスケに気を遣ってるんだよ。まあ、弁当を
食べ始めちゃってはいるけど・・・・」

僕が少し苦笑しながらケンスケに向かって言うと、ケンスケはちらりとトウジ
の背中に目をやってから、そのまま黙って席に着いた。そして、自分の買って
来たパンを机の上に置くと、それに手をつけずに僕に向かって言った。

「じゃあ、シンジ、ありがたく食べさせてもらうよ。」
「うん、遠慮しないで。」

僕はケンスケに向かって微笑みながらそう言うと、アスカが僕の発言を聞きと
がめてこう言った。

「バカ、遠慮させなくちゃ駄目じゃない!!アタシ達三人の分しかないんだか
ら・・・・」
「そ、それはそうかもしれないけど・・・・・別にいいじゃないか、けちけち
しなくても・・・・」
「け、けちけちしてる訳じゃないわよ。ただ、あんまり調子に乗ってあげすぎ
ると、アタシ達がひもじい思いをすると思って・・・・」
「ああ、じゃあ、アスカは好きなだけ食べてよ。足りなくなった分は僕が我慢
するから。」
「が、我慢するって・・・・・」
「心配しなくてもいいよ。代わりにケンスケにパンをもらうことも出来るんだ
し・・・・いいよね、ケンスケ?」

僕はアスカにそう言ってから、既にサンドイッチをもぐもぐやっているケンス
ケに向かって訊ねた。するとケンスケは、サンドイッチを噛み下しながら僕に
答えた。

「んむ・・・ああ。俺は構わないよ。もらったお返しくらい、しなくちゃなら
ないだろうし・・・・」
「ありがと、ケンスケ。」
「いや、俺の方こそ感謝してるよ、シンジ。」

ケンスケはそう言うと、また一つサンドイッチを手に取った。まだ結構サンド
イッチの残りはあったので、僕は本当に遠慮せずに食べるケンスケの姿を見て
も、別になんとも思わなかった。が、アスカはそうではないようで、ケンスケ
がサンドイッチを取る一連の動きを、じっと見つめていた。
僕はそんなアスカの姿を見て、少し呆れたような声を上げた。

「アスカ・・・・」

すると、アスカはそんな僕に応えるように、僕の方に視線を戻すと、僕に向か
ってこう言った。

「シンジ、早く食べないと、アンタの分、なくなるわよ。」
「別になくなっても構わないよ。どうせ大した代物でもないんだし・・・・そ
れよりアスカこそ、僕のことなんて心配してないで、早く食べた方がいいよ。
僕が食べてないとは言っても、アスカの食べたい具の奴がなくなるかもしれな
いから・・・・」

僕のことを気にするアスカに向かって、僕はアスカに食べるように勧めた。ア
スカがいろいろ言っていたわりには、自分ではまだ一つのサンドイッチも手に
してはいなかったのだ。
そして、僕がそう言うと、アスカは僕に言われた通りに、卵サンドを一つ手に
取った。が、アスカはそれを口には運ばずに、手に持ったまま僕に向かって言
った。

「ほら、アタシも食べるから。だからシンジもサンドイッチを取って・・・・」

そう、アスカが僕にサンドイッチを手に取るよう、促した時、いきなり横から
綾波が割って入るように僕に声を掛けて来た。

「・・・はい、碇君。取ってあげたから、これを食べて・・・・」

そう言う綾波の小さな手には、サンドイッチがあった。

「あ、ありがとう、綾波・・・・」

僕はいきなりのことによくわからぬまま、綾波にお礼を言うと、差し出された
サンドイッチをそっと受け取った。

「食べて、おいしいから・・・・」

綾波はそう言うと、下に降ろしていたもう片方の手で持っていた食べかけのサ
ンドイッチを自分の口元に運んで、僕に食べて見せた。僕は、視線を僕の方に
向けたまま微笑んで自分の食べるところを見せる綾波に少々驚いていたが、と
にかく、言われるがままに、綾波と同じようにサンドイッチを口に運んだ。
すると、それを見た綾波は、更にうれしそうな顔をすると、僕に向かって聞い
て来た。

「どう、碇君、おいしい?」
「あ、う、うん・・・・」
「私も・・・・おいしい。さすが碇君。」
「そ、そんなことないよ。余りもので仕方なく作った奴なんだし・・・・」

僕は別にまずく感じた訳ではなかったが、いつもよりははるかに自信に欠ける
ところがあったので、綾波のお褒めの言葉についても、すんなりと肯定する気
にはなれなかったのだ。
すると、そんな僕に向かって、綾波はこう言った。

「そんなことないわ、碇君。これはとってもおいしいし・・・・それに、いつ
もみたいに材料がなかったって言っても、碇君はない材料の中で出来る限りの
ことをしてるじゃない。だから・・・・だから、そんな風に言わないで。こう
いうことは、まだ私には出来ないんだから・・・・・」

綾波が、心のこもった言葉で僕に向かって言うと、少し離れたところから、洞
木さんがそんな綾波の言葉に賛同するように、続けて僕に言った。

「綾波さんの言う通りよ、碇君。」
「洞木さん・・・・」
「今ある材料の中で、最善の料理を作る・・・これってなかなか熟練した主婦
でもないと出来ないことなんだから。材料に糸目をつけないなら、誰でもおい
しい料理くらい作れるわ。でも、限られた中でおいしいものを作るって、すご
く難しいことだとあたしは思うな。だから、綾波さんは、そういう碇君の技術
を凄いって思ってるんだと思うけど・・・・」
「そ、そうかな・・・・?」

僕は洞木さんの手放しの誉め言葉に、少し恥ずかしくなりながらも、悪い気持
ちはしなかった。僕は殊自分の料理に関しては、少なからず自信を持っていた
ので、それについて人に認められ、誉められることはうれしいことだった。
以前の僕は、誉められたいから、認められたいから、エヴァに乗っていたけど、
エヴァに乗らなくてもいいようになってから、僕にとって、エヴァに代わるも
のとして、料理が出て来た。それまでは、料理を作ることなど、面倒臭い義務
にしか感じなかったが、それでも上手くなると自信も付いてくるというもので、
今の僕にとっては料理は僕が僕であるためのものとして、なくてはならない存
在にまで成長したのであった。そして僕は、自分の価値を示すものとして、エ
ヴァよりも料理の方がはるかに健全で、いいものだという見解に達していたの
だ。

「そうよ!!ね、綾波さん!?」
「・・・うん。」

洞木さんも料理に関しては、僕と同じく口出しせずにはいられない存在だった。
だから、何だかうれしそうな声で、綾波に同意を求めた。綾波は、洞木さんの
ように元気な声の返事ではなかったが、顔を見れば気持ちでは洞木さんに負け
ていないように思われた。
そして、僕も二人がそういう風に思ってくれたことがうれしくて、少し顔をほ
ころばせた。綾波がここ最近特に料理に目覚めて来たこともあってか、洞木さ
んが綾波を見る目も、何だか少しずつ変わって来たような気がする。もしかし
たら、僕の知らないところで料理に関する話をしているのではないかと思える
ような雰囲気をこの二人はかもし出していた。

「・・・・・ばか・・・・・」

その時、そっとそうつぶやく声が、僕の耳に小さく届いた。僕はさっと声のし
た方を振り向く。するとそこには、つまらなそうにしているアスカの姿があっ
た。

「あ、アスカ・・・・」
「・・・なによ?」

アスカの表情は険悪なものだった。

「あ、あの・・・・馬鹿って・・・・・」

僕が情けなくそうアスカに持ち掛けると、アスカはそっけなく僕に応えた。

「アンタ達のことよ。料理馬鹿ってね。」
「アスカ・・・・」
「アンタは料理のこととなると、アタシのことなんか忘れて放っておけるのよ
ね。なによ、レイの方をうれしそうに見ちゃってさ・・・・・」

僕は、この言葉で、アスカがどうしてそんな事を言ったのか、理解できた気が
した。つまり、アスカはすねていたのだ。料理のこととなると、何をおいても
一番に心を動かされてしまう僕に対して、アスカがあまりいい気持ちをしない
のも当然なことかもしれない。更に、その料理に関しては、自分よりも綾波の
方が確実に優れているので、アスカは悔しいのだろう。

「ご、ごめん、アスカ・・・・・」
「ごめんって言うんだったら、アタシの方を見てなさいよ!!せっかくアタシ
がアンタを心配してあげてたのに、そんなアタシの気持ちに気付かないで、の
このこレイの方に引き込まれちゃうんだから・・・・・」

・・・・アスカがなかなかサンドイッチを食べなかったのは、僕のことを心配
してくれたからだったのだ。なのに、僕はそのことに全然気がつかないで・・・・

「そ、その・・・・」

ごめんとは言えなかった。アスカにとっては、逆効果だとわかっているからだ。
すると、そんな僕に向かって、アスカは小さくこう言った。

「・・・・アタシに教えなさいよ。」
「え・・・なんて言ったの?」
「アタシに教えなさいって言ったのよ!!アンタが料理が上手だからって、ア
タシがそれに頼って何にもしなかったら、アタシはどんどん置いてかれちゃう
でしょ?アタシだって、ゆっくりながらも、シンジの後について行こうってい
う気があるんだから・・・・」
「・・・・わかったよ、アスカ。ちょくちょく教えてあげるから。」

僕はアスカの気持ちを諒解して、やさしくそう言うと、アスカはそんな僕に向
かってちょっと明るくこう言った。

「駄目よ、ちょくちょくなんかじゃ。毎日教えてなさいよ。」
「で、でも・・・・」
「毎日って言うことにでもしとかないと、ちょくちょくすらも教えてもらえな
いかもしれないでしょ!?」
「そ、そんなことはないよ。ほんと、ちゃんと教えるって・・・・」

僕がそう言うと、アスカは僕の顔をじろりと見てからこう言った。

「・・・・信用出来ないわね。第一、日課のはずだった、朝のアタシの髪のお
手入れも、アタシから言わなきゃ完全に忘れてるみたいだし・・・・」
「あ・・・・」

僕はアスカに指摘されて、ようやくそのことを思い出した。すると、アスカは
思い返しているような僕に向かって、続けてこう言った。

「引っ越しした後は、ちゃんと再開させるわよ。アタシもアンタも早起きしな
くちゃなんないと思うけど、それくらい、我慢できるわよね?アタシだって我
慢できるんだから・・・・」

アスカがそう言うと、その言葉を聞いた洞木さんが、慌ててアスカに聞き返し
た。

「引っ越し!?アスカ、引っ越しって・・・・?」
「あれ、言わなかったっけ?アタシ達、ミサトのところを出て、シンジのお父
さんのところに引っ越すのよ。いわゆる花嫁修業って奴で・・・・」
「・・・・花嫁修業・・・・・・」

何だか洞木さんはアスカの口から出任せの言葉に半ば信用しかけているように
見えた。僕は、そんな洞木さんに向かって、慌てて訂正した。

「じょ、冗談だからね、洞木さん!!単に、僕が父さんと一緒に暮らしたくて
引っ越すところに、アスカと綾波がくっついてくるだけなんだから・・・・」
「綾波さんも一緒に引っ越すの、碇君?」
「もちろんだよ!!アスカだけじゃあ不公平だろ!?」

僕がそう言うと、アスカがぼそっと僕の言葉に口を挟む。

「不公平でもアタシは全然構わないのに・・・・」
「な、何言ってんだよ、アスカ!?」

僕はアスカの言葉にうろたえた様子を見せると、綾波までもが口を挟んで来た。

「・・・・私も、不公平でよかったのに・・・・碇君と一緒に行く理由は、私
の方がしっかりしてるんだから・・・・・」
「な、なによ!?たくさんのくだらない理由よりも、愛の絆でつながっている
って言う一つの理由の方が、ずっと大きいのよ!!」
「・・・・・そうね。でも、それの存在に関しては、あなたの思い込みにすぎ
ないわ。」
「うるさいわね!!シンジに同情されてるくせに!!」
「それはあなたも同じでしょ?だったら、少なくとも碇君のお手伝いが出来る、
私の方がいいに決まってるわ。」
「ア、アタシだって、シンジを手伝えるわよ・・・・」
「なにを?私一人がいれば、碇君は十分だと思うわ。あなたはただ、碇君の足
を引っ張るだけじゃない。」
「そ、そういう事を言ったら、シンジに手伝いなんて要らないわよ。シンジは
何でも出来るんだから・・・・」
「確かに碇君は何でも出来るわ。でも、優れた助手がいれば、碇君ももっとそ
の手腕を振るうことが出来るし・・・・」

綾波がアスカを押し気味に話を展開していると、アスカは何かを思い付いたよ
うに綾波に言った。

「そうよ!!シンジは何でも出来るなんてことないじゃない!!」
「・・・・どういうこと?」
「シンジは家事のことに関しては誰よりも精通してるかもしれないけど、アタ
シがシンジに教えられることだって、一つあるわよ・・・・」
「・・・・勉強なら、私が教えてあげる・・・・・」
「違うわよ。アタシが教えてあげるのは・・・・女の子の気持ちよ。鈍感なあ
いつには、常に教育者が必要でしょ?」
「・・・・私も、それなら碇君に教えてあげられる・・・・」
「駄目よ、駄目。アンタじゃ無理だって。大体、アンタはアタシにいろいろ教
えてもらった口じゃない。アタシ以上の何かを、シンジに教えてあげられると
は思えないわね。」
「・・・・・」
「と言う訳で、アタシも教育係として、シンジについていく口実が出来たわね。」

アスカは綾波が黙ってしまったのを確認すると、僕に向かって宣言するかのよ
うに言った。

「べ、別に口実なんて必要ないのに・・・・・」

僕は、そんなことでこれ以上アスカと綾波に口論などして欲しくなかったので、
アスカに向かってそう言った。するとアスカは、はっきりと断言して言う。

「口実は重要なことなのよ。理由無き行動には、何の力も存在しないんだから。」
「そ、そういうもんなの?」
「そうよ。愛のないキスに、なんの重みもないのと同じ。そう言えば、シンジ
もわかるでしょ?」

アスカのたとえはアスカらしくとんでもないものだったが、なかなか僕にとっ
てはわかりやすい表現でもあった。

「う、うん・・・・わかるよ、なんとなく・・・・」
「なら、文句はないわね、アタシがついていくことに・・・・」
「も、もちろんだよ。」
「レイにも、一応家政婦としてついていく理由がありそうね。まあ、奥さんと
お手伝いさんってとこかしら・・・・」
「ははは・・・・」

アスカの表現に僕はいつものように呆れるしかなかった。でもまあ、表現はあ
れかもしれないが、綾波を思っての言葉であることが僕にはわかったので、僕
はさして気にはならなかった。
が、そんな時、綾波がぼそっとこう言った。

「・・・・妻の知らないところで、お手伝いさんと恋に落ちるのが自然なのよ。
だから、碇君もそのうちやさしくて家事の上手な私に次第に魅かれるようにな
って・・・・」
「レ、レイ、アンタ、どこでそんな話を知ったのよ・・・・?」

綾波の言葉に、アスカがびっくりした様子で綾波に訊ねた。無論、アスカだけ
でなく、僕も驚きの度合いはアスカに優るとも劣らない。
そして、綾波は、アスカの問い掛けに対して、そっと口を開いた。

「・・・・秘密よ。」
「ひ、秘密って・・・・」
「だから、秘密なの。私だって、いろいろ勉強してるんだから・・・・」

綾波はアスカに向かってそう言うと、今度は僕の方を見て、にこっと笑ってみ
せた。
しかし、綾波は、そんなことを勉強していたのだろうか・・・・?
だとすると、とんでもない話だ。まあ、綾波がもっと女の子らしくなりたいと
思うのは、当然のことかもしれないが、勉強して身につけようというのが綾波
らしい。僕はそう思うと、そんな真面目な綾波がかわいく見えて、知らず知ら
ずのうちに、笑みをこぼしていたのであった・・・・・


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