私立第三新東京中学校
第百七十七話・トウジと大きな弁当箱
「せや!!渚はどないや!?」
ずっと考え込んでいて、僕もその存在を忘れかけていたトウジが、いきなり大
きな声でそう言った。
「ト、トウジ・・・・」
僕がびっくりしていると、間髪入れずにアスカがそれに応じた。
「そうよ!!アンタもなかなかいいことを思い付くわね、鈴原!!」
すると、その意見を聞いた洞木さんが、アスカに向かってこう言った。
「でも、渚さんは碇君のことが・・・・」
「いいのよ!!あんな奴、シンジにはふさわしくないわ!!だから、あいつと
相田をくっつけてやれば、全て丸く収まるじゃない!!」
アスカはもう、完全に渚さんのことを敵だとみなしているらしい。アスカにと
っては、渚さんが使徒かどうかなどということよりも、僕にちょっかいを出す
奴かどうかということの方が重要らしい。それに対して、綾波の場合は、いま
だに渚さんがアスカの言っているのとはまた違う意味での危険人物だという認
識を持っているようで、渚さんのこととなると、以前の綾波のような顔つきに
戻るのだった。だから、アスカのこの言葉も、綾波にはさしたる感銘も与えな
かったようだ。
しかし、アスカにとって綾波の反応などさほど重要でもないと見えて、黙って
いる綾波のことなど気にせずに、アスカはトウジと二人で盛り上がろうとして
いた。
「せやろ!?わいにしてはなかなかのグッドアイデアやと思ったんや。いくら
渚がシンジのことが好きっちゅうでも、いっぺん見ただけやし、綾波や惣流と
比べたら思い込みの深さが全然話にならんやろうから、まあ、渚にはケンスケ
とくっついてもらって、めでたしめでたしってことになるんが一番ええんや。」
それは何だかトウジらしくもない長広舌だった。いつものトウジだったら、少
なくともここにいない渚さんのことについてとやかく言う人間ではなかった。
きっと今のトウジを昔のトウジが見たら、男らしくないとでもいうことだろう。
今のトウジはどちらかというと、アスカ的なところがあるように、僕には感じ
られた。そしてそれは今までのトウジとは正反対であって、そのことは、トウ
ジの言葉に対して、それまであまり仲がいいとは言えなかったアスカが賛意を
表し、トウジの意見に応じるはずの洞木さんが反論しようとしたところから見
ても明らかである。
洞木さんと上手く行ってしまったことが、トウジを少し変えてしまったのだろ
うか?それとも一番の親友であるケンスケに対する引け目みたいなものを強く
感じて、こういう強気な態度に出てしまったのか?
僕にはわからなかったが、トウジに関して一番つながりを持つ洞木さんの心境
は複雑そうだった。トウジが洞木さんを受け入れたことによって、洞木さんは
もうもどかしい思いをすることもなくなったのだが、それにより洞木さんの好
きだったトウジから少し変わってしまったのであるから、洞木さんにしてみれ
ば難しいところだろう。
まあ、基本的にトウジはいつものトウジのままであって、たまたま今回はケン
スケを強く思いすぎるあまり、渚さんに対する配慮を忘れてしまったというだ
けだろうが、洞木さんの不安を掻き立てるには十分だった。
が、洞木さんは口に出しては何も言わない。そして、表情でも、ほとんどそう
いう気配を感じることは出来なかった。僕もそういう考えに行き着いたからこ
そ感じられたのであって、他の誰もそんな洞木さんに気付いた様子はない。
もしかしたら、そんなことは僕の勝手な思い込みであって、洞木さんは全然そ
んな不安など抱いていないのかもしれなかったが、一度そうだと思ってしまう
となかなかそれを捨て去ることも出来なくて、僕は洞木さんから意識をそらす
ことは出来なかった。
そして、そんな洞木さんは、まるでトウジを見るのを避けるかのように、会話
から外れて弁当を食べ始められる準備を始めた。僕も渚さんをどうこうするな
んてことにあまり興味はなかったし、僕からそういう計画に絡むような発言は、
少なくとも渚さんに対して失礼に値すると思ったので、洞木さんのことを手伝
うことにした。
「あ・・・ありがとう、碇君・・・・と、綾波さん。」
洞木さんは僕が手伝おうとしたのを見て、僕に声をかけたが、僕の名前のあと
に、綾波の名前も付け加えた。僕はそれを聞いて振り向くと、綾波が僕の斜め
後ろにちょこんと立っていた。そして、僕が振り向いて綾波の姿を目にとめる
と、綾波は僕に向かってこう言った。
「・・・・私には、こっちのほうがいいから・・・・」
僕はそう言う綾波に、うなずいて見せた。すると、僕が背中を向けることとな
った洞木さんが、僕の肩越しに綾波に向かって言った。
「そうね、綾波さん。」
この言葉で、僕と綾波、洞木さんの三人は、同じ意見を持つこととなった。口
にこそ出さないが、渚さんとケンスケをくっつけようという作戦には、反対だ
ということで・・・・
別に僕は、そうしようとすることを邪魔しようとまでは思わなかった。ただ、
その片棒を担ぐことだけはためらわれた。僕は自分には悪いところがいっぱい
あるということを自覚していたが、それでも開き直らずに、自分がいいと思う
道を進みたかったのだ。まあ、悪いと思うことを人がなそうとしている時に、
それを止められないというのが、僕の限界ではあったが・・・・
でも、洞木さんに関しては、悪いことは悪いと言う人だと思っていた。だから、
この件についてもクレームをつけて当然だったかもしれないが、やはり、校則
や何かの普遍性を持つルールではなく、人のモラルの規定によって判断が分か
れるような繊細な問題、というか、主義の問題なので、敢えて口出ししなかっ
たのかもしれない。でもきっと、心ではトウジが自分からやめようと思ってく
れることを望んでいるのだろう。それが、洞木さんの好きな、トウジのあるべ
き姿だったのだから。
とにかく、僕達はトウジとアスカを放っておいて、机を整え始めた。そして、
洞木さんは自分とトウジ、二人分の弁当箱、そして僕は、三人分のサンドイッ
チを詰め込んだ大きめのタッパーを机の上に置いた。
「ほら、アスカもトウジも、準備が出来たから席について!!」
僕が二人にそう呼びかけると、二人ともすぐさま僕達の方にやって来た。
「ほぉ、シンジ達は今日はサンドイッチかいな。珍しいな。」
トウジは早速僕達の見慣れぬサンドイッチに目が行って、そう口に出した。僕
はそんなトウジに対して、自嘲的に言った。
「今日はちょっと弁当のおかずがなかったから・・・・・まあ、はっきり言え
ば、手抜き料理だよ。」
するとトウジは、そんな僕の言葉に驚いてこう言った。
「これで手抜きやて!?さっすがシンジやなあ・・・・わいとは考えることが
全然ちゃうわ。わいにしてみたら、十分なごちそうやのに・・・・」
トウジはそう言いつつも、目では欲しそうな顔をしている。僕はそのことに気
付くと、笑ってトウジに言った。
「トウジにも一つ味見させてあげるよ。一応量だけはたくさんあるから・・・・」
「ほ、ほんまか!?ならさっそく・・・・・」
僕の言葉を聞くや否や、トウジはすぐさまサンドイッチに手を伸ばした。する
と、そんなトウジに向かって洞木さんの注意が飛ぶ。
「こら、鈴原!!はしたない真似するんじゃないの!!慌てなくても、サンド
イッチは逃げないんだから!!」
洞木さんは、少しトウジにむっと来ていたのかもしれない。何だか僕には少し、
いつもの洞木さんの叱責の声が、少しだけきつめに感じられたのだ。しかし、
トウジにはそんな洞木さんの微妙な変化にも全く気付いた気配がなく、いつも
のように洞木さんに応えた。
「まあまあ、いいんちょー・・・・そう固いこと言わんと・・・・・」
トウジの言葉は、馴れ馴れしいものがあった。が、そんなトウジに返されたの
は、洞木さんのひと睨みだった。トウジは洞木さんにびっくりして、慌てて手
を引っ込めた。そして、トウジは反省したような顔を見せると、真面目になっ
て僕にこう言って来た。
「シンジ、わいの分はええから、ケンスケにやってくれ。わいよりもあいつの
方が喜ぶやろ・・・・」
「う、うん・・・・わかったよ、トウジ。」
トウジは明らかに、洞木さんの睨みを誤解していた。が、そんなトウジの言葉
を聞いた洞木さんの顔は、何だかうれしそうに見えた。トウジは洞木さんの意
を汲み取ることが出来なかったのだが、トウジがトウジらしい優しさを見せた
ということが、きっと洞木さんにはうれしかったのだろう。渚さんの件がまだ
残っているとは言うものの、こういうトウジが見れたということが、洞木さん
に安心感を与えたのではないかと、僕は思ったのだった。
「わいにはいいんちょーの弁当があるしな・・・・・それさえあれば、わいに
は十分やから・・・・」
「鈴原・・・・」
そして、トウジは自分の目の前に置かれた弁当箱を手に取ると、洞木さんに向
かって言った。
「いただかしてもらうで、いいんちょー。」
「う、うん・・・・す、鈴原?」
「なんや、いいんちょー?」
「あの・・・・明日、サンドイッチにしてこようか?」
「せやな。ほな、済まんけど、そうしてくれんか?たまにはサンドイッチも食
うてみたいからなあ・・・・それに、わいはいいんちょーの作ったサンドイッ
チ、食うたことあらへんし・・・・」
「じゃ、じゃあ、明日はサンドイッチにするね!!」
「ああ、で、ついでにっちゅうたら何やけど、少し多めに作って来てくれんか?
弁当やったらあれやけど、サンドイッチくらいなら、ケンスケに分けてやって
もええやろ・・・・あいつもまだまだ、弁当を作ってもらえるようにはならへ
んやろから・・・・」
「うんっ!!」
洞木さんは、トウジの申し出に、大きな声で返事をした。すると、トウジはそ
んな洞木さんに向かって言う。
「何や、いいんちょー、やけに元気やな・・・・・」
そう言いながら苦笑するトウジ。
洞木さんは、うれしさをこらえきれないかのような表情で、トウジに向かって
応えた。
「鈴原が・・・・鈴原が、やっぱり鈴原だったから・・・・・」
この言葉で、僕は自分の思っていたことが正しかったことを知った。だが、ト
ウジはそんな洞木さんの気持ちなど知る由もない。だから、トウジは洞木さん
の言葉が全く理解できずに、首をひねって言った。
「なんや、訳わからんこというなあ・・・・・まあ、とにかく弁当を食わして
もらうで。」
トウジはそう言うと、待ちきれんとばかりに、大きな弁当箱の蓋を開けた。
そして、洞木さんは弁当しか目に入っていないかのようなトウジに向かって言
った。
「食べて食べて!!今日は特別おいしく作ったんだから!!」
洞木さんの言葉にも、トウジはもう返事を返すことはなく、食べ始めていた。
しかし、洞木さんはそんなトウジに気を悪くすることもなく、微笑みながらそ
の姿を見つめていた。他の人にはわからないかもしれないが、僕には洞木さん
の気持ちが手に取るようにわかった。料理をすることを愛する人間は、おいし
く食べてもらうことが、一番の喜びなのだから・・・・・
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