私立第三新東京中学校

第百七十六話・綾波の使命、綾波の価値

「さーて、メシメシ！！」

リツコさんがいなくなって自習になった一時間目も、他の授業が滞りなく行わ
れていくにしたがって、何事もなかったかのように忘れ去られていった。
そして今、午前の授業も一通り済み、昼休みとなった。すると早速、いつもの
ように既に弁当を一つ食べているはずのトウジが、お腹を空かせて僕の席のと
ころにやってきた。

「トウジ、なんだか弁当の時間になると気合入るね。」

僕はそんなトウジに苦笑しながら言った。するとトウジは、僕の言葉に悪びれ
る様子もなく、自慢げに言った。

「当たり前や！！わいはいいんちょーの作る弁当のためだけに、学校に来とる
ようなもんやからな。」
「そ、そう・・・・洞木さんは料理得意だからね。トウジの気持ちも、わから
ないでもないよ。」
「せやろ！？シンジもいいんちょーと同じく料理が上手やから、わいの気持ち、
わかって当然かも知れんな・・・・」

ははは・・・作る側の人間と食べる側の人間では、感じることも違うと思うん
だけど・・・・まあ、余計なことは言わずにおこう。こんなことは揚げ足取り
にしかすぎないからだ。
しかし、トウジはそんな僕の様子など気づかない。それほど洞木さんお手製の
弁当が待ち遠しいのか、それとも洞木さんと恋人関係になったということが堅
物のトウジをもこんなにさせてしまっているのか、僕にはどっちとも見分けか
ねた。が、とにかくトウジが幸せそうなのには変わりがない。僕は人が幸せそ
うにしているのを見るのはとても好きで、まるで自分もその幸せを分けてもら
っているような気分になって、心地よかった。
だから、そんな心境の僕は、自然と顔をほころばせていたのだが、そういう風
には見られない人間もいた。それは当然、と言ったらおかしいかもしれないが、
ケンスケであった。

「いいよな、トウジは委員長に弁当を作ってもらって・・・・」

昨日は自分だけ弁当がないということでもめたケンスケも、今日は興奮するこ
ともなく、哀れにそう言った。トウジももう、完全に洞木さんの弁当の意味を
認めているので、ケンスケにお前も頼んでみればいいなどというようなことは
言わずに、次のように言った。

「お前も彼女を作ったらええんや。そうすりゃあ、弁当だって作ってもらえる
やろが。」

トウジは簡単にそう言ったが、ケンスケにとっては簡単に出来ることではない。
ケンスケは呑気なトウジの言葉を聞くと、ため息をつきながら嘆いた。

「トウジやシンジみたいに女の子の方から近寄って来るなんて、滅多にないこ
となんだってことをまだわかっていないな。だからトウジも、簡単にそういう
事が言えるんだよ・・・・」

するとトウジは連帯感を感じたのか、僕の方を見るといきなり僕と肩を組んで
ケンスケに言った。

「つまり、わいらは女の方から寄ってくるような、男の中の男ちゅうことやな。
ケンスケ、お前もわいらを見習って、女にもてるような立派な男になるんやで！！」
「ちぇっ、よく言うよ・・・・」

ケンスケはそういうといきなり席から立ち上がって教室から出て行こうとした。
それを見たトウジは慌ててケンスケに訊ねる。

「お、おい！！どこに行くっちゅうんや！？今のは軽い冗談やで！！」

すると、ケンスケは背中から投げかけられたトウジの言葉に振り向いて応えた。

「わかってるよ。パンを買いに行くだけさ。」

そして、ケンスケはそれだけ言うととっととトウジの返事も聞かずに教室を出
ていってしまった。

「・・・・なんやら、悪いことゆうたかのう・・・？」

トウジは少し反省したのか、僕に向かってそうつぶやく。僕はそんなトウジに
向かって、こう答えた。

「まあ・・・・ね。ケンスケは女の子とはあんまり縁がないし、それに付け加
えて僕とトウジはこういう状況だから、ケンスケもつらいんだよ。」

僕がそう言うと、トウジは僕に向かって一つ提案した。

「せや！！わいらでケンスケに女を見繕ってやるちゅうのはどないや？」
「み、見繕ってやるって・・・・」

僕がトウジの表現にちょっと呆れてそう言うと、トウジはそんな事もかまわず
に僕に言った。

「まあ、細かい表現なんかどうでもええやんか。つまり、ケンスケに彼女を見
つけてやる、それが大事なんと違うか？」
「そ、そうだね・・・・僕も、そのトウジの意見には賛成だよ。」

僕がトウジに向かってそう答えると、トウジは早速ケンスケの彼女となるべき
女の子を考えはじめた。

「せやろ？なら、ケンスケにはどういう女がええかっちゅうことやが・・・・」
「・・・難しいところだね。ケンスケは案外理想が高そうだから。」
「それもそやな。全く、贅沢なやっちゃ・・・・・」

トウジは早くも事の難しさを思い知らされたのか、ぶつぶつとこぼしながら考
え込んでいた。僕もトウジと一緒になって考えようとしたのだが、僕はいつも
のメンツ以外によく知った女の子なんていないし、トウジ以上に難航が予想さ
れたのだ。
僕がそう思って顔を上げると、ちょうどアスカと洞木さんが連れ立って僕達の
元にやって来たのが見えた。

「あら、シンジだけじゃなくて、鈴原まで考えにふけってるの？珍しいことも
あるもんね。」

アスカは開口一番、そう僕達を冷やかした。僕は別に自分が考えにふけってい
ると言われても、それが大いなる事実なのだから、全く気にもならなかった。
トウジもアスカの言葉など耳にも入っていない様子で、アスカに食って掛かる
ようなこともなく、まだ考え込む様子を保っていた。
そして、そんな状態の僕達に声をかけたのは、他ならぬ洞木さんだった。

「ねえ、鈴原と碇君、二人で何考え込んでるの？」

洞木さんが聞きたいのは、トウジについてだけだろう。洞木さんの目が、それ
をよく物語っている。だからといって僕は別に気にはしない。洞木さんがトウ
ジのことが好きだからだということは僕にもよくわかっているのだから。

「ケンスケのことだよ。なんだかいつもパンばっかり買って食べてるケンスケ
が哀れだから、僕とトウジでケンスケに彼女を作ってやろうって言うことにな
って・・・・」

洞木さんは僕の言葉を聞いて、納得した様子でこう言った。

「そう・・・・相田君、いつも一人で可哀想だもんね・・・・」

洞木さんは、さすがに自分がもう一つ作ってあげようと言う考えなど持たなか
った。それはまるで、自分の作る弁当は唯一人、トウジのためにあるのだと言
わんばかりに・・・・

「だから、誰かいい女の子、いない？ケンスケの眼鏡に適って、なおかつケン
スケに弁当を作ってくれるくらいにケンスケのことを好きになってくれそうな
女の子・・・・」

僕がそう二人に持ち掛けると、洞木さんは考えてくれるような態度を見せてく
れたが、アスカはそっけなくこう言った。

「無理ね。どこを探しても、そんな娘、出てくるわけないわ。」
「そ、そんな冷たいこと言わないで、少しくらい考えてくれたっていいだろ・・・？」

僕がアスカに向かってそう言うと、アスカははっきりと僕に言った。

「大体人に彼女を見つけてもらおうって言うのが間違いなのよ。相田のことを
好きになってくれそうな女の子だなんて、いるわけないじゃない。」
「ア、アスカ・・・・ケンスケはいい奴だよ。きっとケンスケがいいって思っ
てくれる女の子だって、出てくるに決まってるよ。」

僕はケンスケを弁護したくてアスカに言った。するとアスカは、僕の間違いを
正すかのように言う。

「いくら相田がいい奴でも、相田自身が女の子に自分を好きにならせる様なこ
とをしなくっちゃ。」
「ぼ、僕はそんなことしなかったけど・・・・」
「アンタだってしてたじゃない。アンタは結果を考えずに何でもやるけど、ア
ンタの言うこと、採った行動に魅かれてるのは何もアタシやレイだけじゃない
のよ。」
「う、嘘・・・・・」

僕はそんなの初耳だった。僕はアスカと綾波、あと、渚さんが僕のことを好き
だと思ってくれているのは知っていたが、まさかそれ以外にもそんな物好きが
いるなんて・・・・
僕がその新事実について行けずに呆気に取られていると、アスカが口を開いて
言った。

「嘘なんかじゃないわよ。ね、ヒカリ？」
「う、うん・・・・あたしの聞いた話だと、碇君に憧れてる女の子、結構いる
って言う話だし・・・・」
「ほらね？アタシも全然そんなこと知らなかったんだけど、ヒカリから聞いて
びっくりしてたのよ。まあ、アタシとレイは露骨にシンジにアプローチかけて
るから他の娘達は諦めてアタシ達には近付かないのよね、きっと。」
「そ、そうだったんだ・・・・」

僕はアスカの言葉をようやく飲み込んで、そうつぶやいた。すると、そんな僕
に向かってアスカがこう言った。

「そういう事なのよ。だからアンタも、女の視線には気をつけんのよ。いつ分
をわきまえない愚か者が現れるかわかんないから。」

そして、アスカは僕の返事も待たずにずっと黙っていた綾波に向かって言った。

「ほら、アンタも黙ってないで！！アンタだって、シンジを狙う女に注意すん
のよ。」

すると綾波は、そういうアスカに静かに応えた。

「・・・・大丈夫よ。私が碇君を想う気持ちの強さに匹敵しうるのは、あなた
くらいのものだから・・・・」
「そんな事はアタシだってわかってるわよ。ただ、アタシが言いたかったのは、
シンジが襲われるんじゃないかって言う・・・・ほら、あの馬鹿女みたいに、
いつシンジの唇を奪おうなんて気を起こす奴が出てくるかわかんないでしょ！？」
「・・・・それなら心配は要らないわ。碇君は常に私が守るから。」

綾波は、アスカに向かってはっきりとそう断言した。しかし、その言葉はアス
カに感銘を与えずに、反論を招いた。

「アンタはいつもそう言ってるけど、実際シンジのこと、守ってないじゃない。
あいつにシンジの唇を奪われた時もそうだし・・・・それに、アタシはいつも
シンジにいろんなことしてるけど、アンタが邪魔しに来ることなんて、そう多
いわけでもないじゃない。」
「・・・・・」
「どうなのよ？アンタはシンジを守ってる、そう言い切れるの？」

アスカの言葉は辛辣だった。まあ、アスカの言葉からすると、綾波は僕を守り
切れていないということになる。しかし、現実的に、僕は誰かに危害を加えら
れたとか、そういう類のことを感じたことはない。アスカにビンタされるのだ
って、渚さんにいきなりキスされたのだって、危害とまではいかないと思う。
しかし、僕がそう思っていた時、綾波はアスカの問い掛けに答えた。

「・・・・私は、できる限りの事はしているつもりよ。でも・・・・あなたの
言うとおり、私にも至らない点があるかもしれない・・・・」
「でしょ？だから、アタシもシンジを守るの。シンジを襲う、いろんな手から
ね・・・・」
「・・・・・そうね。」

綾波らしからぬ応えだった。
綾波が一応独占していた形の僕を守るという役目をこんなにあっさりとアスカ
に分け与えるなんて、僕には意外に思えた。そして、そう思ったのは僕だけで
なくアスカも同じようで、綾波に向かってこう言った。

「アンタ・・・・それでもいいの？」

アスカとしてはそういう方がいいにもかかわらず、そう訊ねざるをえなかった。
そして、綾波はそっとアスカに答えて言う。

「・・・構わないわ。そういう事に関しては、私よりもあなたの方が上手そう
だから・・・・私は、私にしか出来ない点で、碇君を守る。絶対に守って見せ
る。それが私の、私にだけ許された使命であり、私の存在価値でもあるのだか
ら・・・・」
「・・・・・」

綾波の言うこと、僕にはよくわからなかった。
渚さんの件でみんなで話し合った時、綾波は自分には使徒に対抗できる能力が
あるとか、そういう事を言っていたが・・・・それはどういう事なんだろう？
今のこれも、そのことを指しているのだろうか？でも、実際綾波にそんな能力
があるとかそういう事を感じたことは一度もない。ただ、漠然と感が鋭いとか、
そういう風なことを感じるのみだ。だから僕は、最近ではそういう事を指して
いるのだろうと決め込んでいた。しかし、どうやら綾波の口調からすると、そ
ういう簡単なことでもないらしい。
でも、僕は綾波に詳しい説明を求めることは出来なかった。
無論、綾波には何かがあり、それを聞き出すことが綾波を苦しめることになる
だろうと思うことには変わりがない。しかし・・・・僕自身も恐いのだ。綾波
の全てを知ることによって、僕が今までと同じように綾波に接することが出来
なくなくなってしまうのではないかということについて・・・・・