私立第三新東京中学校

第百七十五話・歪んだ形


「なあ、シンジ?一体何の用で職員室に呼ばれたんだ?」

僕達が教室に戻って席に着くなり、前の席に座っていたケンスケが僕にそう訊
ねてきた。僕は果たして、リツコさんの失踪の一件を僕の口から話してよいも
のやら、一瞬迷った。するとケンスケも僕のその一瞬の躊躇に気づいて僕にこ
う言った。

「・・・シンジの口から言っちゃまずいようなことなのか?」

ここでも僕は迷った。うんと言ってケンスケに口を閉ざしているのが一番なの
かもしれないが、僕がケンスケの意見を肯定すると、ケンスケだけでなくそれ
を聞いた全員が、実際問題以上の不安を抱えることにもなり兼ねない。だから、
僕もなかなかはっきりと口には出せずに、責任を分かち合うというこずるい目
的も十分含んだ考えで、隣に座っていた綾波に訊ねてみることにした。

「ねえ、綾波。綾波は、今の一件をケンスケに話しても大丈夫だと思う?」

僕がそう訊ねると、綾波は僕のちょっとした打算など微塵も感じた様子はなく、
素直に答えてくれた。

「・・・・私は・・・別に構わないと思うわ。赤木博士が居なくなったって言
う現実だけを話すのなら・・・・」
「ほ、本当かよ、赤木先生はただ単に休んだんじゃなくって、居なくなったん
だって!?」

綾波の言葉は、僕の口から言うはずだったことを、すでに示してしまっていた。
そしてそれを聞いたケンスケは、僕の予想以上に驚きを露にした。
僕はそんなケンスケの様子が、ケンスケだけでなく他の周りの人間にも広がっ
てしまうことを恐れて、慌ててごまかしじみたことを口走った。

「い、居なくなったって言うのは事実だけど、別にそんな大騒ぎするほどのこ
とじゃないと思うよ。リツコさんだって大人なんだから、心配する必要はない
よ。だから・・・・」
「そ、そうか・・・?」
「そ、そうだよ!!だから、ケンスケも落ち着いて・・・・。きっと明日くら
いになれば、ひょっこり顔を見せるさ。」

僕は口ではそう言いながら、心の中ではそんなうまい具合に行くはずがないと
思っていた。そして、僕は心にもないことを言い続ける自分を猛烈に恥じてい
た。だが、反対に僕がそうしなければみんながパニックに陥ってしまうから仕
方ないのだという大義名分も存在していた。だから、僕の心は相反する複雑な
考えで埋め尽くされていたのだが、僕がそう言う相手と言うのが、僕の数少な
い親友の一人であるケンスケだということが、僕にとっては自分をより苦しめ
る結果となった。

「碇君・・・・」

綾波が心配そうに僕の名前を呼ぶ。まあ、綾波でなくとも、今の僕の顔を見れ
ば、十分心配に値すると言うことくらい自分でもわかっていた。それに付け加
えて、綾波はミサトさん達の話を聞き、また、職員室を出てからの僕達の会話
も耳にしていたのだ。だから、親友に向かってこんな事を言う僕のことを軽蔑
したとしても仕方ないと思っている。いや、むしろ僕は綾波に軽蔑してもらっ
た方がうれしかったのかもしれない。少なくとも、今の綾波のような視線で見
られるよりは・・・・
そしてケンスケも、僕の様子だけでなく、綾波の様子も加味して考えれば、僕
の言葉が全て完全なる真実をさしているとは思えないに違いないだろう。なの
に、ケンスケも僕に向かって、問いただすことすらせずに、さも納得したかの
ような感じで前を向いた。

「・・・・・」

僕は何も言えなかった。
ケンスケに僕が心にもないことを言っていたのだということを訴えることも出
来なかったし、綾波に向かって僕の非を責めてくれとも言えなかった。
そして、僕はこういう時、アスカが僕のそばにいてくれたらいいのにと思った。
アスカならば、綾波やケンスケのような態度を採ることもなく、遠慮なく僕に
向かって非難の声を浴びせてくれることだろう。アスカは以前僕に内罰的だと
か何だとか言ったことがあったが、僕は自分の非を見逃されるよりも、自分の
非を罰してもらった方がうれしいと言うおかしな傾向が存在した。だから僕は、
必然的にアスカのように悪いものは悪い、いいものはいいとはっきり言う存在
を必要としていたのだ。
しかし、こういう物事をはっきりと言うというアスカの美点を、僕は自分の悪
を罰してもらうと言うくだらないことに利用している。僕がこんなにも自分を
罰したがるのは、考えてみると僕が自分を認められないからであって、僕が自
分を認めることの出来る存在に生まれ変われたとしたら、僕は自然とアスカを
求めなくなるのかもしれない。そして、僕を認めてくれる存在としての綾波の
方に魅力を感じて・・・・
嫌だ嫌だ。どうして僕はこんな風にしか物事を見ることが出来ないのだろうか?
普通ならば、女の子を見る時の基準として、顔がかわいいとか、髪の毛がきれ
いだとか、しぐさが愛らしいとか、気立てがいいとか、そういうのが来てしか
るべきなのだろうが、僕はそういう目でアスカや綾波を見てはいない。つまり
は僕に対してどういう風に接してくれるかということであって、女性の魅力に
ついては、全く考えていないのだ。アスカや綾波が女性的な魅力に欠けている
とかそういう事ではなくて、むしろ二人は人もうらやむ美少女だというのに、
僕はその点について、全く考えられない。
はっきりと言ってしまえば、僕が人として一番深く付き合っている人間という
のが、アスカと綾波だからだというだけであって、もしかしたら、同じように
僕が心を許した男がいたとしたら、変な意味でなく、アスカや綾波と対等に見
ることだろう。
そう、僕にとって、そういう存在がいた。それはカヲル君だった。あの時のカ
ヲル君はアスカや綾波などよりもはるかに僕は心を許していた。だから僕は何
もかも、カヲル君に打ち明けたくなったのだろう。僕はいまだに、カヲル君を
忘れずにいる。それは僕を裏切ったからとかそういう事ではなくて、僕がなぜ
か完全に心を許した存在だったからだった。僕にとって、そういう人間はアス
カと綾波以外にはいない。だからカヲル君は、僕にとって特別な存在であり続
けるのだった。
今、僕の近くにカヲル君にうりふたつの渚さんと言う女の子がいる。しかし、
僕はカヲル君に魅かれたように渚さんには心を動かされなかった。その原因と
して、渚さんは本当にカヲル君に外見も口調もそっくりだが、僕に対する接し
方と言うのが挙げられる。
カヲル君に出会った時の僕は、心に強い悲しみと寂しさを抱えていた。だから、
僕の心に大胆に入り込んできたカヲル君を心地よく感じて、その侵入を許して
しまったのかもしれない。しかし、今の僕は違う。僕の考え方自体はあの時と
も大して変わりはないと思うが、僕の心は悲しくもなければ寂しくもない。だ
から今、渚さんがカヲル君と同じアプローチをしてきたところで、懐かしく感
じこそすれ、心を許そうとまではしないのだった。
では、今僕が心を許している存在、アスカと綾波はどうなのか?
そう考えてみると、僕の立場としては、カヲル君と同じにあるのかもしれない。
少なくともアスカが入院し、綾波もまだぎこちなかったころは、僕は積極的に
二人の心の隙間に入り込み、心と心を見せ合うことで、二人を癒したのだった。
そして、それは今でも続いていると言わざるをえない。だから、僕とカヲル君
とがそういう意味でイコールとなると、カヲル君と等しい渚さんと僕も等しい
こととなり、同じ性質同士が反発しあうのだ。今、僕の渚さんに向ける感情が
割といい方向にあるのは、渚さんがカヲル君とそっくりだからであって、僕の
カヲル君の思い出が、渚さんと僕を繋ぎ止めているのだった。
とにかく、僕は自分から心を許してその人の心に入り込もうとしない限りは、
人に心を許さないのかもしれない。つまり、簡単な話、そいつがいい奴だとわ
からない限りはこちらも心を見せないということで、受け身で保守的で安全志
向である。それも人生を生きる上で一つの手かもしれないが、法則としてはっ
きりとさせてしまうと、これほどひどいことはないように思える。だから・・・

ごちっ!!

「いてっ!!」

僕はいきなり襲ってきた痛みに声を上げた。
そして、振り向いてみると、そこには拳をグーにして立っているアスカの姿が
あった。

「ア、アスカぁ・・・・」

僕は、この痛みの原因がアスカであると知って、情けない声を上げた。
するとアスカは、僕に向かってこう言った。

「アンタ、また変なこと考えてたでしょ?さっきからレイがアンタのこと、ず
っと心配そうな顔して覗き込んでたわよ。」
「な、何だよ、その変なことって言うのは・・・・?」
「バカ、えっちなこととかそんなことじゃないわよ。うだうだと訳のわかんな
いことに頭をめぐらせてたんでしょ、シンジお得意の・・・・」
「お得意って・・・・」

まあ、お得意といえばお得意なのだが、それでもそうはっきり言われると、僕
も少しばかり呆れてしまうものだった。
すると、アスカはそんな僕に向かって言った。

「どうせリツコのことであれこれ悩んでたんでしょ?ズバリ、アタシに白状し
ちゃいなさいよ。」
「ち、違うよ、リツコさんのことで悩んでたんじゃないんだって。」

アスカのさも当然のように言った言葉は、全然違っていたので、僕は慌ててそ
れを否定した。そして、そんな僕の言葉を聞いたアスカは、不思議な笑みを漏
らしながらこう言った。

「じゃあ・・・・もしかして、さっき話してた・・・・アレ?」
「・・・・アレ?何のこと?」
「またとぼけちゃって・・・・子供の話よ、こ・ど・も!!」
「ち、ち、違うよ!!全然違う!!」

アスカのとんでもない想像に、僕は大声で否定した。
アスカはそんなうろたえまくる僕に苦笑しながら言う。

「わかってるって。ちょっとからかってみただけよ。まあ、シンジらしくない
考えだしね。それより、じゃあ、何を考えてたって言うのよ?」

僕はアスカのからかいよりも、改めて僕が何を考えていたのか訊ねてきたこと
によって、自分が何を考えていたのかを思い出して少し嫌な気持ちになりなが
らアスカに答えた。

「・・・・自分のことだよ。僕の悪いところについて・・・・」
「・・・悪いところ・・・・?」
「そう、悪いところ。それこそアスカじゃないけど、僕のお得意の奴さ。性懲
りもせず、ただひたすらにうだうだと・・・・・」

僕が自分をおとしめるような口調でそうアスカに言うと、アスカは納得した様
子でうなずいて見せた。

「そう・・・・・」
「笑ってやってよ、僕のこの馬鹿さ加減を・・・・普通なら、リツコさんのこ
とを心配して悩んでしかるべきなのに、僕は何にも実にならない自分のことで
頭がいっぱいなんだよ。自分勝手もはなはだしい・・・・・」

僕はもう、開き直ったようにアスカに言っていた。そして、そんな僕の言葉を
黙って聞いていたアスカは、僕が言い終わるとそっとこう言った。

「シンジは・・・・シンジはあの時も、自分のことしか考えてなかったの・・・?」
「・・・・あの時って・・・・?」
「・・・アタシのこと、救ってくれた時よ。」
「そ、それは・・・・・」
「アタシのことだけを考えていてくれたんじゃないの?」
「・・・・うん・・・・だと思う。」
「なら・・・・それで十分じゃない?少なくとも、アンタは自分のことだけし
か考えられないような人間じゃないんだし・・・・」
「・・・・」
「なんだかシンジ、今朝のアタシみたい。自分が自分のことだけしか考ええな
いって思っちゃって・・・・」
「・・・言われてみれば・・・・そうかも?」
「でしょ?今朝はアタシがシンジに諭されたから、今度はアタシが代わりにシ
ンジを諭してあげる番ね。シンジは自分のことだけ考えてる人間じゃないわよ。
今回のリツコの件は・・・・シンジにとって、大した事件じゃなかったってこ
とね。だから、自分の悪いところについて考える暇があったって言う・・・・」
「・・・・」
「アタシもシンジじゃないけど少し考えてみてね・・・・・シンジって、ほん
と、いざって言う時にしか、本気になってくれないのよね。だから普段は自分
のことばっかりうだうだ考えててアタシのことなんてかばってくれないけど、
本当に大事な時には、シンジ、いっつも本気になってアタシのこと、見ててく
れたもん・・・・」
「・・・アスカ・・・・」
「だから、いざって言う時に本当の優しさを見せてくれればそれでいいんじゃ
ないかってね?まあ、本気でシンジに愛されるような存在なら、いつも本当の
優しさが当然かもしれないけど、今はまだ、シンジはアタシに本気じゃないか
ら・・・・」

アスカの口からこんなことを言わせるなんて・・・・・僕は自分を情けなく思
った。アスカは僕に本気で愛されていることを示すために、いつも僕にかばっ
てもらいたかったというのに、僕のせいでアスカに現実を直視した言葉を言わ
せてしまった。現実を見るということは必要なことだが、それにしてもアスカ
にとって、これを自分の口から言うのは、頭の中で思うことよりも、何倍も苦
しいことであろう。

「・・・アスカ・・・・ごめん・・・・・」
「ごめんなんて言わないでよ・・・・」
「・・・・ごめ・・い、いや、わかった。」
「・・・それでいいのよ・・・・・じゃあ、アタシはもう、自分の席に戻るか
ら・・・・」

アスカはそう言うと、そのまま僕に背を向けて、自分の席に戻っていった。

「アスカ・・・・」

僕は去って行くアスカの背中を見つめながら、そっとそうつぶやいた。

「いざという時に本気にならなくてもいい。僕は普段に本気で誰かを想えるよ
うになりたいのに・・・・」

それが今の、僕の本音であった。
そしてそんな僕の小さな一言を耳にしていたのは、まるで存在していなかった
かのようにじっと黙っていた、綾波唯一人であった・・・・・


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