私立第三新東京中学校

第百七十四話・大人と子供

「・・・つまり、リツコは今のところ、行方不明ってわけ。」

ミサトさんが、いつもの呑気な様子とは打って変わった深刻な表情で僕達にそ
う言った。
取り敢えず、この職員室には僕達三人の他に、ミサトさん、伊吹先生、日向さ
んに青葉さんがいる。こういう大事な時には、父さんや冬月校長もいてしかる
べきなのだが、まあ、いつものごとく僕達の前には姿を現さない。そして加持
さんも同じだ。加持さんはこういう時は僕達の側でなく、父さんたち、秘密主
義者達の側に回るのだ。加持さんの居場所を知るものは誰も居ないが、父さん
たちのところにいるか、さもなくば何か情報でも求めて暗躍しているというと
ころだろう。加持さんの場合、授業に関してはミサトさん以上の出席率を誇っ
ているらしいが、ほとんど職員室にいることはなく、空いた時間にどこで何を
しているのかは、誰も知らない。まあ、ミサトさんの言った、まだネルフの活
動は変わりなく行われているというのが、本当だとするなら、加持さんが教師
の仕事に没頭せずにいろんなことをしているのも合点が行く。
ともかく、すべてが終わったと思っていた僕の考えは甘すぎたのだ。ミサトさ
んの言葉、リツコさんの失踪、そして、カヲル君によく似た、渚さんという女
の子の登場・・・・まだ平和な世の中に戻ってはいないということを、強く暗
示させるような事柄ばかりだ。
しかし、僕達、つまり、碇シンジ、惣流・アスカ・ラングレー、綾波レイの三
人は、エヴァに乗らずして何の特別な存在価値があるというのだろう？僕達は
あれ以来、エヴァに乗ることはおろか、その姿さえ一目たりとも見てはいない
のだ。綾波についてはどうかわからないが、とにかく僕とアスカに関しては、
ネルフに足を運んでいない。だから、今の僕達は完全にエヴァとは無関係な存
在であるといってもいい。それなのに、いまだに僕達の周りではよくわからな
い出来事が続く。そういうよくわからないことにばかり関与しているネルフ幹
部とエヴァパイロットだった僕達は深いつながりがあったから、そうなのだと
言われれば納得してしまうかもしれないが、それでもやはり何かあるのかもし
れない。いくら僕達の今の人生は幸せな日常がほとんどだとは言え・・・・

「別にいいんじゃないの？行き遅れの中学教師の一人や二人、行方不明になっ
たところで・・・・」

深刻そうなミサトさんにそう言ったのはアスカだ。僕はアスカの考えているこ
とは大体見当がつくので、今のこの発言も、リツコさんをどうでもいいと思っ
て言ったのではなく、あんまり心配しすぎるのもどうかということが言いたか
ったのだろうと思うことが出来る。しかし、そう思うことが出来たのは実際の
ところ僕くらいのようで、完全に意気消沈していてひたすらうな垂れていた伊
吹先生などはとんでもない侮辱でも言われたかのようにキッと凄い目でアスカ
を睨み付けた。

「まあまあ、アスカ、リツコだって日本を代表する有能な科学者なんだし・・・」

ミサトさんはアスカと伊吹先生との間に立つような形で、なだめるようにそう
言った。すると、そんなミサトさんの言葉に触発されたかのように、伊吹先生
は自分の思いを語った。

「・・・赤木先輩は、私にとって一番尊敬出来る人でした。科学者としての能
力はもちろんのこと、大人の女性としても、尊敬してました・・・・」

僕の目から見ても、伊吹先生のリツコさんを見る目は、信仰に近いものが感じ
られた。僕はこの件に関しては第三者の立場なので、僕がその対象である綾波
の場合と比較するのは難しいが、とにかく科学者としてはさて置き、人間とし
てリツコさんがそんなに人格者であったのかについては、僕は少し首をひねら
ざるをえなかった。
しかし、僕のそんな思いとは裏腹に、伊吹先生は更に言葉を続けた。

「世間知らずな私が知らないことは何でも知っていたし、それなのに私よりも
心は繊細で傷つきやすくて・・・・だから今回も、私は心配してたんです。」

伊吹先生は自分では気づいていないのかもしれないが、まるでもうリツコさん
が完全に居なくなってしまったかのような言い方をしている。ネルフの監視か
ら完全に逃れてしまうというのが、僕にとってどれほどのものかははっきりと
把握していないが、伊吹先生の様子から察するに、これは相当のことなのだろ
う。だから、これは偶然にそうなったのではなく、意図的にそうしたに違いな
い。他の人ならともかく、あのリツコさんならネルフの監視の手を逃れること
くらいはやってのけるかもしれない。
とにかく、そういうことだからこそ、このリツコさんの失踪というのは大きな
問題となっているのであろう。

「しかし、葛城先生・・・・」

少し現実的な問題に帰ろうとしたのか、日向さんがミサトさんに話し掛けた。

「何、日向君？」
「いや、こうしてわれわれが集まって話し合っていても、現実問題として赤木
先生に何か手を打つことが出来るのでしょうか？」

日向さんの疑問は当然だ。何せ僕もそう思っていたのだから。特に僕達の場合、
秘密を共有していないし、ただの中学生だ。エヴァに乗らない以上、僕達は無
力な存在にしかすぎない。
僕がそう思っていると、ミサトさんははっきりと日向さんの質問に答えた。

「出来ないわね、残念だけど。」

するとそれを耳に入れた伊吹先生が急に声を上げる。

「そ、そんな！！」

しかし、冷静さを欠く伊吹先生に対し、ミサトさんは至って冷静な口調で返し
た。

「あなただってわかるでしょう？リツコが本気になれば、アタシたちにはどう
にもならないことくらい・・・・」
「は、はい・・・・」
「それはともかく、ＭＡＧＩの方はどうなの？」

話を切り替えてミサトさんが伊吹先生にそう訊ねると、伊吹先生は自分の職務
の関係なので、速やかに、だがやはりリツコさん失踪の衝撃の色を隠し切れず
に答えた。

「ＭＡＧＩに関してはすべて今までと変わりなく運営されていると思います。
しかし、私の把握していないところも多いので、厳密にはなんとも・・・・」
「まあ、そういうことなら仕方ないわ。取り敢えずあなたの目から見て変わり
がないようならこの件に関してはよしとしましょう。」
「はい・・・・」
「とにかく、ＭＡＧＩのチェックは今まで以上に厳しくしてちょうだい。いい
わね？」
「・・・はい、わかりました、葛城先生。」
「じゃあ、今日のところは今回の事件の報告だけってことで、これでお開きよ。
また何かあったら、アタシのところに言いに来てちょうだい。」
「はい！！」

ミサトさんは取り敢えず全員の解散を促し、僕達もそれに応じた。
僕達の一時間目の授業はリツコさんの理科のはずだったので、今は自習という
ことになっているから、急いで教室に戻る必要はない。しかし、やはりミサト
さん達教師とは違って、ここでおおっぴらにのんびりしているわけにもいかな
い。だから、僕達三人は職員室にミサトさん達を残したまま、自分たちの教室
に戻ることとなった。

「・・・ねえ、あれ、どういうことだと思う？」

僕達が廊下に出てすぐに、それまで割と大人しくしていたアスカが、ようやく
自由になれたとばかりに僕に話し掛けてきた。

「え？あれって・・・・・？」
「アンタバカ！？リツコのことに決まってるじゃない！！アンタ、今までちゃ
んと話を聞いてたの！？」
「あ、う、うん・・・・・」
「とにかく、シンジ、どう思う？」
「うーん・・・・・どう思うって言われてもなあ・・・・・」
「ったくだらしないわねぇ・・・・レイ、アンタはどう？」

はっきりしない僕に早々に見切りをつけて、アスカは綾波に訊ねた。

「・・・・私にも、よくわからないわ。」
「アンタ達ねぇ・・・・」

綾波のすげない言葉にアスカも呆れた感じの声を発した。

「二人もそろってて何もないわけ？アンタ達、ちょっとは推理してみようとか、
そういう気持ちは浮かんでこないの？」
「あ、う、うん・・・・ごめん・・・・・」
「・・・・浮かんでこないわ。」

僕と綾波が口をそろえてアスカに応えると、アスカはあまりのことにぷるぷる
しはじめた。そしてそれをいち早く察知した僕は、慌ててアスカに説明した。

「だ、だって余りにもわからないことが多すぎるだろ！？わかっているのはリ
ツコさんが居なくなったってことで・・・・昨日のことはきっかけにはなった
かもしれないけど、あれがすべての原因でもないと思うな。きっとほかに僕達
の知らない何かが隠されていると思うよ。」

すると、僕の説明を聞いたアスカは僕に向かってこう言った。

「・・・・はじめからそういう風に言えばいいのよ。アタシはそういうのを聞
きたかったんだから・・・・」
「あ、そ、そうだったんだ・・・・・」
「もういいわよ、そんなことは。それより、やっぱりアンタの言うように、蚊
帳の外にいるアタシ達にはどうしようもないことなのかしらね？」
「うん・・・・だと思うけど。」

僕がはっきりとそう断言すると、アスカは僕にこう語った。

「アタシは別にリツコのことなんかどうでもいいんだけど、何かこういう風に
アタシの知らないところで勝手に物事が動いているって言うのはあんまりいい
気分しないのよね・・・・」
「仕方ないよ、僕達はまだ中学生なんだから・・・・」

僕がアスカをなだめるようにそう言うと、アスカは両手を組んで頭の上にぐー
っと伸ばすと、廊下の天井を見上げてこう言った。

「あーっ、アタシも早く大人になりたいなぁーっ！！中学生なんて、一番中途
半端で厄介なのよね。考えることもほとんど大人と変わりなくなってきてるの
に、何も知らない子供として扱われるんだから・・・・・」

アスカの考えることももっともだった。僕もミサトさん達の相談相手にくらい
十分なれると思うのに、ずっと何も知らされぬままだ。だから、僕はアスカの
意見に賛同してこう言った。

「ほんと、アスカの言う通りだよ。僕達だってもう十分ちゃんとしてるのに、
いつまで経っても子供扱いなんだから・・・・・」

僕がそう言うと、アスカも調子に乗って僕に続いた。

「ほんとほんと！！心も身体も、もう大人だって言うのにねっ！！」
「まあ・・・・ね。」
「シンジだって知ってるでしょ？アタシの身体がもう十分大人だってことくら
い・・・・」
「な、何言い出すんだよ、アスカ！？」
「何って、何かおかしいこと言った？アタシは別に、変なこと言ったつもりは
なかったんだけど・・・・」

アスカはずるい。僕はアスカがどういう方向に持って行こうとしているかわか
るだけに、いっそうそれが感じ取られた。さらに、アスカにかかっては僕は完
全に手も足も出ないので、半ばいつものように諦めつつも、やはり口惜しさを
感じずにはいられなかった。
そして、アスカはそんな僕の気持ちなど知ってか知らずか、続けて僕をからか
い続ける。

「とにかくアタシはもう、子供だって作れるんだからね。そういう意味では、
身体は完全に大人だって言ってもいいって思うの・・・・」
「そ、そうかもしれないね。」

僕はアスカの発言に圧倒されながらも、取り敢えず相づちを打った。するとア
スカは案の定、僕に向かって含むところのある流し目をくれてこう言った。

「シンジの子供だって・・・・ね・・・・・・」

すると、それまで黙っていた綾波が、いきなり口を開いて発言した。

「・・・・・私も・・・・碇君の子供が欲しい・・・・・・」

それを聞いたアスカは、あることに気づいたように、大きな声で綾波に言った。

「ふふっ、アンタにはまだ早いんじゃないの、レイ？」
「どうして？」
「アンタはアタシと違って、まだ子供じゃない・・・・・」
「・・・・どういうこと？」
「アンタ、まだなんでしょ、あれ？」
「あれって・・・・何？」
「生理のことよ。せ・い・り！！」
「・・・・生理・・・・月経のことね・・・・・・」
「そうよ。生理がまだのお子様は、子供なんてまだ早いわ。アタシはアンタが
そうなる前に、既成事実としてシンジの子供を一人くらい・・・・・」

アスカは僕に聞かせるようなことでもないことを平気で言っている。こういう
のは男の耳に入れるべきでない会話だろうに・・・・しかも、既成事実なんて・・・
僕の意志とかそういうのは、考えないんだろうか？
しかし、アスカが自信満々な口調でそう言った時、綾波はアスカに向かってひ
とこと言った。

「・・・・私も来るわ、月経・・・・・・」
「う、うそ！？いつ来たのよ！？そ、それにアンタは生理用品なんて持ってな
いのに・・・・」
「・・・・あなたに言う必要はないわ。それに、こういうことは人に話すこと
でもないだろうし・・・・」

チャンスだ！！
僕はとっさにそう思った。綾波の女の子の事情はともかく、人に話すべきこと
ではないという綾波の意見は、この僕にとっての気まずい雰囲気から、脱出す
るための絶好の機会だった。

「あ、綾波の言う通りだよ、アスカ！！さあ、早く教室に戻ろう！！」

僕は不自然に大きな声でそう呼びかけると、有無を言わせず二人の背中を押し
た。

「ちょ、ちょっとシンジ！！」

アスカは不満の意を露にしたが、僕は聞こえない振りをして背中を押し続けた。
そして綾波はと言うと、アスカとは反対に静かに僕に向かって言った。

「・・・・碇君、私ももう、大人だから。だから・・・・・」

綾波はそう言うと、にこっと僕に微笑んで見せた。
そんな綾波の微笑みは、いつもと同じくとてもきれいだったが、僕の心は晴れ
晴れとしてはいなかった。まったくアスカだけでなく綾波までもがこういう事
を言う・・・僕達はまだ中学生なのだ。それなのに、背伸びして大人らしく振
る舞って・・・・そういうことには、責任も付きまとってくるだろうし・・・・
やはり、大人なのかそうでないのかは、自分に嫁せられた責任を果たせるか否
かにかかってきているのではないだろうか？考え方が大人と変わらなくなって
きているとか、子供が作れる身体だとか、そういうのではなくて・・・・
僕はそう思うと、なんだかミサトさん達の会話に加われなくても当然だと思え
てきた。なぜなら、僕は責任を果たす能力がまだ大いに欠けているからであっ
た・・・・・