私立第三新東京中学校

第百七十二話・お互いの色に染めて


僕にはまだ、アスカの背中が見えた。
うつむいて、とぼとぼと歩き続けるアスカの背中が・・・・
僕は歩みを速めると、アスカの背中を追った。

アスカの歩みはゆっくりだ。
僕は走らずとも、すぐにアスカに追いつくことが出来た。

「アスカ。」

僕はそう言ってアスカの肩に手を掛けて止める。

「・・・・」

しかし、アスカは無言で僕の手を振り払うと、そのまま先に行こうとした。

「アスカっ。」

僕は今度はアスカの手首をつかんだ。

「・・・・」

しかし今度もまた、アスカは丁寧に僕の指をはがすと、先へ行こうとする。ま
るで僕から逃げるように・・・・

「アスカ、逃げないでよ!!」

今度は僕はそう言っただけで、アスカの身体には指一本触れなかった。

「・・・・」

すると、今度ばかりはアスカの動きが止まった。
僕の言った、「逃げる」という言葉に反応したのかもしれない。僕に逃げる事
がいけない事だと一番言い続けてきたのは、他ならぬアスカだった。だから、
自分も僕を目の前にして逃げることが出来なかったのかもしれない。

僕はアスカが逃げないのを確認すると、アスカの正面に回る。
そして、アスカに向かって言った。

「アスカ、僕の話を聞いて・・・・」
「・・・・・」
「勝手にしゃべるよ・・・・」

僕はアスカが黙ってうつむいているのを見て、勝手にしゃべる事にした。

「その・・・・アスカが僕をアスカ好みの僕に変えようって言う事だけど・・・・」
「・・・・」
「いいんじゃないかな、そういうの・・・・・」
「・・・・・」
「アスカ好みの男って言うのは、つまりアスカの理想の男って事だろ?」
「・・・・」
「ねえ、アスカ?」

僕はひたすら黙り続けるアスカからとにかく言葉を引き出したくて、しつこく
アスカに返事を求めた。するとアスカは、しばらく口を開こうとしなかったも
のの、僕の根気に負けたのか、小さな低い声で答えてくれた。

「・・・・・・そうよ。」
「じゃあ、アスカは僕を最高の男にしてくれようとしたって事だから・・・・
僕はアスカのした事、悪い事だとは思わない。むしろ、ありがたく思ってるく
らいだ。」
「・・・・・・・・そう。」
「そう、って・・・・だからアスカも、そんなに自分を責めないでよ。」

僕がそう言うと、アスカはそんな僕に向かって静かにこう言った。

「・・・・・最高の男にするって言う事が、その男を幸せにするって言う事と
イコールではないわ。」
「た、確かにそうかもしれないけど・・・・・」
「だからアタシは求める事しか知らなかったのよ。シンジの幸せなんて、考え
てなかった。ただアタシは、シンジの欠点をあげつらって、それを直そうとし
てただけなんだから・・・・」

アスカはひたすら自分を責め続けた。しかし、アスカが今言った事は、僕は悪
い事だとは思えなかったので、アスカに向かってやさしくこう言った。

「それは、僕にとってありがたい事だよ・・・・・」

しかし、それもアスカには届かなかった。

「でも、シンジはアタシの欠点を、直そうとしなかったじゃない・・・・」

僕はアスカの言葉に一瞬ぎくりとした。が、慌てて僕はアスカの考えを否定し
て見せた。

「・・・・・・ア、アスカに欠点なんてないよ。少なくとも僕の見た限りでは・・・・」
「嘘。」
「う、嘘じゃないよ。」
「・・・・・アタシは欠点だらけよ。シンジだって、アタシのする事に辟易す
る事、何度もあるだろうし・・・・・」
「そ、それは・・・・」
「アタシが何だかんだって難癖を付けては、シンジにキスしてる事、それから
人を引っかけるような発言ばっかりしてる事、それからすぐに暴力を振るう事、
それから・・・・・とにかく、挙げていけばきりがないのよ。わかる?」
「で、でも、それはアスカの魅力の一部で・・・・・」

僕は本心からそう思った。それがアスカらしさを築いているのだから、僕はそ
れを切り捨てる事は出来ないと思った。しかし、僕がそう言うと、アスカはま
るで僕がそう言うのを待っていたかのように、すぐさま僕にこう言った。

「アンタはそう思うんでしょう?だからアタシも、シンジの欠点を魅力の一部
として受け止めて、見逃してやるべきだった。でも、アタシは完全を求めるあ
まり、それをシンジらしさの一つだと判っていながら、見逃してやらなかった・・・・」
「で、でも、僕は自分自身、直したいと思ってるところだから・・・・」
「アタシだって、自分の欠点、直したいと思ってるわよ。」

アスカは僕に向かって、きっぱりそう言った。
何だか話をすればするほど、僕がアスカにとってきた態度と、アスカが僕にと
ってきた態度に違いのある事がはっきりとしていくのだった。そして、そのこ
とはアスカの考えを変える事からは遠ざかるものであった。

「ア、アスカ・・・・・」
「アタシだって、自分の嫌いなとこ、いっぱいある。でも、シンジはそれを変
えようとした事はないじゃない。アタシみたいに、アタシをシンジ色に染めよ
うなんて、一度もしてくれなかったじゃない・・・・・」
「・・・・・」
「それがアタシとシンジの違い。アタシはシンジを求めてた。でも、シンジは
アタシを求めていなかった。二人がお互いを求め合っていたなら、お互いを自
分色に染めるのは、とってもいい事だと思う。でも、それが片方だけなら・・・・
もう片方の染められるだけの側は、余計なお世話を受け続ける事になるのよ。」
「・・・・・」
「余計なお世話なのにやめない。だからアタシは自分勝手なのよ。そしてそれ
もアタシの欠点。」
「・・・・」
「でもアタシはそれでいいと思ってた。シンジじゃないけど、それがアタシら
しいって・・・・でもそれって、人から見ればものすごく迷惑な事なのよね。
レイに言われて、つくづくそう思ったわ・・・・」
「・・・・」
「つまり、アタシはシンジに迷惑を掛け続けるだけの存在。だから、アタシは
シンジにはふさわしくないの。アタシのせいでシンジが苦しむだけなんだから・・・・」
「・・・・」
「シンジが最近元気がない理由、アタシは色々周りがごたごたしてるせいだと
思ってた。でも、本当のところは、アタシがシンジのなすことに色々口を出し
てシンジを悩ませて・・・・そのせいでシンジを疲れさせてたのよね。何だか
そう考えてみると、今までわからなかった事の辻褄が合うんだから・・・・」
「・・・・」
「だから、アタシは思った。シンジのためを思えば、シンジにはアタシよりも
レイの方がふさわしいんじゃないかって・・・・・レイはアタシみたいにうる
さく言わないもんね。」

僕は取り敢えずアスカが全部言いたい事を言い終わるまで黙って聞いていよう
と思った。しかし、この時ばかりは僕も、黙ってはいられなかった。

「ち、違う!!」
「・・・・どうして?レイはいい娘よ。」
「確かに綾波はいい娘だよ。僕もそう思う・・・・」
「だったら・・・・」
「でも、綾波は、アスカみたいに僕を叱ってくれないんだ!!綾波は、僕をや
さしくしてくれるかもしれない。でも、それだけじゃ僕のためにはならないん
だよ!!」
「確かに、人は甘やかすだけじゃ駄目かもね?でも、アタシの場合、その度合
いが強すぎるから・・・・」
「僕にはそれくらいがちょうどいいんだよ!!僕は自分で言うのもなんだけど、
弱すぎるんだから!!」
「・・・・でも、シンジを疲れさせてる・・・・・」
「そりゃあ疲れるかもしれないけど、僕はそれがうれしいんだよ!!アスカが
僕を思って、色々僕に指導してくれるんだから!!」
「・・・・・・」
「つまり、アスカは僕にとってちょうどいいんだ!!アスカくらいきつい方が、
僕にはぴったりなんだよ!!」
「・・・・・じゃあ、余計なお世話だって思わないの・・・・?」
「だから、さっきから言ってるだろ!?うれしいんだって!!」
「・・・・シンジ・・・・・」
「アスカじゃなきゃ駄目なんだよ・・・・僕は・・・・・」

僕は最後に、アスカに向かってそう言った。するとアスカは、はじめて僕の目
を見て言った。

「アンタ・・・・このアタシにそこまで言ってくれるの・・・・・?」
「し、仕方ないだろ・・・・僕はこんなへぼい男なんだから・・・・」
「・・・・・アタシ・・・・シンジをアタシ色に染めてもいいの・・・・?」
「僕はアスカの強さに憧れてるんだ。だから、僕はアスカにアスカ色に染めら
れたい。」

僕ははっきりとそう言った。何だかプロポーズ紛いの変な雰囲気になってきた
が、とにかく僕はその今言った事に関しては真実だったので、臆すことなく言
う事が出来た。
するとアスカは、僕の目を見つめてこう言った。先程とは打って変わった口調
で・・・・

「じゃ、じゃあ・・・・アタシもシンジ色に染めて。アタシは自分で言うのも
なんだけど、ちょっと粗暴なところがあるから、シンジのその優しいところに
憧れてたの。だから・・・・」
「う、うん・・・・・」
「あ、ありがとう・・・シンジ・・・・」

僕もアスカを僕の色に染める事になってしまった。まあ、僕がアスカにアスカ
色に染めてもらうのだから、受けて当然の事だろう。第一事の発端は、アスカ
が僕をアスカ色に染めようとしたのに、僕がアスカを僕色に染めようとしなか
った、つまりお互いが求め合わなかったからで・・・・・って

「あっ!!」
「ど、どうしたのよ、いきなり!?」
「つ、つまり僕達がお互いをお互いの色に染めるって言う事は、その・・・・・」
「そういう事よね。」
「で、でも、その・・・・・」
「アンタ、アタシの事がレイよりも好きだって言って、アタシと舌を絡めたデ
ィープなキスまでしといて、まだうだうだ言う訳!?」

僕が煮え切らない態度を示すと、アスカはもう、いつものアスカに戻っていて、
僕をこき下ろした。が・・・・その内容に問題があったので、僕は反論して見
せた。

「い、いや、その・・・・絡めてはいないだろ・・・・」
「絡めたじゃない、しっかりと!!」
「い、いや、あれはくっつけただけで・・・・」
「そんなの同じよ!!絡めたのと大差無し!!」

アスカ特有の強引な展開で、勝手に決め付けられてしまった。しかし僕は呆れ
ながらも、再びこういうアスカの姿が見られて、喜びを感じていた。

「そ、そんなぁ・・・・」
「それはともかく、アンタははっきりとアタシの教育を受けるって言ったんだ
から、もうアタシも容赦しないわよ!!」
「い、今まで容赦してたの・・・・?」
「当り前でしょ!!」
「ううう・・・・」
「ビシバシ行くわよ、ビシバシね!!」
「あ、僕もアスカを教育しなくちゃ。まず、そういう風に人を脅すところを直
させて・・・・」

僕もアスカを教育して僕色に染めるのだという事を思い出して、アスカに向か
ってこう言った。するとアスカもそれには反論出来ずに、何とか大人しくなっ
た。

「う・・・・わ、わかったわよ・・・・」
「そうだよ、それだよ、アスカ。それでいいんだ。」

僕は調子に乗ってアスカに言う。するとアスカは僕に向かってこう言った。

「ア、アンタが疲れてた気持ち、よくわかるわ・・・・」
「僕は疲れてなんていなかったよ。アスカがこらえ性がないだけなんだよ、き
っと。そこのところも直さないと・・・・」
「あ、お願い、いっぺんにするのはやめて。アタシ、へろへろになっちゃうか
ら・・・」
「ふふっ、わかってるって。そんなアスカなんて見ててもつまんないだろうし・・・・」
「あ、そんな事言って・・・・ひどい・・・・」

僕がちょっと意地悪く言うと、アスカは少ししおらしげに僕に言った。普通な
ら僕に怒鳴りかえすところをこらえているのだろう。それを示すかのように、
アスカのこめかみが少しぴくぴく来ていた。僕はそんなアスカがちょっぴり可
哀想になって、笑いながらこう言った。

「無理しなくてもいいよ。僕は今のままのアスカで十分なんだから・・・・」

しかし、僕がそう言うと、アスカはそれを否定して言った。

「嫌。アタシはシンジ色に染められたいんだもん。」
「で、でもねぇ・・・・」
「ほら、アタシが疲れたら、元気にする方法、シンジは知ってるでしょ?」
「・・・・そう来るかい・・・・」
「ね?あ、アタシ、もう疲れちゃった・・・・やっぱり慣れないことするのは
よくないわね・・・・」

アスカの態度は白々しい。僕はそういうところも直させたかったが、今ここで
言ってアスカの気持ちをくじくのもどうかと思われた。それに、やっぱり僕は、
今のままのアスカが一番いいと思っていたんだし・・・・

僕がそう思っていると、アスカが急かすかのように僕に言った。

「ほら、早くぅ。アタシ、早くしないと倒れちゃうんだから・・・・・」
「し、仕方ないなあ・・・・」

僕はそう言ってアスカに顔を近づけかけたが、視線にある物が入って、途中で
止めた。するとアスカが待ちかねたかのように迫った。

「早くしなさいよ。アタシが待ってるんだから・・・・」
「アスカ、みんなが見てるんだけど・・・・」
「ええっ!!」

いつの間にやら、トウジもケンスケも洞木さんも、それから綾波もいた。
全く気付いていなかったとは、僕もアスカも情けない・・・・

「ヒ、ヒカリ・・・・見てたの?」

アスカが唖然としながらも洞木さんに訊ねる。すると洞木さんは恥ずかしそう
にしながらも、アスカに向かって答えた。

「うん・・・・」
「ど、どこまでよ!?」
「ほ、ほとんど・・・かな?」
「ほ、ほとんどですってぇ!?」
「う、うん・・・・べ、別に悪気はなかったんだけど、アスカの事が気になっ
て・・・・」

洞木さんがそう応えると、アスカはいきなり洞木さんを自分の元に引き寄せて
小さな声で訊ねた。

「も、もしや・・・・キスのくだりも?」
「うん。デ、ディープとか何とか・・・・ねえ、アスカ?ほんとに碇君とそん
な事したの?」
「・・・・・し、したわよ。」
「そ、そう・・・・・」
「べ、別にいいでしょ?アンタと鈴原も、早くしちゃいなさいよ。」
「そ、そんなっ!!」
「恥ずかしがる事じゃないわよ。あのシンジでさえ、受けるようになったんだ
から、鈴原だって押していけばそのうち・・・・・」
「あ、あたしはそんなふしだらな事はしません!!」
「そう・・・・ま、後でなんて言うかわかんないけどね・・・・」
「ア、アスカぁ・・・・」

洞木さんとアスカは、延々とそんな話をしていた。
そして、後に残った僕達は・・・・とにかく、トウジとケンスケは綾波に話を
させる事にしたようだ。

「碇君・・・・」
「あ、綾波・・・・その・・・・・」
「ううん、こういうこと、わかってたから・・・・・」
「そ、その・・・・・な、なんて言ったらいいのか・・・・」
「何も言わないで。私は平気だから・・・・」
「で、でも・・・・」
「私は全てを見て、聞いたから。だから碇君は何も言わないで。」
「・・・・わ、わかった・・・・・」
「早く行かないと遅刻するわ、碇君。」
「そ、そうだね、綾波・・・・」

僕は綾波が話を無理矢理中断させたことに気付いた。
綾波も、逃げたくなることがあるのかもしれない。でも僕は、そんな綾波を責
めるつもりは全くなかった。綾波の心をそんな目に合わせたのは、この僕なの
だから。そして僕は、綾波をそうせざるをえない状況に追い込んでしまった事
について自分を責めていた。今の状況では、こうならざるをえないと判ってい
たとしても・・・・


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