私立第三新東京中学校

第百七十一話・自分を認めること


僕は疲れていたのかもしれない。
だから、自分で自分を信じられなくって・・・・
でも、僕は綾波の言葉で、自分がそんな駄目な男なんかじゃないんだと、思う
ことが出来た。
そして、僕はその事に関して、綾波にとっても感謝していた。

僕達は今、学校に向かっている。
が、何だか会話は弾まない。
それもこれも、僕達の会話の核たるアスカが、完全に落ち込んでしまっている
からだった。

「ふぅ・・・・」

でも僕は、アスカに声を掛けられずにいた。
別にアスカの言葉に怒っている訳ではない。
ただ、何となくアスカの雰囲気が、僕を寄せ付けるような類のものではなかっ
たからだ。だから、自然と僕の隣には綾波が位置する事となり・・・・アスカ
は後ろでとぼとぼ歩いていた。
はじめはアスカが僕達の列から遅れるような形で後ろに引いていったのだが、
アスカの様子を心配する洞木さんがアスカのところまで下がり、そして今では
洞木さんを守る事を自分の使命のように感じているトウジも、当然のように洞
木さんについて後ろに下がった。ケンスケはしばらく僕の隣にいたのだが、僕
の事しか見ていない綾波を目の当たりにして虚しさを感じたのか、そのままそ
っとトウジの隣に行ってしゃべっていた。
そして気がついてみると、僕は綾波と二人っきりで列の先頭を歩いている形に
なっていたのであった。

「どうしたの、碇君?ため息なんてついて・・・・」

綾波はため息をつく僕の様子を見て、心配そうに顔を覗き込みながら訊ねた。

「いや・・・・何でもないよ、綾波・・・・」

僕は綾波にそう答えた。だが、僕自身、誰がどう見たって何でもないなんてこ
とはないと思っていた。

「碇君・・・・」

綾波ははっきりと真実を述べない僕に向かって問い詰める事はなかった。しか
し、その目ははっきりと、僕に向かって自分にすべてを打ち明けるようにと言
っているように思えた。
そして、その僕を見つめるそんな綾波の紅い瞳の中に一筋の悲しみを・・・・
僕は見出していた。
綾波は気付いていたのだ。
綾波が隣にいるにも関わらず、いまだに僕の心がアスカの元にある事を・・・・

先程の綾波の言葉は、僕の乾ききっていた心に幾分の潤いをもたらしてくれた
事は事実である。しかし、昔の事を一々掘り返される事は、アスカにとっては
辛い事に他ならなかった。アスカだって、綾波が言った事くらい十分わかって
いるはずであった。それをすべて忘れてしまっているとしたら、どうしてアス
カがあんなにも僕の事を見てくれるだろう?
だから、僕は十分わかっているのだ。
アスカが綾波の言うようなひどい女の子なんかじゃない、むしろ全てわかって
いるからこそ、僕に厳しくしてくれるんだって事を・・・・

でも、僕は弱い人間だ。
だからつい、綾波の甘い言葉におぼれて、綾波の手を握ってしまった。
もしかすると、二人きりだったら抱き締めるくらいのことはしてしまっていた
かもしれない。
僕はそんなつもりではないにしても、アスカは僕の行為が、綾波の言葉を肯定
している事だと思った事だろう。そして、アスカは自分を弁護したかったとし
ても、あの昔の出来事を出されてしまったのでは、アスカは何も言えない。
アスカの心は行き場を失ってしまった。
事実がはっきりとしているだけに、公然と綾波に反論したとしても、勝ち目が
あると思えない。そして、ここで綾波の意見を全て受け入れるには、アスカの
プライドは高すぎるし、アスカにとって自分を否定する事なんてとんでもない。

いや、そんなことよりも、綾波がアスカに言った最後の言葉、
「あなたは最低よ。碇君に愛される資格なんてないわ。」
この言葉が、アスカを強く打ちのめしたのかもしれない。
あの時の綾波の言葉は真実に限りなく近付いていた。だから、アスカも反論出
来なかったのだ。そのため、アスカにとってこの言葉も真実の一部となり、ア
スカの心に大きなダメージを与えた。
きっとアスカはこの事を、信じはじめているのだろう。

僕は綾波のあの時の言葉がうれしかった。
しかし、アスカが傷ついているのを黙って見ているのとはまた別問題だ。
第一僕は、アスカが落ち込んでいる姿なんて、一時たりとも見たくないのだか
ら。

「碇君・・・・」

綾波はもう一度僕の名前を呼ぶ。
僕は、綾波のその一言の中に、どんな想いが込められているのか、十分わかっ
ていた。しかし、僕はそれがわかっていながらも、綾波に応えることは出来な
かったのだ。

「・・・・ごめん、綾波・・・・・」

僕はただ一言、そう綾波に謝った。

「・・・・・」

綾波は、泣き出してしまうかもしれない。
しかし僕は、言い訳がましい事は言いたくなかった。
それが、大いなる欺瞞だとよくわかっていたから。
そして、それこそが、アスカが僕に教えてくれた事だったからだ。

僕は綾波に背を向けるように、後ろを振り返った。
しかしアスカは、うつむいたまま僕の事になど気がつかない様子で、ゆっくり
と歩いている。

「・・・・」

僕は黙ったまま、アスカに向かって歩みはじめた。
アスカ以外のみんなは、僕のことに気が付いて少しアスカから遠ざかった。
アスカはそのまま歩き続けている。そして僕は、アスカの正面に立って、アス
カが僕の目の前までやって来るのを待ち受けた。

「・・・・・どきなさいよ。」

アスカは僕の真正面まで来て、僕の足が視界に入ったのか、ぴたりと歩みを止
めるとぼそっと僕に向かって言った。

「嫌だ、どかない。」

僕はそんなアスカに向かって、はっきりとそう断言した。
するとアスカは僕は避けて通ろうとする。だが僕は、そんなアスカの行く手を
遮って逃がさなかった。

「・・・・アタシの邪魔しないでよ。」
「嫌だ。」
「・・・・どうしてよ?」
「アスカが・・・・アスカが僕の顔を見てくれないから。」
「・・・・アタシには、アンタの顔を見る資格なんてないわ。」
「・・・どうして?」

自嘲気味に言うアスカに向かって僕はそっけなく聞き返した。するとアスカは
一瞬だけいつもの怒気をひらめかせて僕に言った。

「このアタシの口から言わせる気?」
「うん。」

しかし、僕はひるまない。アスカに向かってはっきりうんと言った。するとア
スカは、そんな僕に向かってこう言った。

「・・・・このアタシを辱める気?アタシの愚かさを思い知らせようとか・・・・」
「そんなつもりはないよ。」
「じゃあ、どういうつもりなのよ?」
「アスカが顔を上げて僕の事を見てくれたら教えてあげる。」
「・・・・・」

アスカはしばらく黙っていたが、僕に言われた通りに顔を上げて僕の顔を見た。
そして僕はアスカの顔を見た時、思わずいきなりこう言ってしまった。

「・・・・全然悪くないよ、アスカは・・・・」
「な、何言い出すのよ、いきなり?」
「僕は別にアスカが昔の事を忘れちゃったなんて思ってないし、それにアスカ
や綾波に恩着せがましい事を言おうなんて思ってたりしないから。」
「・・・・」
「だから、アスカも気にしないでよ。アスカの言ってくれてる事は、全て僕の
ためだと思ってるんだから・・・・」

僕がそう言うと、アスカは再び目線を下に降ろしてこう言った。

「でも、それは・・・・アンタのためにはなってない・・・・」
「どうして?」
「アタシ・・・・レイに、アタシがアンタに求めてばっかりだって言われて、
ショックだった・・・・・」
「アスカ・・・そんなことないって。アスカは僕のた・・・」

僕は自分を責めるアスカに反論しようとしたが、アスカはそれを遮って話し続
けた。

「違うわ!!アタシがシンジに言ってきた事は、全部アタシのためなの!!シ
ンジがもっとアタシ好みのシンジになるようにって!!」
「・・・・・」
「だから、レイの言ってた事は全て当たりなのよ!!アタシはシンジに求め続
けてる!!アタシのエゴのために、シンジに嫌な事、辛い事を求め続けて・・・・」
「・・・・・」
「アタシはシンジに変わって欲しかった!!いろいろアタシは都合のいい事を
言ってたけど、今にして思えば、シンジをアタシの求めるシンジに変えようと
思ってただけ!!」
「・・・・・」
「だから・・・・アタシは最低なのよ。レイが言ったようにね・・・・」
「・・・・・」
「アタシは言われてみるまでそんな自分に気付かなかった。でも、今ははっき
りとわかる。アタシがシンジに愛される資格なんて持ち合わせてないって事を・・・・」
「・・・・アスカ・・・・・・」

辛かった。
アスカの言っている事は、僕の頭でも十分理解出来た。そして、僕はそれを完
全に否定する考えを持つことが出来なかった。だから、自分をおとしめるアス
カに向かって、僕は何も言えなかった。根拠のないかばいだては、よりアスカ
を苦しめるだけだろうから・・・・

そして、アスカはそのまま歩き出した。
僕の横をすり抜けて・・・・
洞木さんもトウジもケンスケも、呆然と立ち尽くしている。
アスカのぶちまけた言葉の内容に、衝撃を隠し切れない様子だ。
そして僕は・・・・振り向けなかった。
ただ、僕の耳にアスカの足音が響いていただけだった。

「・・・・・」

そして、もうひとつの足音も聞こえた。
それはアスカのものとは違って、こっちに近付いて来るものだ。

「碇君・・・・」

綾波のその言葉と共に、僕は背中に綾波の感触を感じた。

「・・・・・」

綾波は僕に背中から抱き付いて、そっと身体に腕を回している。

「碇君・・・・」
「・・・・やめてよ、綾波・・・・」

僕は僕の背中にそっと抱き付いて来る綾波に向かってすげなくそう言った。
だが、そんな僕の言葉に、綾波は素直に従わない。

「・・・・いや。」
「・・・・・」
「私じゃ・・・・私じゃ駄目なの?」
「・・・・・」
「・・・私は、あの人より強く碇君の事を愛せる。だから・・・・」
「・・・・・」
「・・・だから、私を見て。あの人じゃなく、私の事を・・・・」
「・・・・・」
「碇君・・・・お願い・・・・・」

綾波はそう言うと、僕の身体に回していた腕に力を込めた。
すると僕と綾波の身体は更に密着する。
そして綾波の小さく柔らかい胸の感触を背中に感じ・・・・

僕は何も出来なかった。
綾波を振りきってアスカを追いかける事も、反対に綾波を自分から抱き締めて
やる事も・・・・

最低なのは僕の方だ。
アスカを苦しめ、綾波を苦しめる。
それは僕の存在が二人を苦しめているのではない。
僕の態度が、二人を苦しめているのだ。
そんな僕に嫌気が差して、アスカが僕を改造したくなるのも当然だろう。

しかし、綾波は僕は僕自身であればいいという。
今のままの僕でいいのだと・・・・

綾波といると、心が安らぐ。
僕は何も考えずに、自分の思うように行動していればいい。
綾波はそんな僕の事が好きだといってくれるのだから・・・・
きっと綾波は、いつもいつもこうして僕の事をあたたかく包み込むようにして
抱き締めてくれるだろう。
綾波と一緒にいれば、何も問題はない。
問題の生じる余地はないのだ。
綾波は僕を受け入れてくれるし、僕も綾波を・・・・・

でも、問題がなくていいんだろうか?
全てが今のままでいいんだろうか!?
僕はそう思わない。
アスカもそう思ったから、僕に色々言ってくれたんだ。
だからアスカは、問題が生じようとも、僕のためを思って色々言ってくれた。
それこそが、愛ゆえの厳しさであり、真の愛情なのではないだろうか?
僕はそんな真の愛情を与えることの出来るアスカを凄いと思う。
でも、アスカは自分の事をそうは思えない。
僕はアスカに、自分自身を認めて欲しいのに・・・・

僕はそう思ってはっとした。
自分自身を認める・・・・それの出来ない人間は僕だ。
だから今のアスカは、僕と同じなんだ!!

「綾波・・・・」

僕はそっと綾波に呼び掛けた。
すると綾波は、甘い声で僕に応える。

「なに、碇君・・・?」

しかし、僕は綾波の期待を裏切るかのように、全然関係ない事を真面目に言っ
た。

「自分自身を認めるって・・・・どういう事だと思う?」
「・・・・私は碇君のおかげで、今の自分を認めることが出来るわ。」
「そう・・・・よかった。」
「うん・・・」
「でも僕は、自分自身を認めることが出来ない。そして、今のアスカも・・・・」
「・・・・・」
「だから今のアスカには、僕の助けが必要なんだ。わかるよね、綾波・・・・?」
「・・・・・」
「綾波の事は、ほんと、うれしく思ってるよ。僕は綾波のおかげで、少しだけ
自分に自信を持つことが出来たんだから・・・・・」
「碇君・・・・」
「綾波は僕のことを優しいって言ってくれたよね。そして、そういう僕で居続
けて欲しいって・・・・」
「・・・うん・・・・・」
「だから僕は、綾波の好きな僕でいる事にするよ・・・・」
「・・・・」

そして、僕は最後に綾波に向かって言った。

「僕はアスカを助ける。アスカにも、綾波と同じ様に自分自身を認められるよ
うにするんだ。」

僕は背中の綾波に向かって、そう断言した。
すると、僕の身体に回されていた綾波の腕がすっと緩む。
僕はそんな綾波の腕に直接手を掛けてやさしく自分の身体から外すと、振り返
って綾波の目を見た。そしてひとこと綾波に言う。

「行って来るよ、綾波。」

そして僕は綾波を置いて、先へと進んだ。
僕と同じく自分を認められなくなってしまったアスカを救うために・・・・


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