私立第三新東京中学校
第百六十八話・考えすぎは身体に毒
・・・・まずい。
やはり、朝からパン食なんて、味気ないというものだ。
しかも、これと同じものをお昼にも食べなければならないなんて・・・・つら
すぎる。僕はグルメ志向でも贅沢主義でもないが、パンばかり口にしていたら、
身体の水分が抜けてぱさぱさになってしまうような気がする。
特にこういう状況下においては、そんな考えが頭の中を占めてしまうのだ・・・・
取り敢えず僕は時間がないという苦しい理由を持ち出して、強引にアスカと綾
波を席に着かせ、朝食を始めたのだが・・・・どうも気まずい雰囲気が室内を
漂っている。
アスカは何だかやけに思わせぶりな発言をして、僕を困惑させた。そしてこう
して食卓に着いている時も、どこか僕に意識を張り巡らしているような気がし
て、僕は落着いてサンドイッチにかぶりつく事も出来なかった。無論、アスカ
に視線を合わせづらいというのは当然である。
しかし、僕がアスカに視線を合わせないと、アスカは露骨に気分を害したり、
もっと直載に実力行使に出るのが自然なのだが、不思議とアスカは何も言って
は来ない。それがいっそう僕に嫌な予感を感じさせて、落ち着きを無くさせて
いた。
そして綾波はと言うと、アスカとは対照的に自分の世界に入り込んでしまって
いるような気がする。なにやら深く考え込むような様子で、もくもくとサンド
イッチを口にしている。綾波が何を考えているのか、僕には知るすべがなかっ
たが、どうせ少し前の会話に関係している事だろうと思ったので、綾波に話し
掛ける気にもならなかった。
で、こういう時、いつも僕の助けになるのがミサトさんなのだが・・・・アス
カに誇張した話を吹き込まれたせいか、きっと誤解しているに違いない。特に
ミサトさんはゴシップ好きで想像力も強そうだから・・・・今でも頭の中であ
る事ない事妄想にふけっている事だろう。
「ふぅ・・・・」
ため息をつくより他にない。
サンドイッチは、しなびかけたキュウリとやけに汁っぽいトマトが青臭さを強
調しているかのようではっきり言っておいしくない。ミルクティーも、普段よ
り心なしか香りが弱く、薄いような気がする。
気分が優れないと、こうも食事がおいしくないものか・・・・
僕はつくづくそう思った。
でも、こうなのは僕のせいじゃない。
アスカも綾波もミサトさんも・・・・あー!!せっかく最後の朝食だって言う
のに、なんでこうも盛り上がらないんだろう。誰かが今のこの状況を打破して
くれればいいのに・・・・
他力本願かもしれないが、今の僕が何かを口にすれば、逆効果だと思っていた。
だからひたすら時が過ぎるのを待つしかない。しばらくすれば、トウジやケン
スケが迎えに来てくれるだろうし・・・・
「シンジ君、どうしたの?」
その時、隣に座っていたミサトさんが僕に話し掛けてきた。
「あ、な、何でもないです。」
僕がそう答えると、ミサトさんは僕に胸のうちを見透かしたかのような顔をし
て言った。
「そーお?僕は不幸です、って言う顔をしてるけど・・・・」
「そ、そう見えますか!?」
僕はミサトさんの指摘にびっくりして、少し大きな声を出してしまった。
「見えるわよ。見え見えじゃない。」
「そ、そうですか・・・・」
「どうしてそう感じるの?アスカとらぶらぶなのに・・・・」
「や、やめてくださいよ、冷やかすのは・・・・」
「あら、冷やかしなんかじゃないわよ。だって、事実なんでしょ?」
「そ、それはまあ・・・・・」
ミサトさんの言葉に、僕は少し口を濁してどっちとも取れるあいまいな反応を
示した。するとミサトさんは、そんな僕に対して追求する事はなく、静かにこ
う言った。
「ま、それはどっちでもいいとして・・・・それよりそんな風に露骨に不景気
な顔はしない方がいいわよ。」
「す、すいません・・・・」
「たとえ心の中であんまりいい気分してなくても、顔はいつもにこやかにして
るもんなの。それが一番なんだから。」
ミサトさんはそう言ったが、僕はすんなりとその意見を受け入れることは出来
ずに、ミサトさんに反論して見せた。
「・・・・それって、欺瞞じゃないですか?」
「どうして?」
「だって、心を偽るなんて・・・・」
僕がそう言うと、ミサトさんは真剣な眼差しで僕にこう言った。
「確かにそうかもしれないけど、アタシが言いたいのは違う事なの。」
「違う事って・・・・?」
「不景気な顔してれば、心も自然とそうなるもんなのよ。反対にいつも楽しそ
うな顔してれば、心もそれにつられて楽しくなってくるって言う訳。わかる?」
「わ、わかりますけど、でも・・・・・」
「なに?」
「僕にはそんな器用なことは出来ません。どうしても思ってる事を顔に出しち
ゃいますから・・・・」
「なるほどね。確かにあなたは、そう言う不器用なところがあるかも知れない
わ。」
「でしょう?僕も自分の事くらい、わかっているつもりなんです。」
「そう・・・・でも、そうして開き直っていつまでも自分の殻に閉じこもって
いるのって、よくない事だとは思わない?」
「それは・・・・」
「あなたの自分を偽らないって言う心がけは立派よ。たとえ人にでなく、自分
に対してであっても、嘘をつくのはあんまり勧められた事じゃないからね。」
「・・・・・」
「でも、自分を偽るって事と、自分を変えようって思う事とは、全然違うんじ
ゃないの?」
「・・・・・」
「いい方向に物事を動かして行こうって言うのが、アタシのポリシーなの。あ
なたにそれを押し付けるつもりはないけど、何だかちょっと誤解してるみたい
だから、言っておくわね。」
「ミサトさん・・・・・」
「待っていたって、いつまで経ってもよくはならないわよ。時が解決してくれ
るなんて、所詮弱い人間の幻想なの。だからあなたも、自分から改善していく
ように努めなくっちゃ。」
「・・・・・」
ミサトさんの言葉は、僕の胸に染みた。
僕がずっと考えてきた事、逃げる事・逃げない事に深く関わってきたからだっ
た。確かにミサトさんの言う通り、自分を偽る事と、自分を変えようとする事
とは全然違う。それは正と負の正反対の立場にあると言えるだろう。それだけ
に、却って両者を見極めるのは非常に難しい事だと言える。ミサトさんのよう
にしっかりとした自分を持っていて、強い自我を備えているならば・・・・
しかし、僕の場合は違う。僕は弱いから、すぐに自分の都合のいいように解釈
してしまって、いつのまにか逃げているのだ。
僕だってわかっている。そういうのが駄目だって言う事くらい。でも、わかっ
ていてもうまく行かないという事くらい、この世の中には五万とあるのだ。頭
で理解出来るものが全て出来るというならば何も苦労はしない。出来ないから
こそ、人生とは難しいのだ。
僕はどうしたらいいんだろう?
ミサトさんの言うように、とにかく努力すればいいんだろうか?
でも、努力云々を口にするなら、僕は常に努力しているつもりだ。まあ、そう
していてもいつも空回りしてばかりなのだが・・・・
「シンジぃー。」
僕が考え込んでいたところに、いきなりアスカが声をかけてきた。
「ア、アスカ・・・・な、なに?」
僕は自分の思考にどっぷりとはまってしまっていたので、すっかり周りの事な
ど忘れてしまっていたのだ。僕が慌ててアスカの方を見ると、アスカはテーブ
ルに両肘を突いて、手の平にあごを乗せるという、いかにもだらしない体勢だ
った。
「考えすぎは身体に毒よ。もう少し気楽に行かなくっちゃ・・・・」
「で、でも・・・・」
「アンタ、そんなことばっかり考えてたら、そのうち脳味噌が破裂しちゃうわ
よ。」
「そ、そんな事言ったって・・・しょうがないじゃないか・・・・」
僕がアスカのお気楽な意見に素直に従うことが出来ずにそう言うと、アスカは
そんな僕に向かってこう言った。
「考えてもどうしようもない事だってあるの。アンタは元々糞がつくほど真面
目なんだし、悪い方に堕ちていく事なんて無いわよ。だから、自然なアンタの
判断に任せていれば、大体がうまく行んじゃない?」
「そ、そんないい加減な・・・・」
「ミサトの言ってた事だって、アンタがいい顔してなくちゃなんないと思った
ら、誰に言われなくったってそうするだろうし、しなくていいと思ったらしな
いのよ。それはアンタの判断が全てで・・・・」
「だ、だから・・・・」
僕はアスカの意見に反論しようとしたが、アスカはそれを聞こうとすることな
く、そのまま続けてこう言った。
「逃げる逃げないとか、自分を偽る偽らないとか、全てアンタの判断次第なの
よ。って、ああっ、もうっ!!アタシまで訳わかんなくなってきちゃったじゃ
ないのよ!!」
「ご、ごめん・・・・」
「アタシまでアンタのぐるぐるした考えに付き合わせないでちょうだい!!ア
ンタのそれは、ほとんど無意味な作業なのよ。大体アンタは考えてる事をちゃ
んと実行に移せてるの?」
「そ、それは・・・・」
「出来てないでしょ!?だから無意味だって言うのよ。考えても無駄なものは
無駄。そんな訳わかんない抽象的な事じゃなくって、具体的な問題について考
えるべきなんじゃないの!?」
・・・・残念ながら、いつものようにアスカの指摘は正しい。僕自身、こんな
に考えてはいるけど、はっきり言って訳がわかんなくなってきているし、それ
が具体的にどういう事に応用されたかというのも、非常に胡散臭い。だからア
スカの言うように、僕が考えるべき問題はもっと具体的な、ちゃんと答えの出
るような問題に対してであって、その積み重ねが、真の答えを僕に悟らせてく
れるのではないだろうか?
そういう考えに至った僕はアスカに向かって言った。
「・・・アスカの言う通りかもしれないね。僕もちょっとわけわかんない事考
えすぎてたみたいで、疲れてるんだよ、きっと。だからもう、こんな無駄な事
は、もっと一人でいる暇な時にするよ。」
「暇な時って・・・・アンタも懲りないわねぇ・・・・」
「だ、だって、これは僕の趣味みたいなもんだし・・・・こういう事を考えた
くなる時だってあるよ。」
呆れたようなアスカの返事に僕はちょっと恥ずかしさを感じながらこう応えた。
するとアスカは、僕に向かって言う。
「アンタがそういう奴だって言うのはわかってるから、アタシはこれ以上何も
言わないけど、アタシの目の前ではそういう事を考えるんじゃないわよ!!い
いわね!?」
「えっ、ど、どうして!?」
「バカ!!アンタがそういう事を考えてる時は、周りの事に頭が回らなくなる
でしょ!?だからよ!!」
「あ、ああ・・・・え?」
僕はアスカの言葉に取り敢えず相づちをうったものの、実際にはよくわかって
はおらずに、情けなくそれをアスカに表してしまった。すると、アスカは呆れ
たような顔をして僕に聞き返す。
「って、アンタバカ!?まだわかってないの!?」
「あ、う、うん。ごめん・・・・」
「ったく、鈍いんだから・・・・」
「な、何なんだよ、教えて・・・・」
僕はまだアスカの意図していることがわからずに、アスカに教えてくれるよう
に懇願した。しかし、アスカは僕のあまりの鈍感さに大きな声でそれを突っぱ
ねた。
「自分で考えなさい!!簡単な事なんだから!!」
「そ、そんなぁ・・・・」
僕が冷たいアスカの態度に困っていると、隣にいたミサトさんが僕に向かって
そっと教えてくれた。
「シンちゃん、アスカはねぇ・・・・一緒にいる時は、いつもシンちゃんに自
分の事を気にかけていてもらいたいのよ。だから・・・・」
「ミ、ミサト!!」
アスカはミサトさんが僕に教えてしまった事に怒って大きな声を出す。しかし、
そんなアスカの顔は、心なしか赤くなっているように見えた。すると、ミサト
さんも僕と同じように感じたみたいで、冷やかすようにアスカに言った。
「あらぁー、図星なの?顔を赤くしちゃって、かわいいんだからぁ・・・・」
「う、うるさいわねっ!!こ、これは・・・熱いミルクティーを飲んだからな
のよっ!!」
「そぉ・・・・愛するシンちゃんがいれてくれたからかしらぁ・・・?」
「ち、違うわよっ!!」
「じゃあどうして?ミルクティー、もうかなり冷めてて顔が火照るほどの温度
じゃないと思うけど・・・・」
「うっ・・・・そ、それは・・・・・」
アスカはミサトさんに完全にやり込まれて苦しい状態だ。僕はそんなアスカに
助け船を出してあげようと思ってミサトさんに言った。
「ミサトさん、あんまりアスカをいじめないでくださいよ。可哀想じゃないで
すか・・・・」
すると、ミサトさんは僕に向かってまでからかいの手を伸ばしてこう言った。
「あらぁ・・・愛するアスカをかばうの?ほんと、相思相愛よねぇ・・・・」
「ミ、ミサトさん!!」
「ミサトっ!!」
見事にアスカと僕の言葉がシンクロした。
それに気付いた僕とアスカは、お互いに顔を見合わせて顔を赤くする。
「シ、シンジ・・・・」
「ア、アスカ・・・・」
そして、そんな息の合った僕たちに、ミサトさんはこう言った。
「ふふっ、いいわね、アンタ達・・・・・」
「えっ・・・?」
「どっからどう見ても、お似合いのカップルにしか見えないわよ。悔しいった
らありゃしない。」
ミサトさんがやや呆れたようにこう言うと、アスカはここぞとばかりにミサト
さんに反撃した。
「あら、ミサトには愛しの加持さんがいるんじゃなくって!?」
「そ、それは・・・・余計なお世話よ。」
「だったら、ミサトも悔しがる事なんかないんじゃない?ちゃんとカップルに
なってるんだからぁ・・・・」
「う、うるさいわね。アンタには関係無いじゃない。」
僕はそんなミサトさんの様子に疑問を持って、ちょっと訊ねてみた。
「ミサトさん、もしかして・・・・加持さんとうまく行ってないんですか?」
「そ、そんなことないわよ。ただ・・・・」
ミサトさんがくちごもると、アスカがその言葉に続けてこう言った。
「ただ、嫌われちゃあいないけど、あんまり相手してもらえないだけなのよね
ぇー、ミサト?」
「な、何言ってんのよ!?そんなこと、ある訳ないじゃない!!」
「嘘ぉー・・・・加持さん、酔っぱらいからは逃げるに限る、みたいな事言っ
てたわよぉ・・・・」
「ほ、ほんとなの!?アスカ!?」
「あらぁー、本人に聞いてみるのが一番なんじゃない!?うそつきのアタシな
んかよりも・・・・」
「く・・・・わかったわよ。アスカは最後までアタシをからかうって言うのね!?」
「そうよ。それもこれも、アンタがこのアタシをからかった報いね・・・・」
「・・・・アスカ、アンタには負けるわ。このアタシもお手上げよ、もう・・・・」
「わかればいいのよ、わかれば。」
アスカは敗北宣言をしたミサトさんに向かって、胸を張ってそう言う。僕はそ
んなアスカに残された疑問をぶつけてみる。
「な、なら、さっきアスカが言った事はほんとの事なの?加持さんがそんな事
言ってたって・・・・」
僕がそう訊ねると、アスカはしれっと僕に答えた。
「嘘に決まってるでしょ、そんなの。全てアタシの作り話に決まってんじゃな
い。」
「ア、アスカ・・・・アンタって娘は・・・・・」
アスカの嘘に、ミサトさんは怒りのあまり身体を震わせている。が、アスカは
そんなものは恐れずにこう言った。
「アタシをからかおうなんて考えが悪いのよ。自業自得ね!!」
「く・・・・」
やっぱりアスカはアスカだった。
自由奔放、明朗快活、僕には無い物を全て持っている。
陰気で暗い事ばかり考えている僕と比べると、月とスッポンだ。
そしてそんな元気ないつものアスカを見て、僕ももう、あまりうだうだと詰ま
らぬ事は考えないようにしようと改めて思ったのだった・・・・・
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