私立第三新東京中学校

第百六十七話・キスを重ねて


「レ、レイ・・・アンタ・・・・・」

後ろから聞こえた声で僕が振り向くと、そこには拳を握り締めてぷるぷるして
いるアスカの姿があった。

「ア、アスカ、そんなに興奮しないで、大人げない・・・・」

アスカのすぐ近くにいたミサトさんがアスカの怒りを抑えるようになだめると、
アスカはそんなミサトさんに厳しく言い返した。

「アタシはまだ大人じゃないわよ!!だから、興奮してもいいのっ!!」
「そ、そんなこと言ってもねぇ・・・・・」

完全に困り果てているミサトさんをよそに、アスカは綾波に向かって指を突き
付けてこう言った。

「アタシとシンジとの愛のキスを邪魔するだけにとどまらず、あろう事かシン
ジの不意をついてキスするなんて・・・・アンタ、どういう神経してんのよ!!」

すると、綾波はいきなり僕の腕を取って自分の腕に絡めると、アスカに向かっ
て言った。

「・・・・こういうことよ。私はあなたのキスを阻止し、あなたの邪魔されな
いように碇君にキスするの。」
「ア、アンタって奴は・・・・・」
「私は碇君と結ばれたいから、だからあなたを阻止するしかないの。碇君の心
があなたの方に傾いている以上は・・・・」
「アンタ、シンジはそういうのが嫌いだって、知らないの?愛されないだけじ
ゃなくて、終いには嫌われるわよ。」
「・・・・」
「シンジはねぇ、みんな仲良くっていうのが好きなのよ。だから、揉め事や争
い事を起こすような奴は根本的に嫌いなの。ね、シンジ、そうでしょ?」

アスカは綾波にそう言って、最後に僕の同意を求めた。

「う、うん。アスカの言う通りだよ。」

アスカは僕のことがよく解っている。もしかして、僕以上に解っているのかも
しれない。アスカの言うように、僕は争い事は好まないし、キス云々以前に綾
波のした事にはうなずけないところが多すぎた。
綾波は自分の気持ちにストレートに従っているのかもしれないが、それでもも
う少し周りの人々の気持ちも考えて欲しかった。

僕がアスカの意見に同意して見せると、アスカはそれ見た事かと綾波に言った。

「ほらご覧なさい。アンタのした事は、はっきり言って卑怯で好ましくない行
為なのよ。シンジも言ってたじゃない、キスをするなら愛のあるキスがいいっ
て・・・・」
「愛のある・・・キス・・・・?」
「そうよ。アンタはシンジの愛がたっぷりとこもったキスはされた事ないかも
知んないけど、アタシはアンタと違って、形式だけじゃなく、愛を求めてるか
らね・・・そこがアンタとの違いなのよ。」
「・・・・私だって・・・・・愛がこもってると・・・思う。」

アスカの自信たっぷりな言葉に、綾波は考え込むようにしながらもアスカに対
抗するかのようにそう言った。するとアスカは、綾波に追い撃ちをかけるかの
ように言葉の攻撃をする。

「さっきみたいなのは、どう考えても愛のあるキスとは言えないんじゃない?
アタシの場合、ああいうのは挨拶代わりにしかすぎないけど、アンタの場合、
結構本気みたいだからね・・・・」
「・・・・違うもん・・・・」
「どこが違うのよ。シンジに同情されてるにしかすぎない存在のくせに。」
「アスカ!!」

アスカの言葉に、黙って聞いていた僕も口を挟んだ。
アスカの指摘は確かに核心をついていたかもしれなかったが、それは少し言い
過ぎだったからだ。綾波への僕の気持ちというのは、アスカの言うように同情
が大半を占めるかもしれない。しかし、僕自身、全てが同情だとは思っていな
かったし、いくらかの愛情もあると思っていた。

「何よ、アタシの言ってる事が間違いだって言うの!?」
「そうだよ!!確かに僕の綾波に対する気持ちは同情心が多いけど、愛情もあ
るんだよ!!」
「確かにそうかもしれないけど、ほとんど同情心だって言うのには変わりがな
いんじゃないの!?」
「そ、それは・・・・」
「アンタ、レイにキスする時、アタシみたいに愛を込めてる?込めてないでし
ょ!!」
「そ、そんなことは・・・・」
「ない?嘘言うんじゃないわよ!!アンタは見せかけばっかりで、なかなかア
タシに対してだって、愛を込めてくれないくせに!!」
「・・・・・」

僕は反論の仕様がなかった。
アスカの言う通り、僕が今までキスをしていたのはほとんどいやいやしていた
のであり、仕方なくしていたという感が強かったのだ。最近ではわずかに愛を
込めたキスが出来るようになったと思えてきたのだが、それも僕の単なる空想
にしかすぎずに、本物の愛とは違うのかもしれない。それにそもそもいまだに
僕はキスが好きになれずにいるのだから・・・・

「・・・・仕方ないよ・・・・僕には愛が足りないんだから・・・・」
「シンジ・・・・」
「ないとは言わないよ。でも、足りないんだ。だから、よっぽどの事でもない
限り、アスカみたいにしょっちゅう愛を振りまいたり出来ないよ。僕だって、
そんなアスカや綾波みたいに思えれば、どんなにいいかって思ってるんだ。だ
から、そんな無理言わないでくれよ。僕に完全な愛を求めるなんて・・・・」
「・・・・・」

アスカは僕のこの言葉に、黙り込んでしまった。
僕が人を愛せない云々と言った話は、アスカは良く耳にしていたはずだ。しか
し、最近の僕はどちらかといえば以前の僕よりもアスカに対しての愛らしいも
のを表すようになってきたし、そのせいでアスカもその事を忘れてしまってい
たのかもしれない。

すると、そんな重苦しい状況下の中、綾波がそっと口を開いた。

「・・・・愛を注がれても駄目なの、碇君?」
「・・・あ、綾波・・・・」
「私はずっとずっと碇君に愛を注ぎ続けてる。それでも碇君は、愛で満たされ
ないの?」

綾波がそう言うと、アスカもそれに同調して僕に言った。

「そ、そうよ。アタシだって、シンジに溢れんばかりの愛を注ぎ続けてるのよ。
それでもアンタの心は乾いてるって言うの?」
「・・・・うん。そうだと思う。」
「どうしてよ?ねえ、どうして!?」
「きっと僕の心には・・・・穴が開いているんだよ。」
「・・・穴?」
「うん、穴。だから、注がれても一杯にならないで、あとからあとから漏れて
いってしまうんだ。」

僕が少し悲しい顔をして言うと、アスカは僕にこう言ってきた。

「・・・・悲しいわね、それって・・・・」
「うん・・・・」
「治す方法はないの?」
「解らない。第一、穴が開いているって言うのも、僕の状態を表した表現にし
かすぎないから・・・・・」
「そう・・・・でも、少しずつはよくなってきてるのよね?だって、ほら・・・・」
「うん、それもこれも、アスカのおかげだよ。」
「・・・・昨日の夜にしたキス、嫌じゃなかったんでしょ?」
「うん・・・・」
「だったら、すこしずつよくはなってきてるのよ。だから、もう少し時間をか
けて・・・・」
「うん。時間をかけて少しずつ慣らしていけば、治っていくと思うんだ。と言
うより、こういうのって、慣れなのかもしれない。」
「そうね。だから、昨日みたいな愛のこもった大人のキスを繰り返して・・・・」

と、アスカが言った時、大きな声でミサトさんが止めに入った。

「ちょーっとストーップ!!」
「ミ、ミサトさん・・・・」
「人が黙って聞いてれば、何だかいやーなムードになっちゃってんじゃないの
よ。ここにいるのはアンタ達二人だけじゃなくって、アタシもいればレイもい
んのよ。そこんとこを気をつけてちょうだい。」

ミサトさんの言う通りだった。僕はついつい場所を忘れてアスカと二人でいる
ような感じになってしまって・・・・我ながら恥ずかしい。
そう僕が恥じ入っていると、アスカは反対に開き直ってミサトさんに言った。

「いいじゃない、別に。愛し合うもの同士が愛を語らったって・・・・」
「そりゃアスカはいいかも知んないけど、見てる方は心苦しいんだから。」
「そ、まあ、苦しいならあっちに行って見ないようにすればぁ?」
「・・・・そういう問題じゃないでしょ。」
「どうして?それに、アタシもシンジもわざとじゃないのよ。つい、そういう
気分になっちゃうんだから・・・ね、シンジ?」

アスカはいかにも嬉しそうにそう言うと、また僕に同意を求めた。
そんなアスカの表情は、僕が否定するなど露程も思っていない。まあ、僕の性
格からすれば、わざとなんて出来ないという事くらい、誰にでも解っているの
だが、アスカは僕が自然とそうなったという事実がうれしくてたまらないらし
く、僕の口からも言わせずにはいられなかったのだろう。

「う、うん・・・・ごめん。」
「謝る事なんかじゃないのよ。それこそ自然の成り行きなんだから。」
「でも・・・・」
「いいんだって。気にしなくても。もっと堂々としてなさいよ。人を愛する事
って、恥ずかしい事じゃないのよ。」

アスカは何だか大袈裟だ。きっと人一倍体面を気にするこの僕が、人目も忘れ
てついアスカと二人っきりの時のような会話をしてしまったから、そういうの
を誇張したくてたまらないのかもしれない。しかし、僕はそういうところがい
かにもアスカらしいと思っていたので、少しも嫌な感じはしなかった。
すると、そんな有頂天のアスカにミサトさんが尋ねた。

「それよりアスカ、その、大人のキス、ってのは何なのよ?もしかしてアンタ、
アタシの知らないところでシンジ君と・・・・」
「そのまま言葉の通りよ、大人のキスって。」
「じゃ、じゃあ、アンタ・・・・」
「まだよ、まだ。シンジはそういう気になってないから。」
「そ、そう・・・・」
「でも、そのうちするわよ。そのうちね。」
「ア、アスカ!!アンタ達、まだ中学生でしょ!?」
「そうよ。でも、愛し合う二人には関係のない事ね。」

うろたえまくるミサトさんに、アスカはしれっとした口調で言い返す。僕は何
だか面白くて、つい笑みを漏らしてしまっていた。

「と、とにかく、碇理事長のところでは絶対におかしな事におよぶんじゃない
わよ!!いいわね!?」
「どうして?」
「ア、アタシの教育が疑われるでしょうが!!」
「ミサトの教育なんて、無いに等しいじゃない。家事はシンジがやってくれて
るし、アンタはいつも家にいないし・・・・」
「と、とにかく、頼むからやめてくれない?アタシもまだ首にはなりたくない
から・・・」
「い・や・よ!!やるときはやるわよ、アタシはね。」
「ア、アスカぁ・・・・」

ミサトさんは完全に困っている状態だ。
僕もそんなミサトさんを見かねて、アスカにこう言った。

「アスカ、あんまりミサトさんをいじめるのはやめなよ。ミサトさん、本気に
しちゃってるじゃないか。」

僕はアスカがいつもの調子でからかっているのだと思っていたのだが、アスカ
はそういう僕に対して急に真剣な顔をして言った。

「・・・・アタシは本気よ。いつかシンジとそういう関係になるんだから。」
「ア、アスカ・・・・」
「今は駄目でも、こうしてキスを重ねていけば・・・・いつかはシンジも、ア
タシのすべてを受け入れられるようになると思うから・・・・」

アスカの目は、嘘を言ってはいなかった。
そして僕は、そんなアスカの瞳に惑わされはじめていた。
僕の片腕がまだ、綾波の胸に抱えられているという事も忘れて・・・・


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