私立第三新東京中学校

第百六十三話・真夜中の真実


「・・・・もうすぐ六時か・・・・・」

目覚めた僕は、枕元の目覚し時計で時刻を確認すると、のっそり起き上がった。
僕は昨日ベッドに横になったのがかなり遅かったにもかかわらず、さほどよく
眠れずにいつものように起きてしまった。まあ、習慣というのもあるだろうし、
アスカの部屋でしばらく眠っていたので、さほど睡眠時間が短かったという訳
ではないので、当然と言えば当然なのかもしれなかったが。
とにかく、僕はいつも通りに起き出すと、タンスから着替えを取り出し、手早
く身支度を整えた。しかし、思い出してみると、僕は昨日、お風呂に入らなか
った。何だか少し汗臭いようにも感じたが、そこは僕も男と言う事で、さほど
そういうことには頓着しなかった。まだ少し時間はあったので、シャワーを浴
びる時間くらいは十分に作れたのだが、面倒臭いのでそんな考えはすぐさま捨
てた。

僕は着替えを終え、それから鞄の中に教科書を詰める。そしてその後に朝食と
弁当を作るというのが僕のいつものやり方だった。今朝は別に特別でも何でも
ないので、このやり方を変える必要もない。こういうちゃんと決められた順序
というのはそうそう変更すべきではないのだ。なぜなら、それを無意味に変更
する事によって、余計な混乱を生じて忘れ物をする危険性を招くからだ。人は
どうあれ、僕はそう思っていたので、常にそれを頑なに守り続けていた。
だから、いつもの通りならばそのまま台所に直行してエプロンを身につけるの
が常であったが、何だかお酒を飲んだせいなのか、無性に喉が渇く。だからそ
の前に何か飲もうと思いながら自分の部屋を出たのだが・・・・何だか台所の
方から物音がする。もしかして、ミサトさん達は徹夜でお酒を飲んでいたのだ
ろうか?
僕ははっきり言ってこれ以上酔っぱらいに絡まれたくはなかったが、台所に立
ち入らない訳にはいかなかったので、おっかなびっくりにリビングへ侵入した。
しかし、そこには僕が予期していたような派手に散らかった光景はなく、かな
りきれいに片付いており、いつもと違っているのはビールの空缶が大量に一ヶ
所にまとめられているという事だけだった。僕はかなり驚きながらその様子を
呆然と眺めていた。すると、そんな僕に横から声がかかった。

「おはよう、碇君。」
「あ、綾波・・・・」

その声の主は、綾波だった。まあ、よくよく考えてみれば、僕以外に掃除をし
てくれる人間なんて、綾波以外には考えられない。まあ、最近ならアスカも掃
除の一つくらいはやってくれるかもしれなかったが、何せアスカは朝が弱いの
で、僕より早く起き出してくる事など、有り得ない事だったのだ。
僕がこうして驚き、そして納得するということをしていると、綾波はそんな僕
に向かってひとこと尋ねた。

「・・・碇君は、おはようって言ってくれないの?」

僕は綾波の言葉でその事に気付かされて、慌てて綾波に言った。

「あ、ご、ごめん、おはよう、綾波。」

僕がかなり情けない様子で綾波に言うと、綾波は僕に向かって微笑みながら応
えてくれた。

「おはよう、碇君。今日もいい天気みたいね。」
「う、うん。それより、綾波がこの部屋を片付けてくれたの?」

僕は早速綾波に疑問ぶつける、というより確認を取ってみた。すると綾波は、
いつもと変わらぬ様子で僕に答えた。

「うん。私、少し早く目が覚めちゃって・・・・それで、ここに来てみたらあ
んまりひどい有り様だったから、ちょっと片付けてたの・・・・」
「そ、そんなに凄かったの?」
「うん。片付けるのに、一時間くらいかかったから・・・・・」
「い、一時間!?」

僕はかなり驚かされて思わず叫んでしまった。綾波が家事全般をはじめるよう
になったのはつい最近の事ではあったが、家事に関する綾波の手際はかなりよ
く、綾波と同年代の普通の女の子と比較すれば、かなり出来る方だと思えるく
らいに掃除も上手かったのだ。だからその綾波が片付けるのに一時間も時間を
要するなど・・・・さぞかし凄まじかった事だろう。しかも、まだ完全には片
付け終わってはおらずに、流し台にはまだ洗い物がいくらか残っているのだ。

「うん、大体そのくらい・・・・・」
「じゃ、じゃあ、もう綾波は休んでいてよ!!後は僕が引き受けるから!!」

僕が大きな声で綾波にそう言うと、綾波は穏やかにそれに反論した。

「ううん、あともう少しだし、私がするわ。だから碇君こそ、片付けが済むま
で座って待ってて。」
「だ、駄目だよ!!そんな・・・・」

僕が綾波を止めようとすると、綾波は僕の言葉を遮るように力のこもった声で
僕に訴えかけてきた。

「お願い、碇君。ここは私一人にやらせて。」
「あ、綾波・・・・」

僕は綾波のさして特別でもないが、それにしてはやたらと熱の入った言葉を聞
かされて、その迫力に負けそうになってしまった。そして綾波は、そんな僕に
更にたたみかけるように言う。

「お願い、碇君・・・・」
「・・・・わかったよ。綾波がそこまで言うなら、綾波に任せるから・・・」
「ありがとう、碇君。私のわがままを聞いてくれて・・・・・」
「いや、とにかく、無理はするんじゃないよ。疲れたらすぐに交代するからね。」
「うん!!」

こうして、僕は綾波に言われた通りに、椅子に腰掛けて綾波が片付ける様子を
眺めている事になった。
僕は普段は何でも自分でやる、というより何でもやらされて来たというのが事
実なのだが、そういうあまり人任せにしないタイプだったので、こうして人が
働いているのをぼーっと何もせずに眺めているというのは、結構苦痛に感じる
ものだ。トウジやケンスケなどにそんな事を言ったら、きっと馬鹿にされるだ
けだと思うが、事実働くという事が染み付いてしまっているのか、どうしよう
もない事なのだ。
僕は手持ち無沙汰になりながらも、じっと綾波を見守りながら無為に耐えてい
た。しかし、それに集中すると、案外今までは見えなかったものが見えてくる
というもので、綾波の片付け方の癖とか、そういう細かなものがだんだんとわ
かるようになって来た。

「綾波、そこは一度布巾を絞ってからやった方がいいよ。」

僕がつい黙って見ていられずに綾波の気になったところに口を出す。すると、
綾波は僕の方を振り向いて軽くうなずいて見せると、僕の言われたようにした。

こうして何だか綾波に家事指導をするような形になっていってしまったのだが、
そうすると僕も楽しかったし、綾波もうれしそうに見えた。そう見えるのは、
家事好きな僕の目から見たからなのかもしれなかったが、少なくとも綾波は家
事をするのに少しも嫌がった様子を見せなかったので、その事は僕に喜びを与
えてくれた。
ともかく、僕にとっては楽しいひとときは、あっというまに終わりを迎えた。
まあ、それほど残ってもいなかったので、さほど時間がかからないのも当然と
言えば当然だったが、それ以前に時間を感じさせなかったというのは絶対にあ
ると思った。

「お疲れさま、綾波。」

僕は片付けを終えた綾波に対して、立ち上がってその労をねぎらう言葉を掛け
た。そしてうれしそうな顔をしている綾波にそのまま続けてこう言った。

「じゃあ、今度は綾波が見てて。朝ご飯の支度をするから・・・・」
「・・・・うん。」

今度は綾波も、素直に僕の言う事を聞いた。綾波は朝食と弁当を作るのを手伝
うよりも、片付けを一人でやった方が楽だと思ったのでは・・・と一瞬頭の中
に浮かんだが、綾波がそんな事を考えるはずもないので、すぐさまその考えを
却下した。
しかし、やかんに火を掛けて、いつも使っているエプロンを身につけながら、
僕はある事を思い出した。冷蔵庫の中には、ろくな材料がないと言う事に・・・
とにかく僕はもう一度冷蔵庫を開けて見る。卵くらいはあるのだが・・・やは
り品不足は補いようもない。仕方ないので、今日はサンドイッチだ。卵サンド
と・・・あとはキュウリとトマトが少々あるので、それも生かして・・・・

僕はそもそも、パンにはかなりの偏見を持っていて、出来る事なら食べたくは
ないと思っていた。別に嫌いだとか、嫌な思い出があるとかそういう事ではな
いのだが、何となくあのぱさぱさした感じがどうも好きにはなれなかった。そ
れでもサンドイッチはそれほど嫌いでもないので、弁当に入れるおかずがない
ような時には、時々作っていた。僕はそれを手抜きだと思っていたのだが、他
の人はそうは思わないらしい。しかし、自分で手抜きだと思っている以上、人
がどう思おうと、僕はあまり自分から進んでサンドイッチは作ろうとはしなか
ったのだ。

そうこうしている間にやかんのお湯が沸いた。
僕は綾波には黙っていたが、頑張った綾波に対するご褒美として、お茶をごち
そうしてあげようと思っていたのだ。
労働の後に熱いお茶を一杯・・・・それに優る喜びはなかった。
僕はいつもより少しだけ丁寧にお茶をいれると、綾波の元にそれを持って行っ
た。

「綾波、はい・・・・・」
「碇君・・・・」
「綾波は頑張ったから、僕からのご褒美だよ。」
「・・・ありがとう・・・・」

綾波はうれしそうにして、僕が綾波の目の前に置いた湯飲みを手に取ると、そ
れを口元に持って行った。そして静かに熱いお茶をすする・・・・

「どう、綾波?」
「・・・おいしい・・・・」
「よかった。綾波がそう言ってくれて。」

僕がそう言うと、綾波は再び湯飲みに口をつけて、熱いお茶を火傷しないよう
に慎重にすすった。僕はそんな綾波の様子を見届けると、綾波に言った。

「じゃあ、綾波はゆっくりそれを飲んでて。後は僕がやるから・・・・」

僕はそう言うと、綾波に背を向けて再び台所に向かった。
綾波はそんな僕に何も言ってこなかったので、僕も安心して作業に取り掛かる
ことが出来た。
やかんの中のあまったお湯を鍋に移し替えて、足りない水を少し足してから、
ゆでたまごを作る。そして卵がゆで上がるまでの間に、キュウリとトマトを切
り、パンにバターを塗る・・・・
しかし、そんなものはすぐに終わってしまって、卵がゆで上がるまでの間、本
当に暇になってしまった。だから、僕は綾波のところに行って、少し話でもす
る事にした。

「綾波、ちょっと卵がゆで上がるまでの間、話をしててもいい?」
「うん。」

綾波はひとことそう答えると、話をする体勢を作るために手に持っていた湯飲
みをテーブルの上に置いた。

「あ、そんな大した話じゃないから・・・・」

僕が慌ててそう言うと、綾波は静かにそれを否定した。

「碇君と話をするのに、お茶を飲みながらじゃ失礼だから・・・・」

僕はそんな大袈裟にしてくれない方が助かるのだが、綾波はこうと決めたら一
歩も退かないので、僕は敢えてそれ以上綾波には言わなかった。

「ところで、綾波は加持さん達がいつ帰ったか知ってる?」
「・・・・ええ。夜中の12時を少し回った頃に帰ったわ。」
「あ、綾波はそれまで一緒に起きてたの?」
「ううん。私は葛城先生と一緒の部屋だったから、それで・・・・」
「あ、なるほど・・・・でも、それじゃあ綾波も大変だったね。」
「そんなことないわ。私、あんまりよく眠れなかったから・・・・」
「ど、どうして?」

僕は綾波にその理由を尋ねた。すると、綾波は一瞬間を置いてから、わずかに
悲しそうな顔をして、静かに僕の問い掛けに答えた。

「・・・・碇君が、自分の部屋にいなかったから・・・・・」

僕は綾波のその言葉でようやく悟った。
僕に毛布を掛けてくれたのが、他ならぬ綾波であったと言う事を・・・・・


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