私立第三新東京中学校
第百六十二話・恋人同士のキス
「シンジ、シンジ・・・・」
「・・・・」
「ねえ、シンジ、起きてよ・・・・」
「んん・・・・」
誰かに揺さ振られて、僕はようやく目覚めた。
「あ、アスカ・・・・」
「アスカ・・・じゃないわよ。全く・・・・」
「あ!!」
アスカは半ば呆れた顔をしている。僕はアスカのそんな顔を見て、自分がどう
いう状況下にあったのかを思い出した。
「僕、寝ちゃったんだ!!」
「そうよ。ここはアタシの部屋なんだからね・・・・」
「ご、ごめん・・・・」
「・・・いいわよ、もう・・・・」
アスカはまだ、僕が見た時のままうつ伏せの状態で僕の顔を覗き込むようにし
ている。しかし、その表情はなぜかわずかな微笑みをたたえていた。そして、
アスカの手は・・・・
「あ!!」
「どうしたのよ?」
「手、握ったままだった!!」
僕はそう叫ぶと、慌ててアスカの手を放そうとした。しかし、アスカはそんな
僕の手をしっかりと握り締めて放そうとはしなかった。
「どうして急に離す必要がある訳?」
アスカは僕に向かってそう言う。僕はそのアスカの言葉で、アスカの意図しよ
うとしている事を即座に理解し、手を放そうとするのを止めた。しかし、アス
カは怒っていたはずなのにどうして?と思って、アスカに尋ねてみた。
「で、でも、アスカは怒ってないの?」
僕がそう尋ねると、アスカはそっけなく答える。
「・・・・怒ってるわよ。」
「じゃ、じゃあどうして・・・・?」
「それとこれとは別じゃない。」
「そ、そういうもんかな?」
「そういうもんなのよ。」
「そ、そう・・・・」
僕はよく理由がわからなかったが、とにかくアスカがそう言うのだからと取り
敢えず納得した。
「・・・・・」
「アスカ?」
「なによ?」
「ご、ごめん。」
「で?」
「え?」
「で、何が言いたいのよ、アンタは?アタシに何か言いにここまで来たんでし
ょ?」
「う、うん。アスカに謝ろうと思って・・・・」
「何に?」
「あの・・・その・・・・」
「もう、じれったいわね!!さっさと言いなさいよ!!」
「ご、ごめん。その、とにかくまず、アスカがどういう状態なのかを知ってた
くせに、加持さんと馬鹿みたいに笑っちゃった事について・・・・」
僕がそう言うと、アスカは少し表情を和らげて僕にこう言った。
「・・・・アタシのキスを拒んだ事については、謝らないの?」
「あ、そ、それは・・・・う、うん。」
「どうしてよ?」
「や、やっぱり、あそこではキスしない方がよかったと思って・・・・」
「そう・・・・まあ、アンタの言う通りね。アタシもあの時はちょっと興奮し
てたわ。」
「で、でしょ?」
僕は自分の意見がアスカにすんなり受け入れられたのに気をよくして、アスカ
にもう一度はっきり肯定させるような発言をした。すると、アスカは調子に乗
った僕の発言をぴしゃりとたしなめた。
「余計なこと言うんじゃないの!!」
「ご、ごめん・・・・」
「とにかく、あの時はアンタが正しかったわ。よく逃げなかったわね、誉めて
あげるわ。」
「あ、あの・・・・なんて言ったらいいのか・・・・とにかくありがとう。」
僕がもごもごしながら、アスカにそう言うと、アスカはクスっと笑って僕に言
った。
「バカね、アンタは・・・・」
アスカはそう言うと、握ったままの僕の手を、ぎゅっと握り締めた。
「アスカ・・・・」
「まあ、アンタがいつもみたいに謝らないのも何だかしゃくな気がするけど、
ここにこうして来てくれたんだし・・・・」
「う、うん・・・・」
「アタシに毛布掛けてくれたの、シンジなんでしょ?」
「う、うん・・・・って、あれ?」
僕はアスカの言葉に、ある事実に気がついて驚きの声をあげた。
「何なのよ、急に?」
「僕には、アスカが掛けてくれたの?」
「え?アタシは何もしてないわよ。第一さっき目が覚めたばっかりなんだし・・・・」
「じゃあ、誰が・・・・」
誰が僕に毛布を掛けてくれたのか?
アスカではないとすると・・・誰なのだろう?
僕は完全に熟睡してしまっていたので、毛布を掛けられていた事にすら全く気
がつかなかった。
僕が不思議がっていると、アスカは簡単に僕にこう言った。
「加持さんか誰かじゃない?」
「そ、そうかな?」
「まあ、何なら後で聞いてみればいいじゃない。そうすればはっきりする事な
んだから・・・・」
「それもそうだね。」
僕はアスカの言葉で、取り敢えず誰が僕に毛布を掛けてくれたかについては、
これ以上無駄な考えを広げる事をやめた。
僕がアスカの意見を肯定してみせると、アスカは話題を変えて僕にこう言って
きた。
「それよりシンジ、ここでこうしてアタシの手を握ってくれてたって事は・・・・?」
「何?」
「アタシの事・・・・まだ嫌いになってない?」
「あ、当り前だろ!!どうして僕がアスカを嫌いになったりするんだよ!?」
僕はアスカらしからぬ言葉に、大きな声で叫んだ。するとアスカは、僕に向か
って静かにこう言った。
「でも、アタシって・・・・すぐ怒るでしょ?今ではシンジの方が正しかった
って思えるのに、ついカッとなっちゃって・・・・」
「いや、そんなことないよ。少なくとも、アスカの怒りは正当なものだと思う。」
「・・・・どうして?」
「だって、好きな人にキスを拒絶されたら、誰だって怒って当然だもん・・・・」
「・・・・それはそうかもしれないけど・・・・」
アスカが僕の言葉を否定しかけると、僕はそれを遮ってアスカにこう言った。
「怒るべき時には怒る、それがアスカが僕に教えてくれた事じゃないか。だろ?」
「う、うん・・・・」
「それってとっても自然な事だと思うから、僕も今度からアスカみたいになろ
うと思うんだ。自分の気持ちをあんまり偽らないで・・・・」
「・・・・その方がいいかも知れないわね。」
「うん。だから僕も、アスカが怒ってるってわかってても、こうして手を握り
たいと思ったから、手を握る事にしたんだ・・・・」
「シンジ・・・・」
「そしてアスカが手を放さなかったのも、そういう事なんだろ?」
僕がちょっとアスカをからかうように言うと、アスカは顔を赤くして僕にひと
こと言った。
「バカっ!!何言ってんのよ、もう・・・・」
「冗談だよ。ちょっとからかってみたくなっただけ。」
僕がアスカに微笑みながら弁解すると、アスカは頬を膨らませて僕に怒った。
「もう、このアタシをからかうなんて、百年早いんだからっ!!」
「ははは・・・・僕もアスカみたいに自然体になりたいからね。真似してるん
だよ。」
「アタシの真似なんかしないで!!シンジはアタシなんかみたいになっちゃ嫌
なんだから・・・・」
「どうして?」
「だって、いじめ甲斐がなくなるじゃない。」
「い、いじめって・・・・」
僕がアスカの言葉に呆気に取られてしまうと、アスカはそんな僕に向かってし
れっとこう言って聞かせた。
「そうよ、アタシはかわいいシンちゃんをいじめて楽しんでるの。そういう娯
楽の一つもないと、人生なんてつまらないもんね・・・・」
「ア、アスカ・・・・」
「もちろん、あんまりいじめて枯れちゃうとかわいそうだから、時々お水をあ
げて・・・・」
「お水?」
「もう、わかってるくせに・・・・」
「・・・・」
「お水、欲しい?」
「バ、バカっ、何言い出すんだよ、急に。」
「ふふっ、ちゃんとわかってるんじゃない、お水の意味・・・・」
「く・・・・」
僕がアスカに完全にやり込められて、何も言えなくなってしまったのを確認す
ると、アスカは僕に向かって教え諭すように言った。
「わかった?アタシみたいになろうなんて、所詮シンジには無理なのよ。諦め
なさい。ね?」
「で、でも・・・・」
「シンジはあんまり自分の気持ちを押し殺さないようにすればそれでいいの。
滅私奉公なんて今時つらいだけで何の役にも立たないんだから。それ以外は、
アタシは今のままのシンジでいて欲しい・・・・・」
「・・・・謝ってばっかりいても?」
「アンタが謝るべきだと思う事なら、謝ってもいいんじゃない?」
「そ、そう言ってもらえると助かるけど・・・・」
「どういう事で謝るのか、その尺度は人それぞれじゃない。だから、ちょっと
した事でも謝っちゃうっていうのは、シンジの個性なんじゃない?だから、そ
れは大事にした方がいいわよ。」
「僕の・・・・個性?謝ってばかりいる事が?」
「まあ、あんまりかっこいい個性とは言えないけどね。でも、シンジ自身がそ
れを形作っている以上、それは人がとやかく言う事じゃないと思うの。」
「・・・・そうか・・・・」
「そうよ。だから、シンジには変にアタシを真似して欲しくない訳。シンジは
シンジであって、どうやってもアタシにはなれないんだから・・・・」
「・・・・・」
「わかった?」
「うん。つまり、もっと自分を大切にしろって言う事だね?」
「そういう事。何だか同じ事ばっかり言ってる気もするけど、自分をごまかさ
ない事ね。」
「アスカはいつも、そうしてるんだろ?」
「まあ、そうしてるつもりよ。」
「僕はアスカのそういうところがいいと思うんだよ。」
「そう・・・・」
「だから僕はアスカが・・・・」
「ストップ、シンジ!!」
アスカに言いかけた言葉は、アスカの人差し指で遮られた。僕はびっくりして
アスカに尋ねる。
「ど、どうして、アスカ?」
するとアスカは僕の問い掛けには答えずに、僕にこう言ってきた。
「それよりもアタシにお水、くれない?」
「お水?」
「そうよ、お水。」
「お水って・・・・あれ?」
「そう、あれ。さっきアタシが言った奴よ。わかってるんでしょ?」
「う、うん・・・・」
「アタシ、おそばやさんでシンジにお水をもらえなかったから、枯れかけちゃ
ってるんだからね・・・・」
「そ、そうだね・・・・」
「ここには、気兼ねするような人は誰もいないんだし・・・・ね?」
「う、うん・・・・じゃあ、起きる?」
「いいわよ、このまんまで・・・・」
アスカはそう言うと、うつ伏せになったまま僕の方に唇だけ差し出して、そっ
と両目を閉じた。
「いくよ・・・・」
僕は小さくアスカに呼び掛けると、そのままアスカに唇を近づけていった。
が・・・・
「ちょっと待って。」
「え?な、何だよ、急に?」
アスカが寸前でいきなり目を開けると僕を止めたので、びっくりしてアスカに
尋ねた。するとアスカはちょっと言うのが恥ずかしいのか、ためらいの様子を
見せていたが、僕に向かって小さな声でこう言った。
「アタシ達、もうだいぶキスして来たわよね・・・・」
「そ、そうだね。」
「だから、普通のキスに関しては、もう熟達したって言ってもいいわよね?」
「うん。」
「そろそろ次のステップに進んでもいいと思うんだけど・・・・・」
「つ、次のステップって・・・・」
「シンジはもう、普通のキスは全然平気なんでしょ?」
「う、うん。まあ・・・・」
「だから、もう少し進んだキスを・・・・・」
「だ、駄目だよ・・・・」
「べ、別に変な意味じゃないのよ。恋人同士なら、ごく普通にしてるんだから・・・」
「・・・・・」
「ね、いいでしょ?ちょっとだけよ。試してみるだけ。」
「でも・・・・・」
「アタシ、今日はシンジが来るの、ずっと待ってたんだから。でも、シンジは
いつまで経ってもアタシのところに来てくれないで・・・・だから、その罪滅
ぼしと思って・・・・ね?」
「・・・・わ、わかったよ。もう、アスカはずるいんだから・・・・」
「ふふっ、アタシはずるいのよ。それがアタシの個性なの。」
「で、でも、どうやるのさ?よく分かんないし・・・・」
「アタシがリードしてあげるわ。だから、シンジは大人しくしてればいいの・・・・」
「わ、わかった・・・・」
「じゃあ、行くわよ・・・・・」
何だか僕の心臓はどきどきしていた。アスカとキスをするのは結構慣れっこに
なっていたけど、何だか次のステップのキスと聞かされると、普通ではいられ
なかった。
「んっ・・・・」
はじめは普通に唇と唇が重なった。しかし、その後はいつもと全く違った。ア
スカの唇が、ただ僕の唇に触れるだけでなく、挟むようにして来て・・・・僕
はちょっとびっくりしてしまった。
しかし、アスカの唇はそれだけでは終わらずに、僕の唇を開かせるような動き
をしてきた。そして、僕の唇の中に舌を割り入れて来て・・・・
何だか僕は、ちょっと前の出来事を思い出していた。
アスカが僕に、身体を求めるようにしてきたあの日の事を・・・・確かあの時
も、アスカはこうしようとしてきた。あの時のアスカは普通ではなかったし、
僕もそんなのはなぜか嫌だった。普通の男子中学生なら、興味を持って然るべ
きことなのに・・・・
あまり興味がないのは、今でもそれほど変わりがなかった。しかし、今回は恐
怖じみたものはまったく感じていなかった。アスカが平静を保っているという
事も起因していると思われるが、きっとそれだけではなく、この短期間の間に
僕にも何か変化があったと言う事なんだろう。その事実は何だか少し、僕を喜
ばせてくれた。
アスカの舌が、僕の舌にそっと触れる。
やけに熱さを感じるその感触に、僕は戸惑いを隠せなかった。
そして、アスカも僕と同じであるのか、おずおずと舌を動かしてきた。
さすがのアスカも少し不安を感じている事を悟ると、僕も自分からそっとアス
カに自分の舌を押し当ててみた。アスカはその事にかなり驚いていた様子だっ
たが、そのまま僕に舌をくっつけて来た・・・・・
そして少しして、僕とアスカは唇を離した。
「・・・・・」
「・・・アタシ・・・・」
「・・・アスカ?」
「・・・アタシも・・・一応はじめてなんだからね、こういうの。」
「う、うん・・・・」
「・・・・・」
「・・・な、何だか恥ずかしいね。」
「・・・・そうね。」
「・・・・・」
「・・・でも・・・・シンジが嫌がらなくって、ちょっぴりうれしかった。」
「うん・・・・」
「・・・それに何だかアタシも、お子様だったみたいね。」
「どうして?」
「だって、本当だったらもっと凄い事、やるんでしょ?」
「そ、そうなの?」
「そうよ・・・・でも、やっぱりいきなりそういうのは出来なかったわね。」
「そ、そうだったんだ・・・・」
「まあ、あんまり激しいと、シンジは卒倒しちゃったかもしれなかったから、
はじめはこのくらいでちょうどよかったのかもしれないけど・・・・」
「ははは・・・・」
「でも、たまにはこういうのも・・・・ね?恋人同士なんだし・・・・」
「うん・・・・」
「って、否定しないの?」
「うん。否定する事でもないと思って・・・・」
「・・・・ありがと、シンジ・・・・・」
「そんな・・・・」
「ううん、これだけは言わせて。ありがとう、シンジ・・・・」
「じゃあ、僕も・・・・ありがとう、アスカ・・・・・」
「バカね・・・・真似しないでよ。」
「ご、ごめん。」
「・・・でも、うれしかった。アタシ、今日の事は絶対に忘れない・・・・」
「僕も・・・・・」
僕もアスカに合わせてそう言うと、アスカはそんな僕に向かってこう言った。
「じゃあ、そろそろ自分の部屋に戻って。」
「え、どうして?」
「あんまり一緒にここにいると、アタシ、何をしたくなるかわかんないじゃな
い。やっぱり困るでしょ、そういうの?」
「え、う、うん、まあ・・・・・」
「だから・・・・今日はこれで・・・・ね?」
「わかった。じゃあ、アスカ、おやすみ・・・・・」
「おやすみ、シンジ・・・・・」
「明日はおいしいお弁当、作るからね。」
「うん、楽しみに待ってる・・・・・」
「じゃあ・・・・」
こうして僕はアスカの部屋を出ていった。
深夜の廊下を素足で歩くと、ぺたぺたという音が響く。短い距離ではあったが、
なぜか誰かに見られているような気がして、やたらと長く感じた。
そして僕は自分の部屋に滑り込むと、そのままベッドにうつ伏せに崩れ落ちた。
枕に顔を埋めたまま僕は目覚し時計を手に取ると、顔を少しずらして横目で文
字盤を眺めた。
「2時・・・・ちょっと過ぎか・・・・」
僕は誰に言うでもなくそうつぶやくと、時計を元の場所に戻し、また顔を枕で
隠した。
別に悪い事など何もしていない。
でも、何だか無性に後ろめたい気がして、顔を枕から離せなかった。
こうして僕は枕に顔を埋めたままじっとしていると、いつのまにか自然に、再
び眠りが訪れたのであった・・・・・
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