私立第三新東京中学校

第百五十八話・苦い血の味


「よう、やってるな。」
「加持さん!!」

加持さんだ。もしかして、ミサトさんが呼んだ「しもべ」というのは加持さん
のことなのだろうか?

「葛城に無理矢理呼び出されてな。こっちもいい迷惑だよ。」

加持さんは苦笑いを浮かべながら、僕にそう愚痴をこぼすと、靴を脱いで座敷
の上に上がった。

「加持ぃ、遅かったじゃないのぉ!!」

酔っぱらっているミサトさんも、加持さんが来たのに気付くと、いきなり絡み
はじめた。加持さんはそんなミサトさんを受け流すように応えてやる。

「済まん済まん、しかし、これでも急いで来たんだぞ、葛城。」

確かにそうだ。まだミサトさんが電話を掛けてから30分と経過していないは
ずである。僕もここの詳しい場所は分からないから何とも言えないが、僕たち
の住んでいるところからは結構遠いはずである。それも、いきなり呼び付けら
れたということと併せてかんがみると、かなり早く来たと言えるのではないだ
ろうか?
僕がそう思っていると、加持さんがミサトさんに愚痴るように言う。

「そもそもなんでこんな辺鄙なそばやで宴会なんか開いてるんだよ?おかげで
来るのに苦労したじゃないか。」
「・・・加持さんは、何でここまで来たんですか?」
「ん?タクシーだよ。葛城はどうせ俺をしらふじゃ帰さないだろうから、車で
来る訳にはいかないしな。」

さすが加持さんだ。ミサトさんのことがよくわかっている。僕がそう感心して
いると、加持さんの言葉にミサトさんが突っ込んだ。

「そ、よくわかってんじゃないの、加持。そーゆーわけだから、飲んだ飲んだ!!」

ミサトさんはそう言うと、おぼつかない手でビールをコップになみなみと注ぎ、
加持さんに向かって突き出した。加持さんはそれをやれやれといった顔で受け
取ると、何も言わずにコップを空けた。

「さ、じゃんじゃん飲もー!!じゃんじゃん!!」

ミサトさんはそう言いながら、更に加持さんのコップをビールで満たす。加持
さんには悪いが、ミサトさんの相手は任せることにしよう。僕はそう思うと、
自分の食事に取り掛かった。
僕は綾波からもらった親子丼をもくもくと食べはじめる。隣ではつるつるとそ
ばをすする音が聞こえているから、綾波も満足してくれているのだろう。だか
ら、僕もあまり細かいことは気にせず、食べることに専念した。
僕は自分の親子丼に関しては、綾波にひとくち食べて見せただけで、後は全部
アスカに取られてしまったのだが、こうして改めて味わってみるとなかなかに
おいしいものだ。僕は料理好きと言うこともあって、おいしいものを食べるの
も好きだ。外でおいしいものを食べると、作り方のコツなど、結構気になって
しまう方で、洞木さんに料理の作り方を尋ねたのも何度かあったくらいだ。

「シンジ、さるそば。」

僕はこの言葉で、はっと我に返った。アスカが僕を覗き込むようにして見てい
る。

「あ、ざ、ざるそばね。今綾波が食べてるから・・・・」
「どーしてレイがアタシ達のざるそばを食べてんのよ?」
「そ、それは綾波が、アスカに親子丼を取られた僕をかわいそがってくれて、
自分の親子丼を僕にくれたから、そのお返しに僕の分のざるそばをあげようと
思って・・・・・」
「・・・・」

アスカは僕のことをじろりと睨む。こういうアスカは、かなり凄みを感じられ
る。いつものように何とか言ってくれればいいのに、こうして黙っていられる
と、僕もやりづらい。僕は自ら死地に飛び込むかのように、うろたえながらア
スカに言った。

「ア、アスカの分はあげないよ。半分残しておいてって、綾波には言っておい
たから。」
「そう・・・・ま、いいわ。レイが食べ終わるのを待ちましょ。」

僕はアスカのこの言葉に、ほっと胸をなで下ろした。今のアスカは何をしでか
すかわからないし、強引に綾波の手からざるそばを奪うということだって、大
いに有り得たのだ。しかし、現実にはアスカは譲歩し、待ってくれると言って
いる。何だか僕には信じられないようなことだった。それにしても、これなら
僕の時にももっとやさしく接してくれてもよかったのに・・・・
僕がこんな自己中心的なことを考えていると、アスカが僕に話し掛けてきた。

「しかし、レイもちゃんとお肉を食べられたみたいじゃないの。」
「そ、そうだね。僕もうれしいよ。」
「もしかして、今までレイの食べたお肉って、よっぽどひどいものなんじゃな
いの?」
「そ、そうなのかなあ・・・?」
「そうに決まってるわよ。だって、菜食主義で通していて肉を食べられないな
らともかく、肉が嫌いで食べない奴なんて、聞いた事ないもん。」
「・・・・そう言えば聞かないね。」

僕がそう言うと、アスカは大きな声で綾波に尋ねた。

「レイ、アンタ、今までどういうお肉を食べて来たのよ!?」
「・・・・」

綾波はアスカの問い掛けに対して、つゆの入った器をテーブルの上に置き、ア
スカの方に顔を向けた。するとアスカは、ゆっくり綾波の答えを待つことなく、
続けてこう言った。

「もしかして、肉と言えば血の滴る生肉とか、毎日ユッケを食べさせられてた
とか、そう言う忌まわしい過去があるんじゃないの?」

僕は一瞬笑いそうになってしまった。何とか口を押さえてそれは免れたが、今
ここで笑えば、アスカに殺されるのは必至だろう。

「・・・・そんなことはないわ。それより、ユッケって何?」
「アンタ、ユッケも知らないの?韓国料理で、生肉と生卵で・・・・」
「もういいわ。」

綾波はアスカの説明を最後まで聞く事もなく、そう言って中断させた。

「ま、まあ、綾波には無理かもしれないね。何せ生肉だから・・・・」
「でも、おいしいのよ、ユッケ。」

アスカはユッケが好きなのか、ユッケを弁護するような発言をした。しかし、
綾波には何の感銘も与えなかったようで、すげなくひとことで処分されてしま
った。

「あなたにはそうかもしれないわね。」
「あ、なによ、その言い方!?気に食わないわね!!」
「・・・・ただ、私には無理って言いたかっただけ。気に触ったなら謝るわ。」

綾波はそう言うと、素直にアスカに頭を下げた。それを見たアスカは、拍子抜
けしたのかこれ以上綾波を責める事もなくこう言った。

「そ、それならいいのよ。それよりアンタも、さっさと半分食べて、アタシに
渡しなさいよね。」
「・・・・」

綾波はアスカの言葉に、黙ってじろっとアスカの顔を見て、それから再びざる
そばを食べはじめた。
綾波の関心が僕達からざるそばに戻って、また僕とアスカの二人が取り残され
た形となった。何だか僕はその状態が気まずくて、しばらく黙っていた。そし
てアスカも僕と同じなのか、いつものようにしゃべりまくることもなく、じっ
と黙っていた。
しばしの沈黙が流れる。が、アスカが小さな声でそれを破った。

「シンジ・・・・?」
「何、アスカ?」
「・・・・アタシの天丼、食べて見たい?」
「え?」
「まだ、全部食べ終わってないから・・・さぁ・・・・」
「い、いいの?」
「アタシ、アンタの親子丼、勝手に取って食べちゃったじゃない。だから、そ
の代わりって言っちゃ何だけど・・・・」

何だか今のアスカは、さっき僕から親子丼を奪って返してくれなかったアスカ
とは、全くの別人のようにも思えた。果たしてどれが本当のアスカで、どれが
偽りのアスカなのか・・・・僕にはどれも、本当のアスカのように思えた。

「あ、ありがとう、アスカ・・・・」
「いいのよ。気にしなくても・・・・」
「う、うん。じゃあ・・・・」

僕がそう言って、アスカの手元から天丼の丼、というか丼でなくお重であった
が、それをとろうとした。しかし、アスカはそれをすっと僕の手の届かないと
ころに移動させると、僕に向かって責めるような口調でこう言った。

「アンタ、さっきレイに食べさせてあげてたでしょ?」
「う、うん・・・・ご、ごめん、アスカ・・・・」
「別に怒っちゃいないわよ。ただ・・・・」
「ただ?」
「ちょっと気に食わなかっただけ。だからアタシは、アンタの親子丼を罰とし
て食べちゃったのよ。わかる?」
「う、うん・・・・」
「でも、アタシも結構お腹いっぱいになっちゃたのよね・・・・」
「・・・・」
「だから、アタシもアンタみたいに・・・・ね?」
「・・・・どういうこと?」

僕はアスカの言いたい事がいまいち把握出来ずに、情けない声で尋ねた。する
とアスカはじれったいといった表情でこう言うと、天丼のお重を手に持った。

「ああっ、もう!!アタシがアンタに食べさせてあげるっていうことよ!!鈍
感なんだから!!」
「あ・・・・そういうことか・・・・」
「そうなのよっ!!さ、口を開けて!!」

アスカは箸で天丼を取ると、僕の方に差し出した。僕は言われるがままに、ア
スカに向かって口を開いた。しかし、アスカはそんな僕に向かってむすっとし
た顔をすると、気に食わないという気持ちを隠さずにこう言ってきた。

「・・・・何か忘れてない?」
「え?」
「ほら・・・・」
「・・・・何?」
「この馬鹿!!目をつぶるんでしょ?目を!!」
「あ、そうか・・・ごめん。」

アスカもなかなか見ていないようで見ているものだ。僕が綾波に食べさせる時、
綾波が目をつぶっていた事を、しっかりチェックしていたとは・・・・
僕はそう思いながら、さして不安も感じずに、目をつぶってアスカに口を開い
た。

「じゃ、行くわよ・・・・」

アスカの声が聞こえた。そしてそれと共に、口の中に何か入る感触が・・・

「って、何じゃこりゃ!?」

僕はガリっとした感触に、思わず声をあげてしまった。目を開けてみると、ア
スカがにやにや笑っている。これは・・・・

「ア、アスカ、これ・・・・」
「エビのしっぽよ。」
「ひ、ひどいや!!」
「罰よ、罰。大人しくそれを食べなさい。いいわね?」
「ちぇっ・・・・・」

僕は仕方なく、エビのしっぽをばりばりと食べた。世間にはこれが大好きとい
う人もいるらしいが、僕はその中には含まれていない。こういう触感は嫌いで
はないのだが、ゆでたまごにくっついてしまったほんのちょっとの卵の殻と同
じで、柔らかいものと一緒に食べるととたんにまずくなるのだ。
こうして僕は嫌そうな顔をしながら、エビのしっぽを食べていた。アスカはそ
んな僕を見ながら、こんなことまで口にした。

「それにアンタ、レイにキスされてたでしょう?」
「えっ?」
「アタシが何も知らないと思ったら大間違いよ。」
「うう・・・・」
「ほんとは罰はエビのしっぽじゃなくって、レイみたいにキスをするんだけど、
思いっきり唇に噛み付いてやろうとか思ったんだけど、やっぱりそれじゃあん
まりかわいそうだからね・・・・」

僕はアスカの言葉に、黙って大きくうなずいて見せた。するとアスカは、そん
な僕に向かって流し目をくれながら言う。

「でも、キスはすべきだと思わない?公正を期すために・・・・」
「・・・・・」

僕は何と答えてよいのかわからなかった。するとアスカはいつものようにそれ
を了解の合図と解釈すると、反対側の綾波に言った。

「ほら、レイ!!アンタは反対を向いてそばでもすすってなさい。これは見せ
もんじゃないのよ!!」

僕はアスカの言葉に慌てて振り返って綾波の方を見ると、綾波はしっかり僕と
アスカの様子を見ていたのだった。僕はその事に気付くと、途端にうろたえた。
綾波も、アスカに言われた通りに後ろを向く事もなく、じっと僕のことを見つ
めている。するとアスカは、そんな綾波に向かって叱るように言った。

「見てたらつらいだけでしょ!?ほら、早くしなさいよ!!未練ったらしいわ
ね!!」
「・・・・」

アスカにそう言われた綾波は、つらそうな顔をしたが、何とか自分を抑えてア
スカに言われた通りに後ろを向いた。
僕はそんな綾波がなんだかかわいそうになって、そしてある事を思い出してア
スカに言った。

「そ、そうだアスカ!!したくないキスは、しなくてもいいんだよね!!」
「・・・・そうね。」
「じゃあ、このキスもしない!!何だかいい気分しないから。」

僕は自分の名案に酔いしれるように得意げな顔をしていた。アスカはそんな僕
にしてやられたという顔をしていたが、急に何か思い付いたのか、悔しそうな
顔から一変させてにやりと笑うと、僕に向かってこう言った。

「・・・せっかくアタシはシンジを助けてやろうとしていったのに・・・」
「へ?」
「・・・お互いの合意の上のキスから、罰としてのキスになるのは、とっても
つらいのよ、シンジ・・・・」

僕はアスカが何を言いたいのか、ようやく理解した。が、その時には既に遅く、
僕はいきなりアスカに襲い掛かられていた。

「むぐ・・・・」

まさに唇を強引に奪われるという言葉が当てはまるようなキスを、アスカに受
けた。僕は抵抗しようとしたが、何故かアスカの力が物凄い上に、僕はお酒が
入っていたという事もあって、いつもより力が出せなかった。

「ぐむっ!!」

最後にアスカに思いっきり唇を噛み付かれた。それでアスカは離れてくれたの
だが、僕が唇を舐めてみると、微かに血の味がした。

「ひどいや、アスカ・・・・」

僕がそう言うと、アスカは僕に顔を背けて一言こう言った。

「・・・馬鹿・・・・・」

その言葉は、なぜか僕の胸に、重くのしかかったのであった・・・・


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