私立第三新東京中学校
第百五十五話・甘い受難
「はぁ・・・・」
僕は大きなため息をつく。
「・・・はぁ・・・・・」
もうひとつ、同じようなため息。
僕だってこんなため息をつきたい訳じゃない。でも、今のこの有り様を見れば、
ため息の一つ、いや、三つや四つくらいはつきたくもなるだろう。
アスカはビールをぐびぐび飲んでいるし、綾波までがお猪口を放さない。そし
て、総元締めのミサトさんはというと、調子のいいことをまくし立てながら、
この未成年二人にお酌をしつつ、自分はそれ以上に鯨飲している。
お酒がテーブルに運ばれたのは、ほんのついさっきの事なのに、三人で飲みま
くるものだから、早くも追加注文に入ろうかと言うところだ。
そして、僕はと言うと、取り敢えず今のところは自由だ。それぞれの関心はま
だお酒にあると言ってもいいし、僕をかまっている余裕などないのだろう。し
かし、この状態が進むと、きっとお酒を飲むのが、水やお茶を飲む感覚と一緒
になってきて、意識が周りに伸びてくるはずである。すると、格好の獲物がこ
の僕と言う訳だ。僕にはそれがよくわかっているけど、こればかりはどうしよ
うもない。今僕が余計な事を言えば、僕が捕まるのが少しばかり早くなるだけ
だ。だから、僕は敢えてこの三人にはちょっかいを出さずに、一人でため息を
ついていたのだ。
「・・・はぁ・・・・・・」
僕はまた、深いため息をついた。すると、ミサトさんはそんな僕に気がついて
声を掛けてきた。
「どうしたのよぉ、シンちゃん?何か悩み事でもあるのかなぁ?」
「・・・・そういうことです。」
僕はそっけなく返事をする。あまり大きな反応をしては、却ってミサトさんを
刺激するだけだからだ。しかし、僕のそんな細心の注意も虚しく、ミサトさん
は僕を解放してくれようとはしなかった。
「このミサトさんに相談してみなさいよぉ。やさしく答えてあげるからぁ。」
「・・・・べ、別にいいですよ。ミサトさんに相談するほどのことじゃありま
せんから・・・・」
さすがに僕も、みんながお酒を飲んでいる事が悩みの種だとは、口が裂けても
言えない。だが、ミサトさんも黙っていられるともっと気になると言うもので、
はっきり言うよう僕に迫ってきた。
「言いなさいよ。水臭いわねぇ。それとも何?ここでは言えない事なの?」
「・・・・そ、そういう訳じゃないです。」
「じゃあ、言えるわよね?」
「・・・・・」
「そう・・・・シンちゃんは恥ずかしがりだもんね。これを飲めば、話しやす
くなるわよ。」
僕はミサトさんの言葉に、「来た!!」と思った。きっとそのうち、僕にお酒
を飲むよう強要してくると思ったのだ。ミサトさんの言葉は、強要と言うには
程遠いやさしい声だが、もし僕がそれを拒んだら、平然とした顔で僕の口をこ
じ開ける事だろう。つまり、僕は絶対に逆らえないと言う事だ。だから、僕は
もうどうとでもなれと言う気持ちで、ミサトさんからビールの注がれたコップ
を受け取ると、やぶれかぶれで一気に飲み干した。
すると、僕の事を相手にしていたのはミサトさんだけかと思いきや、僕の飲み
っぷりを見て、アスカも綾波も声を上げた。
「さすがね、シンジ。やっぱりこれでも一応男なのよね。」
「碇君、すごい。」
僕は、この二人が僕の事を見ていた事に驚かされて、何も言えなくなってしま
っていた。すると、そんな僕に向かってミサトさんが冷やかす。
「シンちゃんもモテモテね!!うらやましいわぁ。」
「や、やめてくださいよ、ミサトさん。」
僕は恥ずかしさとアルコールに頬を少し赤く染めながら、ミサトさんに言った。
ミサトさんは、そんな僕に対して更にからかいながら言った。
「やっぱりシンちゃんの悩みって、これ?」
ミサトさんはそう言うと、僕に向かって小指を立てて見せる。全く以って、ミ
サトさんはお酒が入ると分別がなくなる。普段はだらしないにしても、こんな
に下品ではないのに・・・・まあ、お酒がそうさせているので、これでミサト
さんの本質をはかるのもどうかと思われるが、それにしても自称保護者の取る
べき態度ではないだろう。
しかし、僕もなんだかんだ言いながら、ビールを一気飲みでコップ二杯も飲ん
でいるので、だんだんいい気分になってきていて、細かい事はどうでもよくな
りはじめているのも事実であった。
「いやねぇ、シンジの悩みって言えば、アタシの事に決まってんじゃない。い
わゆる、胸を熱く焦がす、恋の悩みって奴よ。」
アスカは完全にお酒が回っている。ミサトさんの言葉に、こんな言葉で対応し
ているのだから。アスカも普段から冗談半分でこういう事を言っているが、今
日のこれはいつもよりずっと馴れ馴れしいものを感じたのだった。
そして、そんなアスカに対して、綾波までが口を出してきた。
「・・・・碇君の悩み・・・・それは、私が隣にいない事に決まってる。私も
それを寂しく感じているもの・・・・」
「じゃあ、アタシと場所を交換してあげましょうか、レイ?」
綾波の言葉に、ミサトさんはそう提案して来た。すると綾波は、潤んだ瞳を輝
かせてミサトさんに返事をした。
「はい!!ありがとうございます、葛城先生!!」
そして、ミサトさんと綾波が場所を入れ替えようとして腰を上げようとしたそ
の時いきなり、綾波の隣に座っていたアスカが、立ち上がろうと手をついた綾
波の手首をつかむと、立ち上がらせなかった。そして、アスカは綾波の事をじ
ろっと睨み付けると、ぬっと顔を近づけて大きな声で言った。
「卑怯よ、レイ!!アタシがシンジの正面で我慢してるんだから、アンタもそ
こで我慢しなさい!!」
「・・・どうして?」
「アンタより、アタシの方が格上だからよ!!」
「・・・・あなたがそう言う理由がわからないわ。根拠は何なの?」
「アタシの方が、シンジに愛されてるって事!!」
「・・・・そう・・・・それで?」
「だから、アンタはアタシを差し置いてシンジの隣に座る資格はないって事!!
わかった!?」
「・・・・そう・・・・でも、私は碇君の隣に座るわ。」
「アンタバカ!?アタシの話を全然聞いてなかったって言う訳!?」
アスカの意見も無茶苦茶であったが、それ以上に綾波はアスカの言葉などには
聞く耳持たずという感じだった。綾波にかかると、さしものアスカも自分の意
志に従わせることも出来ないと見えて、アスカの悔しがる様子が目に見えて感
じられた。
しかし、舌戦では勝利を収められなかったアスカも、物理的にはまだ力が残さ
れている。つまり、つかんだ綾波の手首を、しっかりと握ったまま放さなかっ
たのだ。綾波は黙ったままそれを振り払おうと腕を少し動かしたのだったが、
アスカの渾身の力にかかっては、綾波もどうする事も出来ない。アスカもその
事を感じ取ると、にやりと笑みを漏らした。
「放して。」
「イ・ヤ・よ!!」
「放して。」
「イヤったらイヤ!!」
「・・・・碇君、この人が私の手首を放してくれないの・・・・」
アスカが頑ななのを見て取ると、綾波は矛先を変えて僕に媚びるような目をし
て助けを求めた。僕は綾波がいつのまにこんなやり方を覚えたのだろうとびっ
くりした。が、僕もびっくりしてばかりもいられない。二人に答えを求められ
ているのだ。綾波は潤んだ瞳で僕の助けを待っているし、アスカはアスカでお
かしな事を言ったらただでは済まさないと言った顔で、僕の顔を睨みつけてい
る。僕は完全に困ってしまった。いわゆる、どっちを選んでも、僕にはつらい
結末しか待っていないと言う訳だ。
だから、僕はそういう時の常套手段として、いつものように、くちごもること
にしたのだ。
「・・・・・」
「シンジ、何とか言いなさいよ!!」
「碇君、助けて・・・・」
「アンタもそんな目をするんじゃないわよ!!シンジはそんなのに心を動かす
人間じゃないのよ!!」
それは買いかぶりすぎと言うものだ。実際、僕は綾波のその目に大いに心を動
かされていたのだから。しかし、そう思うと、我ながら情けない。決断力がな
いと言うか、意志薄弱と言うか・・・・・とにかく、半ば逃げであるにもかか
わらず、僕に選択をする勇気はなかった。
すると、酔っぱらいの神、ミサトさんが僕に助け船を出してくれた。
「ほらほら、二人とも喧嘩しない。愛しのシンちゃんが困ってるじゃないの。」
「・・・ミ、ミサトさん、助かります。」
僕は本当に心から安堵してミサトさんに感謝の意を表したのだが、そんな僕は
大甘だった。
「このお座敷は広いじゃない。そっちにシンちゃんをあげるから、三人で仲良
く座ればぁ?」
「ミ、ミサトさん!!」
僕はミサトさんの言葉にびっくりして思わず声をあげたが、ミサトさんもあと
の二人もそんな僕の叫びなど耳も貸さずに、それぞれ自分勝手に話を進めた。
「それはいいわね。シンジがアタシの隣に来るんでしょ?ならアタシは問題な
いわよ。」
「碇君・・・・お酌してあげる・・・・・」
アスカはともかく、日本酒を飲んでいた綾波は、かなり来ているみたいだ。
まあ、それはともかく、それを聞いたミサトさんは、僕の身体を強い力で押し
ながら言う。
「ほら、行った行った!!美少女二人が首をながーくしてお待ちかねよ。」
「・・・・・」
ミサトさんの力は、女性であっても一応軍人だったので、僕ではとても敵わな
いほど強い。しかも、酔っぱらいはじめているから加減を知らないと見えて、
僕に対しても全く容赦がない。だから僕は、敢えてミサトさんに逆らうのをや
めて、渋々テーブルの反対側に移動した。
「いらっしゃい、シンジ!!」
二人の真ん中に座るなり、いきなりアスカにキスの洗礼を受けた。抱き付くよ
うにほっぺたにされたのだが、それがいつ唇に変わっていくかも、僕には定か
ではない。そしてもう片方の綾波はと言うと、アスカの存在を勝手に無視して、
無理矢理僕の手にさっきまで綾波が手に持って放さなかったお猪口を握らせる
と、何だかやけにうれしそうな顔をしてお酌をしはじめた。
「碇君、飲んで・・・・」
綾波には日本酒がお気に召したかもしれないが、僕にとってビールと日本酒は
違う。そもそもアルコール度数も違うし、中学生が飲むものではない。しかし、
綾波はそんな事全然わかっていなかった。ただ、自分の注いだお酒を僕に飲ま
せるのみだ。綾波の目は、僕に逃げを許してくれるようなものではなかったの
で、僕は請われるがままに日本酒を口に含んだ。あったかい日本酒は、僕の喉
を焼いたが、綾波の言う通りそれほど苦くなく、甘みさえ感じるので、飲みや
すいと言えば飲みやすかった。
すると、僕がそう思ったのが顔に出たのか、綾波は空になったお猪口にまた日
本酒を注ぐ。僕ももうほとんどやけっぱちでお酌をされては飲みまくっていた。
すると、脇で僕に抱きついていたアスカもそれが気になったらしく、僕にビー
ルのコップをつきつけてきた。アスカの言いたい事は重々承知していたので、
毒を食らわば皿までと、コップを受け取り、アスカのお酌を受けた。
僕はビールと日本酒を交互に飲み、いつのまにかお酒を飲んでいるのは僕とミ
サトさんだけになってしまっていた。僕の手は、それぞれアスカと綾波につか
まれていて、お酒を口に運ぶだけのものと化してしまっていたが、目は虚ろに
なりながらも正面を見据えていた。そして、正面に見えたものはと言うと、ミ
サトさんであった。
ミサトさんは僕とは対照的に手酌でひたすらお酒をのみ続けていたのだが、美
女二人にしっかりと寄り添われながらかわるがわるお酌を受けている僕を見て、
一言こう漏らした。
「・・・・アタシも、しもべを呼ぼうかしらねぇ・・・・・」
ミサトさんはそう言って、手に持っていたコップを一息で空けると、いきなり
すっと立ち上がって電話のところに向かった。
だが、そんなミサトさんの様子に、アスカも綾波も全く気付く様子は見せなか
ったのであった・・・・
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