私立第三新東京中学校

第百五十四話・呆れた酒飲み達


「・・・わかりました。ミサトさんがそう言うのなら、僕もこれ以上何も言い
ません。」

綾波が僕と同じ親子丼を注文することに賛成したミサトさんに対して、僕は渋
々従った。するとミサトさんは、既に注文を済ませた自分を除いた僕達の注文
を確認した。

「じゃあ、シンちゃんとレイが親子丼、で、アスカが天丼っと、これでいいの
ね?」
「あ、あと、ざるそばを・・・・」

僕はアスカと半分ずつ食べるざるそばを、ミサトさんに追加した。僕のそれを
聞いたミサトさんは、少し疑問に思って言う。

「ざるそば?」
「は、はい。ざるそばを・・・・」

僕がおどおどしながらそう答えると、ミサトさんはじろっと僕の顔を一瞥した
が、それ以上追求する事はなく、ひとこと感想を述べて終わりにしてくれた。

「・・・・案外食べるわね、シンちゃんも・・・・」

僕は、何だか全てをミサトさんに見透かされている気がして、ミサトさんに面
と向かう事が出来なくなってしまった。そんな中、ミサトさんは店員を呼び付
けて僕達の分の注文をする。

「すいませーん!!こっち、注文お願いしまーす!!」

僕はしばらくミサトさんが注文する声を聞きながら、一人うつむいていた。隠
し事をしていると言う罪悪感が、僕にそうさせているのだろう。別に悪い事を
している訳でもないのだが、僕はこういうのは特に苦手だった。アスカが注文
してくれれば、僕もこんな気持ちにならずに済んだのに・・・と思うと、少し
顔を上げてアスカの方に視線を向けた。
すると、アスカも僕の事をじっと見ていたらしく、二人の目と目が合った。き
っとアスカならずとも、今の僕はかなり不自然に見えるに違いない。現にアス
カも、僕を見つめるその目で、「もうちょっとしっかりなさいよ!!」と告げ
ているようにも見えた。一応アスカは口で僕に注意をすると言う事はなかった
が、その目を見れば、アスカの言いたい事など、一目瞭然だったのだ。
僕はそんなアスカの視線にさらされているのも心苦しかったので、さりげなく
その目をそらした。すると、運の悪い事に僕は綾波も僕の事を見ている事に気
付いてしまった。綾波の目は、アスカのものとは違っていたが、その不思議そ
うにしている様子は、僕が親子丼と一緒にざるそばを頼んだことをいぶかしく
思っているに決まっていた。綾波は絶対に僕を追求したりはしないと思うが、
それでもそういう目で見られるのは、あまり心穏やかにしてくれるものではな
かった。

何でこの僕がこんな目に合わなければならないんだ・・・・

僕は一人口の中でもごもごつぶやくと、自分の不運を呪った。後ろめたい事を
したのは僕なのだから、自業自得と言えば自業自得なのだが、それにしてもつ
いてなさすぎるように感じたのだった。

と、その時、注文の品の到着を告げる声が聞かれた。

「お待ちどうさまー!!」
「はい、どうもすいませんね・・・」

一体誰の何が来たのかと思って僕は顔を上げると、来たのはミサトさんの酒と
つまみだった。まあ、冷静な頭で考えれば、それが当然だろう。こんなことに
少し期待した僕が、どうかしていたのかもしれない。
僕はそう思ってため息をつきながら、再びうつむいて自分の世界に入ろうとし
た。しかし、そんな僕を、ミサトさんは一人にはしてくれなかった。

「ほら、アンタ達も飲みなさいよ!!晩餐に食前酒はつきものよ!!」

ミサトさんはそう言うと、まず隣に座っている僕に向かって、ビールがなみな
み注がれたコップを差し出す。しかし、ミサトさんに絡まれたくない僕は、嫌
そうにミサトさんに応えた。

「やめてくださいよ、ミサトさん。僕達はまだ中学生なんだから・・・・」

するとミサトさんは、そんな僕の肩を馴れ馴れしく叩きながらビールのコップ
を押し付けて言う。

「そんな野暮言わないで・・・さ、付き合いなんだから、ぐっと飲み干しなさ
いよ、ぐっと!!」
「・・・・しょうがないなあ・・・この一杯だけですよ。」

僕はミサトさんに逆らう愚を重々承知しているので、大人しく従っておいて、
一刻も早く解放されようと思った。

「よし!!そうこなくっちゃ!!」

ミサトさんはまだ一滴も飲んでいないのに、すでに酒飲みと化している。きっ
と雰囲気に飲まれているのだろう。本当に便利な性格だ。
そして、僕はミサトさんからコップを受け取ると、一気に飲み干した。

「ふぅ・・・・にが・・・・」

まだ僕にはビールの味はわからない。はっきり言って、どうして大人はこんな
苦いものがおいしく感じるのだろうと、僕は本気で思った。

「シンちゃんもなかなかいい飲みっぷりね!!じゃあ、次はアスカの番よ!!」

ミサトさんがそう言ってアスカにもビールを注いでやろうとすると、アスカは
自分からビールの瓶を手に取って、自分からコップを満たして言った。

「シンジなんかに負けてられないわ!!見てなさいよ、アンタ達!!」

アスカは何やら誤解している。僕は自分の酒の強さを見せ付けようとして一気
飲みした訳じゃないのに、アスカはそれに対抗意識を燃やしているのだ。まあ、
アスカの場合、僕と違って結構お酒が好きなのは知っているのだが、それでも
中学生には変わりがない。僕はそんな気合いを入れたアスカにひとこと声をか
けた。

「アスカ、無理に飲まなくてもいいんだからね・・・・」

しかし、アスカはそんな僕の言葉をまたもや誤解して、大声で僕に言った。

「うるさいわね!!いやいや飲んでるアンタに負けたら、アタシの面子に関わ
るわ!!」
「・・・・・」

なるほど、と納得する返事だった。確かにいやいや飲んでいる僕に負けるのは、
アスカもいい気分はしないだろう。しかし、問題はそういう事では・・・と思
ったら、アスカは既にコップを大きく傾けていた。

「・・・ふぅ、どう、アタシの飲みっぷり!?」
「最高よ、アスカ!!」

アスカもミサトさんも、完全に酒飲みになっている。考えてみると、アスカも
ミサトさんくらいの年になったら、ミサトさんそっくりになるかもしれない。
僕はそう思うと少し戦慄を覚えた。
しかし、今はそんな時でない。綾波に無理矢理お酒を飲ませる事だけは、この
僕が阻止しなくては。

「あ、綾波は無理に飲む必要はないんだからね!!ミサトさんの言う事なんて
気にしなくていいから!!」

僕がそう言うと、前と横から、大きな反発があった。

「シンジ、余計な事言うんじゃないわよ!!レイにもアタシ達と同じように飲
ませるのよ!!それが礼儀ってもんじゃないの!!」
「シンちゃん、レイを一人のけ者にするのはかわいそうだと思わない?ここは
頑張ってアタシ達と同じ気持ちを共有してもらわないと・・・・」

僕は、そんな酒飲み二人に反論しようとすると、当の綾波が僕に向かってこう
言ってきた。

「・・・心配してくれてありがとう、碇君。でも、私もみんなと同じようにし
たいから。だから私も、飲んでみようと思う・・・・」
「あ、綾波・・・・」

綾波のその言葉に僕が声を失っていると、アスカが僕に大きな声で言った。

「ほらご覧なさい!!レイはアンタと違って立派なもんよ!!少しはアンタも
レイを見習ったらどうなの!?」
「う、うるさいなぁ・・・中学生が酒を飲むのに潔くてもしょうがないだろ・・・?」

僕がさも嫌そうにそう言うと、既にビールをコップ一杯あおって、早くもアル
コールが回ったのか、頬を興奮だけのせいではない桜色に染めているアスカが、
大声で僕を怒鳴り付けた。

「う、うるさいですってぇ!?もう一度言ってみなさいよ!!」

しかし、僕はこんな頭に血が上ったアスカとやりあうのはこりごりしていたの
で、アスカに目を合わせようとしなかった。すると、アスカは一層怒って僕を
叱り付けようとしたのだが、ちょうどその時、ミサトさんが上手い具合に間に
入ってくれた。

「ほら、そんなことより、レイが飲むわよ・・・・」

僕もアスカも、ミサトさんの言葉で争いを忘れて、綾波の方に視線を向けた。
すると、コップを持った綾波が、僕の方を向いてちょっと微笑みを浮かべなが
らこう言った。

「碇君。見てて、私が飲むから・・・・」

そして、綾波はゆっくりとコップを口に当てると、目をつぶって一気に飲み干
した。

「・・・・どう、碇君?」

綾波はコップを下において、僕にそう尋ねてきた。

「う、うん。よく飲めたね、綾波。」
「・・・うん。碇君が飲んでたから、私も飲めると思って・・・・・」

僕が綾波に返した言葉は、何だかかなり情けないものであったが、綾波はそん
な僕に微笑みを絶やさずに応えてくれた。
しかし、綾波の今の言葉で、綾波の行動の理由がいくらかわかったような気が
した。つまり綾波は、僕がビールを飲んだから、自分も僕と同じようにビール
を飲みたかったのだ。そして、飲み方も無理に一気飲みする必要はなかったの
に、同じように一気に飲んだのだから・・・・

「はいはい。三人とも、いい飲みっぷりだったわ。最後にアタシの飲みっぷり
を見てちょうだい。」

ミサトさんはそう言うと、綾波が下に置いたコップを手に取ったのだが、もう
片方の手はビール瓶ではなく、熱燗の入ったとっくりだった。僕は慌ててそれ
をコップに注ごうとするミサトさんに注意する。

「ミ、ミサトさん!!それはビールじゃないですよ!!」
「わかってるわよ。アタシはアンタ達と違って大人なんだから、ここは違いを
見せないとね!!」

ミサトさんまでアスカと同じ様に変な対抗意識を燃やしている。まあ、酒飲み
としてのプライドもあるだろうから、ミサトさんの気持ちもわからないではな
いが、日本酒の一気飲みはビールとは違う。が、ミサトさんは僕に止めさせる
余裕も与えずに、なみなみと日本酒をコップに空けると、一気にあおった。

「どう、これが大人の飲みっぷりよ。」

ミサトさんは軽く口元をぬぐって、自慢げに僕達に言う。そんなミサトさんを
見て、アスカは手を叩きながらミサトさんを褒め称えた。

「さすがミサトね!!いい飲みっぷりだったわ!!」
「でしょ!?何たって、年季が違うからね!!」

アスカとミサトさんは、完全に意気投合してしまっている。僕はこの二人と別
世界に行きたくて、まだ聖域とも言える綾波の方に視線を向けた。しかし、そ
んな時綾波は、一人で勝手にお猪口を手に取って、熱燗を注いでいるではない
か。僕はびっくりしてしまって、慌てて綾波に言った。

「あ、綾波!!それは日本酒だよ!!ビールとは違うんだからね!!」

だが、綾波は僕の言葉を聞きながら、お猪口に口をつけてこう応えた。

「・・・うん。でも、葛城先生も飲んでるから・・・・私もいろいろ経験した
方がいいと思って・・・・・」

綾波は言い終わると、くいっとお猪口の中身を飲み干した。そして綾波は唖然
としている僕に追い撃ちをかけるように、いつもの小さな声で、かわいく僕に
言った。

「・・・・こっちの方が、苦くなくて私は好き・・・・ちょっぴり甘いし・・・・」

綾波は早くもその白皙の頬を真っ赤に染めながら、僕に向かって身体を小さく
している。その仕種はいつもの事であったが、お酒の入った綾波は、何だかい
つもと違って見えた。
しかし、そんなことよりも、唯一お酒に毒されていない綾波までお酒の味を覚
えてしまったら、とんでもない事である。どうやら今のこの調子からして、綾
波は日本酒をお気に召してしまったようだし、綾波が酒飲みになる日も近いの
ではないかと本気で危惧した。そして僕達が酒の師匠であるミサトさんの元を
離れて、父さんのところに引っ越していく事を、僕は心の底から喜んだのであ
った・・・・


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