私立第三新東京中学校

第百五十三話・同じものを感じ続けたくて


「さ、着いたわよ。みんな降りて降りて。」

ミサトさんは車を停めると、僕達に降りるように言った。すると、アスカはま
るで転がり落ちるように車から這い出た。

「ふぅー、やっと解放された・・・・・」

アスカは深呼吸をしながら、何とかリフレッシュしようと努めている。そんな
アスカに続くように、僕と綾波も車の外に出た。
するとミサトさんが、僕達に向かって話し掛けてきた。

「どう、このおそばやさんは?結構立派でしょ?」

ミサトさんに言われて、改めてそのおそばやさんを見上げてみると、割と大き
くて小綺麗なお店だった。

「ですね。よくミサトさんはこんなお店を知ってましたね。」

僕がミサトさんにそう言うと、ミサトさんは真実を暴露した。

「別に知ってたお店じゃないのよ。ただ、一番最初に目にとまったおそばやさ
んだからって言うだけで・・・・」
「そ、そうですか・・・・」
「そういう訳だから、味は保証出来ないのよ。もしこの立派な店構えがはった
りで、肝心のおそばがおいしくなかったらごめんなさいね。」
「いえ、そんなこと気にしないでください。もしそうだったとしても、ミサト
さんのせいじゃありませんから。」
「そう?そうシンちゃんが言ってくれると、アタシも助かるんだけど・・・・」
「じゃあ、こんなところでこうしていてもなんですし、お店の中に入りましょ
うよ。」

こうして、僕達はお店の中に入ったのだった。
僕達は、早速座敷席を確保すると、座布団の上に腰を下ろした。こういうお座
敷は綾波はもちろんの事、アスカにとっても珍しい事であったので、二人とも
座布団の上で違和感を感じつつ、面白がってもいた。
特にアスカは、ようやく車での衝撃が完全に治まってきたと見えて、いつもの
元気さを取り戻して、落着かなげに座布団の上でごそごそしながら、話しはじ
めた。

「ねえ、たまにはこういうのもいいと思わない?」
「そうだね。アスカも座布団の上に座るなんて、あんまりない事なんじゃない?」

僕はアスカの言葉に相づちを打ちながら、アスカにちょっと尋ねてみた。する
と、アスカは僕の予想を覆すかのようにこう答えた。

「そんなことないわよ。ヒカリの家なんかでは座布団に座る事もあったから・・・」
「そ、そう・・・・」
「ヒカリのうちって、結構和風だからね。ああいう家庭が、あのヒカリの真面
目なところを作り上げたのかもしれないけど。」
「それは言えるかもね。洞木さんって、家ではビシッと正座でもしてそうだも
ん。」
「そ、そこまでは行かないんじゃない?」
「そ、そうかな?」
「そうよ。アンタもちょっと大袈裟なのよね。」
「ご、ごめん・・・って、あ、お茶とおしぼりが来たよ。」

お店の人がお茶とおしぼりと、それからお品書きを持ってきたので、僕とアス
カの雑談はそこで中断された。取り敢えず四人ともまず冷たいおしぼりを広げ
ると、手をきれいに拭いた。
真っ先にお品書きに手を伸ばしたのは、やっぱりアスカで、自分の前にそれを
広げると、何を食べるか考え始めた。

「うーん・・・・迷っちゃうわね・・・・」
「アスカ、こっちにも見せてよ。」

アスカは一人でお品書きを独占しているので、僕達にも見せるように言った。
するとアスカは、僕に向かって怒って応えた。

「アタシはアンタと違ってすぐ決められるんだから、もうちょっと待ちなさい
よね!!」

そしてアスカは、もう一度軽く目を通すと、ぱたりとそれを閉じてミサトさん
に差し出しながらこう言った。

「アタシ、天丼ね。」
「はいはい、アスカは天丼ね。じゃあ、アタシは・・・」

ミサトさんはそう言ってアスカからお品書きを受け取ると、アスカとは違って
テーブルの真ん中に広げて、僕達にも見えるようにしてくれた。
だから、僕も一緒に考えようと思って、前の方に身を乗り出すと、僕の向かい
側に座っていたアスカが、僕に向かって話し掛けてきた。

「シンジ、ちょっと提案があるんだけど・・・・」

その時のアスカの様子は、何やら大事な話をする時の真剣な眼差しだったので、
僕もお品書きから目を離すと、アスカの方を向いて尋ねた。

「なに、アスカ?その提案って・・・・?」
「ちょっとした事なのよ。」
「ちょっとした事?はっきり言ってよ。アスカらしくもない・・・・」

アスカがいつもとは対照的に小さな声であいまいに僕に言うので、アスカに詳
しい説明を求めた。するとアスカは声を落としながら、僕に突っかかるような
口調でこう言ってきた。

「じゃあ、ちょっと耳を貸しなさいよ。」
「う、うん・・・・」

僕はそう言うと、アスカの方に向かって耳を差し出す。するとアスカは、僕の
耳に口を近づけてこうささやいた。

「・・・・アンタ、ざるそばにしなさいよ。」
「え?」
「アタシ、ざるそばも食べたいのよ。だから・・・・」
「ぼ、僕の意見はどうなるんだよ?」
「だからこうして、アンタにだけしか聞こえないようにして頼んでるんじゃな
いの。」
「そ、そうか・・・・」

僕はアスカの言葉に納得して、そう声を漏らすと、アスカは別の考えを出して
きた。

「それともアンタ、お腹空いてる?」
「へ?」
「だから、お腹空いてるか聞いてんのよ。」
「・・・う、うん。一応空いてるよ。まだちょっと夜ご飯には早いかもしれな
いけど・・・・でも、どうして・・・?」
「アンタが食べれるなら、アタシとアンタで、ざるそばを半分ずつ食べるのは
どうかと思って・・・・」
「な、なるほど。」
「で、どうなの?アタシとしては、アンタから少しもらうのも、二人でもうひ
とつ別にざるそばを注文して半分ずつ食べるのも、どっちでもいいんだけど・・・」
「じゃ、じゃあ、二人でざるそばを一つ注文しようか?ざるそばなんて大して
量も多くはないだろうし・・・」
「わかったわ。なら、それで決まりね。あとはアンタの好きにしていいから・・・」

アスカはそう言うと、くすっと笑っていきなり軽く僕の耳たぶにくちづけた。

「!!!」

僕は思いっきりびっくりしたが、他の二人に悟られないようにと、声を出すの
をこらえた。そしてアスカはというと、そんなびっくりしている僕の事をにや
にやと笑っていた。僕は、アスカに完全に遊ばれているとわかっていながらも、
何も言ってやる事が出来ずに、大人しく黙ってお品書きの方に視線を戻した。

「アタシは・・・・取り敢えずビール。あと、もつの煮込み・・・・」

ミサトさんは僕とアスカの事など構わずに、そう宣言した。しかし、ミサトさ
んは車で来ているのである。飲酒されてはたまったもんじゃない。僕は慌てて
ミサトさんに注意した。

「ミ、ミサトさん!!ビールは駄目ですよ!!車で来てるんでしょう!!」
「大丈夫だって。アタシにとって、ビールは水とおんなじなんだから。」
「そんな、おんなじだなんて思わないでください!!れっきとした教師のくせ
に、飲酒運転で御用にでもなったら、洒落になりませんよ!!」
「大丈夫だって。気にしない気にしない。」
「気にします!!」

ミサトさんが僕の注意など大して気にもとめていないのをみると、僕もカッと
なって、大声でミサトさんに言った。するとミサトさんは、そんな僕に頼み込
むように手を合わせて言ってきた。

「お願い、シンちゃん!!一本だけだから、ね!!」
「駄目です!!一本だろうと一滴だろうと、飲酒運転には変わりませんから!!」
「せっかくの晩餐なのよ。お酒も飲みたいじゃない。」
「確かにそうかもしれませんが、駄目なものは駄目なんです。法律で決まって
るんですから。」
「じゃ、じゃあ、運転代行サービスを頼んで・・・・」

ミサトさんは、どうあってもお酒が飲みたいらしい。本当にミサトさんの酒好
きにも困ったものだ。しかし、運転代行サービスならば、僕も文句のつけよう
がないというものだ。まあ、お金がもったいないというのはあるにせよ、払い
をするのはミサトさんなんだし、あんまり頑迷に駄目だと言い続けるのも悪い
ので、僕はミサトさんの執念に呆れながらも、仕方なく了解した。

「・・・わかりました。ミサトさんがそこまで言うなら、ビールだろうが日本
酒だろうが、好きなように飲んでください。」

僕がそう言うや否や、ミサトさんは生き返ったかのように目を輝かせ、大きな
声で叫んだ。

「すいませーん!!ビール五本と熱燗二本!!あと、おつまみにもつの煮込み
とお漬物ね!!」

・・・・呆れてものも言えない。ここは飲み屋じゃないんだから、そんなに大
声でお酒とおつまみを注文するのは恥ずかしいというのに・・・・
だが、ミサトさんはミサトさんだった。ミサトさんがこうなのは僕にも変えよ
うがないし、僕ももはや諦めの境地に立っていたのだった。そして僕は早くそ
れを忘れようと思って視線をお品書きに戻そうとしたら、対角線上の綾波と、
目が合ってしまった。
綾波は、お茶の入った湯のみを口に当てていたが、目だけはしっかり僕の方を
見ていた。僕と綾波も、しばし黙っていたのだが、何だかこの雰囲気に耐えか
ねて、僕が先に口を開いた。

「あ、綾波は何にするか決めた?」
「ううん、まだ。」
「は、早く決めた方がいいよ。みんなを待たせるのも悪いから。」
「碇君は、もう決めたの?」
「い、いや、僕もまだ。だから、二人で早く決めちゃおう。」
「うん。」

僕がそう言うと、綾波はうれしそうにうなずいて応えた。きっと綾波は「二人
で」と僕が言ったところに、喜びを感じたのだろう。僕も何となく、綾波の考
えることがわかるようになってきたのだった。
しかし、僕と綾波がこんな話をしていると、自分の分は決めてしまって暇にな
っていたアスカがにやにやしながら口を挟んできた。

「シンジぃー、カツ丼なんてどーお?おいしいわよぉ、きっと。」

アスカも意地が悪い。綾波が真似出来ないものを選べと言うなんて・・・・
綾波はそんなアスカの言葉を聞くと、キッとアスカを睨み付けた。すると、ア
スカはいきなり態度を一変させて、真剣な眼差しで綾波に言った。

「アンタ、シンジの真似ばかりする事が、いけない事だって、まだ気付かない
の!?」
「碇君と一緒がいいんだもん!!」

すると、アスカに負けずに綾波も大きな声で言い返した。しかし、アスカの意
見の方が、ずっと筋が通っていたし、僕も同じ事をずっと思っていたのだ。僕
がそう思っていると、アスカが僕に大きな声で命じた。

「シンジ、アンタはカツ丼になさい!!それか親子丼か・・・・いずれにせよ、
レイが真似出来ないものを選ぶのよ!!いいわね!!」
「で、でも・・・・」

さすがにそこまでは吹っ切れずに僕がくちごもると、アスカはそんな不甲斐な
い僕に向かって、更に厳しく言った。

「アンタ、それはまた逃げる事なのよ!!レイを傷つけたくないって言うちょ
っとした同情心から、レイの成長を妨げるつもり!?」

アスカの言葉は、僕の胸にグサっと響いた。そして、僕は少し考えた結果、今
度は逃げない事に決めた。

「・・・・・わかった。僕は、親子丼にするよ・・・・」

僕の喉から絞り出すような言葉を聞くと、アスカはうなずいて僕に言った。

「それでいいのよ、シンジ。レイを傷つけるかもしれないけど、それがレイの
ためでもあるんだから・・・・」

しかし、アスカがそう言うと、綾波が小さな声でこう言った。

「・・・・・私も、碇君と同じ、親子丼にする・・・・・」

僕とアスカは、綾波のその言葉にびっくりして聞き返した。

「ア、アンタ、本気で言ってんの!?」
「そ、そうだよ。親子丼って、鳥肉も入ってるんだよ!!」

すると綾波は、そんな驚く僕達に向かってこう応えた。

「・・・・わかってる。でも、それでも私は碇君と一緒がいいの。それに、私
も頑張って、肉や魚が食べられるようにならないといけないし・・・・だから
私も、親子丼にするの。」

僕は、綾波のその並々ならぬ決意に、何も言う事が出来なくなってしまった。
すると、横で黙っていたミサトさんが、綾波にこう言った。

「いい意気込みね、レイ。人を好きになるなら、やっぱりそれくらいは行きた
いわね。」
「ミ、ミサトさん!!」

僕はミサトさんの言葉を意外に思って叫んだ。するとミサトさんは僕に向かっ
てこう言った。

「これも、レイがレイ自身で選んだ事なのよ。誰もその決定を、妨げる事は出
来ないわ。むしろ、レイがそこまで頑張ろうとした事を、誉めてやらなくっち
ゃ・・・」

確かにミサトさんの言う通りかもしれない。しかし、僕の心の中には、何だか
それを素直には受け入れられない、しこりのようなものが残っていたのであっ
た・・・・


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