私立第三新東京中学校

第百五十二話・三者三様


「と、取り敢えずここでこうしていてもなんだし、車を出しましょ。」

ミサトさんはそう言うと、ようやく車を発車させた。
僕達はミサトさんの車に乗り込んでからも、エンジンを掛けただけで、少しも
進むことなく、しばらく話し込んでいたのだ。

「あ、安全運転よ、安全運転!!」

車が動き出すと、アスカは少し震えた声でミサトさんにそう言って身構えた。
そして僕も、ミサトさんの運転が危険だという事を重々承知しているので、後
ろを向いて話をするのを止め、しっかりと前を向いてシートベルトを締めた。

「シンちゃん、結局どこにしたわけ?」

ミサトさんは車を運転しながら助手席の僕に向かって尋ねる。しかし、まだど
こで何を食べるのか決めていなかったので、僕にもうまく答えようがなく、そ
の旨をミサトさんに告げた。

「まだ決めてませんよ。どこがいいと思いますか?」
「そうねえ・・・・レイが問題なのよね。お肉が食べれないから・・・・」

ミサトさんの言葉は、別に綾波を責めるつもりの言葉ではなかったのだが、綾
波はそれを聞いてミサトさんに済まなそうに謝った。

「ごめんなさい・・・・」

するとミサトさんは、視線を前方に向けたままではあるが、慌てて綾波に言っ
た。

「ち、違うのよ、レイ。別にあなたを責めるつもりで言った訳じゃ・・・・」
「でも、私がみんなに迷惑を掛けているのに代わりはないから・・・・」
「そんなこと、気にする事はないのよ。アスカじゃないけど、アタシ達はそう
いう遠慮するような間柄じゃないんだから。」
「・・・葛城先生・・・・」
「なら、たまにはレイが決めたらどう?アタシはレイが決めるところなら、ど
こでもいいから・・・・」

そんなミサトさんの提案に、僕も同意してこう言った。

「僕もそれで構いませんよ。アスカはどう?」
「ア、アタシはこの車から降りられるならどこだっていいわよ!!」

アスカの答えは、今のアスカの状態を如実に表していた。本来のアスカならば、
細かく口を挟むところだろうが、今はそれどころではないのだろう。そう思う
と、何だかアスカがかわいそうになったが、今のアスカにとっては、ごちゃご
ちゃやられるよりも、さっさと決めて欲しいだろうと思ったので、僕もわざわ
ざ問題をこじらせるような真似はしなかった。
しかし、肝心の綾波の方が、いきなり自分に決定権を与えられて、かなり戸惑
っているらしく、困ったようにつぶやいた。

「・・・・私が・・・・決めるの?」

すると、綾波のそんな様子に、ミサトさんは綾波に励ますように言った。

「そうよ、レイ。あなたも自分の意思で物事を決める事を覚えなくっちゃ。い
つまでもシンジ君に頼ってないでね・・・・」
「でも・・・・私、あんまりそういうの、知らないから・・・・」
「じゃあ、アタシとシンちゃんでいろいろ提案してあげるから、その中から選
んだらどう?それなら何も問題はないんじゃない?」
「・・・・はい。葛城先生。」
「なら、それで決まりね。シンジ君、そういうことだからあなたも何か案を出
してくれる?」
「は、はい、ミサトさん。」

僕がそう答えて、取り敢えず思考タイムとなった。
ミサトさんも考えながらの運転なので、いつもよりややスピードを落とした。
まあ、行き先も決まっていないのに、車だけかっ飛ばすというのもおかしな話
であるので、それが当然と言えば当然なのだが。
とにかく、車の勢いが衰えた事もあって、アスカもようやくひと心地つく事が
出来たらしく、普通に会話をする事が可能になった。

「ア、アタシも案を出すわよ。何も言えないで変なところに連れて行かれちゃ
困るからね。」
「う、うん。アスカも一緒に考えて。」
「そうねえ・・・・イタリアンなんてどう?肉・魚介類のないパスタもあるし、
他にもいろいろ楽しめるだろうし・・・・」

さすがにアスカの決断は早い。いつもながら、こう言うところには僕も感心さ
せられてしまう。それに、イタリアンというアイデアもいいと思った。アスカ
の言う通り、綾波でも食べられる珍しいものがあるだろう。僕はそれが一番だ
と思って、アスカの意見に同調するように言った。

「いいね、それ。僕もそれがいいと思うよ。」

僕がそう言うと、いきなりアスカは僕に怒ってこう言った。

「アンタバカ!?今はアイデアを出す段階じゃない!!アンタが選択するんじ
ゃないの。あくまでも選択するのはレイって事なんだから、アンタもしっかり
それをわきまえなさいよね。」
「ご、ごめん・・・・」
「だから、アンタはアタシとは別の、自分の意見を出さなくちゃいけない訳。
そうやってたくさん意見を出す事によって、レイもいろんなものから選ぶこと
が出来るんだから・・・・」
「そ、そうだね・・・・」
「わかったなら、さっさと考えなさいよ。アタシが気持ち悪くならないうちに
ね。」

アスカはそれだけ言うと、僕に背を向けて、車酔いしないように窓を開けて顔
を風に当てた。アスカはこれ以上何も言ってはくれそうにない。僕はそう思う
と、アスカに言われた通りに自分の意見を出そうと、考えはじめた。
そうしているうちに、僕よりも先にミサトさんが自分の考えを固めてそれを口
にした。

「アタシは、やっぱりラーメンがいいと思うわ。」
「ラ、ラーメンですか・・・・?」

僕がちょっと呆れたようにミサトさんに聞き返す。ミサトさんも、ラーメンを
馬鹿にした僕の雰囲気を感じ取って、どうしてラーメンにしたのかを説明して
くれた。

「アタシ達三人が初めて一緒にした食事って、あのラーメンの屋台だったじゃ
ない。だから、三人で食べる最後の食事も、ラーメンがいいんじゃないかと思
ってね・・・・」
「最後の食事・・・・ですか・・・・」
「そうよ。多分もう、この三人だけで食事をする事なんて、これが最後になる
と思うわ。」
「・・・・寂しいですけど、ミサトさんの言う通りかもしれませんね。」
「これからは、アタシの代わりとして、碇理事長が入るんじゃない?」

僕はこのミサトさんの気楽な言葉に疑問を抱いて、ちょっと尋ねてみた。

「・・・・父さんが、僕たちと一緒に食事をする事なんて、あるんでしょうか?」
「でも、これから一緒に暮らすんでしょう?」
「はい・・・・」
「なら、朝食とか夕食は、一緒に家で取る事も多くなるんじゃない?外食だっ
て、その延長線上よ。」
「・・・・確かに、言われてみればそうですね。」
「シンちゃんはお料理上手じゃない。自慢のその腕を存分に振るってあげなさ
いよ。きっとあの無表情の顔も、少しはほころぶんじゃないの?」
「そ、そうでしょうか!?」
「そうよ!!もう少し、自信を持った方がいいわよ!!」

ミサトさんの明るい言葉に僕も乗せられて、だんだんうまく行くような気分が
していた。僕は一応家庭料理にはかなりの自信を持っているし、父さんもそれ
を食べればびっくりするだろう。そして、僕と一緒に暮らした事を、喜んでく
れるかもしれない。
僕はそう思うと、何だかうれしくなってきた。そして、いつのまにか顔もほこ
ろんでしまっていた。それだけそう考えられるという事は、僕にとって喜びを
もたらすのであった。しかし、僕がそうしていると、後ろの座席から叫びめい
た声が聞こえた。

「は、早く決めなさいよ!!いつまでうだうだしてんのよ!!」

アスカの発言の内容はいつもと全く変わりはなかったのだが、その口調は本当
につらそうなものであった。僕はそれに危機感を感じて改めて自分の案を出そ
うと必死に考え込んだ。そして、僕もようやく結論を出す事が出来た。

「・・・決めたよ。僕の案は、おそばやさん。」
「ふーん、いいわね、たまにはおそばも。」

ミサトさんが僕の案にそう応えてくれた。しかし、あまり気のない反応であっ
たので、僕はちょっとがっかりして言った。

「・・・・駄目ですか、おそばじゃ・・・・?」
「そ、そんなことないわよ!!それに、決めるのはアタシじゃなくて、レイな
んだし・・・・」
「・・・・やっぱり違うのにしましょうか・・・・?」

僕がいかにも気乗りしないミサトさんの口調に何だか悲しくなってそう言った。
すると、グロッキー状態のはずのアスカが、助手席の僕に向かって怒鳴り付け
た。

「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ!!アンタが自分で決めたんでしょ!?味音
痴のミサトの言葉なんか、気にするんじゃないわよ!!」
「ご、ごめん、アスカ・・・・」
「ア、アタシに余計な気力を使わせないでよね。今はしゃべるのもつらいんだ
から・・・・」
「だ、大丈夫・・・・?」
「アタシの事はいいから。それより、早くレイに決めてもらっちゃいなさいよ。」
「う、うん・・・・」

僕はアスカを心配そうな目で見ながらそう言うと、綾波に尋ねた。

「じゃあ、綾波はどれがいい?アスカの言うイタリアンか、ミサトさんの言う
ラーメン屋か、僕の言うおそばやさんか・・・・?」
「・・・・私、おそばやさんがいい・・・・・」

綾波は、小さな声でそう答えた。しかし、僕にははじめからその答えが予期さ
れていた。綾波はどんなものであるにせよ、僕が選んだものを選ぶのではない
かと・・・・
僕はそう思ったから、綾波に念を押すようにもう一度尋ねた。

「本当におそばやさんでいいの?」
「・・・うん・・・・・」

僕はもしかしたら、自分の意見にそれほど自分自身で魅力を感じていないとい
うだけでなく、綾波に僕以外の案を選んで欲しかったというのがあったのかも
しれない。僕は、それでいいかをミサトさんとアスカに尋ねた。

「ミサトさんもアスカも、本当にそれでいいんですか?」

するとミサトさんは、すぐさま僕に答えてくれた。

「アタシはいいわよ。レイが決めたんだから。」

そしてアスカも続いて僕に答える。

「ア、アタシもいいわよ。早く行きましょ。」

アスカはやっぱり、早く車を降りたいらしい。今のアスカの頭には、その事し
かないみたいだった。
そして僕は、取り敢えずみんながそれに賛成してくれたので、ミサトさんにお
そばやさんに向かうよう頼んだ。

「じゃあ、ミサトさん、そういうことで、おそばやさんに決まりました。」
「了解。アスカもつらいみたいだし、ここからなるべく近いおそばやさんに向
かうわね。」
「お願いします。」

行き先が決まると、ミサトさんはまたスピードを上げた。何だか気がつくと、
車は僕の全く知らないところを走っている。まあ、決めるまでにいくらか時間
がかかったので、その間車で辺りをぐるぐると回っていたのでなければ、それ
なりに遠くに行っていて当然だろう。もしかしたら、ミサトさんにとってはち
ょっとしたドライブ感覚だったのかもしれない。
僕がそんなことを考えながら、窓の外の見慣れぬ景色を眺めていると、後ろに
座っていた綾波が、僕に話し掛けてきた。

「・・・・碇君、なんだかうれしそうじゃない・・・・」
「え?」
「碇君は自分の意見が選ばれて、うれしくはないの?」
「・・・・う、うん。まあ・・・・」
「どうして?私は碇君が喜ぶと思って、碇君の案を選んだのに・・・・」

僕は綾波の言葉を聞いて、ちょっと尋ねてみたいことがあって、こう言った。

「・・・綾波は、おそばは嫌い?」
「・・・・嫌いじゃないわ。」
「じゃあ、おそばとラーメン、そして、おそばとパスタ、それぞれどっちが好
き?」
「・・・・別にどっちが好きな訳でもない・・・・」
「と言う事は、綾波は僕が選んだからという理由だけで、おそばやさんを選ん
だ訳?」
「うん・・・・」
「まあ、どっちが好きって言う訳でもないなら、そういう観点から選んでもお
かしくはないね。」
「・・・・」
「綾波の気持ちもわかるんだけど、今度からはちゃんと自分の嗜好を持った方
がいいかもしれないね。」
「どうして?」
「そうじゃないと、こういう時、なかなか選びにくいだろ?」
「・・・うん。」
「それに、綾波が肉や魚が食べられないのと同じように、ちょっとした好みが
ある方が自然なんだよ。」
「・・・・そういうものなの?」
「うん。そういうものなの。」
「でも、私、そういう風に自分の好みを持てるほど、いろいろ知らないから・・・」
「だから、それはこれから身につけていけばいいさ。僕も協力してあげるから・・・・」
「ありがとう、碇君・・・・」
「今日は取り敢えずおそばやさんに行く事にするけど、ちゃんと味わって、自
分の好みに合うのかどうか、見極めなくっちゃね。」
「うん。」

綾波は大きくうなずいて、僕と綾波の話は途切れた。
すると、ミサトさんが間に入って僕にこう言った。

「さすがね、シンジ君は。」
「え?」
「こうやって、レイにいろいろ教えてあげた訳?」
「え、ま、まあ・・・・」
「シンジ君はやさしくて熱心だから、将来は教師になった方がいいかもね?ア
タシなんかよりはずっといい先生になれると思うわよ。」
「きょ、教師ですか・・・・」
「そうよ。まあ、シンジ君の好き好きだけどね。」

僕は、何だか思わぬ事を言われてしまって、戸惑いを隠せなかった。まさかこ
の僕が、教師だなんて・・・・
ミサトさんは、楽しくて、やさしくて、それでいて厳しくもなれる、本当にい
い先生だというのに、そのミサトさんが、僕の事をミサトさん以上の先生にな
れるだなんて・・・・僕には到底信じられなかった。僕ははっきり言って、自
分の問題すらも処理出来ないというのに、人を教える立場になれるのだろうか?
しかし、僕はそう思いつつも、教師になった僕を想像してみた。すると、案外
満更でもないような気がした。そもそも、気の弱い僕には競争社会には不向き
なのだろう。だから一層教師が向いているような気がするのかもしれない。
僕は今の考えを妄想だと決め付ける事にして、頭の中から追い払った。そして、
これからおそばやさんで何を食べようかと、呑気な事を考えようとしたのだっ
た。それすらも、ごく小さな逃げの一つであると言うのに・・・・・


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