私立第三新東京中学校
第百五十一話・逃げた時の罰
「シンジ君・・・あなた、それでいいと思ってるの・・・・?」
ミサトさんは、僕のことを心配そうな目で見つめる。
「はい、いいと思ってます。」
僕がはっきりそう答えると、ミサトさんは今度はアスカに尋ねた。
「じゃあ、アスカの方はどうなの?シンジ君にそんなキスされて、構わないの?」
しかし、アスカは僕とは対照的に、はっきりと答えられずにくちごもった。
「・・・アタシは・・・・・」
「何?」
「ア、アタシは・・・・嫌。」
アスカは、かなり躊躇しながらも、ミサトさんにそう答えた。するとミサトさ
んは、ほら見た事かと僕に言った。
「ご覧なさい。アスカだって嫌なのよ。今のシンジ君のキスは、アスカにとっ
て虚しいものでしかないわ。」
「・・・・」
「人は誰かを傷付けずにはいられないのよ。全て丸く治めようなんて、土台無
理な話なの。解るでしょ?」
「・・・・はい。でも・・・・」
「で、シンジ君は、アスカを傷つけるくらいなら、自分が傷ついた方がマシだ
と思った訳ね?違う?」
「・・・・いえ、ミサトさんの言う通りです。」
「確かにシンジ君はそれでいいかもしれないわね。でも、シンジ君がつらい思
いをするのを見て、悲しくなる人だっているのよ。」
「・・・・・」
「・・・自分の心を偽るって、自分にも相手にも、つらい事なのよね。偽る事
によって、愛を信じられなくなるから・・・・」
「・・・・つまり、アスカを傷つけてでも、自分の気持ちを偽るなって言う事
ですか?」
僕がそう尋ねると、ミサトさんははっきりと答えた。
「そういうことね。それに、あなたが思ってるほど、アスカは弱い女の子じゃ
ないと思うわよ。」
「・・・・」
「あなたはきっと、アスカの精神が崩壊して入院していたっていう事があるか
ら、アスカは壊れやすいんだと思ってるかもしれないけど・・・・」
「違うんですか?」
「いいえ、違わないわ。でも、人はそのくらいでは壊れないって事。特に、そ
の人に守るものが出来た場合は・・・・」
「・・・・」
ミサトさんの言いたい事が、僕にもやっと飲み込めてきた。
つまり、今のアスカは、以前の壊れやすいアスカではないという事だ。昔のア
スカには、自分の存在理由として、エヴァに乗り、自分の才能を人に見せ付け
る事しかなかった。しかし、そんなことは何も生み出さない行為だ。多大な努
力の果てに得られるものは、ほんのわずかな自己満足でしかない。アスカには
自分しかいなかったし、自分以外の全ての人間は、赤の他人でしかなかった。
しかし、今のアスカは、それが意味の無い事だと知っている。僕が教えてあげ
たのだ。そして、今のアスカには、守るもの・・・といったらおかしいかもし
れないが、大切に思う人達がいる。それが僕であり、綾波であり、ミサトさん
達だ。きっとアスカは、それらのために強くなる事が出来るだろう。僕にも思
い当たる事があるだけに、その事はよくわかっていた。
「アスカ、あなたはシンジ君があなたのキスを拒んだとしたら、悲しい?」
「・・・・悲しいに決まってるじゃない。」
「でも、壊れたりはしないわよね?そんなことくらいじゃ・・・」
「・・・・当たり前よ。」
「どうして当たり前なのか、シンジ君に教えてあげたら?」
「・・・・その方が、いいみたいね。」
ミサトさんの言葉で、アスカは考え込んでいる僕に向かって、話しはじめた。
「いい、バカシンジ?よーく聞いときなさいよ。」
「う、うん・・・」
「はっきり言って、アタシはアンタにキスされたいわ。いつだってそう思って
る。」
「う、うん。」
「でもね、今みたいなキスは、アタシから御免するわ。」
「どうして?」
「アタシはね、哀れみなんかでキスされたかないのよ。キスする理由が、アタ
シが傷つくから、なんてアンタちょっと思い上がってるんじゃないの?」
「・・・ご、ごめん・・・・」
「全然わかってなんかいないくせに、そうやってすぐ謝るんじゃないわよ!!」
「・・・ごめ・・・い、いや、うん、わかった。」
「アタシはね、アンタが考えてるほど、弱い女じゃないのよ。アタシから比べ
たら、アンタの方がずっと弱いじゃないの。」
「・・・・そ、そうかな?」
「そうよ!!いっつもうじうじして・・・・人を傷付けるのを避けるって言う
のはいいことかも知んないけど、アンタのは度が過ぎてんのよ。はっきり言っ
て、へどが出るわ!!」
「・・・・」
アスカにここまで言われたのは、ここ最近でははじめてかもしれない。アスカ
は強がって無理に言っているのかもしれなかったが、僕の行為に対して本気に
怒っているようにも見えて、何とも判断がつけにくかった。
が、とにかくアスカの言葉はますます熱を増し、声も大きなものになっていっ
た。
「結局アンタのやってる事は、全てその場しのぎなのよ!!今さえよければ取
り敢えずそれでいいってね!!」
「・・・・」
「でも、そういうのって、どんどん悪くなって行く一方なんじゃないの!?少
なくとも、アンタにはもうちょっと先の事を見据えて行動するっていう事を学
んで欲しいわね!!」
「・・・・」
僕は黙っていた。アスカの指摘は、確かに僕も感じていた事だった。だが、僕
はもう、そうせずにはいられなくなってしまっていたのだ。
こうして僕が黙っていると、アスカは大声で僕に言った。
「アンタ、何とか言ったらどうなの?アタシはアンタの生き方そのものを否定
してんのよ!!」
「・・・・」
「それとも何?自分の非を認めて、改心するの?」
「・・・・確かに、アスカの言う通りだよ。僕のやってきた事は、全てその場
しのぎだったってことが・・・・」
アスカは僕のこの言葉を聞くと、少し声を落としてこう言った。
「じゃあ、アンタも自分のしたことが、いけない事だって言うのは解ってくれ
たのね・・・?」
「うん・・・・っていうより、ずっと前からこれじゃ駄目だって解ってたんだ。」
「・・・・ならどうして、それを直そうとしないのよ?」
アスカのその問い掛けに、僕はさも自分が嫌でたまらないという感じで語りは
じめた。
「・・・だから駄目なんだよ、僕は。ちょっとつらい事があると、それから逃
げてしまう。逃げちゃ駄目だって解ってるのに、怖いから逃げちゃうんだよ。
アスカの言ったように、逃げてたらそのときはなんとかうまくしのげるかもし
れないけど、先の状況はもっと悪くなるばっかりなんだ。ちゃんと解ってるの
に・・・・だからアスカの言うように、僕は弱虫だよ。僕の強さなんて、所詮
自分の範囲内でのことでしかないんだ・・・・・」
僕の言葉を聞いたアスカは、少し僕の事を理解してくれたのか、小さくひとこ
とこうつぶやいた。
「・・・・アンタはいつも、逃げちゃ駄目だって言ってたもんね・・・・」
「うん・・・・」
「その言葉にも、深い意味があったのね・・・・」
「・・・そんな大層なものじゃないよ。」
「でも、わかってるんなら、何とでもしようがあるんじゃないの?頑張れば・・・・」
「・・・・それがうまく行かないから、弱いって言うんだ。強ければ、そんな
事は簡単な事かもしれないけど・・・・」
「それはそうかもしれないけど、弱いなりにも努力すれば、そのうちきっと何
とかなるんじゃない?」
「・・・だね。僕は今、その努力中って事さ。」
僕は半ば開き直ったかのように、アスカにそう答えた。
するとアスカは、少し間を置いてから、僕に向かって言った。
「・・・・アタシ達は今、協力関係にあるのよね。」
「え?」
「アタシもシンジのそれに、一役買ってあげるわよ。」
「・・・・どうやって?」
「アタシはシンジが逃げそうになったら、遠慮せずビシバシ指摘してあげる。」
「あ、ありがとう・・・・でも・・・・」
「でも、なによ?」
「い、いや、何でもない。」
「アンタ、遠慮でもしてる訳?」
「う、うん・・・・」
「アタシ達の間に、遠慮なんて無用でしょ?少なくとも、そういう関係くらい
は認めてよね。恋人って言うのは嫌だとしても・・・・」
「う、うん。」
「レイもアタシと同じよ。レイ、アンタもシンジが逃げそうになったら、しっ
かり説教してやんのよ!!いいわね!?」
アスカは隣の綾波にも自分と同じようにするよう言う。すると綾波は、何だか
完全に把握していないような顔をしていたが、取り敢えずアスカに返事をした。
「う、うん。」
「よし。ミサト、アンタは・・・・アンタは特には言わなくていいわ。どうせ
もう、アタシ達と一緒にいる時間も少なくなるんだろうから・・・・」
「そうね、アスカ。でもまあ、アタシもシンちゃんの事、大事な家族だって思
う気持ちは変わらないから、ちゃんと言うべき時は遠慮せずに言ってあげるわ
よ。」
アスカとミサトさんの言葉は、改めて僕達が離れ離れになってしまうのだとい
う事と、そうなっても僕達とミサトさんとの絆は、ずっと変わらないという事
を僕に教えてくれた。
「・・・ありがとうございます、ミサトさん。僕、うれしいです・・・・」
「アタシもあなたみたいないい子がいてくれて、よかったと思ってるわよ。」
ミサトさんはそう言うと、僕に向かってやさしく微笑んでくれた。
しかし、そんな僕とミサトさんの間に、アスカが水を差した。
「はいはい、お涙頂戴は、後にしてくれる?まだ残された時間はたっぷりある
んだし、もう会えなくなる訳でもないんだから。」
「そ、そうだね、ごめん。」
「それより、みんなでシンジを見守って、悪いところはちゃんと指摘してやる
って言うのはいいわね?」
アスカが最後の締めに入って、みんなにそう確認した。
アスカは、うなずく綾波とミサトさんを確認すると、僕に向かってこう言って
きた。
「じゃあ、そういうことで、これでいいわね?」
「う、うん。ありがとう、みんな・・・・」
「でも、ただでやってあげるのも、なんだかおかしいわよね。」
「え?」
「何か、いい報酬がないと・・・・・」
「ほ、報酬って言われたって・・・・・」
「キスよ、キス!!わかるでしょ?受け取るのは、もちろんリーダーのアタシ
だけど・・・・」
何だか無茶苦茶な話だ。しかし、そこがアスカらしいと言えば、アスカらしか
った。
「ほら、さっさとキスなさいよ。取り敢えず、今日の分を前払いで・・・・」
「う、うん・・・・」
僕は仕方ないと言った感じで、アスカに顔を寄せていった。
が、しかし・・・・・
「このバカ!!」
「イテッ!!」
アスカにキスしようとしたら、いきなり額にチョップをされた。
僕は慌てて文句を言おうとしたら、アスカは僕にこう言った。
「アンタ、全然わかってないじゃないの!!こういうキスは、拒むべきなのよ!!
妥協で仕方なくするキスなんて、してもしょうがないんだから!!」
「ぼ、僕を引っかけたな・・・・」
「ちょっとアンタの馬鹿さ加減をテストしてみただけよ。でも、まさかこれほ
ど単純に引っかかるとは、思いもよらなかったわね・・・・」
「く・・・・いつも、そういうのを拒んだら、思いっきり怒るくせに・・・・」
僕がむっとしてアスカにそう言うと、アスカはそんな僕を更にたしなめて言っ
た。
「だから、そう考える事が悪いって言うのよ!!アタシの怒りを恐れて仕方な
くキスするなんて、言語道断よ!!」
「・・・アスカの怒りを恐れないなんて、そんな事出来ないよ・・・・」
「何ですって!?」
「怒るとすぐ殴るくせに・・・・・」
「男だったら、それくらい我慢しなさい!!」
「無茶な事言うなよ。痛いんだぞ、アスカのビンタは・・・・」
「そ、それくらい、仕方ないと思って諦めなさいよ。」
「・・・・キスとビンタ、どっちを取るって言ったら、僕はやっぱりキスを選
ぶよ・・・・」
僕がそう言うと、アスカはちょっと恥ずかしそうにして僕に言った。
「じゃ、じゃあ・・・・アタシがアンタを殴りたくなったら、今度からビンタ
じゃなくってキスにするわよ・・・・・」
「え!?」
「シンジは・・・・ビンタよりも、キスの方がいいんでしょ?」
「そ、そりゃまあ、そうだけど・・・・」
「なら、何も問題はないじゃない。アンタもビンタほどじゃないけど、キスは
嫌いなんだし・・・・」
「・・・・・」
「ビンタの代わりにキス・・・・これで決まりね?」
「う、うん・・・・」
「ちょっと・・・・甘すぎるかな?」
「そ、そうかもしれないね。」
「でも・・・・まあ、いいわよね。もうシンジからキスしてくれる事も少なく
なるんだろうし・・・・」
アスカがそう言うと、ミサトさんが僕を冷やかすようにこう言った。
「シンちゃんもうらやましいわねぇ・・・・これなら悪いことし放題じゃない。
待ち受ける罰は、あまーいアスカのキスなんだし・・・・」
「や、やめてくださいよ、ミサトさん・・・・」
「はははっ!!冗談よ、冗談。でもまあ、アスカも好きな人を引っぱたくより、
そっちの方がずっといいもんね。」
ミサトさんが笑いながらそう言うと、最後に綾波がぽつりと言った。
「・・・・碇君が悪い事をしたら、キスをすればいいのね・・・・・」
みんなが仰天する中、綾波は何だか嬉しそうに瞳を光り輝かせてた・・・・
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