私立第三新東京中学校

第百四十八話・女の強さ、男の弱さ


「はい、今のところはこれで終わり!!」

アスカはいきなりそう言うと、僕の両肩に手を掛け、自分の身体から僕を離し
た。

「え・・・・?」

僕はアスカの行動をちょっと意外に感じたので、思わず声をあげてアスカの顔
を見上げた。するとアスカは、そんな僕の顔を見てこう言う。

「べ、別にアタシは、シンジを抱き締めてるのが嫌になったから、こうしたん
じゃないんだからね。」
「わ、わかってるよ・・・・」

アスカはちょっと僕から視線をそらして弁解する。もちろん僕も、そんなこと
くらいわかり切っていた事なので、アスカを責めるはずもなかった。

「今は、アンタとアタシが抱き合っている場合じゃないの。わかるでしょ?」
「う、うん・・・・」
「そろそろレイもアンタを探しに来るだろうし、こんなとこをあの娘に見られ
たら、いくら二人掛かりでも慰められないでしょ?」
「そ、そうだね。」
「アタシ達が抱き締め合う時間なんて、これからいくらでもあるわ。それより
今は、アンタがレイに謝って、そして慰めてやるのが先決なんじゃない?」
「うん。」
「じゃあ、レイを探しに行きなさいよ。アタシも今度だけは、レイにキスして
も大目に見てあげるから・・・・」
「ば、馬鹿なこと言うなよ。キスなんてする訳ないだろ?」

アスカの言葉に、僕は慌てて反応した。しかし、そんな僕に対して、アスカは
大きな声で僕をたしなめた。

「バカ!!アタシがそんな事言う時は、キスでもしてやれって事なのよ。そう
でもしないと、アンタの気持ちなんて、なかなか伝わらないものでしょ!?」
「それはそうだけど、でも・・・・」
「何アタシに遠慮なんかしてんのよ?アタシは今日家に帰ってからするから、
それでなしにしてあげるわよ。」
「・・・・」

アスカの言葉にはちょっと呆れてしまった。しかし、それがアスカなりの僕に
対する気遣いだという事くらい、僕にはわかっていたので、アスカの事を馬鹿
にしたりはしなかった。

「じゃあ、頑張んのよ。」

アスカはそう言うと、僕の両肩にかけたままの手を、再び自分の元に引き寄せ
て、一度だけ僕をぎゅっと抱き締めてくれた。そして、すぐに僕を離すと、元
気付けるようにこう言ってくれた。

「ほら、これで元気が出たでしょ!?」
「う、うん。ありがとう、アスカ。」
「じゃあ、行ってきなさい!!」

僕はアスカにそう言われると、黙ってアスカと別れて綾波を探しに行った。

僕は取り敢えず、速歩きで職員室の方に向かった。綾波が来るとすれば、当然
職員室の方角からだからだ。
そして僕の背後には、アスカのついてくる気配を感じた。別に深い意味はない
のだろうが、僕と綾波が会えたとしても、その後にまたアスカを探さねばなら
なくなる羽目に陥るのを避ける目的があるのかもしれない。とにかく、アスカ
は僕に追いつきもせず、かといって見失う事もない、微妙な間隔を保って、僕
の後を付いて来ていたのだ。

そして、僕はしばらく歩くと、僕を探していた綾波と廊下の角で偶然出会う事
が出来た。

「あ、綾波!!」
「碇君・・・・」

僕も綾波も、お互いの出現にびっくりして、思わず声をあげた。
そして、その衝撃で僕は一瞬綾波に話し掛ける事が出来なくなった。
綾波も、僕と同じく何かを話すつもりだったのかもしれなかったが、僕と同じ
く、頭の中が真っ白になってしまったようだった。

しかし、二人の間には会話が通わなくても、時が流れ、それが僕と綾波を解き
ほぐしてくれた。

「あ、綾波・・・・」
「・・・碇・・君?」
「・・・・・」
「碇君?」
「な、何、綾波?」
「あの・・・・」
「い、いや、僕から話さなくちゃいけなかったね。さっきはごめん、綾波。リ
ツコさんの言葉で、どうにかなっちゃってたんだよ。」

なかなか話を切り出せない綾波に代わって、僕が思いきって自分からそう言う
と、綾波は僕の言葉にびっくりした様子を見せた。

「え・・・!?」
「ど、どうしたの、綾波?」

僕も綾波の驚いた様子にびっくりして尋ねる。すると、綾波は小さな声で僕に
こう言った。

「・・・碇君が私に謝るなんて、反対のことだと思ってたから・・・・」
「そ、そんな事ないよ。第一綾波がせっかく僕を慰めてくれようと思ったのに、
それを振り払ったのは僕であって、悪いのは僕の方なんだから・・・」
「でも・・・・・」
「とにかくごめん、綾波。僕は一瞬だけ、もしかしたら綾波が全部知ってて僕
を騙してたんじゃないかって思っちゃって・・・・」
「そんなことない。私は自分の事すら何も知らなかったから・・・・」
「わかってるって。後から考えてみたら、綾波がそんな重大な事を僕に隠して
おけるわけないもんね。」
「・・・・うん。私は碇君に、隠し事なんて出来ない・・・・」
「だから、僕はさっき綾波の手を振り払って、飛び出してきちゃった訳なんだ。
ほんと、綾波だっていろいろつらい事もあるのに、自分勝手な行動をとっちゃ
って、本当にごめん・・・・」

僕はそう言うと、綾波に深々と頭を下げた。そしてそんな僕を見た綾波は、慌
てて僕に手を掛ける。

「やめて、碇君!!碇君が頭を下げる事なんてないわ!!」
「でも、僕が綾波を傷つけてしまったのは事実だから・・・・」
「そんなことない!!私は大丈夫だから!!だからお願い、碇君も私にそんな
事をするのはやめて!!」

綾波の声は真剣で、いつもより大きかった。それは、綾波の意志の強さを如実
に表していた。
綾波は、半ば無理矢理僕の身体を起こさせると、僕に向かって訴えかけるよう
にこう言う。

「いくら私が知らなかったとしても、その事実は碇君を苦しめるのに十分だか
ら!!だから、碇君がああしたのも当然だし、碇君は全然悪くないわ!!」

そう言いながら、綾波は僕の顔を覗き込んだ。そして、僕と綾波の視線がひと
つにつながった。

「・・・綾波・・・・」
「ごめんなさい、碇君。私のせいで・・・・」
「そんな事ないよ、綾波。綾波は、何も悪くないんだから。」
「でも、私の存在そのものが、碇君を傷つける・・・・」
「だから、そんな事ないんだってば。僕は綾波がいてくれて、ずっとよかった
と思ってるよ。」

僕の言葉を聞いた綾波は、少し悲しそうな声で僕に尋ねた。

「・・・・どうして碇君は、私にそんな事が言えるの・・・・?私は碇君の・・・
お母さんのクローンだって言うのに・・・・」

すると、僕はそんな綾波に向かって、やさしく言ってあげた。

「・・・綾波は綾波だろ?それ以上でもそれ以下でもない。わかる?」
「碇君・・・・じゃあ碇君は、私をただの綾波レイとして、認めてくれるの・・・?」
「当たり前だろ?でも、綾波はただの綾波レイじゃないな。」
「・・・・どういうこと?」
「僕の大事な、綾波レイだって事さ・・・・・」

我ながら臭いセリフだと思いながらも、僕は綾波に向かって心のままを述べた。
すると綾波は、僕の胸に向かって、ぽふっと倒れ込んできた。

「碇君・・・・」

僕はそんな綾波を、自分の胸にやさしく受け止めてあげた。そして、綾波をや
さしく抱え込んだまま、静かに言って聞かせる。

「・・・それに、リツコさんはああ言ってたけど、真実はそうじゃないと思う
よ・・・・」
「え・・・?」
「綾波は、完全に僕の母さんのクローンじゃないって言う事。」
「・・・どうしてそう言えるの・・・・?」
「だって、綾波みたいに髪の毛が水色で、瞳の紅い人なんて、他にいる訳ない
だろ?僕の母さんももちろんそんなんじゃなかったし・・・・」
「・・・・」
「だから、綾波は、僕の母さんじゃなく、僕の大事な綾波レイなんだよ。わか
った?」
「・・・・うん・・・・」

綾波はそう言うと、小さくなって僕にぴったりと体を寄せた。そして僕は、そ
んな綾波をそっと抱き締めてあげた。

綾波と僕は、少しの間、黙って抱き締め合っていた。しかし、僕の胸に顔をう
ずめた綾波が、そのままの体勢で僕に話してきた。

「・・・碇君・・・・」

それは微かな声だったけれど、僕はそれに静かに応えた。

「・・・何、綾波・・・?」
「私、葛城先生に、碇君を元気付けてやるようにって言われたの。私はそのつ
もりだったんだけど、反対に碇君に元気付けられちゃった・・・・」
「・・・そうだね。」
「だから私、自分自身が情けなくて・・・・私は碇君のために、何もしてあげ
られないんじゃないかと思って・・・・」
「そんなことないよ、綾波。綾波はただ、僕の側にいてくれれば、それでいい
んだから・・・・」
「でも・・・・」
「それに、僕だって、実はさっきの話、自分で考え出したんじゃないんだ。」
「え・・・?それ、どういうこと?」

僕の言葉を聞いた綾波は、いきなり僕の胸から顔を上げて、意外そうな声を発
した。そして僕は、事実について綾波に話す事にした。

「さっき、綾波に会う前、アスカに言われたんだよ。」
「・・・・」
「だから、僕だって一人じゃきっと、何も出来なかったと思う。アスカがいな
ければ、きっとこうしている事も、出来なかっただろうね・・・・」

綾波は、僕の言葉に悲しそうな声で応えた。

「・・・・やっぱり碇君は・・・・あの人じゃないと駄目なの・・・・?」
「そんな事じゃないよ。ただ、人には向き不向きがあるって言う事さ。どっち
かって言うと、アスカは人を元気付けてくれるのが得意だから。」
「・・・じゃあ、私は・・・・私には、何があるって言うの?」
「綾波は、アスカよりもずっと家庭的だし・・・・人に安らぎを与える事が出
来ると思うな。」

僕がそう言うと、綾波は意外そうに僕に聞き返した。

「・・・安らぎ・・・?この私が?」
「そうだよ。アスカと一緒にいると、楽しいのは事実だけど、やっぱり元気す
ぎて疲れちゃうよね。でも、綾波と一緒にいると・・・・」
「ほっとする?」
「うん、ほっとする。だから綾波は、変にアスカに対抗意識を燃やして同じ様
にしようとするよりも、自分の長所を伸ばした方がいいと思うよ。」
「・・・・碇君がそう言うなら・・・・」
「うん。アスカのあれは、天性のものだから、綾波には真似は出来ないよ。そ
れよりも綾波には、アスカに出来ない事だっていろいろあるじゃないか。」
「・・・・そうかもしれない。」
「だから、綾波は綾波として、これからもいて欲しい。この世界中に、綾波レ
イはもう一人しかいないんだから・・・・」

僕の言葉は、綾波の誕生がクローンのよるものであったとしても、もう他の綾
波は存在しないから、心配しないで欲しいという事を示していた。そして綾波
も、そんな僕の心が通じたかのように、黙って再び僕の胸に顔を埋めた。僕は
そんな綾波がいとおしくなって、ぎゅっと抱き締めてあげた。

人の手によって創り出された綾波。
その事実は、他の誰よりも綾波の心に深い影を落としていた。
最近の僕は、自分の事ばかり考えていて、人の痛みにも気付かない人間になっ
てしまっていたのかもしれない。
僕の問題はどうにでも解決する事が出来るというのに、綾波の問題は一生解決
する事が出来ないのだから、僕のものよりずっと根が深いはずであったのに・・・・
僕は、綾波にその事実を見せ付けるのが怖くて、綾波にごまかしをしていたの
かもしれない。でも、僕は本当は綾波に自分自身を綾波レイという一人の人間
であると認めさせ、そして僕も綾波を綾波として受け止めなければならなかっ
たのだ。

綾波は頑張っていた。自分自身の出生が悲しいものであるのに、それを人に見
せ付けなかった。僕は自分の辛さを人に隠そうとはせず、アスカや綾波にすが
って生きてきたというのに・・・・
そう考えると、やっぱり綾波も強かった。僕なんかと比べ物にはならないくら
いに・・・・

女性は男よりも強いとよく言う。
今の僕は、それもあながち言葉だけという訳でもないと感じていた。
僕も綾波やアスカみたいに、強くなれるんだろうか?
なれるかどうかなんて、僕にはわからない。
でも、僕は強くあろうと努力することを、いつまでも続けようと、心の中で固
く誓ったのであった・・・・・


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