私立第三新東京中学校

第百四十七話・真実は再び闇の中へ


「シンジ!!」

僕はその声で歩みを止めると、ゆっくりと振り返った。するとそこには、息を
切らせながら走ってくるアスカの姿があった。

「・・・アスカ・・・・」
「ちょ、ちょっとそこを動くんじゃないわよ!!いいわね!!」
「・・・・・」

僕は何も言わずに、アスカに言われた通りに立ち止まった。しかし、僕が立ち
止まったのは、アスカに命令されたからではなかった。僕が立ち止まったのは、
僕が今、別に歩く必要を感じていなかったからだ。つまり、僕が歩いていたの
も、呆然とした状態から来るものであり、何かから逃げるとか、そういうもの
ではなかったのだ。

「や、やっと見つけたわよ・・・・」

アスカは息を切らしている。僕はそんなアスカに、小さな声で言葉をかける。

「・・・・どうして・・・・僕を追いかけてきたの?」
「ど、どうしてって・・・・アンタが急に飛び出していったりするからじゃな
い!!」
「・・・・それもそうだね・・・・・」
「アンタ、いくらびっくりさせられる事を聞いたからって、もうちょっと理性
的になりなさいよね。」
「・・・ごめん・・・・」
「・・・・・」

僕はいつものようにアスカに謝った。しかし、アスカは僕に対して、続けて言
葉をかけては来なかった。アスカも勢いで僕を追いかけてきたのであって、そ
れを捕まえた今、何を言ったらいいのかわからなかったのかもしれない。それ
に、リツコさんが口にした綾波の事実は、アスカには初めて聞かされた事であ
り、すぐにはそれを完全に把握する事は出来なかったとしても、当然であった。

ほんの数瞬の間、僕とアスカの間に、気まずい沈黙が流れた。今の僕には気を
利かせてそれを解消するような気力は持ち合わせていなかったのだが、何とな
く、アスカに話をする気分になった。

「・・・・綾波がクローンだっていう話・・・・実はずっと前から知ってたん
だ・・・・」
「嘘!?」
「嘘じゃないよ。僕はネルフの地下の奥深くで、リツコさんに綾波がいっぱい
いるところを見せられたんだ・・・」
「・・・・そうだったんだ・・・・」
「でも、その時リツコさんは今の綾波以外の全ての綾波を破壊したんだ。僕は
それを、この目でしっかり見ていたんだよ。」
「・・・・・」
「でも、その時はそれが母さんにつながっている事だとは、僕は信じきれなか
った。」
「・・・・・」
「だけど・・・だけど・・・・・」
「今日、それをはっきりと告げられたって訳ね?」
「うん。」
「だから、それがショックで、レイを振り払って飛び出していったって訳?」
「・・・・・違うんだよ。」
「何が違うの?」
「僕は一瞬、綾波が全て知ってて、僕を騙していたんじゃないかって思っちゃ
ったんだ。」
「・・・・・そんなこと、ある訳ないじゃない。」
「そうだよね。綾波はそんな、人を騙せるような子じゃないから・・・・」
「ちゃんとわかってるんじゃない。」
「・・・・うん。でも、それは後になって気がついたんだ。」
「なら、今すぐレイのところに戻って、謝るのね。」
「・・・・・」
「出来ないの?」
「・・・・出来る訳ないよ。綾波を傷つけた上に、僕の母さんのクローンだっ
て知ってしまったんだから・・・・」
「・・・・・」
「・・・・一体どんな風に綾波に顔を合わせたらいいのか・・・・僕にはわか
らない・・・・」

僕はそう言うと、うなだれてしまった。しかし、そんな僕に対して、アスカが
いきなり大きな声でこう言った。

「アンタバカ!?」
「な、なんだよ、いきなり?」
「アンタが馬鹿だから馬鹿って言ってんのよ!!」
「ど、どうして僕が馬鹿なんだよ。」
「まず、アンタがアタシにレイがクローンだって事を、話してくれなかった事
よ。」
「そ、そんな事言える訳ないだろ?綾波が可哀相じゃないか・・・・」
「だから、アンタは馬鹿だって言ってんのよ!!レイはもう、今更どうにも出
来ないのよ。それを隠し通すなんて所詮無理なんだから、それはそれとして受
け止めた上で、ちゃんとレイをレイとして認めてやるべきなのに・・・・」
「ぼ、僕はそのつもりだったよ・・・・」
「じゃあ、どうしてアタシに黙ってたって訳!?一人で荷物を背負い込むより
も、アタシと二人で分かち合った方が、ずっと楽なのに・・・・」
「そんなこと・・・・出来る訳ないだろ?綾波だって、アスカが知らない方が
うれしいだろうし・・・・」
「アンタがそんなこと考えてるようだから、馬鹿だって言うのよ。アタシをの
け者にして・・・アタシは・・・アタシはアンタに全てを見せたって言うのに、
アンタはアタシに隠し事ばっかりして・・・・つらい事も悲しい事も、一緒に
分かち合おうって約束したじゃないの。それなのに・・・・」
「ご、ごめん、アスカ・・・・」
「謝るんだったら、今後一切、問題を自分一人で抱え込もうとするのは無しよ。
馬鹿のアンタは、一人じゃ何にも出来ないんだから・・・・」
「う、うん・・・・・」

僕がアスカの言葉に納得して、反省の態度を示すと、アスカは気分を一新させ
て、改めて僕にこう言った。

「次、アンタは馬鹿だから勝手に自爆してるみたいだけど、リツコの話、今こ
こでよく考えてみると、おかしいところがあると思わない?」
「え!?おかしいところって!?」

僕はアスカの言葉にびっくりして、大きな声で尋ねた。リツコさんの言葉は、
僕が以前持った疑問を肯定するものであったし、それが事実であると仮定する
と、辻褄の合うものがたくさんあった。だから、僕はそれが真実であると、勝
手に思い込んでいたのだが、アスカの言葉は、僕に硬直した思考の解放と発想
の転換を求めたのだった。

「アンタは自分自身で、レイがアンタのお母さんのクローンだって事を信じ切
っていなかったって言ったわよね?」
「う、うん。でも、それが何か?」
「つまり、アンタがそう思うって事は、アンタの感情を抜きにしても、それな
りに疑わしい点があったって言う事なんじゃない?」
「・・・・そ、それはそうかもしれない・・・・」

アスカの言葉に、僕は納得を示した。確かに綾波が完全に母さんのクローンだ
ったら、僕もそれをもっと強く感じるはずであった。

「で、そう考えていくと、おかしい点があるんじゃない?」
「ど、どこに?」
「レイの見た目よ。」
「見た目?」
「そうよ。アンタまさか、自分の母親がレイみたいな水色の髪で赤い瞳を持っ
ていた何とは言わさないわよね?」
「そ、そう言えば・・・・」
「アンタのお母さんは純然たる日本人だろうし、そう考えると、外見上はレイ
とは似ても似つかないわよね。ちょっとした雰囲気くらいは別としても・・・・」
「う、うん。」
「つまり、リツコの言ってた事は、一部は正しい事もあるかも知んないけど、
全部が全部、本当の事だと決め込むのは、早計なんじゃないの?」
「そ、それもそうだね。」
「大体アタシはクローンって言う技術が具体的にどんなものなのか、いまいち
把握してないけど、その人を完全に複製するって事なんじゃないの?」
「・・・そう・・・だと思うけど・・・」
「じゃあ、何でアンタのお母さんをクローンして、それとは似ても似つかない、
しかも中学生が出来るのよ?おかしいと思わない?」
「・・・・おかしい。」
「でしょ!?つまり、まだまだ何らかの謎が隠されているのよね。」
「う、うん・・・・」
「でも、謎があるにしても、これだけははっきりしてるわね。」
「・・・・なに、これだけって?」
「レイとあなたのお母さんとは、全くの別物だって事よ。少なくとも、レイは
レイ以外の何者でもないわ。アンタがそれをきちんと理解して、レイを受け入
れてあげない限り、あの娘はとってもつらいわよ。自分がクローン人間である
って言う事実よりも・・・・」
「・・・・・わかったよ、アスカ。僕だって、綾波がクローンだったとしても、
綾波を綾波として見ているつもりだったんだ。でも、綾波が母さんから作られ
たっていう話を聞いて、動揺しちゃっただけだから・・・・」
「まあ、アンタのそういう気持ちもわかるわよ。アタシもアンタにこうして説
教しているんじゃなければ、レイがクローンだっていう事実だって自分一人じ
ゃ満足に理解出来なかったのかもしれない。でも、アンタがこういう状態だっ
てわかってるから・・・・アンタを助けてあげなくちゃって言う気持ちがある
から・・・アタシは強くなれるのよ。そこのところを、ちゃんと理解して欲し
いな、アタシは・・・・・」

僕はアスカの言葉を聞くと、アスカの強さの原因が何なのか理解出来たような
気がして、アスカに尋ねてみた。

「・・・・それが・・・・それが、恋する者の、強さなのかな・・・?」
「・・・そうかもしれないわね。アタシはシンジのためなら、いくらでも強く
なれる気がするから・・・・」
「・・・ありがとう、アスカ。こんな僕なんかの為に・・・・」

僕がそう言うと、アスカはちょっとむっとした顔をして僕に注意した。

「こんな僕なんかの為に、なんて言うんじゃないわよ。それじゃあアタシが好
きになった相手が、大した事無い奴だって事になるじゃない。」
「で、でも、実際僕は大した事ないんだから・・・・」
「バカ。もっと自分に自信を持ちなさいよ。誰もアンタを馬鹿にする奴なんて
いないんだから。アンタは立派で強くて・・・・かっこいいんだから・・・・」

アスカはちょっと照れた顔をして、僕にそう言った。僕は実のところ、アスカ
の言葉を聞いても自分がアスカが言うほどの大層な心の持ち主ではないと思っ
ていた。しかし、アスカの気持ちを拒むような事もしたくなかったので、何も
言わずに黙っていた。
すると、アスカがちょっと顔を下に向けたまま、僕にこう言った。

「バカ。もうちょっとこっちに来なさいよ。」
「う、うん・・・」

僕がアスカに言われるままに、アスカの方に少し近寄ると、アスカはいきなり
僕の手をつかんで、自分の元に引っ張り寄せた。僕は突然の事だったので、バ
ランスを崩してアスカにもたれかかってしまった。

「あ、ごめん・・・・」

僕はそう言うと、慌てて身体を起こそうとした。しかし、それはアスカに阻止
される事となった。

「謝るんじゃないわよ。アタシはそうするつもりで、アンタを引っ張ったんだ
から・・・・」

アスカはそう言うと、僕の頭を自分の胸に抱き寄せた。そして、僕がアスカに
視界を塞がれている状態で、アスカは僕に小さくこう言った。

「・・・アンタはこんな事されるの、嫌かもしれないけど、今だけは少しだけ
大人しくしててよね。アタシはシンジがどこかに行っちゃうと思って、怖かっ
たんだから・・・・」

アスカのこの言葉で、僕には強く見えていたアスカも、どこかで不安を抱えて
いるのだと、実感する事が出来た。そして、そんなアスカのために、僕はアス
カの気の済むまで、アスカに抱かれていようと思った。
僕がそう思うと、なぜだか不思議と、アスカの懐は嫌には感じなかった。そし
てそう感じている自分に、僕は少しほっとしたのだった・・・・


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