私立第三新東京中学校

第百四十五話・血


「・・・・あなたの言う通りかもしれないわね・・・・・」

リツコさんは綾波の言葉を聞くと、小さくそうつぶやいた。

「・・・・・」

綾波はそんなリツコさんを黙ってみていたが、その反応を推し量ろうとするよ
うなところはなく、自分の心のままを語ったようだった。

「・・・・でも・・・・私はもう、手後れかもしれない・・・・・」
「どうして?」

リツコさんの言葉に、綾波がひとこと尋ねる。するとリツコさんは、綾波とは
目を合わせずにこう答えた。

「・・・・私は・・・私はあなたとは違うからよ、レイ。私はもう、汚れてし
まったから・・・・」
「・・・・・」
「・・・私はもう、見返りなしに人を愛せるほど、心が綺麗でもなければ、若
くもない。だから、保障を求めてしまうのよ・・・・」
「・・・・それがどうかしたの?」
「・・・あなたにはわからないわね。こんなに若くてかわいいんですもの。」
「わからないわ。私は外見なんて、気にしてないもの。」
「私も昔はそうだったわ・・・・でも、今は違う。」
「・・・・外見がなんだって言うの?」

綾波がそう言うと、リツコさんは綾波の方に顔を向けると、大きな声で叫んだ。

「外見は全てを決めるわ!!あなたのシンジ君だって、あなたが醜ければ、き
っとあなたには歯牙もかけないはずよ!!」
「・・・・そんなこと・・・ない・・・・」
「じゃあ、どうしてシンジ君はあなたにやさしくしてくれる訳?その理由があ
る?」
「・・・・碇君は・・・・」

綾波は小さな声で答えようとしたが、それを待たずにリツコさんが綾波にたた
みかける。

「あなたの外見がいいから、シンジ君はあなたにやさしくしてくれるのよ。今
のあなたならともかく、はっきり言って以前の人形だったあなたに人間的魅力
があったと思う?」
「・・・・ない。」
「でしょう?はっきり言って、あなたには外見上の魅力しかなかったのよ。だ
から、あの人もあなたを身代わりにすることにしか出来なかった訳。わかる?」
「・・・・・」
「つまり、外見はそれだけ重要なことなのよ。何の問題もない、あなたにはわ
からないことなのかもしれないけどね、レイ。」
「・・・・・」

リツコさんの厳しい言葉に、綾波は言葉を返す事が出来ずに、黙ってしまって
いた。僕も、なぜか呪縛されたかのように、綾波を慰めてあげる事が出来なか
った。
その原因は、リツコさんの言葉にあったのかもしれない。確かにリツコさんの
言う通り、以前の綾波は誰ともろくな会話もせず、つまらない存在であったか
もしれない。それに比べると、アスカは人間味溢れる性格であり、好きになっ
ても当然であるかもしれない。
しかし、実際に僕はあの頃の綾波にも魅かれていた。はっきりとしたことは言
えないが、それは間違いのないことだろう。確かに使徒との戦いに赴く綾波の
姿は強いものがあり、それは感心させられる面であったろう。でも、僕は綾波
に魅かれたのは、それではないのだ。無論、それも中にはあるだろうが、決定
的な要因を為し得ないのは事実であろう。
では、何故僕はあの時の綾波に魅かれたのであろうか?考えてみると、僕には
原因がわからなかった。ただ、何となくいつのまにか綾波に興味を覚えていた
ような気がした。まあ、綾波は普通の女の子とは違って、不思議なところがあ
ったから、いいのか悪いのかわからないが、とにかく目立つ存在であったのは
確かだろう。それに、同じエヴァのパイロットという関係もあったし・・・・
でも、それを言うならアスカも同じだ。なのに、僕はアスカにはほとんど興味
を覚えずに、綾波ばかりを見ていた。
今は、アスカの心に触れ、アスカの良さを十分理解したから、そんなことはな
い。だから、今は自分の心が綾波よりもアスカに傾いていることを肌で感じる。
アスカと同じくらい、綾波の心も感じているのに、だ。
では、心を知らないのに、何故魅かれるのであろうか・・・・?
その答えは、いくら考えてみても、僕の頭の中からは出てきそうにもなかった。

「どう?何か言い返す言葉はないの?」

しばらく黙って綾波の言葉を待っていたリツコさんは、とうとう待ちきれなく
なったのか、綾波に言葉をかけた。

「・・・・・」
「・・・なら、シンジ君に聞いてみたらどうかしら?どうしてあなたにやさし
くしてみる気になったのか、って・・・・」

リツコさんは辛辣だった。その言葉は真実に近いものであったのだが、綾波に
はつらすぎる言葉だった。もしかして、綾波に怒りをぶつけているのかもしれ
ない。綾波がその対象ではないことを知りながらも、自分と正反対の存在を憎
むかのように・・・・
リツコさんにそう言われた綾波は、僕の方を向いて、恐る恐る尋ねてきた。

「・・・・碇君・・・・どうして以前の私に、やさしくしてくれたの?今の私
から見ても、以前の私は本当につまらない存在だったのに・・・・」
「・・・・綾波は・・・つまらなくなんかないよ。」
「・・・どうして?」
「だって・・・・」
「少なくとも、アスカさんの方が魅力的だったはず。私にはわかる。」
「・・・アスカと綾波は、全く別だったから・・・・」
「・・・・答えになってないわ、碇君。」
「・・・・・」

僕が黙ってしまうと、綾波はリツコさんが言った事が正しくて、僕が答えられ
ないのだと思って、悲しそうにこう言った。

「やっぱり、私の外見で、碇君は私を判断していたの?」

僕はそんな綾波の言葉を慌てて否定する。理由は分からなかったが、そうでは
ない事だけはしっかりとわかっていたのだ。

「そ、そんな事はないよ!!」
「じゃあ、どうして?私の中に、碇君は何を見たって言うの?」
「それは・・・・・わからない。」
「どうして?」
「わからないものはわからないんだ。いつのまにか、綾波が気になってたんだ
よ。」
「・・・そう・・・・・」

僕は自分がわからなくなって、吐き捨てるようにそう言った。そんな僕に直面
した綾波も、何とも答えようがなく、そうとしか言い様がなかったのだ。
すると、そんな僕達に、アスカが話してきた。

「・・・人を好きになるって、理屈では説明出来ない事なんじゃないの?」
「アスカ・・・・」
「まあ、確かにアタシがシンジのどこが好きかって聞かれれば、それはいくら
でも答えられるわよ。でも、それはシンジだけが持ってるものじゃないじゃな
い。他の奴でも持ち合わせてるんだし・・・・」
「・・・・」
「つまり、アタシはシンジだから、好きになったのよね。違う?」

アスカは少し明るい顔をして見せて、僕にそう言う。僕はそんなアスカを見る
と、少し心が和んで、アスカに答えた。

「違わない。確かにアスカの言う通りだ。」
「でしょ?だから、シンジがレイの事を気になったのは、まあ、いろいろ細か
い理由はあると思うけど、シンジの心にアンタの心が当てはまったからなんじ
ゃないの?つまり、アンタが綾波レイだから、シンジの興味をひいた訳。」

アスカは綾波を元気付けるようにそう言った。僕はアスカの言葉で、綾波が救
われるかと思ったのだが、それは楽観的な考えだという事を、僕はすぐに知ら
される結果となった。

「・・・でも・・・・今の私は、昔の私とは違うわ。だから、碇君は私でなく、
あなたを選んでいる。それが証拠じゃないの?」
「そ、それは・・・・」
「私は後悔してない。たとえ昔の私の方が、碇君を魅きつける事が出来たとし
ても、私は碇君を愛せないから・・・・」
「・・・・・」
「今の私は碇君に想いをぶつける事が出来る。だから、今、碇君の心があなた
に傾いていても、私の想いがいつか碇君を私のもとに引き寄せる事が出来るか
もしれない・・・・」
「そ、そうね・・・・」

綾波の話は、先程とは少し論点がずれて来た。アスカは綾波の指摘が鋭かった
だけに困っていたのだが、取り敢えずこれで収拾を付ける事が出来ると思って、
少しほっとした顔を見せた。しかし、アスカもさっきの僕と同じく、考えが甘
かった。リツコさんが、話を元に戻したのだ。

「つまり、昔のレイには何があったのか、それが問題になってくるわね。」
「リツコ、アンタ何が言いたいのよ?余計な事を・・・・」

アスカがリツコさんのした事にむっと来て、きつい口調で言った。しかし、リ
ツコさんはそんなアスカには目もくれずに、僕と綾波に向かってこう言った。

「シンジ君にとって、レイは特別な存在なのよ。だから、理由もなく、魅きつ
けられたりする訳。」

リツコさんの言葉を聞いて、急にミサトさんが口を挟んだ。

「リツコ!!どういうつもり!?我を忘れて余計な事まで言うんじゃないでし
ょうね!?」

すると、リツコさんはミサトさんの方に顔を向けると、冷たい口調でこう答え
た。

「・・・・余計な事?いずれ言わなければならない事よ。だから、今のうちに
言っておいた方がいいの。レイが、シンジ君のお母さん、つまり、碇ユイのク
ローンである事を・・・・」
「・・・・母さんの?嘘だ!!」

僕は思わず、大きな声で叫んでいた。しかし、リツコさんはそんな僕の反応を
予期していたのか、うろたえる事も無く僕に言って聞かせた。

「嘘じゃないわよ、シンジ君。これは本当の話。あなたも少しくらいはそう考
えた事があると思っていたけど・・・・」
「・・・・・」

僕は何も言えなくなってしまった。綾波がクローンだというのは、あの時セン
トラルドグマで水槽に浮かぶたくさんの綾波の姿を見たときにわかっていた。
しかし、それが母さんだったなんて・・・・母さんが死んだのは、もう随分前
の話だというのに・・・・
でも、改めて言われてみると、綾波に母さんを感じていたのは事実だった。そ
れにあれ以後、綾波が母さんのクローンだと思ってみたことも、何度かあった。
でも、僕はそうは思い切れなかった。そう思うには余りにも衝撃的な事であっ
たし、僕はそんな事を信じたくはなかったから・・・・
しかし、綾波が母さんのクローンだという事で、納得が行く事が多いのだ。な
ぜ僕が綾波に魅かれたのかもそうだし、なにより、どうして父さんが綾波にあ
んなにこだわっていたのかも・・・・

僕はいつのまにか、うずくまって頭を抱え込んでいた。そして、そんな僕に向
かって、やさしく声をかける人物がいた。

「・・・碇君・・・・・」
「・・・・」

綾波だ。綾波だって、自分が僕の母さんのクローンだって知らないはずなのに、
僕以上に傷ついてもいいはずなのに・・・・

でも、どうして僕にやさしい言葉をかける事が出来るんだ!?

僕の口からは何も出てこなかったが、心の中ではそう叫んでいた。
しかし、綾波はそんな事に気がつかない。そして、もう一度僕に呼び掛ける。

「・・・碇君・・・・」
「・・・・・」

もしかして、綾波は知っていたのか?
知っていて、僕をずっと騙し続けていたのか?

僕の心の中に一瞬そんな考えがよぎった。
そしてちょうどその時、綾波の手が、僕の肩に触れる・・・・

「やめろ!!」

僕はそう叫んで、綾波の手を振り払っていた。
そして、いつのまにか走って廊下へ飛び出していた自分に、後になって気がつ
いたのだった・・・・


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