私立第三新東京中学校

第百四十四話・終わりのない道


「あ、そうだ、ミサト、シンジのお父さんの住所、知らない?」

アスカが思い出してミサトさんに尋ねた。するとミサトさんは半分からかうよ
うな顔をして、アスカにこう言った。

「アンタ・・・場所も知らないで、引っ越して行こうと思ったの?」
「そ、そうよ!!悪い!?」
「別に悪くはないけど・・・・行き当たりばったりね。」
「い、行き当たりばったりだっていいじゃない!!アタシは何でも臨機応変に
物事を処理出来るんだから!!」
「そ。」
「そ、じゃないわよ!!いいから早く教えなさいよ!!」
「残念だけど、アタシは知らないわ。」
「って、どうしてよ!?同僚なんじゃないの!?」
「冬月校長は同僚だけど、碇理事長は同僚じゃないの。つまり、教員じゃない
ってことね。」
「じゃあ・・・・名簿とかにも載ってないの?」
「そういうこと。他を当たるのね。」
「他って言われても・・・・」

アスカはそう言うと、辺りを見回して、知っていそうな顔を探す。しかし、ア
スカはそもそも父さんのことをほとんど知らないので、誰が父さんについて詳
しいかなど、知りようもなかった。そんな訳で、アスカの目にとまるような人
物はいなかったのだが、その時、それまで隅で大人しくしていた綾波が、静か
に声を発した。

「・・・・きっと・・・赤木博士なら知っているわ。」

綾波の発言は衝撃的だった。僕と、そしてミサトさんは、父さんとリツコさん
との間にいろいろあった事を知っているからだ。綾波のこの言葉からすると、
綾波もこの事について何がしかの知識があるのだろう。
しかし、そんな事など全く知らない他の人達は、綾波の言葉に大した衝撃も受
けずに、言葉通りそれを受け止めた。そして、アスカは綾波の言葉通りリツコ
さんに尋ねる。

「リツコ、知ってるの?」
「・・・・・」
「ねえ、知ってるんでしょ?」
「・・・・・」
「何とか言いなさいよ。アタシが・・・」
「うるさいわね!!」

アスカが口を閉ざすリツコさんにしつこく追求しようとすると、リツコさんは
大声でアスカを怒鳴りつけた。

「せ、先輩・・・・」

リツコさんのただならぬ様子に、伊吹先生が息を飲む。アスカも一瞬それに気
おされたのだが、そこは気の強いアスカのこと、理不尽に怒鳴りつけられて黙
ってなどいなかった。

「うるさいとは何なのよ!?いきなり怒鳴りつけることはないんじゃないの!?」
「・・・・・」

しかし、リツコさんはまた、沈黙に入った。そして、その目は綾波だけを睨み
付けるように見つめていた。アスカはリツコさんの視線が、自分には向いてな
いことに気付いて一瞬怒気をひらめかせたが、それが先程の言葉を発した綾波
に向けられていることを知ると、はっとした様子を見せた。
アスカがこうしてリツコさんに言葉をかけずにいると、リツコさんが綾波を見
て言った。

「・・・なぜそんなことを口にしたの、レイ?」
「・・・・・あなたと碇司令との関係を、私は知っているから・・・・」
「それはもう、昔のことよ!!」

いつもは沈着冷静なリツコさんが、感情をほとばしらせて綾波に叫んだ。
事情をわきまえているミサトさんすらも、息を飲んでこの状況を見守っている。
それはこの周りにいるみんながそうだった。
そして、綾波はと言うと、リツコさんが考えているのとは違い、綾波の言葉に
はまったく悪意はないようで、素直にリツコさんに謝った。

「・・・・ごめんなさい。」

しかし、リツコさんはそんな綾波を受け入れる事が出来ずに、綾波に向かって
こう言った。

「あの人に求められたくせに、それを拒むとはね。私は求められなかったと言
うのに・・・・」
「・・・・・」
「・・・レイ、私に勝ててうれしい?あの人があなたを選んで。」

リツコさんは周りに大勢いるのも忘れて、綾波だけしか目に入っていない様子
でこう尋ねた。すると綾波は、静かにリツコさんに答えた。

「・・・・碇司令が選んだのは私ではないわ。私はただ、身代わりの存在だっ
たの。私はそれに気付いたから、碇司令から離れることにしたの・・・・」
「・・・なら、今度のことはどう説明するの?」
「碇司令は私自身を見てくれなかったけど、碇君は、私を綾波レイという一人
の人間として想ってくれたわ。だから私は、私を綾波レイとして認めてくれた
かけがえのない人として、碇君を愛してるの。」
「・・・・愛・・・・あなたの口から出る言葉とはね、レイ。」
「・・・私はもう、以前の私じゃないから。愛を知る、一人の人間だから・・・
だから碇君について行くの。私も碇司令と一緒に暮らすのはつらい。だけど、
それ以上に碇君と一緒にいたいから、私は碇君の行くところについて行くの。」
「そう・・・・なら、あなたはあの人を・・・・」
「嫌いよ。でも、碇君にとって大事な人ならば、私は私自身の感情くらい我慢
する事が出来る。」

綾波はリツコさんにそう断言した。そしてそれを聞いたリツコさんは、小さく
綾波につぶやいた。

「強いのね・・・・あなた・・・・」
「私には、大事な人が、碇君がいるから。」
「・・・・あなたは以前からそうだったわ。感情のない人形のはずなのに、ど
こか強い芯のようなものがあって・・・・」
「・・・・・」
「そこが、あの人の心をとらえた・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・私はどこが悪いのよ・・・ねえ、教えてよ・・・・この私に・・・」

今のリツコさんは、いつもの強いリツコさんではなかった。まるで誰かに救い
を求めるかのように、答えを求めた。すると、綾波がそっと、リツコさんにこ
う言った。

「・・・・あなたのそれは、本当の愛ではないからよ。」
「・・・どういう事?」
「あなたはいつも、愛されることを求めてた。何かを求め続けてた。」
「当たり前じゃないの。そんなこと。」
「違うわ。あなたはただ、与えただけの愛に対する見返りを求めていたに過ぎ
ないの。」
「・・・・あなたに私の何がわかるって言うの?人の心なんて何も知らないく
せに・・・」
「それは以前の私。私は碇君に触れて、人の心を知ったの。だから、愛が何な
のか、あなたに教えてあげることも出来る・・・・」
「・・・・じゃあ、言ってみなさいよ。あなたの知った、愛とやらを・・・」

リツコさんにそう言われた綾波は、一呼吸置いてから、静かに語りはじめた。

「私もあなたと同じく、愛を求めてる。でも、私はそれを、私が碇君に愛を注
いだからではないの。私はただ、碇君が好きだから、それだけの理由で碇君を
愛してるの。」
「・・・・」
「だから、私はたとえ、碇君が私にではなく違う人に愛を向けたとしても、私
が碇君を想う気持ちは変わらない。」

綾波はそう言うと、ちらりとアスカの方に視線を向けた。そして、また話を続
ける。

「碇君が私の愛に応えてくれる、それは私にとって最高の喜びだけれど、それ
は結果であって、目的にはならないの。人に愛されたいが故に人を愛する。本
末転倒だと思わない?少なくとも、私はそう思う。それが、私の愛の形・・・・」

僕は綾波のその言葉に、ぐさりと胸に突き刺さるものを感じた。綾波が愛につ
いてこんな風に深く考えていたというのは驚きであったが、それ以上に、その
内容については、十分考えさせられるところがあった。
人に愛されたいが故に人を愛する。まさに僕は、綾波の言葉通りの人物であっ
た。そして、綾波はそれを、本末転倒だと言い切っている。確かに考えてみれ
ばそうだ。人を愛するから、人も自分を愛する事があるのであって、人に愛さ
れたいから人を愛するというのは、愛の形としては随分醜い考えだと言わざる
をえないだろう。
そして僕は、綾波の愛の形が、僕の醜い愛の形とは違って、純粋で美しいもの
だと感じた。僕はそんな綾波がうらやましかった。僕の心は醜く打算に汚れて
おり、とても綾波のものとは比べ物にならなかった。そう思った僕は、自分が
とても恥ずかしく思えた。

どうして綾波はこんなに美しいのに、僕の事を唯一の存在と感じて、愛してく
れるのだろう?
そしてアスカも、どうしてあんなに強いのに、僕を愛してくれるのだろう?

僕にはわからなかった。僕はこの二人に比べて取るに足りない人間であるとい
うのに、二人は僕を必要としてくれる。僕はひたすらに愛を求め続ける、飢え
た存在であるに過ぎないのに・・・・

僕はもしかすると、思い上がっていたのかもしれない。いつのまにかアスカも
綾波も僕を愛してくれて、それが自然のことだと感じてしまうように・・・・
だが、それは大いなる誤解だった。僕はそんな価値のある人間ではないし、人
を愛するにはそれなりの原因があるものだ。僕はそれが何なのか、つかむ事は
出来ないが、綾波の言葉で、自分の愛の形が間違っていることを知った。

もしかしたら、見返りを求めない無償の愛、それが恋につながっているのでは
ないのだろうか?

無償の愛にもいくつかの形がある。親子愛とか、兄弟愛とか・・・・しかし、
血のつながらない男女の間における無償の愛が一体どこに成立するのか、それ
は恋としか言い様がなかった。少なくとも、僕はそう思った。
しかし、今の僕をどう変えてゆけばいいのか、その事になると、全くわからな
かった。だから僕は恋を知らないのだと言えば、それでおしまいなのだが、僕
は自分の愛が醜いねじれた愛であることを、甘んじてうける訳にはいかなかっ
た。僕も綾波のように、美しい存在になりたかった。

では、どうすればいいんだろう?
僕の思考はぐるぐると回っていた。いつまでも終わりのない道をたどっていた。
そして、そんな僕を誰も救ってはくれなかった・・・・


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