私立第三新東京中学校

第百四十二話・不思議な三角関係


僕の目には、何も入ってこなかった。
しかし、僕の心にはアスカの心が映っていた。

僕はいつのまにか、アスカの身体に腕を回して、きつく抱き締めていた。
そして、僕の身体にも、アスカの両腕が回されている事を肌で感じていた。

それは、愛のキスだった。
愛にもいろんな形があると思う。
僕はたくさんの形の愛を知っていた。
でも、ひとつだけ、恋と言う形の愛だけは知ることが出来なかった。
激しく燃え盛る炎のような恋。
僕の凍てつく心には、それを感じる事が出来ないのかもしれない。
だから、僕は僕の心を溶かしたい。
真っ赤なアスカの、恋の炎によって・・・・


僕達には、時も場所も無かった。
ただ、二人がそこにいただけだった。
しかし、そこにいたのは、僕達二人だけではなかった。

「・・・碇君・・・・・」

耐え切れなくなったのだろうか、とうとう綾波が後ろから僕のシャツの裾をく
いくいと引っ張る。僕はそれによって現実に戻り、ようやくアスカから離れた。
アスカも、そうしようとした僕を感じて現実に戻り、この一体感を名残惜しそ
うにしながらも、大人しく僕から離れた。
アスカの顔は真っ赤に上気している。きっと僕の顔も、アスカから見ればそう
なのだろう。しかし、アスカとの語らいの場を持つよりも、今は綾波に話をす
る方が先のように、僕には思えた。
そして僕は、完全にアスカに背を向けることなく、半分身体をひねって綾波の
方を向くと、ひとこと謝った。

「ごめん、綾波。辛い思いをさせちゃって・・・・」

アスカは、そんな僕に対して何も言わなかった。きっとアスカも、綾波の目の
前で僕とキスをした事に、いくばくかの罪悪感を覚えているのだろう。実際僕
もそうだったのだから。
綾波は少し、僕と目を合わせられなかった。しかし、僕は綾波が僕の方を見て
くれるまで、じっと綾波を見つめながら待っていた。ようやく綾波が顔を上げ
ると、僕と綾波の視線がひとつに合わさった。

「・・・・碇君・・・・・」

綾波の口から出た言葉は、ただ、それだけ。
僕はそれに対して、言葉では応えずに、微笑みで応えた。
すると、綾波はもう一度、僕の名前を呼んだ。

「・・・碇君・・・・・」

そして僕もまた、微笑みを投げ掛け続けていた。
綾波はそんな僕に対して、会話らしい会話が出来なくなってしまった。すると
僕は、綾波に対してこう言った。

「・・・・行こうか?父さんのところへ・・・・」
「・・・うん・・・・」

綾波は僕の言葉を聞くと、小さな声で答えて、こくんとうなずいた。
そして、綾波が了解したのを見ると、今度は後ろのアスカの方を見た。しかし、
アスカは言葉で言わなくとも、僕と心が通じていたので、ただやさしくうなず
いて見せるだけだった。

こうして僕とアスカと綾波の三人は、再び父さんに会いに行くために、誰もい
ない夕日に照らされた廊下を歩いていった。

三人の間に、会話は存在しなかった。
アスカも僕も、そして綾波も、今のこの雰囲気をごまかそうとはしなかった。
僕はそうする事が、現実から逃げる事であると知っていた。
そして、きっとアスカも僕と同じ気持ちだろう。
ただ、廊下には三人の足音が響き渡っていた。
それが、いっそう辺りの静けさを僕達に感じさせる結果となった。

だが、どうしてこんなに静かなんだろう?
いくら放課後の廊下とは言え、誰か一人くらいは通り過ぎてもよかった。
しかし、僕は校舎に入ってからというものの、僕達三人以外の人影を見た事は
なかった。僕は改めてその事に気がつくと、不思議な気持ちにとらわれた。

もしかしたら、この世界には僕達三人しかいないのではないかと・・・・

しかし、それは僕の感傷の産物にしかすぎなかった。
そんな事は有り得るはずが無かった。
だが、誰もいない廊下を歩きながら、僕はそんなことを考え続けていたのだ。

しばらくして、僕達は校長室の前までたどり着いた。
ここに着くまでに、僕達は他の誰も見なかったが、隣の職員室からは、ミサト
さんか誰かの、楽しげな話し声が漏れていた。僕はそれにより、何だか救われ
た気がした。そして、心を和らげると、アスカも僕と同じだったのか、それま
での沈黙を破って、いつものアスカに戻ると僕達にこう言った。

「絶対にシンジのお父さんを説得するわよ。いいわね、これは戦いなんだから!!」

僕はアスカの言葉に励まされて、力強くこう応えた。

「わかってるよ、アスカ。三人力を合わせて頑張ろう。」

そして、綾波も心のわだかまりが残っていたかもしれないが、僕に続いて言っ
た。

「・・・うん。私も、頑張って碇司令を説得するから。」

綾波の声はやや力強さに欠けており、僕は少々心配したが、僕は綾波の頑張り
を信じて、何も言わなかった。

そして、三人の心がひとつに固まると、アスカが先頭に立って校長室のドアを
ノックした。

コンコン!!

「失礼します。」

アスカはそう言うと、冬月校長の返事も待たずに、ドアを開けて中に入ってい
った。僕と綾波も、アスカに続いて中に入る。すると、そこにはさっきと同じ
く冬月校長の姿があった。冬月校長は返事を待たずに入ってきた僕達を見たが、
特に気にした様子も無く、僕たちに向かって声をかけた。

「・・・三人揃って一体何事かね?」

すると、アスカがちょっときつめの口調で冬月校長の質問に答えた。

「校長先生には何も用はありません。理事長、つまり、シンジのお父さんに頼
みがあってきたんです。」
「そうか・・・・よかったら、私にもその頼み事の内容を、聞かせてもらえな
いかね・・・?」

冬月校長は、至って穏やかな口調だ。さすがのアスカも、そういうのには悪い
印象を持ち得ないのか、少々態度を軟化させて、冬月校長に話した。

「アタシ達も、シンジと一緒に引っ越させてくださいって言う事なんです。」
「・・・・つまり、碇のところにシンジ君と一緒についてくるという事かね?」
「そういう事です。」
「・・・・きっと碇は、煩わしく思うだろうな。」
「でしょうね。でも、そんな事はアタシには関係の無い事です。」
「・・・どうしてかね?」
「煩わしかろうと、アタシは絶対にシンジにくっついて行きますから。」

アスカの決意に満ちた言葉を聞いた冬月校長は、アスカの後ろに控えていた僕
に向かってこう言った。

「・・・・シンジ君、君も入れ込まれたものだね。」
「ですね。」
「いいのかい?碇との親子水入らずの生活を邪魔されるかもしれないのだよ?」
「・・・・アスカがいてくれた方が、助かります。それに、僕はアスカと暮ら
してきた時間の方が長く感じていますから・・・・」
「・・・・そうか。まあ、いきなり二人になるより、そっちの方がいいかもし
れないな。」

そして、僕にそう応えた冬月校長は、今度は僕の隣の綾波に対して、質問して
きた。

「・・・レイ、碇と一緒に住んでも、平気なのかね?」
「はい。碇君が一緒なら・・・・」
「そうか。どうしても、シンジ君と一緒に来たいのかね?」
「はい。」
「なぜだね?」
「碇君が、好きだからです。碇君が好きだから、ずっと一緒にいたいんです。」
「・・・・わかった。」

冬月校長は、少し顔をほころばせながらうなずくと、最後に僕たちに向かって
確認した。

「では、三人とも、その意志を枉げるつもりは全く無い、そういう事かね?」

「当たり前よ!!」
「はい。」
「はい・・・・」

冬月校長の言葉に、僕達は三者三様の受け答えをして見せた。
すると、それを聞いた冬月校長は、僕達にこう言うと、電話を取った。

「わかった。では、碇に聞いてみよう・・・・・」

そして、冬月校長と父さんとの、電話のやり取りが始まった。冬月校長は簡単
に事情を話しただけだったのだが、案外あっさり話し合いは終わって、受話器
は下に置かれた。電話を終えた冬月校長は、僕達の方を見ると、どういう事か
説明してくれた。

「今、碇は忙しいらしくて、誰も中に入れるなと言われていたのだよ。だから、
君たちを直接中に入れずに、私がまず、話を聞いてみたという訳だ。」
「で、結果はどうだったのよ!?」

アスカはそんなことよりも結果の方を一刻も早く知りたかったのか、相手が校
長先生だという事も忘れて、身を乗り出して答えを求めた。そして、そんなア
スカに動じる事も無く、冬月校長は大人の余裕さを以ってアスカに答えた。

「碇の言葉で言うなら、好きにしろ、という事だ。つまり、シンジ君達と一緒
に引っ越してきても、一向に差し支えない。まあ、これで碇の周りも賑やかに
なって、私はいいと思うが・・・・」

冬月校長は、最後に父さんの事を考えた言葉を口にしたのだったが、アスカも
綾波も、そんな言葉など全く聞いていなかった。

「やったぁ!!」
「碇君!!」

アスカは大きな声で叫ぶと、僕に抱きついてきた。そして、いつもは沈着冷静
な綾波も、大きな声を出して、アスカと同じく僕に抱きついてきた。
まあ、アスカはいつもこう言う感じなのだが、やっぱり綾波は父さんとの事が
あって、内心不安だったのだろう。きっと、アスカが受け入れられたとしても、
自分だけ受け入れられない、という事も、頭の中にあったに違いない。僕は今
の綾波の喜びようを見て、はじめてその事に気がついた。そして、綾波の不安
が現実のものとならなくて、本当によかったと思った。

しかし、僕はちょっと気勢をそがれた形になった。また父さんと対面して、要
求をぶつけなくてはいけないと思っていたのに・・・・こういう冬月校長を通
しての成功というのは、何ともぱっとしないものであった。
だが、一方では父さんと余計な争いを生じさせなくて、ほっとしていたのも事
実だった。むしろ僕にとってはそっちの方がはるかに大きいものであったので、
僕は違う意味で、アスカや綾波の喜びを分かち合う事が出来た。
きっとこの二人は、僕の微笑みの本当の訳を理解してはいないだろう。だが、
僕はそんな事をわざわざ口にするつもりはなかった。僕には、それが二人の喜
びに水を差す結果になるという事が、はっきりと解っていたからだ。

僕達三人は抱き合いながら喜んでいたのだが、それを見た冬月校長が呆れた顔
をして僕達にこう言った。

「そういう事は外に出てやってくれんかね?年寄りには刺激が強すぎる・・・」

僕もアスカも綾波も、顔を真っ赤にしてしまった。そして、そのまま慌てて校
長室を出ていったのであった・・・・・


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